「月二降ル歌」 【刹月華自己解釈小説】
-弐ノ唄-
以下、ご注意事項
・SCL projectさまの名曲「刹月華」の自己解釈小説です。
本家様とは無関係です。
・【腐】注意 激しくはないです。
・平安風ファンタジーと思っていただければ。
今回から有り得ない小物が出てきます。
・がくぽの名前を「岳斗」表記にさせていただきました。
読みは、お好みでどうぞ。
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-弐ノ唄-
樹々の若緑が、濃くなってきた。遥かなる里を囲む山々も、明るさを増した陽光に照らされ、輪郭をはっきりさせてきている。
獣しか通らない奥深い山道に、ふ、と煙が立つ。枝を駆けるりすが、その煙の香りに驚いて一瞬足を止め、また走り去った。それ程その煙は、この山には不似合いだった。
陽射しは眩しいほど明るいが、空気が乾燥しているせいでまだそれ程暑さは気にならない。屋形の囲いのすぐ外にある、下働きの老婦の菜園でわき芽かきを手伝いながら、岳斗は明るく澄んだ空を見上げた。屋形からはレンが気まぐれに遊ぶ、箏(こと)が聴こえてくる。弾いては速くなり、また揺蕩(たゆた)うようにゆっくりと。枝々を遊ぶ小鳥のように、その音は捉えどころがない。
垂がった御簾(みす)から射し込む光に、レンは青空を透かし見る。岳斗が来てから、レンの生活は一変した。それまで少納言と、単調な死んだ魚のような日々を送り、暇つぶしに書を読み音を奏でていたのが、彼が現れて屋形の空気までもが変わった。云うなれば、空気の巡りが良くなった。何かが入れば、何かが出て行く。そういった当然の流れさえ、倦(う)んだ薄暗い屋形には存在していなかった。
その流れはレンにも、確実に影響を及ぼしていた。相も変わらず、人形のようにどこを見ているのかわからない時も多いが、その碧い瞳はよくものを見ようとするようになった。彼は初めて「興味」という概念を持った。
それにしても、今日の陽射しは眩しい。風も凪(な)いでおり、白いユキヤナギの咲く庭からは濃厚な草木の香りが漂ってくる。手遊びに箏を爪弾きながら、レンは扇を目で探した。少し、涼が欲しかった。
深い山間そぐわない、箏の音がする。その音色に、ふと足を止めた者がいた。空耳かとも思ったが、確かにそれは箏の音だった。それも手練れた、雅なものだ。狩衣姿(かりぎぬすがた)の若者はしばしの逡巡の後、音のする方へ足を向ける。その手にはあの、薫り高い煙を立たせた煙管が握られている。
曲垣(まがき)の破れ目から垣間見えたものに、その若者は目を奪われる。あまりにも不釣り合いな白い足が、そこにはあった。
垂がった御簾の下に、緋色の袴からすらりと伸びた脚が、無用心に畳の上に投げ出されている。誰もいないからと気ままに脚を伸ばしたらしく、袴の裾がふくらはぎあたりまでめくれ上がり、存外しっかりした腱がかかとへと続いていた。そしてそのまま、繊細な線はやわらかな足の裏へと流れる。
緋袴に包まれた腰が、僅かに身じろく。しどけなく脇息(きょうそく)にもたれ掛かったまま身体を反転させ、その足の主がこちらを向いた。垂がる御簾のせいで顔までは見えないが、同じく白い手が、気怠げに扇を動かしている。
御簾の向こうのかの君は、いったい何者だろうか。その顔を窺い知ろうと、彼が曲垣の破れ目に手を伸ばしたとき、はた、と扇が投げ出された。
身体が更に、ずり下がる。脇息に深く身を預け、怠そうに瞼を閉じた表情が御簾の下から覗き、彼は思わず咥えていた煙管をくちびるから離した。
今や脇息に僅かに頭を預けただけのその人は、うすい瞼を閉じたまま無防備に露台の板の間へと手を伸ばす。薄暗がりの中、花あやめの襲(かさ)ねから覗くまだ細い手首が、その奥へと続く皮膚のみずみずしさを想起させる。
御簾を押し上げ、這い出たその髪が陽光にきらめく様を見て、彼は金色の髪が見間違いではなかったことを知った。
「…かような場所に」
つい呟かれた言葉に、金色の髪がはっと顔を上げる。光を受けた瞳が、碧く輝いた。
「誰――?」
怯えながらも好奇心を隠しきれないその声は、細いが間違いなく少年のものだった。服装は少女のそれだが、よく見ればついた手首に浮き出た骨格は、脆弱ではない。声の主を探そうと庭を見回す少年に、曲垣の蔭の彼はそっと笑みを浮かべた。
「名乗る名など持ちません。あなたにお聞かせできるような名であれば、尚のこと」
その深くやわらかい声に、レンは履物も履かず庭に降り立った。立ち込める草木の匂いに混じって、ほのかに知らない香りがする。ユキヤナギの咲き零れる曲垣の破れ目からふ、と煙が立つのを見て、レンは思わずそちらに駆け寄った。
指先が曲垣に触れる。僅かな隔てのすぐ向こうにいたその人を、レンは言葉も無く見上げた。やさしげな笑みを浮かべた若者は、レンが絵巻物の世界でしか見たことのなかった、風雅な狩衣を纏っていた。しかしその右手には、優雅な見た目に反して長い舶来の煙管が携えられている。先程まで咥えられていたのだろうか、彼のくちびるから、ふわりと煙が吐き出された。
