安全のため、アズリは食事が終わってもイルの部屋に留まりながらも、ただでさえディーが居なくて滞っている仕事を再会していた。黄緑色の少女はディーのもう一人の助手と共にイルの部屋の前室で、遅れに遅れた計算を何とか間に合わせようと頑張っていた。
 いい加減、執務室ってのを作るべきだな。
 今までは仕事をできる人間が非常に限られており、一人一人の担当する範囲が莫大だった。従って緊密な連絡が必要とされることも稀で、そうであればわざわざ特別に仕事のための場所を確保するより、起きてから寝る直前まで仕事を自室する方が効率的だ。
 しかし少しずつではあるが、人員が揃い組織の形ができ始めた今は、連絡の便から考えても近い場所で仕事をするべきだ。
 そんな事を頭の片隅で考えながら、赤毛の青年当人もごたごたで遅れた自分の仕事を何とか一段落付け、親友が数時間前に向かった尋問室に足を進めていた。
「なんで、あんなことするかなあ」
 気分が悪い。兵士の前で言った事は完全に本音で、イルを敬う気持ちがあるならあんな手段に出る前に、できる事はいくらでもあったのだ。
『そう思うのは、君が強いからだよ』
 紅蓮の鉄槌で粛清が必要だったのは、革命を成功させた後も同じだった。友人をまた殺さないといけなかったことを嘆くイルに、レンは懸命に慰めてくれながらもこう言った。
「意味分かんねえよ」
 当時もそう言い返したのだが、レンはそれ以上説明しようとはしなかった。イルが理解できる程、単純な話ではないらしい。
「「ご苦労様です、陛下」」
「おう、お疲れさん」
 レンが出した指示を逐一把握しているわけではないが、ここに居る二人は普段とは比較にならないくらいの歩哨だと言う事は、一目見るだけで理解できた。
 しかし、その歴戦の将校達でもこの場に立っていて平静ではいられなかったらしい。親友の気は済んだのか、もう何の音も聞こえて来ない。しかし彼らの顔は青く、唇は僅かだが震えている。
「大変だったろ? 交代するように言ってくるか?」
 何の落ち度もない彼らが酷く哀れに思えてこう提案したのだが、鍛えられた精神とヴィンセントに認められた忠誠を持った将校達は、イルに心配させた事を恥と言わんばかりだった。
「いえ、大丈夫です。醜態をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
「醜態なんかじゃねえよ。こないだは伍長が泣きながら逃げ出したらしいから。いや、そいつと比べるのは失礼だったか?」
 ぽんぽんと肩を叩くと、彼らの強張りも多少癒えたようだった。
「とんでもございません。お気遣いありがとうございます」
 健気な歩哨の反応にようやく満足し、イルは地獄門を開けて入室した。すぐに金髪の青年が、鉄格子の外でツナギと使った危惧を洗っている背中が目に入る。まあ、それを着ている人物も別のツナギを着ているが。
「終わったのか?」
 鉄格子の中には、本人のものではない血で真っ赤に染まり、それでも無表情を崩していない見上げた少女がいた。その隣に居る、いや転がっている人間、というか肉塊は見なかった事にした。
「うん、気が済んだ。後、思ったよりは知ってたよ。けど、『彼』の上の人間はさすがに知らないみたいだね」
 振り返りもせずに血を洗い流している金髪の青年には、全くと言っていい程動揺は感じられない。むしろ何かを発散したかのように、落ち着いた声だった。
「はあ、面倒臭い」
 親友がぼやく。器具はともかくとして、ツナギの洗濯などサリーに任せればいい気もするが、気味悪い思いをさせたくないと言う、レンにしては珍しい気遣いらしい。
「それはいつくらいに分かるんだ?」
「数日以内には、さすがに連絡を取ろうとするはずだけどね、もしかしたらほとぼりが冷めるまで待つかもしれないし、ちょっと今は判断ができないかな」
「それまでディーは軟禁状態か?」
 本人にももちろん悪いと思うが、それ以上に仕事が相当に辛くなるはずだ。ディーがするべきはずだったものは、ほとんどがレンに梯子されることは間違いない。かといって彼を早々に開放すれば、こちらの意図が敵に知られてしまう。
「ディーさんは休みと思ってくれてるし、仕事もアズリと助手さんに任せておけば何とかなるよ」
 ようやく洗濯が終わったのか、水から上げてハンガーにかけた。完全には取れていないらしく、桜色の水がぽたぽたと石畳に垂れていく。
「あれ、まだ生きてんのか?」
 レンがカーテンの中で着替えている間、イルは再び鉄格子の中の元人間を見ながら訊ねた。
「後一時間くらいは生きるんじゃない? 死ぬまで正気を保てるかは知らないけどね」
 完全に興味を失っているようで、金髪の麗人の言葉も適当だった。
「あれ、まだ正気なのか?」
 ここに来る度思う事は、ここまで壊しながらも人間は生きられるものなのか、という感心にも似た驚きだった。
「今は正気だよ。じゃないと、正確な情報なんて落としてくれないでしょ?」
 さらっと残酷な事を言われ、けれど確かにその通りだと肉塊を観察していると、僅かに胸部と思われる箇所が上下しているのが見えた。どうやら、本当にまだ生きているらしい。
「相変わらず容赦ねえな」
 思わず呟くと、カーテン越しから心底愉快そうな嗤い声が響く。
「アズリが拉致されて、何時間無駄に使ったと思うの? しかも僕の大切な人に触れて、ましてや凶器を突き付けたツケには安過ぎる代償だ。本当なら彼の親戚一同同じ目に合わせたいくらい」
