第十章 05
「な……んだとぉ?」
進む通路の先からそんな怒鳴り声が聞こえてきて、焔姫たちは顔を見合わせる。
「この声は……」
「……ハリドじゃな」
男の疑問に焔姫もうなずき、元近衛隊長もまた呼応した。
「向かいましょう」
「ああ」
三人は足音を忍ばせて暗がりを歩き、声のもとへと近づく。
「……ですから、私が仕え、従うのは国王のみです。私は政治が出来ません。ですから、例えそれが誰であろうと国王であればしかと仕えてみせましょう。貴殿が私を従わせたければ、れっきとした国王になって見せてからですな」
すぐそこには、王宮の正門が見える。
王宮の入口で、両者は対峙していた。
片方は片腕を失い、片足が義足の男で、対するは焔姫の後に将軍を継いだ男だった。
両者の脇にはそれぞれ近衛兵と軍の兵士たちが十人ずつ並んでいて、一触即発の危険な雰囲気がただよっている。
「つまり、我に逆らうというのだな?」
焔姫たちに背を向けている元貴族は、そう言って剣の切っ先を将軍へと向ける。
その剣は、焔姫が以前使っていた、あの細身の長剣だった。
焔姫が暗がりから姿をあらわす。元貴族と近衛兵は背を向けたままだ。その姿を捉えたのは将軍と軍の兵士たち。彼らは驚きに目を見開くが、誰一人として決して声には出さなかった。そして皆一様、にやりと笑う。
男はその様子に驚く。
焔姫は、軍の皆が自らの味方になると確信していたのだ。
軍である以上、国や国王の指示には従わなければならない。それでも、本心では焔姫の味方だった、と言う事なのだろう。将軍として幾多の戦で勝利を収めてきた焔姫の想いを、彼らもまた知っていたのだ。
「そうではありません。今の所、私は国王の命を受けておりません。私が兵士たちともに王宮内にやってきたのは、ただ混乱を収めるためです。あなたが国王の座を手に入れたと証明できれば、私は貴方に仕えるでしょう」
至極落ち着き払った将軍の口調に、元貴族はいらだちを隠せないようだった。
「すでに国王を名乗っておったサリフは我が殺した。他に、いったい何の証明がいるというのだ」
義足をかつかつと鳴らして元貴族は将軍に詰め寄る。だが、将軍は悠々として、元貴族の脅しなどまったく意に介していなかった。
「そうですな。貴殿が国王になるというのなら……最も重要な人物を見過ごしておられるのではないですかな?」
「何?」
将軍は、もう笑い出しそうなほどだった。そんな将軍の様子に、元貴族は怪訝そうな顔をする。
「余の事じゃよ」
「なっ……!」
すぐ後ろからかけられた声に、元貴族と近衛兵たちが驚いて振り返る。
焔姫は傷の痛みの存在などいささかも感じさせない立ち居振る舞いで、凄惨な笑みを浮かべて立ち尽くす。
「この時を待ち望んでおったぞ、ハリド・アル=アサド。……そうとも。余は首を長くして待っておったのじゃ」
長剣を元貴族に突きつけ、余裕そうな態度を崩さない焔姫。
「き……さま……」
男と元近衛隊長は振り返った近衛兵たちに剣を向けるが、彼らの方が圧倒的に人数が多い。男がそう思っていると、将軍のひきいる軍の兵士たちが近衛兵へと剣を向ける。
「なっ……! やはり貴様は――」
「ハリド公を含めると十一対三。流石にそれは不公平というものでしょう」
「くそっ、くそっ、くそっ……! 殺せ! 皆殺しにしてやる! それでこの国は我のものだ!」
元貴族の叫びに、近衛兵たちが呼応する。
それはすぐに混戦となるが、元貴族は焔姫たちと軍の兵士を避け、そろそろと戦場から逃げ出そうとしていた。
無論、それを見逃す焔姫ではない。
「威勢が良いわりに、逃げ足は一級品じゃのう。あいかわらずじゃな」
焔姫は近衛兵など一顧だにせず、元貴族に詰め寄る。
「貴様……我の邪魔ばかりしおって。いまいましい。こんな時でなければ……」
狼狽する元貴族に、焔姫は周囲の近衛兵をあしらいながらけたけたと笑う。
「心外じゃのう。こんな時だからこそではないか。まさか汝が余のために王宮で反乱を起こしてくれているとは、さすがの余も考えておらんかったがの」
「だ、誰が貴様のためになど――」
元貴族が焔姫に剣を向けるが、その切っ先はぶるぶると震えている。
「お陰で仕留める者は減ったが……残念じゃ。サリフは余の獲物だったというのにの」
「はっ……! 奴は、我の手柄をすべて横取りしたのだ。だから、だから殺してやった! それを今度は、貴様が横取りしようなどど……恥を知れ!」
「……」
元貴族の苦し紛れの言葉に、焔姫は思わずぽかんとした。
「汝は……」
「ひっ……、寄るな、寄るな!」
「……どうしようもない馬鹿じゃとは前々から痛感しておったが、まさか、ここまでの馬鹿じゃったとは……。この程度の屑に国を奪われたと思うと、余のおろかさも認めねばならぬな」
