──運命の歯車のなかで、私たちは出会った。
私たちの出会いは
運命だった。
まだ、あなたの感触が染み付いている。
あの日、もしスーパーに行ってなかったら?
あの日、もし、あなたに会わなかったら。
そんな気持ちが胸を締め付ける……
あなたが私に愛することを教えてくれた。
夜、にぼしを食べた。
その瞬間、恋に落ちてしまった。
美味しかったのだ。
にぼしを食べることの喜び。にぼしを愛することの喜びを知った。
私は帰宅しておやつがわりにと味噌汁用だった袋を手にしたそのときから……
恋は始まる。
運命の歯車のなかで、私たちは、出会った。
学校に行っても、頭の中にはにぼししかなくて、課題のデッサンよりも、ずっとにぼしをかきあげていた。
その絵を見返しては顔が赤くなる始末……
お昼になってゆきえが心配そうに私を見た。
「ちょっと、大丈夫? なんだか、かな子、顔赤いよ」
「うん……」
ゆきえになら、言ってもいいかな。
昨日、私、初恋を経験したの。
言おうとしてなんだかうまく言葉にならない。
にぼ、まで口にしたけどきゃーっと顔を覆ってしまった。
どきどきんと、心臓が暴れていた。
「あ、恋?」
ゆきえが鋭くしてきする。
「そうなの……あのね、王子さまは袋詰めされてたの」
ゆきえは、ぎょっとしたけれどすぐに、そっかーついにかな子にも春が来たのね、と祝福してくれた。
「告白はしないの?」
告白……
して、どうなるだろう?にぼしの自由を、私が奪って良いわけじゃない。
胸が、ずきずきといたくなる。
「こわいよ、ううっ」
にぼしに、嫌われたら私、何を食べればいいの?私は涙を流していて、集中が出来なかった。
授業のあとは昼休みだった。
チャイムがなると、とりあえず人気がないとこでお弁当をいただくことになっていたけど、あまり、食欲がない。
頭のなかは、にぼしに告白するかしないかで揺れている。
そういえばにぼしって、何が好きなんだろう……
私は、好きな相手のことを何も知らないことに気がついた。
「にぼしこを買ってこいってさー、マジ、だる。
猫用のにぼしじゃだめかねぇ?」
涙がばれないように廊下をうつむいて走っていたら、そんな男子生徒の声が聞こえて、私ははっと顔をあげる。
にぼし子。
そのさらに隣の男子が
「にぼしとお前、お似合いだよな」なんて言う。
「ばっか、お前、にぼしにお似合いなのはにぼし子ちゃんだろ?」
ハハハハ!と二人は笑いあいながら過ぎ去る。
彼女、いるんだ……
ずきん、ずきん、ずきんずきん。
胸がいたい。
にぼしとお似合いの、にぼし子のことが頭から離れない。
どんな子なんだろう。
私より、素敵な子だろうな。
授業なんか投げ出して、にぼしを食べるために家に帰りたかった。
私は人間だっていうのはわかってる。でも、でもにぼしを好きな気持ちは変わらないよ。
たとえ、にぼし子ちゃんがいたって。
袋に詰められた干からびた身体、そこから発せられる、まるで私をひきこむフェロモン。
私に染み付いて離れない。
だけど、にぼし子ちゃんが居る。
こんな辛い想いするなら……あの日、お味噌汁なんか作らなきゃよかったのに。
人の気がないからとえらんだ保健室の隣の休憩室のなかで、
お弁当を食べながら私はゆきえに泣きついた。
「うわあああん!」
「どうしたの、かな子」
ゆきえは心配そうに私を見て聞いてくれるから私は涙をこらえながら答える。
「あのねっ、彼女、いる、みたい」
「袋詰めされてた王子さま?」
うん、と私は涙ぐみながら頷く。ゆきえはそんな私の頭をよしよしと撫でながら微笑んだ。
「まだ、決まったわけじゃないんでしょう? あんたのことだから、どうせ早とちって突っ走ってるだけだよ」
「そうかなぁ…… 」
「そうよ、まず、ちゃんと確かめてみないと」
ゆきえに励まされて私はお弁当のコンビニおにぎりを食べながら、決心した。
「私、告白する!」
どうなるかはわからないけど、にぼしに、私が、人間としてにぼしに惹かれていることをこの気持ちを伝えたい。
抱えておくのは、苦しい。
「どうして、そんなに好きになったと気づいたの?」
ゆきえが聞いてくる。
私は顔を赤くしながら答える。
「お味噌汁を、ね、いつも……おいしくつくってくれてて、私、ずっと気になってた」
スーパーでよく見かけて、気になり、思いきって声をかけたのは、一ヶ月前……
「うっそ、料理できるんだ」
ゆきえが、びっくりしたようなはしゃいだ声をだす。
「あ、当たり前じゃない! 料理くらい。すごいんだから」
私だって料理くらいする。
「わぁ、あんたがそんなにいきいきとするのを、私はじめてみた。そっか、そっか。ごちそうさま」
「ゆきえ、もう食べ終わったの?」
「あんたのことよ~。幸せものだな。味噌汁まで飲んじゃって!」
顔があつくなる。
どきんどきん、心臓が、うるさい。
「うん……幸せ」
「かな子の気持ち、私応援するよ!」
ゆきえは両手でガッツポーズを作る。ありがとう。
「どんな相手なの?」
おーいお茶を吹き出しそうになった。
ゆきえは、爽健美茶を手にして慌てて身体ごと避ける。
「危ないよ、もうっ」
「ごめん」
「いいけどー。それで?」
「あ、あったかくて、まろやかで……少し、渋みもあって」
「ふーん、ちょっと渋いとこがある温厚な人かぁ……会ってみたいな~」
「だ、だめぇ!」
「わかったわかった、あんたたちの邪魔はしないから。きちんと気持ちを伝えておいで」
ゆきえに背中を押されて、私は勇気をもらいながら午後の授業を受けた。
「はぁうー、ねこまんまって、英語でなんて言うんだろ?」
放課後になってそんな疑問に頭が支配されながら私は椅子に座り、教科の先生が去り際に言ってた宿題の範囲をチェック、メモしていた。
キャット・フード?
