双子の決意
緊急の会議という名目で貴族達を招集し、レンは上座から会議室を見渡す。流石に王子直々の命令を無視する者はおらず、宰相のスティーブを始めとした上級貴族や大臣のジェネセルなど、現在黄の国を動かしている有力者達が一堂に会していた。
「王子殿下。いかがなさいましたか」
スティーブが口を開く。いきなり呼び出された不満と動揺を感じていた貴族達の気持ちを代表する言葉が響き、招集をかけたレンへ一斉に注目が集まった。
さて。まずはここからだ。
注がれる視線に臆せず、レンは落ち着いた態度で告げる。
「黄の国騎士団を以って、青の国を滅ばせ」
唐突な侵攻命令にざわめきが広がる。一時の混乱が治まった頃、ジェネセルが疑問を呈した。
「何故青の国へ侵攻を?」
長年争ってきた緑ならともかく、政治的な諍いのない青の国に攻め込む理由は何か。尤もな質問を受けたレンは用意しておいた答えを返す。
「青の国が黄の国を陥れようとしているからだ。青の王子カイトは黄と緑の関係に亀裂を入れようと画策し、あわよくば緑も手に入れようとミク王女へ婚姻を迫っていた」
国際問題と扱いつつ、色恋沙汰が原因だと含ませて説明する。青への侵攻は王子の我が儘によって行われたと思わせられればそれで良い。とにかく貴族達を上手く乗せて戦争を起こすのが目的だ。
「最強の誉れ高き騎士団ならば、青の国を滅ぼす事は容易いだろう?」
レンの言葉に自尊心をくすぐられ、色めいた貴族達は再びざわめく。
青の国は大陸の戦いと関わって来なかった故か、軍事力は黄や緑に比べると遥かに劣る。海に囲まれた土地柄、他国の争いに巻き込まれる事も攻められた事も無く、文学と工芸に力を入れて来た。
自衛のみ行う軍が戦う相手は小規模な海賊程度。戦いの経験は大陸二国に遠く及ばない。
戦争で功績を立てれば名を知らしめられる。しかも侵攻するのは平和主義の青の国。負ける要素は皆無と言って良い。それにあの島国を領土に出来れば戦略的にも有利になる。
甘い餌に食らいついた連中に手ごたえを覚え、同時に冷めた心境でレンは大人達を眺めていた。
するべき事を怠り、目の前の利益に群がる上層部。これが黄の国の内情だ。現在の騎士団がまともに戦えないのは想定済み。とりあえず最初の内だけ喜ばせておけば、後は勝手に自滅してくれる。
「恐れながら、青の国への侵攻は慎重に検討なされた方よろしいのでは?」
ジェネセルが反対意見を述べる。おそらく彼ならそう言うのは予想出来ていたし、その後の展開もレンは予測していた。
「何を言うか。青を放置すればいつ緑と組まれるか分かりませんぞ!」
「手遅れになる前に打って出るべきだ! このままでは大陸の危機になる!」
他の貴族が反論して侵攻を推進する。それが呼び水となり、会議室はたちまち熱気で包まれた。
「臆病風に風に吹かれたか、ジェネセル大臣!」
「我が国の騎士団が負ける訳が無かろう。瞬く間に青の国を制圧可能だ」
「レン王子は青の国が滅ぶのを望みとしている。ならば青の王族全員を討ち取り、その首を捧げてみせようぞ」
始まったな。
家臣達がそれぞれの考えを口にする有様を目にし、レンは思惑通りになった事を確信した。この状況になってしまえばもう手出しをする必要はない。
形ばかりでも毎日の会議に出席していたレンは、大人達がどんな流れで決議を行うかを理解していた。連中は王子がいないかのように扱って話を進め、そして結局は自分達の都合が良くなるようにして終わらせる。
つまり、王子に権利を与えずに責任を押し付けているのだ。レンはその状況を利用し、貴族達が自らの意志で青に侵攻するよう仕向けた。
乗せられるかどうか不安だったものの、まさかこんなあっさり嵌るとは思わなかった。実は意図が見抜かれていて、こちらが逆に謀られているのではないかと疑心が湧いて来る。
レンが平静を装って物思いにふけっている内に、貴族達は侵攻を行う方針で話をまとめていた。会議が終わり次第準備に取り掛かると決定し、スティーブが確認するように尋ねる。
「騎士団の全兵力を投入し、我が国の雷名を轟かせてみせましょう。宜しいですな、王子殿下」
横柄な態度には相変わらず神経を逆なでされるが、レンは静かな声で返した。
「黄の国王子レン・ルシヴァニアの名の下に命じる。騎士団の勢力を以って、青の国を滅ぼせ」
やはりこいつらは騎士団が未だに最強であると勘違いしている上、よっぽど手柄を自分達だけのものにしたいらしい。一般兵や国民を動員されたら元も子も無いと心配していたが、杞憂に終わって何よりだ。