「絶対にするなよ。つか、今までの加害者の血縁者に手出してないだろうな?」
 恐ろしい事を言う宰相に、即座に釘を刺した。
「分かってるし、出してない」
 当然のように返されるが、どこか残念そうに聞こえてならない。我が親友ながら、この度を過ぎた加虐主義者ぶりはどうかと思う。
 どうにも、今この瞬間にも生きていること自体が苦痛であろう男が可哀相になった。
 壁に掛ってる鍵に手を伸ばし、鉄格子の中に足を踏み入れるとぴしゃり、と血だまりが足元で跳ねて靴を紅く染めた。
「なんだ、殺しちゃうの? 相変わらず優しいんだから」
 いつの間にか着替えが終わったのか、カーテンを開けた金髪の青年は、至極つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「いや、こいつのためというよりは俺が見てて苦しい」
 いいだろ? と言うように足を辛うじて判別した首に当てると、渋々ながらもレンは頷いた。一旦足を振り上げ、そして正確に振り下ろして頸骨を踏み砕いた。
「下らねえ事に他人を使うなよ。自分で来いっての」
 この馬鹿を唆したらしい隣に座る少女を見やるが、彼女の瞳に浮かぶ感情を読み取ることはできなかった。しばらく眺めていたが、急にどうでも良くなって鉄格子から出て再び施錠した。
 名実ともにただの肉の塊になった残骸を、手慣れた動作で直結している焼却炉の放り込むと、再び手を洗ったレンが終了を宣言した。
「部屋に戻ろうか」
「ああ」
 部屋に戻る途中、今まで忙しく言っていない事を思い出し、早速口を開いた。
「今度こんなことが起こった時は、絶対に俺に言えよ。隠すな」
 根性曲がりの元義兄は目を伏せ、そのつもりがない事を無言で示した。
「今は親友として頼んでるんだけどな、国王として命令しないとだめか? 宰相」
 生まれた直後からの付き合いの中で、レンがイルに逆らった事は片手で足りる。いつもいつも親友はイルの我儘を叶えてくれていたのだが、今回ばかりは例外らしかった。
「その前に僕も親友として、元義兄弟として頼みたいな。こんなときくらいは僕に甘えて、頼ってくれない?」
「はあ? 今回頼るべきだったのはそっちだろ。なんで知らされないことが、レンを頼ることになるんだよ」
 本人にも言ったが、犯人はイルのためにあんな事をしたのだ。その彼らが王宮内の誰かを傷つけ、そして粛清されると言うのなら、イルが知らぬ存ぜぬで許されるわけがない。
「あんな底なしの愚か者でも、君にとっては味方だろ? 裏切り者なんてのは、僕とその同族が知っていればいいの。あんなのでも、死ぬのは君にとって辛い事なんだから」
「レンは辛くないのか?」
 まるで、レンとイルは違う物の様な言い草だ。そこに不満を表し立つもりなのだが、親友はすっぱりと切り捨てた。
「愚問。アズリの人質は予想外に堪えたけど、それ以外はただの作業だよ。身体を動かす分、普段の書類仕事の合間にもってこいの運動だね」
「レンは強いな」
 親友の言う通り、イルは彼らの裏切りも死も苦しい。そんな自分が情けなくて、弱音に似た称賛が口を衝いて出た。しかし、それを宰相は呆れたように笑う。
「違うよ。弱いから信じない、信じることができないってだけ。君は強いから信じることができて、彼らの死を悼む事ができるんだ」
「そう言うもんか」
「うん、そして何度痛い目見ても立ち上がるしね」
 イルが立ちあがれる理由は、手を差し伸べてくれる周りが居るからで、その最たるものが今目の前に居る金髪の青年だ。
「レンがそう考えてくれてる事は分かった。けど、やっぱり隠されたくない」
 逃げているみたいで嫌だった。成り行きとはいえ王となった自分なのだから、知ることくらいは怠りたくない。それで無くとも、普段の仕事はレンに頼り切っていることが多いのだから。
 しかし、親友も今回に限っていつになく強情だった。
「悪いけど、僕もこれだけは譲れない。誓って言うけど、今君に隠してた事は僕が度々襲われてたってことだけだよ。他は絶対に全部話すから、これだけは見逃してくれない?」
 視線だけで、互いの意志が衝突すること数十秒。イルの不満満載の目に、とうとうレンは妥協案を出し始めた。
「一年に一回、襲撃の回数だけ報告するってことで手を打たない?」
「関係者の人数と名前もつけろ」
「名前は却下。じゃあ階級と年齢だけってのは?」
 他の事に関しては決して記憶力がいい方ではないのだが、人の名前と顔だけは妙に覚えがいい事を、親友はもちろん知っている。これも気遣いなのだろう。
「報告は半年に一回だ。ちゃんと覚えとけよ」
 気に食わなかったが、ここまで食い下がられれば認めないわけにはいかなかった。
「ちゃんと君が大好きな書類にして提出してあげるよ。任せて」
 無駄に文字数を増やしページ数を増やして、その分必要な情報は他の文字の五分の一の大きさにしそうな意地悪い目で言われたので、強引に対抗措置を取ることにした。
「おう、無駄な事書いてたら一文字につき一枚、外国から来た書類燃やすから、そのつもりでな。外務大臣閣下」
 一瞬で親友の顔色が変わった。
「は、鬼畜はどっちだよ」
 こう吐き捨てられた後、二人して噴き出した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

