第三章 千年樹 パート 4

 ハクはその後、自宅に戻るまで結局一言も言葉を発しなかった。重たい沈黙を感じながらミクはハクに続いてハクの自宅に再び侵入し、そして自宅の扉を閉めた。ぱたん、という小気味の良い音がミクの耳朶を軽く打つ。そのままドアノブから手を話したミクは、うな垂れたままのハクの背中を見つめた。一体、どのような言葉をかければいいのだろうか。立ちつくしたままのハクを見ながら、ミクは慰めの言葉を選択しようとしてしばらくの間思案した。その時、ハクが口を開く。
 「・・ごめんなさい。変なところを見せて。」
 「・・いいえ。」
 こんな言葉しかないのかしら。ミクは思わずそう感じた。こんな時、どんな声をかけたらいいのか分からない。
 「あたしだけなの。」
 ハクが声を震わせながらそう言った。
 「ハクだけ?」
 「そうよ。皆綺麗な緑の髪なのに、あたしだけ、汚い白髪。」
 ハクはそう言いながら、ミクに振り返った。その瞳に映るものは絶望。暗く落ち込んだその瞳を眺めながら、ミクはこう答えた。
 「そんなことはないわ。」
 「慰めはやめて。同情なら、いらないわ。」
 卑屈に、ハクはそう言った。その重い言葉にミクは絶句する。ハクは応えの無いミクに対して何の感情も湧かない様子で、そのままテーブルに置かれているハルジオンを眺めると、その白い花びらに指を触れさせた。まるで自身の恋人の様に愛おしくハルジオンの花びらを撫でていたハクは、続けてこう言った。
 「せめてあたしの髪も、このハルジオンの様に美しかったら良かったのに。」
 そう言った瞬間、ハクの両目から涙が零れた。滴となった涙がハクの頬を伝わり、白磁の様に美しい顎を伝わって床へと落下してゆく。その様子を見て、ミクは言葉で伝えることは不可能だと感じた。野に咲くハルジオンよりも美しいあなたに、自分の美しさを気づいて欲しい。ミクはそう思い、ハクを思いっきり抱き締めた。突然の行為に戸惑いの色を浮かべたハクに向かって、ミクはこう伝える。
 「そんなことはないわ。あなたは誰よりも美しい人よ。」
 「・・嘘。」
 濡らした瞳を拭うこともせずに、ハクはそう言った。その言葉に対して、ミクはこう答える。
 「嘘じゃないわ。あなたの髪は、あなたの肌は、野に咲くハルジオンよりもずっとずっと、美しいから。」
 その言葉に、今度はハクが沈黙した。再び溢れ出した涙をどう処理したらいいのか分からずに、ハクはそのままミクの胸に顔をうずめる。白い髪を美しいと言ってくれた人は生まれて初めてのことだった。その言葉は甘く、優しく、ハクの傷ついた心を包み込んでくれる。何かが満たされて、そのまま溺れてしまいそうな感覚をハクは覚えた。涙が止まらなかった。そのハクの頭の上に、ミクの心地よく冷たい手が載せられる。冷たい手の人は心が温かいという話は本当だったのね、とハクが感じている時、ミクはもう一度、口を開いた。
 「ハク、私の街においで。」
 「え?」
 ミクの突然の申し出に意味をよく理解できないまま、ハクはそう答えた。
 「この村にいても辛いだけでしょう。だから、私の街においで。私の街には、あんなに酷いことを言う人なんていないわ。」
 「でも、迷惑をかけるわ。」
 ミクの胸から顔を離したハクは、ミクの深く優しい緑の瞳を見つめた。まるで穏やかなマリンブルーの様な瞳を一つ瞬きしたミクはこう答える。
 「迷惑なんかじゃないわ。それに、私、皆に見てもらいたいもの。ハクの美しさを、皆に。私の国にはこんなに美しい人がいるのだって。」
 「あたし、そんなに、綺麗じゃないわ。」
 そう言いながら、心が躍るような感覚をハクは味わった。卑屈な言葉ではなく、恥ずかしそうに遠慮するように述べたハクに向かって、ミクは笑顔でこう言った。
 「綺麗よ。だから、一緒においで。」
 綺麗。その言葉を言われた瞬間に、ハクは恥ずかしさで頬を染め、そしてこう言った。
 「・・ありがとう。」

