第一章 王宮にて (パート3)
「戻りました。」
講義を終えたグリスが自身の執務室に戻ったのは、それから三十分程度が経過した頃であった。王立学校へは臨時講師として赴いている為であり、オルス本来の業務は国政を預かる内務官である。
「ご苦労。」
そしてグリスの上司に当たる人物が、内務卿を務めるマーガレット伯爵であった。既述の通り、バニカ夫人とフレアの父親に当たる人物である。
「ところで、グリス。」
労いの言葉を述べた後、続けてマーガレット伯爵は軽く咳払いをしながらそう言った。
「なんでしょう、伯爵?」
「君の講義は随分と本格的だと耳にしてな。」
意図的な引っかかりを残したようなその口調の意味合いを、グリスは瞬時に、そして十分すぎる程に理解することになった。マーガレット伯爵は確かに黄の国を支えるに値する才を有してはいるものの、その思考形式はあくまで保守である。王立学校に通う女学生の姿が一般的になったこの時代に置いてもなお、知識と学問は女性には不要と考えている節がある。否、寧ろその概念こそが王立学校の講師連中には共通した考えであったのだろう。だから、男女の差別なく教育を行うグリスの態度がどうしても視界に引っかかりを残すのである。
「ついつい、力が入ってしまいまして。何しろ、優秀な生徒がおりますから。」
対して、グリスの思考はマーガレット伯爵と正反対の場所に位置していた。婉曲的な表現ながら、グリスはマーガレット伯爵に対して、拗ねたような口調でそう答えた。
「・・フレアか。」
グリスの言わんとしたところは、マーガレット伯爵もすぐに気がついたらしい。まるで天を仰ぎ見るように、大きな吐息を漏らしながらマーガレット伯爵は天井を見つめた。そう、マーガレット伯爵が現在最も頭を悩ませている事項の一つ、それが愛娘であるフレアの態度にあったのである。
「あれが男であれば、な。」
濃縮された、どうにもすることができない運命とやらに絶望するように、マーガレット伯爵は溜息をもう一度、漏らした。
フレアの知性は正しく天性に与えられた才能であった。あらゆる美を好み、自らの美貌を残しながら黄の国一番の美食家と評される様になったバニカ夫人とは異なり、フレアはその情熱を知識に注ぎ込んだ。もっと幼い頃は、武を志そうとしたという噂さえある。それが智に傾倒する様になったのはいつの頃か、噂に頼れば彼女に女性らしさを強要する二次性徴が訪れたころ、どれほどの鍛錬を積み重ねたとしても、男女の身体的な差を埋めるには不足していると気付かされた時であったとか。だが、それでもフレアの才能は目を見張るものがあった。それから数年、今やフレアの同年代に限定するならば、フレア以上の知恵者は黄の国広しと言えども存在しない、と断言できる程の知識を使いこなせるまでに成長している。
「あれでは、嫁の貰い手が現れなんだ・・。」
言葉を放ったというよりは、心労が口から漏れた様子でマーガレット伯爵はそう呟いた。女の幸せは高名な男性と結婚を果たすこと。それ以外ありえないと、おそらくマーガレット伯爵は考えている。
「そんな事も、ありますまい。」
くだらない、と感じながら、それでもグリスは一応上司であるということを鑑みて、形ばかり慰めるようにそう答えた。他の女学生相手なら、グリスも或いは他の講師連中と同様に、女学生向けの講義の手を緩めていたかもしれない。彼女たちも理解しており、そして信じている。教養と美を身に付けて、最も貴族の婦人にふさわしい女性になることが人生の目的であり、女にとっては一番の幸福であると、心から信じている。だが、フレアだけは違う。貪欲に知を求めるあの姿は、そして光り輝くあの知性の瞳は、残念ながら男子学生を含めても王立学園にはフレア以外には存在していない。フレアの心の奥底にあるのだろう探究心に対して、講師として全力で応えたい。グリスはそう考えているのである。
「最近は、どうも懸案が多過ぎる。」
グリスの言葉に対して、曖昧に頷きながら、マーガレット伯爵はそう言った。
「バニカ夫人は、未だ?」
グリスの問いかけに対して、マーガレット伯爵はうむ、とだけ答えると沈黙した。バニカ夫人はこの数ヶ月、ずっと病に伏せっていた。正確には心労が重なったと言うべきであろう。バニカ夫人は先日の戦の後、国葬扱いとなったコンチータ男爵の葬儀以来、一度も公式の場にその姿を現してはいない。夫婦仲は良好だったと評価されていたが、今回はそれが全くの裏目に出てしまった格好になる。それ以来、噂によればバニカ夫人はまるで魂が抜けたように呆然とした日々を、ただ消化していくだけの生活を過ごしているという。その細かな内容はグリスよりも、国務内政を司る立場にいながら、プライベートに対しても気を使わざるを得ない状況に追い込まれている、マーガレット伯爵の方が良く知悉しているだろうが、流石のグリスであってもそれ以上の内容をマーガレット伯爵に尋ねることは憚られた。これ以上余計な負担をマーガレット伯爵に与えれば、決して若いとはいえないマーガレット伯爵、何かのきっかけでバニカ夫人よろしく病床行きにならないとも限らない。
そう考えながら、グリスはコンチータ男爵の葬儀の様子をまざまざと思い起こしていた。あの時お悔やみの言葉を述べたとき、バニカ夫人は文字通り、心ここにあらず、という様子であった。視線は常に何処とも知れず空を泳ぎ、足元は支える者がいなければ立っていることすらも出来ないような、ふらりとした状況。あまつさえ、バニカ夫人は葬儀の間結局一滴の涙すらも流さず、それどころか、何物かを哂うように口元を引きつらせるように歪めていた。
恐らく、あの時には既に精神を病んでいたのだろう。
グリスはそう考えて、小さく首を横に振った。戦争が残す深い後遺症に対して、恨み言の一つでも述べたい気分であった。
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