そんなわけで、僕とリンの2人暮らしが始まった。
思いつく範囲で調べてみても、リンがどういう人たちにどういう理由で作られ、なぜ僕のところにやって来たのかは分からないままだった。
届いた商品のことで気になることが、などとぼやかしつつ通販会社に電話して探りを入れようとしても、メールされていた注文番号を告げるが早いか「パッケージかディスクの破損でしょうか?」などと言うぐらいで、ソフトウェアとして以外の鏡音リンなどまったく念頭にない様子だった。
販売元のメーカーに至っては、ロボットのボーカロイドって本当にいるんですかね、と(鼻で笑われたり、いたずら扱いされて早々に電話を切られたりするのを覚悟で)尋ねたところ、「もちろんいますよ……私たちの心の中に」などといわゆる大人の対応で、しかしそれは彼らにとっても現実のリンとはソフトウェアに他ならないということの裏返しでもあった。
実は本物の鏡音リンが今、僕の家でカップラーメン食べてまして……などと目の前の光景を実況してみようかとも思ったが、結局は思い止まった。そうしてしつこく食い下がったところで、得るものがあるとは思えなかったし、それこそ愛想を尽かされて電話を切られるのが関の山だっただろう。
すいません、と感謝なのか謝罪なのか自分でもよくわからないような言葉を残して電話を切ると、僕はしばし思案にくれた。アマ○ンも、クリ○トンも関知していない。僕は確かに、パソコンからアマ○ンにアクセスし、リンを注文したのに。そしてそれは、アマ○ンからソフトウェアとして出荷された形跡もあるというのに。一体誰が、何の目的で僕の鏡音リンを「本物」にしたのだろう。
こんなとき、あいつなら何か分かることがあるかもしれない……いやでも、あいつにリンの存在を知られるのは……などと葛藤していたところに、人災は、忘れないどころか勘案の真っ最中に、文字通りドアを叩いてやってきたのだった。
リンがやって来てからちょうど丸1日が経った、月曜日の正午少し前だった。
リンはTVのワイドショーを見ながらけらけら笑っていて、僕はその死角に立つよう気をつけながら着替えている最中だった。玄関の鉄扉がガンガンと打ち鳴らされ、僕が慌ててジーンズを履き終えるのとほぼ同時にドアは外側に引き開けられた。
「おっす、陸!」
「ちょ…………あっ……」
突然の訪問者はドアを左手で押さえたまま、僕の顔を見て不敵な笑みを浮かべ、次いでその背後、きょとんとした顔で彼女の方に振り向いているリンに視線を向けて、笑顔を固まらせた。
「……陸……あんた……」
「ちち違う、その、あれだ、えーと、親戚の子で夏でもないのに夏休みで遊びに来ていてあのその」
「……ほーお」
ドアを後ろ手に閉め、さっきとは違う力の入った笑顔になる。
「こんな、年端もいかない子に……」
息を大きく吸い込む。――やばい。
「何て恰好させてんだーーッ!!!」
彼女、幸坂葉月のMAXボリュームの怒鳴り声は、窓ガラスを、TVを、キッチンシンクの食器を、テーブルの上に置いたままのノートパソコンを、この部屋にあるありとあらゆるものを振動させ、体感的には10秒ばかり僕の耳をつんざいた末にようやく解放した。
「うわー、すごい声量」
呑気に拍手などしてみせるリンをキッと一瞥すると、葉月は靴を脱ぎ捨て、部屋に上がり込んでくるが早いか僕の胸ぐらを掴んで締め上げた。
「……あんた、何やってんの」
「い、いや、実は葉月にも、相談を、さ……」
「何が……相談、だぁあああ!!」
至近距離で叫ばれると頭が割れそうになる。隣の部屋から壁を叩くドンという音に抗議の意志を汲み取り、少々気まずそうに咳払いなどしつつ、葉月はようやく僕を解放するとリンの方に歩み寄った。
「鏡音……リン、だよね、その恰好」
「うん、よろしくね!」
葉月にとってはさしずめ「親戚のお兄ちゃんにコスプレさせられて喜んでいる中学生(将来が思いやられる)」というところだろう、リンと向き合ったまま天を仰ぐ仕草を見せる。
「お名前、何ていうの」
「え……だから、リンだよ」
「は……」
唖然とする葉月に、僕は恐る恐る挙手して発言の許可を求める。
「……いいわよ、陸」
「……信じてもらえるか、分かんない、けどさ……」
自然と発言が細切れになる。そう、慎重に言葉を選ばないと何をされるかわかったものではない。
「……この子……本物の、鏡音リン、なんだ」
僕の発言を噛みしめるように一つ二つとゆっくり頷くと、葉月はふっと柔和に、普段の彼女からは想像もつかないほど柔和に微笑んだ――まずい、いよいよまずい。
「そう……」
再び僕に向き直ると、葉月は先ほど隣室から叩かれた方の壁を気にするようにちらりと見て、
――次の瞬間、ガンッという鈍い音が響いたかと思うと、僕は左頬に激痛を、右頬にフローリングのかすかに冷たい感触を感じながら、葉月の足下に横たわっていた。
