今思えば僕は波乱万丈な人生を過ごしてた
小学校からいじめにあって
毎日蹴られ殴られに学校へ通った
休み時間のドッヂボールも僕は狙われる事もなく
球が回ってくる事も無かった
いじめられた理由は
日曜参観に父が来なかった事だった
父は僕が7つの時に仕事に出て
脳の血管が切れて倒れた夜に
そのまま亡くなった
だからどうしようもなかった
新しくやり直せるかもしれないと考えた中学校
僕らの学区では違う小学校2つから
中学に人が集まる
でも実は中学もまともに行ってない
ここでもいじめがあったから
今度の理由もとてもシンプル
いじめの首謀者が好きな女の子。
その女の子が僕の事を好きだったかららしい。
僕はただ、小学校時代と違って普通に話せるだけで
嬉しかったから、それは恋でも何でも無かった。
毎日集団からトイレに連れ込まれては殴られた
夜間中学に編入したいと学校に相談したが
学校の体裁で答えはNo
僕には学校は学ぶ所ではなく殴られる場所だった
テストだけは学校に来いと言われたから
テストだけは受けた。
中学生活終盤に高校だけは受けたいと思った
小さな頃には友達が居たから
みんなと同じような新しい世界を夢見てたし
何より友達が欲しかった
卒業証書を渡す為に出席日数だけ何とかするようにと
最後三ヶ月出席して卒業させてもらった
受けたのは名前を書けば受かるような
地元の夜間高校
ここで僕に最高の仲間が出来た。
中学時代はどうだった?というみんなの会話で
『いじめ?まだそんなんあるねんな、もし次も虐められたら俺ら一緒に戦うから絶対負けるなよ』
そう言ってくれる仲間達。
今でも正月やキャンプなどに集まったりする
僕の人生を変えてくれた最高の仲間達
中学でいじめてくれた奴と
偶然再会した事がある
人通りの少ない道に連れて行き
僕からお金を取ろうとしたのかな
僕は初めて戦った
気持ちはもう1人じゃ無かった
思えばいじめを怖いと思った事は無い
他の誰かにとばっちりが行くのを避ける為に
僕は黙って耐えてた事にも気がついた
結果僕は喧嘩に勝った
そいつは後日次の仲間を呼んできた
そいつにも僕は勝った
そいつらは とうとう
『お前強いねんな、今までごめんな』
もう僕にはどうでも良い話だった
もう負けない事も
僕には最高の仲間がいる事もわかった
そして中学生活が帰ってくる訳でもなかったし
仲良くするかはわからないけど
その場で僕達は笑って話せた
そいつらと今でもたまに会う事はあるけど
もう普通に話す事もできる仲になっている
思春期にはみんなが過ごすように
恋をしたり音楽を好きになり
夢中で夢を追いかけた
他のみんなが就職する頃
僕は夢を掴みかけてもいた
裏切りなのか事故か何なのか
あの頃の僕は何もわからないまま
その夢の道は突然ついえた
当時マキシシングルを3000枚売れば
メジャーアルバムの資金にする
と約束された僕達のバンドは4万枚売った
メジャーアルバムのREC準備をしていた時
その資金が他に流れる事になった
全てかけてきた道が突然消えて
どう生きるかわからずに
消えようとした
でも死ねなかった
ただ ただ毎日が悔しかった
これも人生か。
と、思い僕は新たな道へ
実は普通の就職にも少し憧れていた
職を探すと地元のファーストフード店が募集中
すぐに面接そして運良く採用
ここでも本当にみんないい人達と出会えた
僕は心から会社の為に頑張って行こうと思った
お金も不自由しなくなり
やがて出会いがあり結婚して子供も授かった
必死で毎日働いて働いて
僕は失ったけど背中を見せるような父親になると決めていた
初めてパパーと言葉を喋った子供が2歳の頃
仕事から帰ると家には誰もおらず何も無かった
連絡もつかないまま後日離婚の件に関しての訴状が届いた
僕はDVをして それが離婚の理由として訴えられたと書いていたが
内容は全てデタラメだった。
僕は頭が真っ白になった
そんな事絶対にした事なかった。
妻と子供の心配がとにかく気になった。
初めて弁護士さんにお世話になった
実はこういう事例はよくある事らしい
調停含む裁判が2年続くと理由はわかった
浮気相手が見つかったらしい
逆に訴える事も出来ますよと言われたが
戻る気が無いなら訴えてお金を貰っても
生活が帰ってくる訳でもないし
何より相手が苦労して不幸になってしまう
裁判中にも浮気相手と会っていて
その男をパパだと思って過ごしている
と聞いたから子供が混乱しない為にも
