UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その21「救出」
テトはスマートフォンを受け取ると、素早くキーボードを叩き始めた。
車は大型ショッピングセンターに近づいた。
テトが舌打ちをした。
〔テト姉が焦ってる?〕
それはテッドには新鮮なことだった。
テトはテッドのスマートフォンを見せた。
車は丁度、ショッピングセンターの駐車場に入るため右折しようと停止していた。
テッドはスマートフォンの画像を見た。
男が二人で大きな荷物を抱えている映像だった。一人は桃に道を聞くふりをした男だった。
「奴等、二手に別れた」
「え?!」
テッドは前の車に続いて、駐車場に入った。
「それって、どういう?」
「その大きな荷物の中が、桃ちゃんなのか、カメラの死角で分からなかった」
テトの表情に悔しさが滲み出ていた。
少し考え込んで、テトは何かを決意したようだった。
「こちらも双手に別れよう」
「えっ?!」
「店の中はボクが追う。駐車場から出てくる白い車は、テッド君が追い掛けて」
「本気?!」
テトはシートベルトを外した。
「止めて。正面から白い車が来る」
ハザードランプを点け、テッドはブレーキを踏んだ。
テッドの車が止まると同時に白い車がその脇をすれ違った。
白い車のハンドルを握っているのは、テッドには怒りの形相を向けたあの女性だった。
目が合ってテッドはハッとなった。
その女性が口のはしに笑みを浮かべていたように見えた。
同時に助手席のドアが閉まる音がした。
振り返ったテッドは窓を開け、大声でテトを呼んだ。
「テト姉、こっちだ!」
振り向いたテトの表情をテッドは一生忘れないと思った。
テトは予想外の出来事に頭の中が真っ白になったようで、目を皿のように丸くしてテッドを見つめていた。
「彼女がいた! 車の方だ!」
そして、困ったように視線を泳がせて、車にもどってきた。
助手席に着いたテトは何故かテッドと目を合わせず聞いた。
「見間違いじゃ、ないんだな?」
「あ、ああ」
「わかった」
顔を上げたテトはなぜか憑き物が落ちたようにスッキリした明るい表情をしていた。
ドアを閉め、シートベルトをすると、テトは自分のスマートフォンを操作した。
「テッド君、見失わないように、追うよ」
「了解」
テトはすぐにスマートフォンで会話を始めた。
「いつもお世話になります。MMDガードの重音です」
いつもと違う大人びた声で会話が始まった。
「はい、先ほど、『ゴミ箱』の中に『会計』を済ませていない『CD』を見つけました。二階の東側です。ゴミ箱の番号は534です」
車を出すよう、テトは手で合図をした。
テッドはサイドブレーキを外しアクセルを踏んだ。
「はい、よろしくお願いします」
テトは電話を切った。
「今のは何かの暗号?」
「例の二人組、不審者にしてやった」
「ふーん」
〔ざま見ろ〕
テッドは車をUターンさせた。
例の車は駐車場の出口で信号待ちをしていた。その後ろの七台目にテッドは車を付けた。
〔この位置なら見失ったりはしないな〕
信号が変わり、白い車が動き出した。その車は信号を左折した。
他に右折、直進する車があり、白い車との距離がグッと縮まった。
「よし。このまま、距離を保って尾行しよう」
「了解、テト姉」
テトは再び自分のスマートフォンを操作し始めた。
テッドは感じていた疑問を口にした。
「さっき、『油断した』って言ってたけど、彼女はそんなにVIPなわけ?」
「うん」
テトは画面から目を離し前方を見据えた。
「百瀬博士が持つ特許は、個人では群を抜いている。その特許料で得られる利益は莫大だ」
テトは何かを飲み込んだように言葉を出すのを躊躇っていた。
「テト姉?」
テッドはそれを異変のように感じていた。
「テッド君だから、正直に話すけど」
こんな風に前置きの長いテトを見るのは、テッドには初めてだった。
故に、テッドは少し身構えた。
「彼女は、過去二回、営利誘拐に遭っている。未遂は四回ある」
なんて回数だ、とテッドは思った。
〔人間不信になりそうな回数だな。いや、俺ならとっくになってるな。いや、待てよ〕
「ということは、それを全部、テト姉が防いできたわけか?」
「ははっ」
テトが乾いた笑い声を漏らした。
「最初の事件は、彼女が三歳のときで、日本の警察が解決したよ。その次からだね、お姉さんの大活躍は」
もっと聞いておきたかったが、白い車が左折したため、テッドはそれに合わせた。
