雪の日に天使達は還って来る。

雪の降る季節がやってきた。
天使の国では、降る雪はなくなった天使達が空を羽ばたいて落としている羽だと言う言い伝えがある。
雪には自分達のことを、これから先も忘れないようにと言う、天使達からのメッセージが込められていると。
シュピルナはこの季節が来るといつも思う。この雪を降らせている空を羽ばたく目には見えない天使達の中に、自分の父親と母親も混ざっているのだろうと。
そして、いつか自分もその天使達の列に混ざる日が来るのだろうと。
「さぁ……。お父様とお母様に会いに行かなくちゃ」
シュピルナは、白い温かい手袋に包まれた、かじかむ手で、小さなランプのぶら下がったレースの傘を刺しながら、ふわふわと降る夜の粉雪の中をゆっくりとした足取りで歩いて行く。
初雪の降る夜に、なくなった天使達が一斉に天使の墓場に帰ってくると言う伝承がある。
その神聖な雪の夜に、天使達は墓場に寄り集まってなくなった天使達に祈りを捧げるのだ。
シュピルナも、そのうちのひとりだった。
街明かりに照らされて、一軒の花屋の前に天使達が集まっている。隙間なく花の詰め込まれた、アンティーク調の大きな白い古時計が、振り子を揺らして店の奥でかちかちと揺れているのが見えた。
「いらっしゃい。今日は"天使の生還の日"ですね。どの花になさいますか?」
一人の若いエプロン姿の青年の天使が、他の客の対応に追われながら顔をシュピルナの方に向けてはっきりとした声で言う。
「ええと……。わたしは、このクリスマスローズの花を一輪」
「分かりました。あ。あなたの羽を一枚頂けますか?」
「ええ。これでいいかしら?」
シュピルナは、茶色のコートに仕舞われていた自分の白い羽の、その一枚を指先で抜き取ると、それを花屋の店員にそっと手渡した。
「少々お待ち下さいね」
てきぱきとした動作で、クリスマスローズの花を一輪と、それからシュピルナの羽を花と束ねて、白いリボンで結んでそれをさっと彼女の前に差し出した。
「お代は、400テラになります」
ポケットから取り出したお金を払うと、シュピルナはまたゆっくりとした足取りで、天使の墓場に向かって歩き出した。
「ありがとうございました」

