UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その5「ステージからの誘い」
着替えた衣裳は、スカートの下が長めのスパッツのものとパンツスタイルの二種類があった。
ネルちゃんとじゃんけんをして、勝ったわたしはパンツスタイルを選んだ。
サイズはわたしにはぴったりだった。
ネルちゃんもぴったりだった。ただ、残念なのは、わたしの衣装が男性用だったことだった。
着替え終わったわたしたちを満足そうな笑みで重音さんが迎えてくれた。
「お二人さん、似合ってるよ」
わたしは褒められたと思いたいのだけれど、ネルちゃんは違った。
「どうせ『馬子にも衣装』とか言うんでしょ」
「それは、バラエティー番組か、お笑い番組用のコメント。今は、楽屋裏なんだから、正直なコメントだよ」
重音さんは余裕の笑みを浮かべていた。
それから、重音さんはポータブルプレイヤーで振り付け動画を見せてくれた。
これを今から三十分で覚えて、十五分でリハーサルを終えて、その十五分後には本番を迎えるという話だった。
振り付けは、リズムに合わせて手や腰を振る単純なものだった。曲の長さは約四分。わたし達は、十分で振り付けを覚え、五分でチェックを終えた。
「どうする?」
「勿論、重音さんにチェックしてもらいましょう」
わたし達はステージ付属の楽屋の外に立てられたテント、重音さんの楽屋に向かった。
垂れ幕のような入り口をくぐると、折り畳み式の長机が並べられただけの簡単な楽屋があった。
重音さんは中央に悠然と座っていた。
「失礼します」
わたしの声に、重音さんとそのマネージャーらしき人が振り向いた。
「お、もうできたのかい?」
「はい、チェックしてください」
「オーケー。行こう」
重音さんは立ち上がると、スカートの裾を伸ばしてから歩き出した。
練習していた場所に戻って、わたしとネルちゃんは練習の成果を重音さんに見せた。
ぱちぱちと、見終えた重音さんは拍手を贈ってくれた。
「凄い。よく短時間で、ここまで」
重音さんは笑顔で話してくれているのだが、誉められているのではなく、妥協の産物であるのが透けて見えた。
ネルちゃんはついと前に進んだ。
「足らないところがあるのなら言って下さい」
わたしも一歩前に出て、重音さんに聞いた。
「お客さんに見てもらう以上、納得出来るパフォーマンスをお見せしたいと思います」
わたし達は重音さんを強く見つめていた。
重音さんは、わたしとネルちゃんを交互に見比べてから言った。
「いいわ。じゃあ、特別に教えてあげる」
そう言った重音さんの顔はうれしそうだった。
そして、重音さんは教えてくれた。音の一つ一つに意味があることを、指先から足の爪先まで表情があることを。
それから、リハーサルを経て、ステージの広さを知った。
強烈なライトに照らされ、わたしは自分の中の何かが弾けたような気がした。
そのまま本番に突入し、うまく踊れたかどうかも分からない内にステージは終了していた。
拍手の音と歓声が交互に、波状攻撃のようにわたしを抱きしめては離れていった。
ネルちゃんが手を引いてくれなかったら、わたしはステージの余韻に浸ってそのまま次の曲が始まったのも気づかず立ち尽くしていたろう。
気が付いたら、わたしは楽屋で重音さんと握手をしていた。
「今日は、ありがとう」
重音さんはわたしの右手を両手で握ってくれた。
「おかげで何とか形のあるステージにできたわ。あなたたち、本当にシロート?」
ネルちゃんの顔が赤くなった。ネルちゃんは褒められるのが苦手だ。だから、照れ隠しに言わなくてもいいことまで言ってしまう。
「その素人に頼るのは、プロとしてどうかしら」
「ネルちゃん!」
「ははっ、耳が痛いね」
重音さんは手近にあったボールペンを取ると、同じく手近にあった紙にサインした。
サインされた紙を差し出されたとき、別にサインが欲しくて手伝ったわけではないのにと、ネルちゃんみたいなことを考えてしまった。
しかし、紙に書いてある募集要項の文字に思わず惹かれてしまった。
「UTAU学園高等部?」
「UTAU音楽事務所は、学校もやるの?」
重音さんは頷いた。
「そう」
重音さんは遠い目をして語り出した。
「今の芸能界はどこか歪んでるわ。みんなに夢を与えるはずのスターが、ファンからとても遠くにいる」
「ボーカロイドのことですか」
「そう、そうね。歌も踊りも芝居も笑いも完璧。普通ならみんな憧れてその人みたいになりたいと思うはず。でも、みんななれないと思いこんでる」
「それはしようがない…」
「アイドルは遠い存在かもしれないけど、なりたいと思う人がなれない存在ではいけないと思うの。努力すれば誰でもなれる存在がアイドルだと思うの」
「重音さんはどれくらい努力されたんですか」
「二十年くらい、…。ふふっ、気付いたら三十過ぎちゃってた」
ここはわたしもネルちゃんも愛想笑いというか苦笑いが出た。
「なんとか芸能界に引っ掻き傷ぐらいは着けられたと思うんだけど、ボーカロイドの牙城を崩すには至ってない」
重音さんは遠い目を止めて、わたしとネルちゃんを交互に見た。
「だから、わたしたちは、仲間が欲しいの。夢を実現させる力を持った仲間が」
わたしは受け取った紙をもう一度見た。
〔普通科高校。募集人員は二十人。全寮制。学費、寮費、共に無料。特別授業による芸能コースを併設。在学中でも芸能界デビュー、あり!〕
少しだけ心を動かされた。学費の心配がないということは、両親に負担をかけないということであり、全寮制ということは両親から独立するということだと思った。
芸能界に興味はないが、ちょっと変わった高校生活が送れそうで、胸が少し高鳴った。
ネルちゃんは特になかったようで、もらった紙を半分に折って鞄にしまっていた。
「中に書いてあるけど、実技試験は、八、十、十二月の、どれか。学科試験は二月だから、よろしくね」
その時の重音さんの笑顔は、何か裏がありそうだった。
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想