「……暴力女」
「悪かったってば」
あぐらをかいた格好のまま、まるで心の込もっていない謝罪の弁を述べる葉月にされるがまま、痛む頬に湿布を貼られる。
「男女……」
「あア!?」
「……いえ、何も……」
僕は凄まれて縮こまるしかない。彼女は加害者で、僕は被害者なのに。気づけば主導権は彼女にある。いつだってこんな調子だ。
「……だいたいお前、会社は」
「だからね、私に外回りの営業やらせようなんてそもそも間違ってるのよ」
「答えになってない……」
「いいのよそんなことは。それにしても、ロボット……ねえ」
僕に形ばかりの治療を施し終えた葉月は、心配そうにこちらを見ているリンに改めて目を向ける。――そうはないほど好奇心に満ちあふれ、らんらんと輝く目を。
鉄拳を食らって倒れた僕になおも掴みかかろうとする葉月を懸命に制止したリンは、自ら左腕を外して内部の機械を彼女に見せながら「マスターをいじめないで!」と涙ながらに抗議してくれた。そのおかげで僕は今、とりあえず座り込んだ姿勢のまま意識を保っていられるわけだ。本当に、リンがいなかったらと思うとぞっとする――って、そもそも彼女がいなければこの騒動自体が起こっていなかったわけで、あれ?
一人つまらないパラドックスにはまり込んだ僕を後目に、2人はあれこれの話に花を咲かせていた――というより、リンはどちらかというと引き気味で、彼女を取って食わんばかりの勢いで矢継ぎ早に質問を浴びせる葉月の独壇場と言った方が正確だろうか。
とにかく、文系の僕にはろくに理解できない専門用語の散りばめられた質疑応答を20分ばかり続けた後、葉月は再び僕に向き直った。
「結論から言うと……彼女の正体に関しては、何一つ分からなかったわ」
そのまま真後ろに倒れてしまいそうなほど脱力した身体を何とか両腕で支えると、僕は上体を立て直して一つ大きなため息をついた。
「えーと……何に関してそんな自信満々なの」
苦笑しつつ葉月の顔を見上げる。
「あら、心外ね」
眉根を上げつつ、右人差し指で眼鏡を持ち上げる。小3で眼鏡をかけ始めて以来、葉月が自信満々に何かを語るたび、もう数えきれないほど見せてきた仕草だ。
「彼女は本当に何も知らない。考えられる限り、どんな高度なプログラムであってもごまかしがきかないようにテストしたからね。その結果、彼女にここへ来る前の記憶が残っていないというのは紛れもない事実だということがわかった――つまりね、あんたたちは、誰かに監視されてる可能性が高いってわけ」
僕もリンも何がどういうことかわからず、顔を見合わせるばかりだった。葉月は、困った子たちね、などとオバサンくさいことをため息混じりに呟いて続ける。
「だって、こんなにとんでもなくお金も手間もかかってそうな……子が、よ?ただ歌を歌うためだけに、あんたみたいないい歳してうだつのあがらない貧乏学生のところに来るなんてことがあると思う?新商品のモニターかもしれないし、それとは違う何かの実験かもしれない。とにかく何かしら、あんたたちが何をして、どういう風に暮らしているか。たとえばこの子に何を食べさせるとどうなるかとか、どんな風に会話するかとか、歌の歌い方はどんなか、とか。そういう情報が収集され、きっとどこかで利用される――というか、されないわけがないじゃない。彼女に記憶がないのも、そのあたりに余計なノイズが入らないようにするためね、きっと」
「なるほどね……」
一理あった。しかし、こうして何かしら疑問を解決に向かわせてくれるのも葉月なら、
「そんなわけで、色々調べたげるから、しばらく泊めてね」
という具合に、笑顔でとんでもないことを言い出すのも、またいつも通りの葉月なのだった。
図書館に行って借りていた本を返したりコピーを取ったり、色々しようと思っていたのに、結局大学に着いたのは講義が始まるギリギリの時間だった。
家ではリンと、恐らく仕事をすっぽかして来ているであろう葉月が、あれこれ調べたりしているはずだ。6時には帰る、と言ってきたが、葉月は僕を見送りながら「それまでには何とかしておくわ」と不敵な(……などといちいち断る必要もないほど通常通りに不敵な)笑顔を見せた。――ああ、リンもいるとは言え、置いてきてしまって良かったものだろうか。そう、葉月の「何とかする」は、たいていの場合「何かしでかす」ことと不可分なのだ。
そんなふうに家のことを心配しているうちに、まったく身が入らないまま講義は終わってしまったので、僕は小さく一つため息をつくと鞄を手に取って図書館に足を向けた。
「きゃーーーーーーー!!!」
夕飯の買い物(一応3人分)を済ませ、帰宅してドアを開いた僕は、早々にリンの甲高い悲鳴に耳を苛まれることになった。……え、裸……?