悪ノ召使 番外編(11-2

まだ完全に事件は解決していませんが、とりあえずここで一区切りです。
イルもレンと同じとはいかないまでも、それなりの加虐主義者だと思います(笑)

閲覧数:206

投稿日:2011/03/16 16:04:07

文字数:4,398文字

カテゴリ:小説

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  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     レンは悪魔や鬼ではなく、もはや魔王ですね……。と言うか、そこらの悪魔や魔王が可愛く見えるくらいの恐さ。ここまで残虐な悪魔もいないですよ(笑)
    『勇者(イル)の為なら世界の一つや二つ消してやるぜ』みたいな。本当にやるだろうから笑えない。
     アズリが忠犬な理由は動物の防衛本能なんじゃないか? と本気で考えました。

    2011/03/16 20:57:39

    • 星蛇

      星蛇

       読んで下さりありがとうございます!
       ま、まあこれくらい残虐非道じゃないと革命なんて起こせなかったのでしょうね!;(笑
       はい、ご指摘の通りでございます。己が認める英雄、イルのためなら大陸を消し飛ばすことも躊躇わないでしょう。
       アズリはあれで、レンと張るくらい自分勝手で刹那主義なのです。レンが自分に優しくしてくれるうちは彼の他に対する態度など一切興味無し。捨てられたらその時に考えよう。みたいな感じです(笑)

      2011/03/16 21:08:13

  • 零奈@受験生につき更新低下・・・

    読み終わりました!
    意外にもイルがレンほどではないが鬼畜w
    そしてアズリは本当に忠犬です。
    これはもう、遭遇した途端に「にげる」コマンド選択ですね。レンもイルも怖いです。
    返り血まみれでにこにこ笑うレンがなまじ想像できるだけに恐ろしいです。

    最近、「イル」という名前を2度ほど借用させていただいています。
    一つはポーシュリカの罪人のミクのミドルネーム。
    もう一つはドラクエⅤの勇者の名前です。
    特に勇者の方は性格的にもそうそこまでおかしくないし・・・

    続き楽しみにしてます!

    2011/03/16 16:50:37

    • 星蛇

      星蛇

      イルは基本的に優しいんですが、やはり敵になった者には容赦無しです。
      レンは大切にしてる特定の人物以外、基本的に容赦無しですが(笑)
      二人ともここまで来るに当たって色々失ってますので、そう言った意味では冷淡な考えがありますね^^;
      私の中ではレンは基本的に血の海を歩いていますね、うん。

      名前の借用の件ですが、両方とも光栄でございます!
      個人的にはこの物語(本編・別ルート問わず)の英雄はイルだと思っているので、ドラクエの勇者に使って頂けるのは特に嬉しいです^^b

      続きも頑張って書きます!
      その前にレンとイルの子供の話が今乗りに乗っているので、そっちの投稿が先になるかもしれませんが@@;

      2011/03/16 17:20:35

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