会議が終了し、貴族達が意気揚々に退室していく。栄誉に目が眩んでいる大人を見送り、レンは最後に席を立つ。
やっぱり、あいつらは国の為になんて考えちゃいないんだな。本当に国を思う気持ちがあるのなら、無意味な侵攻はやめるよう王子に進言するべきだろうに。
今更か、と連中に対する評価を再認識し、レンは会議室を後にした。
「スティーブ殿」
レンが自室へ向かっている頃。スティーブは呼び止められて振り返る。宰相に声をかけた人物を認め、一体何の用だと問いかける。
「どうした。ジェネセル大臣。侵攻を止めるよう説得でもしに来たか?」
口調には嫌味が込められている。自分に逆らう事は王子の命令に逆らうのも同じ事だと伝えていた。
「……いいえ。私は決定に従います。宰相殿に青の国の事でお伝えしたい話が……」
「ふむ……。何だ、言ってみろ」
回廊に人気は無い。しかしジェネセルは辺りを見渡して人がいないかを確認し、それでも声を潜めて言う。
「青の王子について少々興味深い話を耳にしまして……」
続きを耳打ちで伝える。情報を聞かされたスティーブが目を大きく開き、小声で聞き返す。
「……それは事実か?」
「裏は取れています。本人が話していたので間違いは無いかと」
「成程な。だから王子殿下は連れて行ったという事か……」
くつくつと一頻り笑い、スティーブは既に離れていたジェネセルに顔を向ける。
「報告ご苦労。青への侵攻は非常に楽になりそうだ」
レン、大丈夫かな……。どうして一人で背負い込んじゃうんだろう。王宮に独りぼっちでいる訳じゃないのに。
使用が終わった会議室を箒で掃きながら、リンは思い詰めている弟の事を考える。この部屋は中庭程広くは無いので、掃除は基本的に一人で担当する事になる。慣れない頃はリリィに手伝ってもらっていたが、今ではこうして考え事をしつつ手を動かせるようになっていた。
父上も母上もいなくなって取り残されたあの時とは違う。周りの人間がみんな敵だった時期はあったのだろうけど、現在のレンは独りじゃない。
リリィや近衛隊のトニオとアルのように、レンを大切に思ってくれる人がいる。守ろうとしてくれる人がいる。醜い大人達だけが傍にいる訳じゃない。
「……怖いのかな。やっぱ」
この六年間、レンは宰相や貴族達に散々利用され裏切られて来たのだろう。そんな環境に晒されていたら、大人に対して不信感が根付くのは当たり前だ。信じれば傷つけられる。なら最初から疑ってかかる。信じるのを諦める。
レンはおそらく人を信じる事に恐れを抱いて、そのせいで人に頼れずにいる。
人間不信に陥った後、再び人を信じられるようになるにはどれ程難しいか。手を差し伸べられているのに気が付いていても、その手を取るには勇気がいるのだ。
リンは作業の手を止め、会議室の壁をぼんやり見つめる。
「言わなきゃ」
掃除が終わらせたらレンに会いに行こう。貴方は孤独ではないのだと、助けを求めれば必ず応える人がいると話そう。何なら双子の姉がここにいると打ち明けよう。始めは戸惑うかもしれないけど、レンなら話を受け入れてくれる。
小さな決意を胸にした瞬間、心が急に軽くなったのをリンは自覚する。緑の王宮でレンとミク王女の会話を見てから続いていたわだかまりが薄れ、すっきりした気分を久々に味わっていた。
善は急げと止めていた手を動かし、迅速に作業を進める。休んだ分を埋められる所か普段よりも早めに終わらせて、リンは掃除したばかりの会議室を眺めた。
「うん。良し」
これで終了だと笑顔になった直後、扉が開く音が聞こえた。誰が入って来たのかと振り返る。
うわ……。何でこんな時に……。
部屋の入り口に姿を見せたのはスティーブ。弾んでいた心が急激にしぼみ、代わりに不快感が湧いて出た。
胸の中を締め付けられる感覚がする。動悸が耳に響く。会議が終わってさほど経っていないのに何故また戻ったのか。意味が分からない。
扉が静かに閉められる。スティーブがつかつかと近づいて来るのを目にし、リンは慌てて道を開けた。迫るスティーブから質問が飛ぶ。
「貴様、何をしている」
何を? 仕事で部屋の掃除をしているのだ。宰相の邪魔にはなっていないはず。
答えを待たずにスティーブが立ち止まる。正面に立たれて見下され、リンは息を詰まらせた。
背筋が寒い。首筋の毛が逆立つ感覚がする。この場から逃げろと本能が叫んでいるのに、恐怖が足を動かす事を許さない。
「答えられないか。それとも答えたくない事情でもあるのか?」
威圧をされてじわじわと追い詰められる。背中が壁に当たった。
この人は何を言っている?