左折した途端、車の数が極端に減った。白い車とテッドの車の間には一台の乗用車しかいなかった。
車は臨海工業団地の中に入っていった。反対車線を空のキャリアトレーラーが数台通り過ぎた。
テッドは別の疑問が湧いてきた。
「なんで、白い車なんだろう」
「ん? どうした?」
「やつら、どうして、あんな、新車みたいに綺麗な車に乗ってるんだろう。目立ってしようがないだろうに」
「なるほど。確かに」
テトは再び自分のスマートフォンを操作し始めた。
前を走る車が左折していなくなり、白い車との間に何もなくなった。テッドはスピードを落とし、気づかれないよう間隔を開けた。
「やっぱり」
テトは小さく呟いた。
聞こえてはいたが、テッドは前の車との間隔を保つことに集中して聞き流していた。
「テッド君」
返事をしようかどうか迷っているうちに、テトが言葉を続けた。
「こっちで正解だわ」
何が、と心で思って声が出ていなかったが、察したようにテトの言葉は続いた。
「ショッピングセンターの二人組は荷物を放り出して逃げ出したわ」
つまり目の前の白い車の中に彼女が捕らわれている、ということか。テッドは頭の隅でぼんやりと考えていた。
白い車を追ううちに周囲は港近くの倉庫街に変わった。
白い車が左折した。
それから十数秒遅れて左折したテッドは、目の前の光景に一瞬、言葉を失った。
「!」
目の前には広大な駐車場が広がっており、視界に収まらないほど、白い車が整然と並んでいた。
そこは海外に輸出する乗用車を積み込むための港だった。
〔この中から彼女が乗せられてる車を探すのか。嘘だろ〕
しかし、テトは冷静だった。
「テッド君、次の角を左」
その声にテッドは少し勇気づけられた。
左側の大きな倉庫が途切れた先に道があった。それを左に曲がると倉庫のシャッターが開いていた。
そのシャッターの向こうに白い車がいたような気がした。
「テト姉」
テッドはアクセルを離した。
「そのまま走って。止まらないで」
テッドは慌ててアクセルに足を乗せた。
「次の角を左に曲がって」
テッドは言われるまま、ハンドルを左に切った。
「静かに止まって」
曲がってすぐにブレーキをゆっくりと踏んだ。
車が止まるのを待たずにテトはドアを開け、止まると同時に飛び降りた。
「いい?」
テトが真剣な眼差しでテッドを突き刺していた。
「五分でわたしが戻らなかったら、速やかにここから離れて、警察に連絡して」
「連絡って?」
「ありのまま、話していいわよ」
テトは静かにドアを閉めた。
テッドは目で追ったが、テトが角を曲がったかどうかも解らないほど、動きは速かった。
〔ちょっと、待て〕
テトの言葉を胸の中で反芻して、テッドは慄然とした。
〔五分したら、彼女もテト姉も見捨てて逃げろってか?〕
それはできない、と心の中で叫んだ。だが、誘拐の手際の良さやスタンガンなどの用意の良さは、テッドを躊躇させた。なにより、テトの言葉に間違いがあるはずがなかった。
〔それでも〕
テッドはエンジンを切り、キーを抜いて、車を降りた。
静かに倉庫の角まで進んで、スマートホンで角の向こうを確認した。
人通りはなかった。
〔テト姉、中に入ったのか〕
テッドはチラッと車を見た。
そして、角の向こうを直接覗いた。人影は道路の反対側にもなかった。
〔怒られる、かな〕
深呼吸をして、テッドは開いているシャッターに向かってダッシュした。
シャッターの直前でピタリと止まって、気を引きしめ直すことができた。
もう一度、スマートフォンで中を覗いた。今度は人影があった。それもかなり近かった。
テッドは思わずスマートフォンを引いて体を低くし身構えた。
〔来るのか?〕
スタンガンで気を失ったことを思い出し、テッドは手近で武器になりそうなものを探した。
シャッターに立て掛けてあった金属の棒を手にしたところで頭上から声がかけられた。
「テッド君、何をしてるの?」
降りあおぐと、テトが立っていた。
「え?」
拍子抜けしたテッドは、冷たいコンクリートの上に尻餅を突いた。
「テト姉…」
その時のテトの笑顔は、神々しさが散りばめられたようだった。
テッドは安心してため息を吐いた。
「彼女は?」
「車で寝てる」
「無事、な、の、か」
テッドは拍子抜けしたように声を上下させた。
「特に外傷は見当たらなかった」
「そうか。よかった」
「とりあえず、車、とってきて」
テッドはスッと立ち上がって敬礼をし、車に戻った。
〔よかった、本当に〕
