FLASHBACK6 R-mix side:β

 はっと目を覚ます。
 目元が、涙で濡れていた。
 懐かしいと、彼女はただそう思った。
 夢に見たのは、あれはいつの頃の事だっただろうか。
(小学校の頃、じゃなかったかな……)
 二人で一緒に見た夜空。まばゆく輝く満月。
 けれど結局、あのすぐ後に母親に見つかって怒られたのだ。あのハシゴを降りる事が出来なくなって、レンを困らせたのは言うまでもない。
(あの頃は、まだこんな風じゃ無かったな……)
 あの頃はまだ、レンがわがままで行動的だった。裏を返せば、リンがまだ快活では無かったという事だ。リンがレンの背中にくっついて離れられなかった頃。
「レン、好きだよ……」
 その、溢れかえってしまいそうな気持ちを思わずつぶやいてから、ここが彼の病室だった事を思い出してまたはっとする。
 彼女は椅子に座ったまま、身体をレンのベッドに預けて寝てしまっていた。ワンピースだけだった彼女に気を使ってくれたのか、誰かが毛布を掛けてくれていた。
 リンは慌てて顔を上げ、ベッドで眠っているであろう義理の弟の姿を探したが、ベッドは空っぽになっていた。
(き、聞かれなくて、よかったぁ……)
 弟が居ない事に心底ほっとしながら、同時に嫌な予感もした。時間を確認すると夜の十一時を過ぎている。トイレならばすぐに戻って来るのだろうが、もしそうでなかったら一体どこに行ったというのか。
 しばらく彼が帰って来るのを待ってみたが、彼女が危惧した通り、帰ってきそうにも無い。
 昔の事を思い出して、彼女の背筋に寒気が走った。


 あれは、高校二年生の時だっただろうか。クラス替えの際に違うクラスになってしまったせいで、文化祭や体育祭といった学校行事ではリンはレンと一緒に居る事が出来なかったのだ。
 そんな時に、彼は倒れた。
 文化祭の三時過ぎ頃に倒れ昏睡状態におちいった彼は、リンの知らない間に救急車で病院に運ばれていた。リン自身が忙しかった事もあるし、レンの担任やクラスメイトもそれぞれの仕事に追われ、誰もリンにレンの事を伝えてくれる人は居なかった。むしろ、授業以外の時間はいつも一緒にいたリンも当然その事を知っているものだと、皆が信じて疑わなかったのだ。
 だが結局、リンがレンの搬送を知ったのは、後片付けも終わりかけた夜九時近くだった。
 その時のリンの取り乱しぶりは、筆舌尽くし難い程の物だった。あと少しだった片付けを放り出し、真っ直ぐに国際病院へと向かい、誰に何と言われようとレンのそばを離れなかった。そのままずっと、彼が退院するまで学校にも行かずに病院に泊まり込んだのだ。
 後から聞いてみると、レンは忙しくてインスリン注射を忘れていたらしい。
 リンはその時ようやく、彼が毎日している注射がどれほど重要な物だったのかを理解したのだった。


(まさか、目につかない所で倒れてるなんて事、無いよね……)
 レンの事が不安になったリンは、部屋を出て彼を探す事にした。
 立ち上がって部屋を出る。が、廊下の寒さに身震いし、一旦引き返して毛布を手に取ると、羽織るようにして肩に掛けた。
 寒い廊下を一人で歩いていると、無性に寂しくなる。
 他の人達と居る時にどれだけ元気よく出来たとしても、どれだけはしゃいで見せても、自分の本質はやはりこれなのだ、と彼女は思う。寂しがり屋で、本当はレンに引っ張っていって欲しい。これから……出来れば、ずっとだ。
 そんな事を考えて、リンは顔が赤くなる。
(こんなに、好きなのにな……)
 義理とは言え姉弟だという事実が、彼女に強くのしかかる。彼女が彼に本心を伝えられないのは、ほとんどその事実のせいだった。それが無ければ、とっくに――。
(……ううん。たぶん、言えてないんだろうな。あたしって本当は、こんなに臆病なんだから)
 かぶりを振って、憂うつな気持ちでそれを認めた。自分からはっきりと言えない。だからこそ、彼を振り向かせて虜にしてしまおうと思わせぶりな態度を取り続けたのだ。だが、彼と姉弟である以上、やはり彼から告白してくれる事は無いのかもしれなかった。
 レンと姉弟だという事は、確かに良い事ではあったと思う。家族だったからこそこれだけずっと一緒に居る事が出来たのだから。だが、これまでが良かったからといって、これからもこのままでいられるとは限らない。自らの願望通りの未来図は、何もしなければ苛酷な現実の前に呆気なく崩れ去ってしまうだろう。
 そしてその崩壊は、既に始まりつつある。何と言っても、この期に及んで障害が増えてしまったのだから。それも、リンの考えうる限り最悪の形で。
 あの、ツインテールの女の人と抱き合っていた事について、結局は何も聞けていないままだ。自分が単なる姉としか見られていなかったなら、レンがあの女の人に惹かれるのも仕方のない事なのかもしれない。
(嫌だ……)
 それは、可能性が高いだけに、認めたくない事実だった。だが、彼に思いを伝えるその勇気は一向に出てこない。
(あたし、どうしたらいいんだろ……)
 彼の姿を探していた筈が、うつむいたままであてもなく病院の廊下をうろうろとしてしまっていた。そうしていると、無性に泣きたくなってしまう。
「ぁ……」
 そんな風にしていると、どこかかすれたような、やっとの事で声を出したとでも言うような声が耳に届いた。




