「何か言い残す事はありますか?」
舞台は先程の居間に戻り、ぐみから借りた衣服を身に纏った流架は開口一番にそう言った。手には楽歩から剥ぎ取った木刀を握り締め、目にはこれ以上無い程の憎悪と侮蔑を宿らせて、目の前で正座する二人の男子を見下ろす。少し離れた所には、静観しつつもちゃぶ台に置かれた人参のサラダをぽりぽりとつまみ食いするぐみの姿もあった。
「ちょっと待って、言い残すって…?」
控え目に手を上げ、海斗が恐る恐る尋ねる。それに対し、流架はまるで某油虫を見るかのような目付きで海斗を見下し、南極大陸の気温より冷たい、絶対零度の声音で淡々と言い放った。
「最後に残す言葉があるかと聞いているんです」
「さ…最後?」
「まさか、あのような事をしでかして生きて帰れると思っていたんですか?」
生々しく甦る、忌まわしき記憶。思い出した事で再び湧き上がってきた憤怒が、思考回路を真っ赤に焼いていく。
不意に、今度は楽歩がゆっくりと手を上げた。
「る…流架殿! 勝手に浴室に進入した海斗殿は解せるが、何故我まで…?」
「ちょ、がっくん!?」
さり気無く自身の無罪を主張する楽歩に、海斗が非難、もとい悲鳴を浴びせる。
「裏切るなんてヒドイよがっくん! 僕だけに罪を押しつけようと…」
「最初から最後まで海斗殿の落ち度だろう! それに、風呂を使う時は先客が居るか確認してから入ってくれと言った筈だぞ!」
「だって! バイト帰りで疲れたし、ご飯の前に風呂に入りたかったし…」
「もういいです、見苦しいです」
ぎゃんぎゃん言い争う二人の間に、感情の篭らぬ流架の声が通る。沸騰していた所に突然冷水をぶっかけられたお湯のように、途端に静かになった二人を一瞥してから、流架は、すっ、と木刀の先端を持ち上げた。そして、丁度二人の目の高さでぴたりと止める。それと同時に、二人の顔から、さぁ、と血の気が引いていった。
「るるるる流架殿! 何故我もなのだ!? 是非とも説明を賜りたい!」
所々噛みながらも、何とか時間稼ぎを試みる楽歩。
だが、
「見たからに決まってるでしょう」
楽歩の最後の悪足掻きは、流架の一言により呆気無く無と化した。
「私は、貴方達が…入浴中の私達を覗いたという行為に腸を煮えくり返らせているんです」
「いや…実際は湯煙でよく見えんかったし、何より我は流架殿の叫び声が聞こえたから駆けつけただけで…」
「少しでも見えたんですね?」
「え」
「一瞬でも視界の隅に捉えたんですね?」
「いや…その、違っ…」
墓穴を掘った。
己の言葉選びを後悔したが、時既に遅し。流架の怒りの炎にとどめの油をたっぷりと注いでしまった楽歩は、真っ青にした顔の近くで降参するように両手を上げる。が、そんな楽歩の訴えなどこれっぽっちも気にせず、流架は一歩二人に近づいた。その時、畳がミシッと悲鳴を上げたのは、気のせいでは無いだろう。
「流架殿、落ち着こう! 取り敢えず落ち着こう!」
「そうだよ! まずは腹を割ってゆっくりじっくり話し合いから…」
「No more discussion!! (訳:問答無用!!)」
と叫ぶと同時に、流架は殺気を纏わせた木刀を渾身の力で振り下ろした。それは奇声のような悲鳴を発して仰け反った二人の間を突き抜け、ドスッと畳に突き刺さった。
「まぁまぁ、流架さんもお兄ちゃんも海斗さんも、先にご飯にしない?」
ずぼっ、と木刀を引っこ抜いた流架に、この惨劇を見かねたらしいぐみがやんわりと制止を促した。くるりと振り返った流架は、何故止める、と言いたげな表情でぐみを見る。
「でも、ぐみちゃんも…」
「ボクは気にしてないよ? 別に見られて減るもんじゃないし」
言いつつも、人参を口に運ぶ手は止めない。そんなぐみに、海斗は彼女の器の広さに感嘆し、流架と楽歩は揃って顔をひきつらせた。ぐみが問題にしていないならそれはそれで良いが、彼女が自分の女性としての魅力に気づいていない事にはそれはそれで問題がある。
「それより、早く食べないとご飯が冷めちゃうよ?」