焔姫の罵倒に反論する余裕もなく、元貴族は口をぱくぱくと動かしている。
焔姫の背後では、まもなく近衛兵たちがすべて倒されようとしていた。広間での争いがどうなっているかはわからないが、まだ誰もやってこないところからすると、味方の抵抗が功を奏しているのか、それとも広間での近衛兵同士の戦いに夢中になっているのか……。どちらにせよ、この場においては元貴族の味方がいなくなるのは時間の問題だった。
元貴族は剣を掲げたまま後ずさる。が、背中が大きな扉にあたり、すぐに追いつめられた。
「余が勝てば、余が国王になるという事で間違いないのかえ?」
焔姫は、元貴族に聞こえるようにわざとそう将軍に尋ねてみせる。
「王宮内の混乱が収まった暁には、そうなるでしょうな。姫で納得しない者など、この国にはおりません」
将軍の返答に満足そうにうなずくと、焔姫は元貴族に向き直る。
「さて、今際の際に考える時間は残り少ないぞ。前の様な失敗はせぬ。今ここで殺すのでな」
「くそ……くそっ!」
やぶれかぶれに元貴族が剣を振るが、対する焔姫には敵いもしなかった。凄まじい勢いで斬り上げると、元貴族の持つ剣を頭上高くに弾き上げる。
焔姫は剣を右手に持ち替えると、左手を掲げて宙を舞う剣をつかむ。
「わざわざ余の剣を返してくれるとはな。感謝してつかわそう」
「なぜだ……なぜこんな事になる……。我は、我は今ごろこの国の王で……いや、そもそも貴様がいなければ、西方の大国で重鎮になっていたはずだというのに……。こんな国の国王などとはおよびもつかない、絶大な権力が……」
元貴族は取りつくろう事も出来ずに泣きわめいた。だが、それをまともに聞く者などいない。
「くそ……」
逃げようとするが、焔姫に義足を引っ掛けられ悲鳴とともに転ぶ。
同時に焔姫の背後も静かになる。元貴族の味方がすべて討ち取られたのだ。
「見苦しい男じゃな。……長々と苦しめてやれぬのは心苦しいが、また逃げられるのも厄介じゃ」
焔姫がすべてを終わらせようとしたその時、元貴族が突然、何かに気づいてはっとしたように焔姫を見る。
「まさか……は、ははっ」
「……とうとう気が狂ったか」
焔姫がつぶやく。だが、後ろで二人のやり取りを見ていた男には、何か背筋が寒くなる感覚があった。元貴族の声音には、どこか確信めいた響きがある。単に正気を失っただけではない何かが、元貴族にはあるのだ。
「くくっ、我を馬鹿にしていられるのも今のうちだ……。最後の最後でツキが回ってきたとは……!」
「……?」
男が感じた違和感を焔姫も感じ取ったのか、彼女も怪訝そうな表情を浮かべる。
「貴様さえ……きひっ、ひひっ、貴様さえ殺せばどうとでもなる……」
常軌を逸した様子の元貴族に、さすがの焔姫も一歩後ろへと下がる。
その時。
焔姫の背中で、元近衛隊長が剣を構える。
――密告者がおるのやもしれんな――。
作戦の決行直前、近衛兵たちの奇襲を受けて味方が大勢捕まった時の焔姫の言葉が、男の脳裏に響く。
元近衛隊長が剣を振り上げ――。
男の胸の内に大量の疑問がうずまく。
密告者とは彼の事か?
もしそうだとして、一体なぜ?
何のために?
これまでの彼の行動も、説明がつかない。
しかし、そんな事を考えている余裕などなかった。
元近衛隊長の行動に、焔姫は気づいていない。将軍や他の軍の兵士たちも間に入るには離れすぎている。
「メイコ……ッ!」
男はとっさに焔姫をつき飛ばした。
「なんっ……」
焔姫の抗議など、男の耳には入らなかった。
元近衛隊長の姿をとらえる。
泣き笑いのような、絶望に彩られた顔が見えた。
銀光。
そして、男の視界が朱へと染まった。
焔姫 45 ※2次創作
第四十五話
今回、物語を構成する上で考えていたのは「起承転結」ではなく「起承転転結」みたいな感じです。
転、における事態を一変させる出来事、というのを何度も繰り返す事で、読み手にとって予測不可能さというか、「これからいったいどうするんだ?」「いったいどこまでやらかすんだ?」「この話、本当に解決するの?」みたいに思わせられないか、という意図がありました。
それがうまくいっているのかはいまいち分かりませんが……
一つの世界を作り上げた時、その世界の中で話が完結してしまってはいけないんじゃないかと思っています。それでは読み手の想像の範囲内で話が終わっているような気がするので。
世界を作ったなら、その世界が崩壊するところまでは話を展開させなきゃいけないかな、と思います。
あくまで個人的な意見ですけれど。
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