 顔を上げる。

 声の主を見つける。

 その様子を確認する。

 理解が出来ない。

 理解する事を拒否する。

 そして、心が凍りつく。




「なぜ……」
 それ以上、言葉を続ける事が出来なかった。
 廊下の先にある待合スペース。その一番窓際のソファに、レンは居た。窓の外から入り込む月明かりが、彼の居る場所を照らしている。穏やかな顔をしているので、リンの心配そのものは杞憂だったらしい。だが、問題なのはそこでは無かった。
 そこに居たのは、彼だけでは無かった。あのツインテールの女の人が居たのだ。その人はこちらを見て何かを伝えようとしているみたいだった。さっきのかすれた声も、彼女の声だったのだろうか。
 レンはソファで寝てしまっていた。それだけならまだしも、あろう事か彼はその人に膝枕をして貰っている。
 そこは、レンの隣は、リンだけの居場所の筈だった。
 お互いの気持ちを誰よりも良く理解し、信じているからこそ許される、二人だけの聖域だと思っていた。
 それなのに。
 だと言うのに。
 そんなリンの拠り所を、その女は突然現れてかすめ取っていく。そんな事は、許される筈が無かった。
「な……で……」
 その女は、リンを見て悲しそうな顔をすると、声にならないかすれた音を発する。よく見れば、彼女の首には包帯が巻かれていた。どうやら怪我か何かをしているせいで、彼女は声をちゃんと出す事が出来ないようだった。
「何よ……言いたい事があるならはっきり言いなさいよ!」
 その儚げな姿が、リンを嫉妬させ、苛立たせた。ツインテールの女の容貌が、姿形が、仕草が。リン自身が理不尽だと思ってしまう今の言葉に、悲しそうな顔をしてうつむく所が。恐らくはリンの方が年下だと言うのに、こちらの言葉を真に受けて必死にはっきり言おうと頑張っている所に、激しい苛立ちを覚える。果ては声が出せないという事にさえ、リンには勝ち目がないという確信を抱かせる。
(なぜ、なぜ……あたしはこの女に勝てないのよ……!)
 リンの心の悲鳴は誰にも届く事は無かった。
 そしてようやく、リンの目の前で、レンを膝に抱いたまま、ツインテールの少女は言葉を絞り出す。
「な……かな……い、で……」
「な、にを……」
 ナカナイデ。
 ナカナイデ。
 泣かないで。
 その単語の意味が、リンには一瞬理解出来なかった。
 ようやくはっと理解して右手を自らの頬にやると、そこはどうしようもない程に濡れていた。いつの間にか、リンは泣いていたのだ。自分でも気付かないうちに。
「どうして、そんな事言えるのよ……」
 その一言は、リンの胸を叩いた。あまりにも強く、叩き過ぎた。
(なぜ? どうして? 何でこの人は、わがままで酷い事しか言ってないあたしに、そんな台詞が言えるの……?)
 それは、リンには理解出来ない領域だった。嫌われ、悪意のある人を相手にしても気遣える精神力。それはまるで神や仏といった、リンからすれば全く現実味を持たない領域と同じものだった。
 リンは、未だ悲しげな表情でこちらを見つめるツインテールの女を見る。
(何なの、この人……)
 先程までの嫉妬心や、勝てないなどという意識は吹っ飛んだ。目の前のその女は、最早恐怖の対象だった。
 背筋が寒くなる、どころでは無かった。凍りつく、という表現でさえ生ぬるい。
(怖い……)
 リンは、今まで見た事が無かった。こんなにも、人間味の無い恐ろしい人を。
(……信じられない)
 そんな事をリンが考えているとは気付いていない様子の相手は、再度、その恐ろしい台詞をつむいで見せる。
「なか、な……いで」
 リンは何も考えなかった。
 考える前に、体が動いていた。
 静かな待合スペースに、パァン、という音が響く。
 目の前のツインテールの女は、何故そんな事をされたのか分からないといった様子で呆然とリンの方を見上げた。彼女の左頬に醜い赤い跡が付き、その痛みに思わず手を添えている。
 リンは、右手を振りかぶった後の態勢のまま、涙がポロポロと零れ落ちていくのも構わずに叫んだ。
「あんたに……あんたなんかに、何が分かるって言うのよ!」
 すぐ目の前でレンが寝ている事など気にしなかった。近くのナースステーションに居る看護師にも聞こえてしまうという事は、考えもしなかった。
 リンには、そんな事どうでも良かった。ただ、この恐ろしい女が心底許せなかった。リンにはその理由をうまく説明出来なかったが、どうしても許せないと思ったのだ。
 リンは、目の前の女がまた何か言う前に背中を向けると、そのまま黙って歩き始めた。
 背後で女の困惑した気配が伝わって来たし、目が覚めたレンが「リン……?」と寝ぼけたままでつぶやくのが聞こえたが、リンは無視した。ナースステーションの前を横切る時に看護師が声を掛けようとしていたが、鬼気迫る表情で涙をポロポロとこぼしているリンを見て一瞬ためらった。彼女はその隙に看護師も無視して通り過ぎた。
 レンの病室に帰ってくると、リンは椅子に座ってベッドに突っ伏し、涙が枯れるまで延々と泣き続けた。