父親は1人がいいだろうと泣きじゃくりながら
面会もしないから必ず幸せにして欲しいと伝えて離婚を認めた
僕は自由になった
でも精一杯頑張って生きた職場で
胸に穴が空いたまま過ごしそして辞めた
もう全て捨てよう
薬も調べて致死量を飲んだ
起きたら病院
母と姉が涙を流して待ってくれてた
病院の人が尽力してくれて助けてもらった
もうみんなに迷惑はかけたくないと
頑張る決意を覚えた
『これからは自分の為に生きなさい』
そう言われ、のんびり過ごす毎日で
外で僕は突然記憶が消えた
猛スピードの自転車に後ろ追突ひき逃げだった
気づくとまたまた病院
でも今度は何か違和感。
あれ?身体が動かん
僕は頸椎をやられて身体に麻痺が出ていた
左半身無感覚、右手にも握力無し
真っ直ぐ立てない歩けない
ペットボトルも開けない
お箸も使えない
絶望は何度も経験してきた。
何の為に生きてるのか不明
でも僕は死ねないみたいだから
何とかなると思った
そしてその時期は早くにやって来た
PCでゲームをして稼げるらしい
僕はPCを買ってもらった
働けない僕は自分で買えなかった
これで仕事だ!と僕は希望を持った
やがて僕はPCで音楽を始めた
ギターも弾けなくなった、バンドは出来ない
でも音楽が出来る。幸運な時代の変化だった。
僕と夢を追いかけた親友は
僕の曲を聴いては
『なんでバンド時代にこの曲を書いてくれなかった!』
と喜びながら怒ってた。
でも何となく嫌な予感がしていた
この幸せもきっと壊れそうな予感があった
やっぱり
親友が癌。もうダメらしい。
その日を最後に僕らは会う事を辞めた。
『さよならは無し。いつか天国で待ってるから、もう死ぬなんて言わず長生きしてお土産話いっぱい持ってきてくれよ』
彼との最後の会話を胸に生きる
感動演出も嫌い、僕には何も響かない
当時
『ボーカルが良い歌詞を書いてきたから、ここは泣かそう』
みたいに作為的に作曲していたバンドが周りに多かったから。
人を羨みはしないし
自分を不幸だと思っている人にあまり共感も出来ない
大抵聞くと僕より平気だったりするのもあるし
僕は恵まれてるから経験上の話で決めるのもアレだけど
何とかなると思ってる
波乱万丈だとは思っているけど
不幸だと思った事は無い
『僕は不幸だ』と思う暇も無く
色々と今出来る事を考えて生きてきた
次に僕は曲を沢山作った。
年間150曲書くとプロの生活、それだけ書けるのもある意味才能。
そう聞いた僕は年間172曲を書いた年がある
クオリティは低かった
自分の想いを曲にするという気持ちとは真逆だった
仕事につくのを目標に生きていたけど
音楽はお金の為で無いとある時気づいた。
だからデビューも出来なかったし良かった。とも思ってる
曲を量産する中で
その度何か欠けていたピースを
新しく出会う創作仲間達は埋めてくれた
いつか全てをやり直そうと思った
結局、やり直すまでに
僕は心と体のリハビリを12年間した
今では普通に生活が出来るに近い状態
奇跡に近い『よく頑張ってるね』と言われた
言われた事以上をこなすのは会社では普通の事だったから
仕事と思った結果かも
去年はギターが弾けるまでになった
PCで色々指を動かしていた事がプラスだった
お箸も持てるようになった
PCでの作曲では
どうしても自分の音が出せなかったギター、それが出来る
僕は曲をリメイクしようと思った
みんなに本当の僕の音を聴いて欲しかった
でも捻くれ者だから今後は
誰も知らない所でやりたかった
僕は人生を取り返した、もしかしたら
変わったとか成長したとか思われるのがとても嫌だった
感動演出も嫌いだから
想いが強ければ強い程、自作曲には取り入れなかった。
趣味の英会話。
身体が不自由だった為に
通訳が出来たら身体が動かなくても職が。
結果は海外の友達が沢山増え話を聞かせてもらって
世界が広がっただけでお金には結びつけたくなくなった
身体も動くようになって2019年後半から
やっと自分の世界を取り戻しつつあった。
身体が不自由になり生きる意味を探してPCに辿り着き
ゲームでお金を稼げる~からゲーム内で仲間から
『音楽はPCで作れるし、ピアプロってのがあるよ!』
そして僕はこの世界に来れた。
『動画投稿するなら交流や宣伝にTwitter!』と
僕は聞いたままTwitterを始めた。
ネガティブなツイートを見ることも多く
自分がするのは避けた
活動したりリハビリで活動を控えたり
今年はギターも弾けるし創作の年!