 その後すぐに、ミクとハクは手分けしてハクの出立の準備を整えることにした。衣装や身の回りの品を簡単に梱包してミクの愛馬の背中に括りつけてゆく。このような作業はミクもハクも得意ではなかったが、それでも小一時間も経過する頃には一通りの荷物がミクの愛馬の背中に納まることになった。ミク以外の存在を背中に載せることは不本意なのか、愛馬は僅かに不満げに鼻を鳴らしたが、それ以上の抵抗はせずに素直に荷台としての役割を果たしてくれる様子だった。その作業が終わると、二人は遅めの朝食を取ることになった。誰かと一緒に食事をするなど、ハクにとっては両親が他界してからは初めての経験だった。朝食の席で楽しい会話をミクと交わしながら、ハクは心が自然に躍り始めたことを自覚した。生まれてから今まで、この村を出る日が来るなど想像もしたことが無かったハクだったが、今は新しい土地で生きてゆくことに対する期待感の方が新生活に対する不安を上回っていた。何より、ミクが一緒にいる。二人なら、何が起こっても大丈夫だと確信させる何かをミクは持っていたのである。
 「じゃあ、行きましょうか。」
 朝食が終わると、ミクはそう言った。その言葉に頷いたハクは立ち上がり、ミクと共に自宅を出る。自宅を出た瞬間、もう戻って来ることもないだろうと考え、僅かな寂しさをハクは感じたが、それは一瞬のことに過ぎなかった。それでも長年暮らしてきた自宅に対する感謝の気持ちは忘れず、一つ自宅に向かって一礼をしたハクは、扉を閉めると机の上に飾ってあったハルジオンを自宅の前に立てかけた。お別れの品のつもりだった。その儀式を終えると、ハクはミクと連れだって歩き出す。ミクの右手には愛馬の手綱。ミクに引っ張られるように歩き出した愛馬と共に、村の入口へ向かって二人は歩き出した。その途中、村の中央にある二層建煉瓦造の礼拝堂の前を通過した時、二人は老女の声に立ち止った。
 「二人でどこに行きなさる。」
 少しくたびれた緑の髪を持ち、木の年輪のような深い皺をその顔に刻んだ老女は、その年齢とも思えないような張りのある声でそう言った。丁度今礼拝堂から出てきたところなのか、礼拝堂の目の前にその老女は立っていた。
 「大婆様。」
 ハクは悪戯を見つけられた子供の様な焦りを含んだ声でそう言った。村を出るにあたって、見つかると一番面倒なことになりそうな女性だったからだ。
 「まさか、村を出るなどと言わないだろうね。」
 一歩近づいた老女は、再び張りのある声でそう言った。
 「そうよ。」
 それに対して、ミクがそう答える。
 「主は昨日迷い込んだ者じゃね。」
 「ええ。」
 「悪いことは言わん。主はこの村に留まった方がいい。」
 何かを警告するように、老女はそう言った。
 「申し出は嬉しいけど、私は自分の居場所に戻らなければいけないから。」
 「主の役割は分かる。噂通り、責任感の強いおなごじゃな。」
 「私のことを知っているのかしら?」
 ミクは僅かに眉をひそめながらそう言った。無用の混乱を招きたくなかったからこそ、敢えて身分を隠していたのに。
 「わしに分からないことはないよ。」
 不敵にそう言った老女の表情を見ながら、ミクはほんの少し嫌な感覚に陥った。昨晩感じた真水のような息苦しさ。老女の登場から発生したその密度の詰まった空気がミクの呼吸を僅かに荒くした。
 「でも、私はハクを連れていくわ。こんな村にハクを置いておけないから。」
 「ハクか。」
 老女はそう言いながら、ハクの姿を眺めて、そしてこう言った。
 「ハクは全てを知る立場にある。それも運命かも知れんな。いずれ、再びこの村に訪れることもあるだろうが。」
 老女はそう言い残し、寂しげな表情で笑みを浮かべると、そのまま立ち去って行った。再び静寂を取り戻した村の中で、ミクはハクに向かってこう尋ねた。
 「あの女性は?」
 「大婆様よ。ビレッジの中で一番ご高齢の方で、もう百年近く生きていると言われているわ。」
 「そう。」
 そう答えながら、ミクはふと湧きおこった不安に飲み込まれそうになっていた。なぜか、老女の言葉に真実が含まれているような気分に陥ったからだった。だが、今はそのことを気にしている場合でもない。心に小骨を一本ひっかけたような感覚はどうにも気になるが、とにかく村を出て、緑の国へと帰還しなければならないとミクは考え、ミクは村の入り口になっている二本の大イチョウへ向かって歩き出した。