いや、それよりも。
放課後だ。
家にかえったら、にぼしに告白する……
改めて考えたらカァッと顔が熱くなる。
私、できるかな。
今からでも神社の恋愛成就のお守りを買った方がいいのかもと、悩む頭、それからねこまんまを英訳できずに悩む頭。
プシュー、とショートして私は机に突っ伏した。がばりと起きてノートにペンを走らせる。
「ジローは、家に着くなりご飯を用意し気に入っていたキャットフードを食べました! よし、カンペキ!」
「あ、居た居たかな子」
ふと、横からチエミに声をかけられた。
少しふっくらぽてっとした、肉まんみたいな可愛らしさを存分に発揮する逞しい声音。
私は返事をする。
「なぁに~」
「来て!」
教室の入り口から、来いとジェスチャーされる。海外だと挑発になるやつ。
「これ、女子のみんなから」
そこには、クラスの全員の女子が。
えぇ……みんな、おおげさだな。
「頑張ってね!」
ゆきえが、ガッツポーズをして、代表で私にと小さな袋を手渡す。
「開けても?」
周りがいいよ、と言ったから私は袋を開けた。
なかには手作りの、布で作ったお守りが。
「ウチらでつくったの。帰ったら、勝負なんでしょ? 頑張ってね☆」
サケノがウインクした。ほろっと涙が出てきて、みんな、ありがとぉ、と私は泣き声で礼を告げた。
にぼし、いや、片口さん……
帰り道。
頭の中で、何度もシミュレートする。
ああん、そもそも何て呼べば良いの?
泣き出したいような気持ちを堪えて、鞄の前ポケットに入れたお守りを何度も見る。
うまくいくかはわからない。でも、誰かを好きになることには種族なんて関係ないと思う。
こんなに、愛しい気持ちははじめてだ。
そう、付き合わなくても、にぼし、といや……片口さん?と。
友達にくらいは!
私は手をぎゅっと握りしめて決意した。
帰宅。
ドアを開けて、手を洗い部屋にはいっても、なかなか戸棚に行く勇気がなく、こたつのそばに寝転がって何度もシミュレート。
テスト勉強もこのくらい何度もしたら、もっと賢くなれそうなのだが。
「はぁう~、できるかな」
もらったお守りを握りしめながら何度も深呼吸。
「セグロって、よんでくれ」
耳元で声がして、私はひゃっと跳び跳ね起きた。
にぼし、ううん。
セグロさんの身体が、真横に寝転がっていた!!
「ぴゃああ! しぇ、しぇぐろた……っ」
「セグレタ……秘密な響きだ」
なんで!?
なんでこんなとこに、にぼしが!
私は混乱した。
にぼしが、セグレタとか言い出したことも、ここに居るのにも。
心のなかが、にじんでしまったのかもしれない。まさかテレパシーかなにかが、働いてる?
なわけないか。
「あ、あの……」
私が何を言い出すかも考えずに口走ると、にぼしは横たわったまま言う。
「片口セグロ、そう呼んで欲しいんだが」
「セグロ、さんは、どうして、ここに。戸棚で袋詰めされていたはずじゃあ」
ばっくんばっくんと、心臓がなっている。
「にぼし、というのは、俺の固有な名前じゃない。人間、と呼ぶようなもの」
セグロさんは、私に説くようにしゃべる。
「あっ。
ごめんなさい!