とんでもない事件が起きたウイルス騒動。
ここで僕は海外の友人を結果として5人亡くしました。
Twitterではプライベートは軽口しか話さない主義だったのですが
日本中(世界中かな)が混乱して
無責任なツイートが沢山目に付きました。
これに友人を亡くした報告を受けた直後だった為
熱くなってしまい僕も世論ツイートをしてしまいました。
結果としてこれが もつ鍋としての主義に反する行為で
もう もつ鍋としての活動は辞めようと思ったメインの出来事です。
そして名前を変えるなら
罪滅ぼしで、全ての共作者様との作品は
さっきも書いた通り演出も含めて全てを出そうと考えた訳で
もし、評価を見直してもらえたとしても もうもつ鍋は居ないから
何回も書くけど『変わったとか成長したとか』言われずに
他で活動が出来るから意地を張らずに済むから。と
そして僕はリメイクを作り始めました
パソコンでいつものように編曲作業をしていたのですが
その時突然綺麗なピンク色のお花畑に場所が移りました。
小さな天使のような女の子が僕に語りかけてきて
しばらく一緒に遊んだ後 女の子は僕に言った
『ねぇ、お友達もいるからお家に行こう?』
僕は 、『ごめんな、おっちゃん作らなあかん曲があるねん。
だから一緒に行かれへんねん、お嬢ちゃんは1人でお家に帰れるのかな?』
女の子は答えた
『ざんねーん。みんな逢えるの楽しみに待ってたのにー、私は大丈夫だから。また今度ね!』
その返事を聞いた直後
僕は現実に帰ってきました。
突然心停止をしていたらしいです
他に異常も無くもう心配もいらないそうですが。
あれ程 逃げ出したかったこの世界に
僕は誰が待っている訳でもないのに
音楽が理由だと答えて死ななかった。
今度は[まだ死なない]という選択をしたんだと思う。
帰ってきた僕はバラード曲のリメイクをしました。
これは2014年に母の兄が急逝して
塞ぎ込んだ母に向けて作った曲だった。
今度はアレンジを毛嫌いせずきちんと作った。
そのまま勢いよく次の作品もリメイクを始めた。
今度はとてもロックで僕が最も自然に出せる曲調。
バラードとその曲をイヤホンで聴きながら
休憩を取るため僕は眠りについた
そして夢を見た。
とても綺麗な女性と一緒に居た
その世界では今リメイクしている
僕達の曲が何故かカラオケに入っていた
彼女はとても綺麗な声で
今リメイクしている その曲をカラオケに入力した。
目の前で僕達の曲を歌ってくれた
周りのみんなも大はしゃぎで盛り上がった。
そして自然に涙が溢れた僕を
彼女は親身に慰めてくれた
僕は思った事を伝えたかった
僕達の曲を歌ってくれてありがとう。
今までやってきて本当に良かった。
そう伝えたかったのに
僕は顎が固まって痙攣し言葉を喋れずに
その場で倒れてしまった
彼女とその場にいた友達であろうみんなは
慌てて僕を介抱してくれた
『早く誰か呼んでー!』
悲鳴にも近い声で
さっき歌ってくれた美声とは全く違った。
『行っちゃダメだ!戻ってー!』と悲鳴が聞こえる中
僕は意識を失った。
気づくとこの世界。
横向きに寝ていて腕が顎を押さえつけていた
だから顎がおかしくなった夢を見たんだなと思った
実際起きた時も顎がちょっと痺れていた。
きっとあの世界にはもう2度と行けないし
彼女とも もう2度と会えない
単なる僕の夢だったんだから。
でも僕達の曲がその世界ではカラオケに入っていて
きっと僕が恋をしていた その彼女は
僕達の曲を歌ってくれ それはとても盛り上がった。
今まで創作活動で色々な人達に支えられてやってこれたけど、その様々な夢や想いは今日見た夢で全て叶った気がする。
あの世界はどこだろう
いや、どこにも無いだろう
単なる夢なんだから
でも起きた時に僕は涙を溢していた。
嬉しかったからなのか
あの世界から帰りたくなかったのか
彼女と一緒に居たかったからなのか
涙の理由はわからない
今まで生きてきて沢山辛い事もあったけど
勿論幸せな時期もあったし
自分なりに頑張ったり
意地を張ってしなかった事もあるけど
昼寝の夢一つで全て帳消しに出来るほど
幸せな体験もさせてもらえた。
もう彼女とは2度と会えないけれど
それでも神様がいるなら本当にありがとうと思う。
僕はこの世界でやりたい事、やるべき事を続けて生きます。
今日も明日も僕はきっと創作をするし
辛かった事を乗り越えてきた経験もあるし
こんな僕の想いを曲にして
いつかそれが
誰かを前向きに導けるなら良いのになと心から思います。
それがこれからの僕の夢です。
痛みも苦しみも絶望も。
時に抑えきれない怒りの感情。
甘酸っぱい感覚や喜び、幸せ。
これらも全て人生の一部だと言うことをまず伝えたいし
誰かを救うなんて大それた事は出来ないと思う
一緒に落ち込んであげる事も多分出来ないけど
『生きてるってなかなか良い事やで!』っていうのも含め
全てこれから表現していこうと思います。
まずはリメイクから!
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