「ちょっと陸!ノックぐらいしなさいよ」
「いや、そんなこと言われても……」
強引に中へと引かれ、無理矢理閉め直された重く硬い鉄扉を半ば呆然と見つめる。これを平気な顔でガンガン打ち鳴らせるのは、僕の知る限り葉月ただ一人だ。――いや、そもそもここは僕が自分で家賃を払って借りている、僕の部屋なのだが。
「お待たせ、入っていいわよ」
2、3分ほどしたところで葉月がそう言ってドアを開けたので、ようやく部屋に入る。
「…………」
リンは座椅子にちょこんと座ったまま、両膝に置いた拳を所在なげに動かしている。やはりと言うか、ほんのり顔が赤い。
「……なあ、何やってたんだ?」
「まあ色々と、検査をね」
「だから説明になってないと……」
僕の抗議は当然のように無視される。
「んじゃまあ、着替えとか取ってくるから。夕飯の準備、よろしくね」
「ちょっ……」
引き止める間もなく、葉月は部屋を飛び出していってしまう。まさに電光石火だった。
とりあえず一難は去ったが、また30分かそこらでもう一難、それも特大のがやってくることは確定済みなわけだ。いっそこのまま鍵とチェーンをかけて閉め出そうか、などという考えも脳裏をよぎったが、すぐに思い直す。あれだけ興味津々の葉月からその楽しみを取り上げでもしようものなら、何をされるかわかったものではない。窓ぐらいは平気で破るだろうし、そうなってもどうせ修繕費はこっち持ちだ――要するに、どうしようもない。角部屋とはいえ1階なんかに住むんじゃなかったな、などと、あんな腐れ縁がなければ抱くはずもなかった悩みが、思わず口をついて出る。
「……ねえ、マスター」
ずっと押し黙っていたリンが唐突に口を開いたので、慌ててそちらに向き直る。
「葉月、さんって……マスターの、彼女さん?」
立っていたというのに今日一番の派手さでずっこけた僕は、心配して駆け寄るリンに対し、これ以上ない勢いで首を振った。
「ないないないないないないないないない、絶対に、100%、世界が滅びるその瞬間まで、あ、り、え、ない!!!!!」
この瞬間だけは葉月に引けをとらないのではないかというぐらい大きな声で、力一杯否定する。
「……そっか」
なぜか少し嬉しそうに表情を緩めながら、リンは僕の目の前に屈み込む。
「……大丈夫?」
昨日から何度かにわたって床に打ち付けている腰を気遣われる。平気平気、と笑いつつ、腰も心も痛かった。あんな恐怖の大王と、恋人同士に見られるなんて――何も知らないリンに罪はないが、葉月は言わばその存在そのものが犯罪だ。
「いやね、あいつは……まあ、薄々気づいてはいるかもしれないけど、本当に恐ろしい奴なんだ」
少なくとも自分の身体のことでリンに心配はかけまいと背筋を伸ばしつつ、思いの丈を口に上せる。
「幼稚園から高3まで、ずっと一緒だった……好むと好まざるとにかかわらずね。あいつは生粋のマッドサイエンティストってやつだ。僕が、その……実家にいたときから、暇さえあれば今日みたいに押し掛けてきて、好き放題やって、僕の部屋を数えきれないほどめちゃくちゃにしてきたし……よくわからない薬や器具の実験台にされて生命の危機に陥ったのも一度や二度じゃないし。それはもう、本当に悪魔的な……」
「でも、将来は結婚することになってるわよね?」
「だからそれは子供の軽口というか、そんなのはとっくに時効で…………え?」
自分の背後、ちょうどリンが少し怯えた表情で見つめる方向に、強烈な殺気を感じる。恐怖のあまり、身体が硬直して振り返ることもできない。――何で、もう――?
「悪魔、ね……嬉しい賛辞だわ」
ふっ、と小さく笑う声が聞こえたかと思うと、僕は脳天に強烈な衝撃を感じ、そのまま意識を失った。
僕のリンちゃんがこんなに可愛いわけが……ある(第2話 悪魔が来りて引っかき回す)
リンちゃんが実体化してキャッキャウフフしたりする俺得SSです
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