天使の墓場は小高い丘の上の大聖堂にあって、白い背の高い大聖堂の門の前に雪がたくさん積もっているのを見ると、まるで雲の上に門があるようにシュピルナには見えた。
大聖堂に続く雪の降り積もった道を、天使達が列をなして、リボンで結ばれた羽と花、ランプを手に登って行くところは、まるで天国の門を目指して天使達の命が一斉に羽ばたいているようにも見える。とても神秘的で、美しい光景だった。
大聖堂の大きく荘厳な白い門の前に、美しい翼を生やした白い肌に青い目の青年が、バイクを停めて大聖堂の中に入っていくところだった。
「お父様、お母様」
大聖堂の中では、包み込むように優しいピアノのメロディーが流れている。大聖堂の至る所にリボンで束ねられた、花と羽の花束が供えてある。
シュピルナが大聖堂の門を開いて、天井を見上げると、天井には沢山のぶら下がった金の鳥籠が見えた。
金の鳥籠の中には、天使の女神の像が入っており、大聖堂の一番奥では、一番大きな乳白色の女神の像が、胸の前で手をクロスさせ、片方のずつの手に大きな宝石でできた紫のチューリップと太陽のモチーフを持っていた。
女神の像の入った金の鳥籠は、全部天使達の墓なのだ。大聖堂の天井は円形の硝子でできており、夜の星空と雪が降る様子を映し出していた。
シュピルナは、自分の羽を束ねたクリスマスローズの花を持って、愛しむように全てを見守っている天使の女神の像の前で足を止めると、その花を他に供えられた沢山の花と羽と一緒に祭壇の前に置いた。
温かな蝋燭の明かりに照らされた祭壇の花と沢山の天使達の想いが込められた羽が、春の陽だまりが浮かび上がるようにとても美しかった。
『……お母様、お父様、一眼でいいから会いたい。会ってわたしを抱きしめてほしい。わたしの名前を呼んでほしい』
シュピルナは、心の中でそう呟くと、そっと胸の前で手をクロスさせて、その場で跪いた。
周りを見渡すと、啜り泣く声や、肩を抱き合って慰め合う天使達の姿が見えて、心が傷んだ。
「ルーチェ。きみともう一度、バイクでデートに行きたいよ。空で待ってるかな。空の天国の門の前にバイクで迎えに行くよ」
さっき門の前にバイクを停めていた青い目の天使の青年が、涙をぽろぽろと溢しながら、自分の羽と白い薔薇をリボンで束ねて作った花束を祭壇に備えて、胸の前で手をクロスさせていた。
「アウトクラトラスに連れ攫われて、剥製にされたなんて、想像もしたくない。きみがどれほど苦しい思いをしたのか想像もしたくないんだ」
青年は拳を震わせて、唇を噛み締めながら目をごしごしと手で擦っていた。
「わたしのお父様と、お母様も、宝石でできた向日葵畑で捕まって、剥製にされてしまったの。あなたもなの?」
シュピルナが、彼の顔を心配そうに覗き込んで尋ねた。
突然声をかけられた青年は、一瞬目を見開いたが、俯き気味に静かに頷いてみせた。
「ぼくと彼女は、バイクでデートに行くのが大好きだったんだ。天使なのにおかしいよね。でも、彼女がバイクが好きで、いつもぼくにバイクでデートに連れていくようにせがんだんだよ」
「仲が良かったのね」
「その日も、彼女を連れてデートに行くはずだったんだ。待ち合わせ場所にいつまで経っても現れなくて。おかしいと思って彼女の家に行ったら、もう彼女の姿はどこにも無い。荒らされた部屋だけが残ってたんだ」
人一倍、感受性が豊かだったシュピルナは、その様子を鮮明に思い浮かべて、言葉を失った。
彼女の悲鳴が聞こえて来るようだったから。
「……彼女に会いたい。彼女も、この寒い雪の空を飛びながら、雪を降らせながら、忘れないでと。ぼくに会いに来てくれてるんだろうか」
「……きっとそうよ」
ふたりは同時に空を見上げた。
外に出て、雪が降る夜の空をふたりは静かに眺めていた。
ふと、思い出したようにシュピルナが、懐に仕舞い込んでいた、小さな羽の生えたメリーゴーランドの形のオルゴールのネジを回して、それを空に飛ばした。
「わぁ……。こんな綺麗なもの、ぼくは見たことがないよ。これはなんだい?」
「わたしのお母様とお父様が、最後に願いをかけて飛ばしたオルゴールなの。ふたりは子供がほしかったのよ。それが叶ったの」
「……じゃあ君は」
オルゴールが、今にも消え入りそうな儚いメロディーを奏でながら、雪の空をきらきらと羽ばたいてゆく。
それがどんどん高くなって消えそうになった時、青年は目を凝らして雪の空の彼方を見上げて、大きな青いガラスのような瞳を見開いた。
「……ルーチェ!」
一番大きな強い風と共に、雪が空に高く舞い上がると、それがだんだん光を増してゆき、次の瞬間にはそれが列をなして風に乗って飛んでゆく。
天使達は、足を止めてその光景を目の当たりにしていた。
激しくなっていた吹雪が弱まってその奥に光が見えて来ると、その中を、大勢の天使達がゆっくりと空の彼方に向かってその優雅な白い翼を羽ばたかせてゆくのが目に入った。
ふわりふわりと、白い雪と羽を降らせながら。ゆっくりと、空に向かって登って行く。
その中に、一際目を引く美しいウェーブがかった月のようなブロンドの長い髪の、白いワンピースを着た女性の天使がいた。
彼女もまた、海のように青い目をしていた。
「ルーチェ! ルーチェぼくだよバラーレだよ! 行かないでくれ! ぼくも一緒に連れて行ってくれ……!」
だんだんと小さくなってゆくその姿を、彼は必死に走って追いかけた。
彼女の姿が降る雪の中に消えて行くのと同時に、彼の手の中に、一枚の白い美しい七色に煌めくような滑らかな天使の羽が。
「一体何が起こっているんだ?」
「夢でも見ているの?」
周りの天使達がざわめいて、一斉に空を見上げている。シュピルナもその中で自分の父と母の姿を探したが、最後まで見つからなかった。
「……ルーチェ……」
積もる雪の上に足を崩して座り込み、バラーレは、手の中に握りしめた一枚の美しい彼女の羽を胸にしっかりと抱き寄せて空を見た。
「またひとつ、このオルゴールが奇跡を起こしたわ。このオルゴールは、伝説の空を飛ぶメリーゴーランドの欠片で作られた空飛ぶオルゴールなの」
空からまた手元に降りてきたオルゴールを、コートの内ポケットに仕舞い込みながら、シュピルナは優しく彼に頬笑んでみせた。
「きみのお父さんとお母さんは?」
「……見えなかったわ。でもいいの。お父様も、お母様も、目には見えなくてもいつも私のそばにいてくれる。あなたのその胸にだかれた羽のように。わたしの胸の中にも、お父様とお母様の翼があるのだから」
「……信じられない……」
雪は静かに降り積もる。あの日の思い出のように。冬が来るたびに、天使達はわたし達に会いに還ってくるのだから。
わたしを忘れないでと。
優しい、羽を降らせて。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

天使標本

自作小説の冬の小さなお話。
人間の王様に、標本にされてしまった
美しい天使達のお話です☽✧*。

完全オリジナルです。

閲覧数:204

投稿日:2024/02/05 03:55:04

文字数:3,728文字

カテゴリ:小説

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