嫌な予感が頭を支配する。極度の緊張で口の中が渇く。鼓動がうるさい。
「どうやって生き延びたのか分からんが、あの小僧と同じで悪運の強い事だ」
まさか……。
宰相が嘲笑を浮かべ、確信を得たリンは瞬時に体の芯が冷え切った。
「リンベル。いや、黄の国王女リン・ルシヴァニア!」
怒鳴り声と共に首を掴まれる。そのまま壁に押し付けられて全身に衝撃を与えられた。
「かはっ!」
肺の中の空気を一気に吐き出し、リンは短い声を上げる。震える両手を上げてスティーブの腕を掴み、歯を食いしばって睨みつける。
ばれていた。でもいつ? 知っていて放置をしていた? ならどうして……。
リンの視線を受け、スティーブは口元を歪めて語り出す。
「貧民街もろとも始末したつもりでいたが、助かっていたとは予想外も良い所だ。お前を消せなかったのみならず、あの王子に苦汁をなめさせられる事になったのだからな」
こいつ、とリンはスティーブに怒りを覚える。たった一人を殺す為に貧民街に火を放ち、大勢の人達を巻き込んだのか。どこまで腐っている。
「上手く隠していたな。名前を変え、王族貴族の証であり誇りである名字を捨て、平民として生きていたとは。尻尾を掴むまでは半信半疑だった」
首を絞める力が強くなる。リンは思わず手を緩め、名字を捨てるなどあり得ないと言う声を聞いた。
「だが他人になりすます事は出来なかったようだな。監視に付けた騎士から報告を受けた時、お前が王女であるのと断定した」
「何、を……」
否応なしに声が掠れる。騎士を付けたと言えば緑の国へ行った時だ。護衛ではなく監視が目的だったのか。
「お前、千年樹の森で王子を名前で呼んだらしいな?」
死刑宣告に等しい言葉を告げられ、リンの目が一瞬で絶望に染まる。唐突に圧迫感が消えて楽になり、リンは崩れるようにへたり込んだ。貪るように空気を吸い、首を押さえて咳き込む。
そうか。宰相は王子かメイドのどちらかが尻尾を出すのを見込んで、息がかかった騎士をレンの護衛に付けたんだ。だからあの騎士はわざとはぐれて、私とレンが二人きりになるようにしたんだ。
うかつだった。レンは私を平民の侍女として扱ってくれていたのに、私のせいで台無しになってしまった。
打ちひしがれるリンに冷酷な声が降る。
「王子殿下は青の国を滅ぼす事を望みだ」
「なっ……」
嘘だ。レンがそんな命令を下す訳が無い。何かの間違いに決まっている。
「違う……。王子は戦争なんて望んでない!」
リンの叫びを鼻であしらい、スティーブは会議の内容を簡潔に話した。
「青の王子がミク王女を奪ったとお怒りでな。直々に命を下された。既に侵攻の準備を行っている」
残酷な事実が耳に届き、リンは首を小さく横に振る。
「違う。そんなの……」
弱々しく否定しても緑の王宮での出来事が脳裏に浮かぶ。レンを信じたいのに、心のどこかでは認めている。
「カイト王子を殺せ。知り合いのお前なら容易に近付けるだろう」
嫌だ。そんな事は出来ない。王女だとばれていなければそう言えた。失うものが無ければ断れた。
だけど。
「これは黄の国の為。何より王子殿下の為だ」
駄目だ。従わなくてはレンに手を出される。レンだけじゃない。リリィや近衛隊の人達、キヨテル達にも危害を加えるとスティーブは脅している。選択肢など用意されていない。
どんなに嫌がっても命令を拒む事は出来ない。リンは拒絶の意志を殺し、了承の返事を絞り出すしかなかった。
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