そこで改めて、流架はちゃぶ台の上に並んだ料理を見回した。ふわりと漂う香ばしい香りが鼻腔を刺激し、くるくるとお腹が空腹を訴える。
「……仕方ありませんね」
ふぅ、と息を吐き出すと、流架は木刀の切っ先を静かに下ろした。ぐみに免じて二人の処刑は延期にしよう、と思い、彼女の隣に腰を落ち着ける。後ろから、よくやったぞぐみ!とか、助かったぁ…とか聞こえた気がしたが、聞こえなかった事にしてあげた。
一食におかずは三品までと決めている節約家の流架に取って、目の前に並んだ料理の数々には圧巻するばかりだった。
ちゃぶ台に並んでいたのは、先程ぐみがつまんでいた人参と鰯(いわし)をお酢で和えたサラダを始め、だし汁の香りが食欲をそそる竹の子の煮物や、豆腐に若布、大根やえのきなど野菜を存分に使った味噌汁、たっぷりとあぶらの乗った鯵(あじ)の塩焼きに、大根おろしとポン酢を混ぜたソースを上から大胆にかけた鰹(かつお)の刺身。
知らずに、流架の喉が鳴る。
「わぁ、今日は豪華だね、がっくん」
「客人の手前、粗末な食卓を見せる訳にはいくまい」
「流架さんグッジョブ! ありがとう!」
いただきまぁす、と四人の合唱が重なる。手始めに、流架は手短にあった鰹の刺身を箸でつまみ、口に運んだ。新鮮な鰹の濃厚さとポン酢の酸味が絡み合い、舌の上で踊る。大根おろしが鰹の生臭さを掻き消してくれているので、幾つでもいけそうだ。
「流架さんどお? 美味しい?」
「すごく…美味しいです」
率直に浮かんだ感想を、飾り付ける事無くそのまま口にする。その返答を聞いたぐみは、まるで自分が誉められたみたいに、ぱあっと顔に笑顔を広げた。
「良かったぁ!」
「うむ、口に合って良かった」
流架の感想に安堵したかのように笑うと、楽歩は漸く自分の箸に手を伸ばした。
そう言えば、楽歩が作ったのだ、この料理は。
思い出した途端、さっき食物が通った喉が、かあっと熱くなった。
「がっくんの料理はしっかり味が付いてて美味しいんだけど、ぐみちゃんの料理もあっさりしてて美味しいんだよねぇ」
楽歩の隣で、青い髪のクラスメイトがもふもふとご飯を頬張る。怒りのせいで忘却の彼方に飛ばされていた疑問が、冷静になった事で再び頭の中に舞い戻ってきた。
「ところで、何故海斗さんがここに?」
その問いの答えを与えたのは海斗ではなく、自分の隣に座っているぐみだった。
「海斗さんはお隣さんなんだ」
「そうなんですか?」
そんな話は初耳だったが、そう言えば楽歩と海斗の二人は毎日一緒に登校していた気がする。
流架の懸念を察したのか、海斗は口に含んでいたご飯をごくんと呑み込むと、空いた口で言葉を紡いだ。
「正しくはお向かいさんかな。僕ん家は向かいの古いアパートなんだけど、両親はいろいろあってばらばらになったし、兄ちゃんは仕事で遠い所に居るから、実際は一人暮らしなんだ」
「だから、我が家で食を共にしているのだ。海斗殿には昔、世話になったしな」
そう付け足し、楽歩は、ずずっと味噌汁を啜った。
楽しかった夕食も終わり、その後は小一時間程それぞれの話をして盛り上がった。最近ぐみに新しい友達が出来たとか、最近食堂メニューの麻婆茄子が意外に美味い事を発見したとか、最近芽衣子が冷たいとか、それは海斗がしつこいくらい芽衣子に詰め寄って行くからだとか。そんな他愛もない話をたっぷり堪能した後、そろそろ片付けようと立ち上がった楽歩を見て、流架も手伝おうと思い腰を浮かす。が、立ち上がろうと机に付いた腕をぐみに取られ、そのまま引っ張られ、断りきれずに畳の上でトランプを広げる羽目になった。既に皿を洗いだした楽歩に申し訳ないような視線を送ると、
「流架殿は客人なのだ。気にせず、ぐみと遊んでやってくれ」
蛇口から水が流れる音と、カチャカチャと食器が触れ合う音に混じって楽歩の声が返ってきた。
「うわああ! またババァ!?」
「海斗さん、次こそボクが上がらせてもらうよ。ボクが勝ったら約束通り、本日の夜食を一つ貰うからね」