 その頃、グミは魔術の痕跡を探りながら迷いの森の捜索を続けていた。注意深く観察すると、深い森の所々に魔術の痕跡があることが確認できる。その一つ一つを踏みしめるように、グミは森の更に奥へと歩んで行った。それから数時間後。グミはようやく千年樹のふもとへと辿りついたのである。
 「立派な木ね。」
 偶然にも昨日のミクと同じ様な感想を持ったグミは、そこでもう一度周囲を見渡した。今度は魔術の気配がない。どうやら終点らしい、とグミは考えて、さてどうしたものか、と思案した。果たしてミク女王はこの千年樹まで到達したのだろうか。魔術の使用できないミク女王がここまで到達する確率を検討してみる。グミは魔術の気配を感じながらここまで来た。その間に通過したワープの魔術の様に位相が狂っているポイントはいくつあったか。少なくとも、相当低い確率になるはずであった。とにかく、周囲を探してみよう、とグミは考えて、場当たり的な方角へと向かって歩き出そうとした時、複数の足音に気が付いた。人が二人と、馬が一頭。足音だけでそう判断したグミは何者か、と考え、身を隠すかとも考えて、やめた。仮に敵だとしてもグミの魔術に対抗できる人間はざらにはいない。むしろミク女王の情報を持っている人間かも知れない、と考えて千年樹のふもとで待つ。そして現れた人物の姿を見つけて、グミは思わずと言った声を上げた。
 「ミク女王!」
 そう、現れた人物は見事な緑髪をツインテールにした、緑の国の現女王、ミクであったのである。
 「グミ。どうしてここに?」
 驚いたのはミクも同じだったらしい。驚愕に目を見開いたミクはグミに向かってそう言った。
 「ミク女王の探索に。何かあったのではと心配しておりました。」
 「心配かけてごめんね。ネルは?」
 「ネル殿は森の入り口で待機していらっしゃいます。この森を複数人数で探索することは危険だと判断致しました。」
 「的確な判断だわ。怒っていた?」
 「いいえ。ただ、相当焦っておりましたが。」
 「ネルらしいわ。」
 ミクはそう言うと、ハクに向かって笑顔を見せた。
 「ハク、この人はグミ。私の国の魔術師なの。」
 「ミク、あなた、一体何者なの?」
 戸惑った様子で、ハクはミクにそう言った。グミと名乗る、これまた立派な深い緑髪の少女は今なんと言ったか?
 『ミク女王』
 「騙すつもりはなかったの。でも、余計な混乱をさせたくなくて。」
 悪戯っぽく笑ったミクは、ハクに向かって更に言葉を続けた。
 「私はミク。緑の国の女王よ。」
 「あなたが・・ミク・・さま?」
 呆然と唇を半ば開いた状態で、ハクはそう言った。
 「そう。驚いた?」
 「はい。驚きました。でも、その、あたしなんかがミクさまとご一緒なんて・・。ご無礼、申し訳ございません。」
 自分でも混乱していることを自覚しながら、ハクはそう答えた。千年樹の妖精の様に見えて、初めてハクを綺麗と言ってくれた優しい人であり、そして本性はこの国の統率者であったなんて。自らがいた世界がミクを媒体として次々と広がってゆく様子に、頭の処理が間に合わないのである。
 「ミク女王、そちらの女性は?」
 困惑したように立ち止っているハクに向かって、グミはそう訊ねた。
 「彼女はハク。私を助けてくれた恩人なの。王宮の女官として仕えてもらうつもりよ。ハク、どうかしら?」
 改めて問われた質問に、ハクは緊張したように唇を舐める。
 「そんな、恐れ多すぎます。それに、あたしなんかが王宮にいても、何のお役にも立てません。」
 礼儀作法だって知らない。何より、王宮にはきっとあたしよりも美しくきらびやかに着飾った女性が多数いるのだろう。そんな中でハク一人が向かうことに不安を感じたのである。
 「大丈夫よ。緑の国には堅苦しい人間はいないから。ね、グミ?」
 ミクはハクの心配を和らげる様にそう言った。問われたグミは苦笑しながら、こう言った。
 「ネル殿が聞いたら拗ねてしまいそうなお言葉ですね。」
 「そうね。ハク、私の国に来たら分かるわ。礼儀作法ならゆっくり覚えてくれたらいいから。だから、一緒に行きましょう、ハク。」
 その優しい声と瞳に、ハクは心揺さぶられる思いを味わった。そして。
 「はい。分かりました。ミクさま。」
 次は苦手な笑顔で、ハクはそう答えた。
 こうしてハクはミク女王の女官として仕えることになったのである。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑩ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「やってきました、第十弾です!」
満「ようやくハクが村から出たか。」
みのり「時間かかったね~このペースだといつ終わるのかしら?」
満「前作『悪ノ娘』が28までかかったから、30弾は余裕で越えるだろうな。」
みのり「40弾近く行くかしら?」
満「かもな。」
みのり「でも、次回くらいからは前作『悪ノ娘』のストーリーに戻るんでしょ?」
満「まだだ。」
みのり「え?」
満「本格的に書きなおすつもりになったらしい。このまま全く違うストーリーになるかもしれない。楽曲からは離れないから、結末は変わらないけど。」
みのり「うわあ、大変だね。」
満「そうだな。ま、レイジにはもう少し頑張って貰うか。」
みのり「そうだね!じゃあ次回投稿をお待ち下さいませ!多分今日もう一本いけると思います☆」

閲覧数:369

投稿日:2010/03/07 09:32:00

文字数:5,331文字

カテゴリ:小説

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