でもお名前をお聞きできて、嬉しいです。
あの、私、まず、どうしてあなたと、こんな、ふうにお話して……」
「それほどにぼしに対して想いを向けてくれたということ、嬉しく思う。
だから気がついたんだよ。熱心に袋を見ている子がいるなって」
やっぱり、間近でみるセグロさんはカッコいい。私は改めてそう思った。
お守りを握りしめて、
言うぞ、と決意する。
「私、あなたが……」
「ま、セグロも固有名詞ではないが。他に、名前がないんだ。……え?」
「あ、あああ」
カアアと顔が熱くなる。
ほんとは逃げ出したいけど。
ええい! やけよ!
「セグロさん、好きですっ!」
彼は、見開けない目のかわりに、 ただ黙って聞いていた。
拒絶が怖い。
きみは人間だとか、無理だと言われるかもしれない。にぼし子さんとお似合いかもしれないけど。
「お願い……想いだけでも聞いてほしいんです」
「わかった」
――それは激しい雨の降る日だった。
学校に行くために知らない場所に引っ越してきたばかりでの慣れない独り暮らしで、まだ周りにも馴染めない頃。
家庭科の成績が悪くて居残りしていたら、帰り際雨がひどくなってた。
視界のよくないなかで泣きながら帰宅しようとしていた私は、うっかり普段と反対の道に進み、道に迷ってしまった。
それだけじゃなかった。ぬかるんだ道に足をすべらせて、すべった私は、そこに前のめるように倒れた。
「いたーい……」
雨足は強くなる。
帰るどころか、私は疲弊してしまい、心が折れかけていた。
いつのまにか、くじいた足を引きずり、学校に引きかえそうそこで休ませてもらう方がいいと判断して逆方向へ向けて歩く。
横を、すごい速さでトラックが走ってきた。
「きゃっ!」
私はビックリしてまた転びそうになり、なんとか踏み留まりながら歩道の白線から出ないよう、ゆっくり歩いた。
「あぶないなあ、もう……」
――いいですか。
味噌汁くらい作れないと、卒業なんてできませんわよ!
先生の言葉が脳裏に浮かぶ。
今日は、なんなのよぉ。
そうこぼしそうになったタイミングだった。
足もとの道が崩れていた。道路が、割れていた。行き止まり、と看板がある。
「嘘……」
転んだことで引き返すのを忘れて、また同じ道に来ていたとやっと気がつく。
そして、この道からは帰れない。
もう60分は歩いたのに……
「とほほ」
私は自分にあきれながら、また歩き出す。
近くには家も何もない。
気温がさがってきており寒さが私の熱を奪っていく。
ここは田舎で帰り道が山の中だ。すぐコンビニが見つかるとこじゃない。
かじかんだ手足。
思考がうまく回らなくなってきた。
これは、まじでやばい。
もしかして、もう死ぬのか。
生きてるうちにお味噌汁くらい、作れるようになりたかったな……
空はだんだん暗く影を増していった。
一人で暗闇の中をずっとあるく。もはや歩いてるのか、身体がゆれているだけなのかわからない。
ふっと意識が遠退き始めた頃。
背後から車の音。
え、嘘。
わざわざこんなところに人が来るわけがない。
数メートル先から、窓の向こうでぱくぱくと口を動かす男の人。
「え? なに?」
私は夢中でそっちに向かった。もはや頭がまわらなかった。
せめて、一瞬、誰かとふれあって死のう……
「きみ、大丈夫だったー? あのさ、さっき俺の車の横でこけてたでしょ!」
停車すると、そこから駆け寄るのは梅雨の空の暗さには似合わないくらい少し日に焼けた、健康的な青年。
さっきから、大丈夫だったかと私に聞いてたらしい。
「あぁ、はい……」
「良かった! 俺味噌汁持ってるんだけどさ!」
そう言ってあたたかそうな水筒をこちらに渡そうとしてくる。
「え? あのっ」
「この辺ややこしいからなー。この雨で、道間違えちゃったんだろ」
「はい」
ずいぶん自分のペースで話す彼は、自分が濡れるのも気にせずに味噌汁をひたすら押し付ける。
「冷えたでしょ。な? あったかいもの飲んで、頑張って帰りな」
「は、はぁ」
「俺はこの崖に用があるから、送れないけど」
「あっ田中さーん、生きてますかー?」
彼は走っていき、崖に、やまびこみたいに声をかけている。エコーさんは返事をしない。
「あ……あぁ……」
流れで手にした銀色の水筒。開けたら、ほかほかと湯気がたっていた。
ごくっと、味噌汁より先に唾を飲む。
「飲んじゃいなー! イエイ! 熱々だよーん!」
田中さんと私に交互に話しかける青年。
「はい……」
「毒は入ってませーん! ついでに俺口つけたりしてないからご安心を! うちの母ちゃんに証言とれるんです」
「へぇ」
お母様を存じない。
つまりあの人は、私に渡すためだけに味噌汁を作ってきたのか。
なんてことだ。
「田中さーん!」
青年が元気よく声をかけている。何があったかは知らないけど、田中さん無事だろうか。
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