 どれくらい泣いたかリンには分からなかったが、しばらくして扉が開き、レンが帰ってきた。彼は「リン、なんで――」と言いかけて、振り返ったリンの顔を見て口をつぐむ。
 あの女をひっぱたいた事を怒るつもりだったのだろう。だが、泣き過ぎてまぶたを真っ赤に腫らしたリンを前に、レンは絶句してしまったようだった。
 何も言えないレンを前に、リンはまた顔を目の前のベッドにうずめて泣いた。
 泣いている間、怒っていた筈のレンは何も言わずにリンの隣に座り、頭を撫でてくれた。彼女は一瞬その手を払いのけようと思ったが、出来なかった。
 心地良いレンの掌の感触が、リンには妙に懐かしかった。まるで昔の頃に戻ったような錯覚を覚える程に。
(……そうだ。あの頃から、あたしって一回も泣いてなかったんだ)
 快活にならなければならなくなってから。明るい女の子を演じるようになってから。それから彼女は、一度も泣いていなかったのだ、と不意に気付く。
 何があっても、さも何でもない事であるかのように笑ったフリをした。嫌な事に気付いてしまっても、気にしてなどいないフリをした。そもそも気が付いていないフリをした。全てを抱え込んで、自らの感情にフタをして、明るく振る舞い続けた。その演技は、彼女の内面を包み隠すとても強固な殻となった。
 そのお陰で、学生生活は上手くいっている。
 しかし、そのせいで彼女の心はすり減っていってしまったのだ。本人すら気付かないうちに。
 今まで泣いていなかった事も、レンの掌の感触も、リンの涙を止めるどころか余計に溢れさせた。
 そうして彼女は、随分と久しぶりに、長い間涙を流し続けた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ReAct  7  ※2次創作

第七話

前回の「Japanese Ninja No.1」に比べるとコンスタントに更新できていてホッとしている文吾です。

書いていて本当にリン嬢かわいそう過ぎる、と思いました。人によって話の展開が共感しにくい部分があるんじゃないか、という恐れもある回なのですけれども。
でも、そんなタイミングでそんな事言われたら俺もキレる。

今回は「ACUTE」の続編ということで、「ACUTE」の時の「一つの事実に対して、三人が三人とも違う解釈をしてしまう」というスタンスは貫こうと思っています。上手く表現できるかどうかは別として(苦笑)
あとは、読んで下さっている方は気づいているかもしれませんが、「繰り返す」という事も重要視しています。第一話は「ACUTE」第一話そのままですし、各話の冒頭で同じ書き出しを繰り返していたりします。そんな事をしようとしたせいで自分の首をしめて四苦八苦しているのですけれど。
原曲でもこの「繰り返す」というフレーズは歌詞だけでなくPV中にも出てくるので、続編としての一つのテーマではあるのかな、とも思います。

新たに挑戦している表現としては、わざとシーンを書かずに飛ばしたり、この第七話のように行間を使ってみたり、ですかね。ただ、文字を書いているのに、文字を書いていない行間を読ませてどうする。と常々考えている人間なので、これについては多用はしないと思います。

閲覧数:143

投稿日:2013/12/29 21:16:06

文字数:5,040文字

カテゴリ:小説

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