負けられない、と瞳に炎を宿らせて、ぐみと海斗は互いの手札を睨む。因みに、流架の手は既に空っぽだ。手持無沙汰な流架は二人を放置して立ち上がると、暖簾の隙間から見える紫色の元へ歩み寄った。
後片付けを終えたらしい楽歩は、平たい皿に山のように盛られたご飯を団扇でぱたぱたと仰いでいた。
「楽歩さん、何してるんです?」
ああ流架殿か、と肩越しに振り返った彼は、手を稼働させたまま律儀に流架の質問に返した。
「余った米で握り飯を作ろうと思ってな。そろそろ二人の小腹が空いてくる時間だろうし」
「晩御飯からまだ一時間しか経ってませんが、そんなに食べれるんですか?」
「二人共、育ち盛りだからな。これくらい直ぐに無くなる」
「はぁ…」
楽歩は冷蔵庫から梅干を取りだし、蓋を開ける。着物の裾を捲り上げ、塩の入った小瓶を掴もうと伸ばした手は、空を切った。きょとんとした楽歩がこちらを見てくるが、そんな事など気にせず、流架は手に取った小瓶をもう片方の手のひらの上で逆さまにし、数回振った。
「流架殿…?」
「暇なので私もやります。その代わり私も食べます」
それなら良いでしょう、と付け足して、塩をまぶした手のひらで白米を包む。せっせと米を握りだした流架をまじまじと見つめてから、楽歩は、ふっ、と破顔した。
「皆、食欲旺盛だな…」
流架に聞こえたら、「私はそんなに食いしん坊じゃありません!」と怒られそうなので、聞こえないように最小限の音量でぼそりと呟き、自らも白米に手を伸ばした。
とは言ってみたものの、開始から三分も経たないうちに、流架は挫折に泣きそうになっていた。海外生活が長く、握り飯とは余り縁が無かった流架に取って、この作業はかなりの困難を極めたのだ。中に入れた梅干は握ると直ぐにご飯から飛び出し、米粒は手にべたべた張り付いて上手く形にならない。
流架は、料理は得意な方だ。
シチューやナポリタンや、ハンバーグステーキだって普通に作れる。だから別に、料理が出来ないとか、料理が下手だとかそんな事は無い。と、心中で
必死に弁解していた流架は、ふと隣人の出来栄えは如何なものかと気になり、ちらりと楽歩の手元を盗み見た。
「……何でそんなに握るの早いんですか?」
「ん、そうか?」
思わず、非難めいた声が出てしまった。そうして会話している間にも、五秒に一つのペースで三角の白い塊が皿の上に列を作っていく。形も、楽歩の倍以上の時間をかけている流架のものより、調っていた。
「大体、男の癖に私より料理が上手いってどういう事ですか?」
「そう言われてもなぁ…夕餉の支度は昔からやっていたし…」
飛び出てきた梅干をご飯の中に押し込みながら、流架は悔しそうに楽歩を見上げる。
「……男子厨房に入らずって知ってます?」
「存じてはいるが、家事は女子だけがするものではないだろう?」
楽歩に負けているのが何だか無性に悔しくて、会話をふって作業を妨害しようとしてみたが、機械のように一定の速度で握り飯を生産しながらも涼しい顔で応答する楽歩には、無意味な悪足掻きだったようだ。
「そうですけど…そんなに何でもかんでもこなされたら、わた…女の立場が無いでしょう。もう少し…」
ご飯をすくおうとしたたおやかな指が、コツンと皿を突く。
「……」
「ありがとう流架殿。お陰で早く仕事が片付いた」
そう言って、楽歩は洗った手をを手拭いで拭い、冷蔵庫から取り出したたくあんを添え、綺麗な三角形といびつな楕円形の握り飯が乗った皿を盆の上に置く。そして、にこりと流架に微笑むと、未だ決戦中の二人の元へ歩み寄っていった。
直後、言い様の無い敗北感が津波のように押し寄せ、流架はその場に、がくっと膝を付いた。
料理は得意な筈だ。筈、なのに何故、自分と楽歩の握り飯の形はあんなに違うのだろう。
じわりと滲んだ視界を振り払うように、流架は、がばっと顔を上げると、遠ざかっていく紫頭をキッと睨んだ。
今度、アイツが目をひん剥くくらい美味しい料理を作って食べさせてやろう、と心に決めた流架だった。
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