――深い海の瞳だと、レンは思った。海などそれこそ絵巻物と書物でしか識(し)ったことはないけれど、彼の瞳は確かに、まだ見ぬ海を連想させた。
どこから来たの? ともどうしてここに? とも問えた。レンがこの地へ来てこの方、見知らぬ者がここまで踏み込んできた事はなかった。しかしそんな疑問も、漂う不思議な香りにほだされてしまう。
つと彼の視線が、レンの袖元へ落ちる。それを追って己の袖を見遣ると、ユキヤナギの枝がレンの袖を引っ掛けてしまっていた。慌てて引っ張ろうとするより早く、煙管を持たないほうの手が袖にかかった枝を外す。撓(しな)った花枝が跳ね、レンの裸足の上に白い花を降らせた。
「レン様。――そちらにいらっしゃいますか?」
何か云わなくては、とレンが顔を上げたとき、背後より岳斗の呼ぶ声がした。屋形を振り返るレンの傍らで、狩衣姿の彼は注意深くその声のした方を見ながら煙管を咥えなおした。
「邪魔が入ったようだ。…また来ますよ、麗しい人」
その言葉と不思議な煙だけを残して、彼は白昼夢が溶けるように曲垣の向こうへと姿を消した。足元に白い花を散らせ呆然と立ち尽くすレンの姿を見つけ、岳斗は訝しげに庭へと降りた。
「…いかがされました、履物も履かずに」
歩み寄ってくる彼を、なんでもありません、とレンは慌てた素振りで振り返る。素足のままの主を屋形の中へ戻らせようと抱き上げたところで、岳斗はレンがあらぬ方向を見つめていることに気づく。
少年の頬が微かに紅いのは、強い陽に当たり過ぎたせいだろうか。知らぬ間に寄った眉根を、岳斗は解けないでいる。
「麗しい人。約束通り参りましたよ」
朧月がぼんやりと浮かぶ夜、庭木を渡る風に乗せて囁かれた声に、レンははっと振り返った。庭に張り出した露台から伺うと、どこから入ったのか、月明かりに照らされ舶来の煙を立たせる彼がいた。
嬉しそうに露台に出るレンに、今宵はあの邪魔者はいませんか、と海の瞳を持つ彼が問う。
「岳斗のこと? …さぁ。彼は僕を見張るのが、役目ですから」
屋形の奥をちらと見遣り、レンは心持ち声をひそめる。岳斗…と、彼は口の中でその名を呟いたが、レンが不思議そうな表情で見上げているのを察すると目元をやわらげ、その隣に腰掛けた。
ふわりと、あの香り高い煙が吐き出される。彼は身なりは美しいが、長い煙管をくゆらす姿はどこか厭世的な、荒(すさ)んだ空気が伴う。言葉も無くじっと見つめ上げているレンに、彼はやわらかな声で問いかけた。
「あなたは何故、かような処にいらっしゃるのですか。この構え、その高貴
な身なりからして、土地の者ではないことは明らかです。何か、余程の事情でもおありに見える」
その言葉に、つとレンは視線を落とした。
「何故・・・・・・。何故かは、僕にもわかりません。天の導き、でしょう」
「・・・確かに、そのようなこともありましょう。ならば私があなたと出逢ったのもまた、天の導き。麗しい人、せめて名を、教えてはくれませんか」
深い瞳が、レンを捕らえる。その瞳と漂う煙に夢見させられるように、レンは不用意には名乗ってはならないと固く云い聞かされていた禁を破った。
「鏡音・・・レンと、いいます」
その名を聞き、ふと煙管を咥えようと運んでいた手が宙で止まる。しかしレンが何か訊ねようとするより早く、彼はやさしい笑みで巧みにそれを隠した。
「やはり美しい人は、名まで麗しい。レン様。・・・また、逢いに来ても?」
露台から腰を上げ、肩越しに振り返る彼にレンは頷いた。
「あの・・・、あなたの名は・・・・・・?」
思いのほか問う声が、庭に響く。そのくちびるに、彼はそっと人差し指をあてがった。
「またあの者が来てしまう。岳斗、といったか。ならば私の名は海斗。まるで海幸彦と山幸彦のようだな・・・・・・」
カイト・・・とレンが小さく呟く。その声に満足気に微笑むと、海斗は宵闇に姿を消した。
ひとり残った露台で、レンはそっとくちびるに触れる。あてがわれた指の感触が、まだ残っている。そのまま、ついさっきまで海斗がいた隣を見遣った。そこには凪いだ宵風が、ただ漂っているのみである。
「月二降ル歌」 【刹月華自己解釈小説】 -弐ノ唄-
オマケの補足
・狩衣 かりぎぬ
男性の平安装束。 動きやすさ重視の、主に屋外用(時代が下れば屋内でも)
・花あやめの襲ね はなあやめ の かさね
表白、裏萌黄。 そういう色合いのきもの、と思っていただければ。
・海幸彦と山幸彦 うみさちひこ と やまさちひこ
日本神話。 内容は浦島っぽい。
別にやおいではない。
私が手がけると、何故かカイトが妙に紳士(いろんな意味で)になるという罠。 なんでだ。
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