ほっとしたのも束の間、車に戻ったテッドは激しく後悔した。
「な、なんだあ?!」
一見してそれとわかった。
車のタイヤが全てパンクし、車高が低くなっていた。
周りに人影はなかった。
念のため車の周りを回ったが、タイヤは全てナイフのようなもので切り裂かれた跡があった。
〔くっそー。車から離れるんじゃなかった〕
テトの怒った顔が頭に浮かんでしょうがなかった。
〔待てよ。彼女を乗せてきた車は?〕
テッドは、踵を返して倉庫に戻った。
再びテッドはテトとシャッターのところで鉢合わせした。
今度はテトは桃をお姫様抱っこしていた。
「おろ? どうしたの?」
「テト姉、やられた。車のタイヤが全部」
それを聞いてもテトは動じるところがなかった。
「んー、じゃあ、お願い」
抱えていた買い物袋を渡すように、テトは桃をテッドに預けた。
「え?」
反射的に両手を出して受け止めたが、その重さも柔らかさもテッドには初めての感触、感覚だった。その意味もまだ分からなかった。
テトはテッドに背を向け、自分のスマートフォンに話しかけた。
「現在地、分かる? 車、二台、大至急。お願い」
「テ、テト姉」
両手に掛かる重さが気になるわけではなかった。ただ、このまま彼女を「抱っこ」していていいのか、テッドは気になっていた。
次第に、桃の体温が、呼吸が、鼓動が、テッドに伝わってきた。
「どしたの?」
「中の車のタイヤが使えないのかと思って」
「そんな甘い連中じゃないよ」
テトは別のところに電話をかけた。
「博士、テトです」
電話の相手が百瀬博士であるのは自明だった。
「只今、KN事案は解決しました。御令嬢は無事です。スタンガン、睡眠薬の使用が疑われますので、この後、湯川病院で診察を受けて帰ります」
テトはスマートフォンをポケットにしまった。
文字通り、一息吐いてから、テトはにっこりと笑顔をテッドに向けた。
一方、テッドは違和感を覚え、心のどこかで非常ベルが鳴っているのを感じていた。
「テト姉」
「ん?」
テッドは自分の不安を上手く説明する自信がなかった。
口から出たのは別の言葉だった。
「俺、いつまで抱いてればいい?」
「ん、じゃあ、車まで」
落としそうになるのをこらえて、テッドは、テトの後に付いて車まで歩いた。
テトはドアを開け、後部座席の上にタオルケットを敷いた。続けてエンジンをかけ、エアコンをつけた。
敷きながら、テトが話しかけた。
「これくらいで泣き言は言わないでくれよ。ミクちゃんは二百キロあるんだから」
「ミク…」
テッドはシステム開発中の、居間に置いてきたロボットを思い出した。
次の瞬間、またフラッシュバックのようにいろいろなことが繋がり始めた。そして、不安が心の中で形作り始めた。
「テト姉」
「何?」
テトが振り返った。
「奴ら、何の為に、桃さんを誘拐したんだ?」
「お金目的か、人身売買か、情報を引き出すためか…」
「車をパンクさせたのは?」
「これ以上、追跡されないため…」
「彼女を解放したのは?」
「目的を諦めたから…」
そこでテッドは大きく首を振った。
テトは意外そうな目でテッドを見つめた。
「テッド君の考えを聞こうか」
「いや、考え過ぎかもしれないけど」
テッドは視線を腕の中の桃に落とした。
「奴ら、目的を達したんじゃ…」
「すると、今、奴らは?」
「俺達のミクを奪おうと、俺の家を…」
「そこまで解ってるなら、さっさと電話しなさい!」
テトはテッドから桃を受け取ると、後部座席に静かに横たえた。
テッドは自分のスマートフォンを操作した。
「出ない、ていうか、繋がらない」
信じられないといった顔で、テッドは自分の手の中の通信機器を見つめた。
「他の回線は?」
「ああ、そうか」
テッドは電話番号を変えて試してみた。
「携帯も、キャリアを変えて試してみたけど、駄目だ。衛星電話もダメだ」
「テッド君、他に回線は、ないの?」
テッドはしばらく考えて思い出した。
「あ、海の監視装置があった」
「海に?」
「潮力発電のシステムを監視するのに、有線だけじゃなくて、携帯からもアクセスできるようにしてあるんだ。その携帯と接続できるルーターの設定を変更してやれば…」
数秒、沈黙があった。
「つながっ、た!」
「た」の声とともにテッドの顔が明るくなった。
「認証パスワード、モック五十四。ミク、聞こえるか?」
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