UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その17「決意表明」
この時、わたしはちょっと視線を床に落とした。呆れるか、茫然となってポカンと口を開ける両親を想像していた。
目を上げた時、二人とも厳しい表情をしていた。
「証明…、だと?」
「ヨワ、あなた、自分が何を言っているか、分かってるの?」
「分かってる」
もう引き返せない。
「UTAU学園へ行ったら、猛勉強して、いつかステージに立ちます」
両親が引いているのが判った。
「努力したら、誰でも、アイドルになれるって、証明します!」
最後、声が若干上ずってたけど、大きな声を出してしまった。
母は大きなため息を吐いた。
「ヨワ、あなたの言うとおりよ。だから、冷静になって、聞いてくれる?」
母の目は何かを訴えかけるように潤んでいた。
わたしは頷く換わりに口を閉じた。
「今、アイドルと呼ばれてる人たちがほとんど、ボーカロイドなのはなぜか知ってる?」
〔知らない〕
「あなたの言うとおり、人が努力して何かに変わりたいと思っているのに、それが最初から叶わないなんて、決まってるなんて、悲しいことだと思うわ」
〔ママ…〕
母はわたしがアイドルになることに反対ではないように思えた。
「アイドルがあんな人間離れした人にしかできない仕事だとは思いたくはないわ」
母は目を伏せた。
「ヨワ、あなたは、アイドルって何だと思う?」
「歌やダンスで、人に、勇気とか愛とか、届ける仕事」
「ママがあなたくらいの時、そう思ってたわ。でも、本当はそうじゃなかったの」
〔ママ、何を言って〕
「表向きはそうだけど、本当は女の子を食い物にする、酷い、汚い仕事、仕組みなの。アイドルをするくらいなら、男の人の隣に座ってお酒を注いでいる方がまだ綺麗に思える、世界ていうか何ていうか、時代があったの」
母は顔を上げた。視線が怖かった。
「華やかなのは、表向きだけよ。この十数年、アイドルと呼ばれる人がいなかったのは、アイドルという職業が史上最低の職業だと思われてるからよ」
また、母は視線を床に落とした。肩を震わせて。
「何も知らないあなたが、アイドルの上辺だけを見て、無駄な努力をして、汚れていく、それをママは、見たくない…」
母はまっすぐにわたしを見つめた。
「見たくないの!」
うっすらと涙が浮かんでいた。
チクリと、ううん、ズキッと胸に刺さった。
〔そんなにいけないことなの、アイドルになること?〕
その時、テトさんの顔が浮かんだ。
〔ああ、そうだった〕
テトさんの言葉を思い出した。
「でも、努力を続けていた人を知ってる」
あまり強くは言えないけど。
「その人は、信じられないくらい、長い努力をしたの。今はちゃんと、アイドルしてる」
アイドルになることに二十年かかったとは言えないけど。
「その人が示してくれた道を、私は進んでみたい」
「アイドル以外ならなんでもいい。たくさんお小遣いだってあげるし、どんなワガママだって聞いてあげるのに。どうして、アイドルなの?」
「父さんも反対だ」
父が口を開いた。
「お前のいうアイドルは努力すれば誰でも成れるものなのか? 」
「それを目指してる」
「では、なぜ、今、アイドルと呼ばれる人がいないか、わかるか?」
「ボーカロイドがいるから?」
「それは、後付けだ。みんな、もう、失望したのさ」
父は身を乗り出して、両手を広げた。オーバーなアクションだ。
「アイドルは努力している振りをしている。アイドルはみんなに勇気や愛を分け与える振りをして、自分だけが気持ちいいことを独占している。アイドルはお金のためにどんな汚い仕事もする」
父の顔が赤くなってきた。
「お前がやろうとしているのは、一度海の底に沈んでから、世界一高い山に登ろうという、誰も馬鹿馬鹿しくてやる気もしないことなんだぞ!」
父は猛反対だ。でも。
それが、何。
テトさんは二十年努力した。
ボーカロイドたちは小さい頃から努力している。
わたしはまだスタートラインに立ってさえいない。
テトさんよりも時間がかかるかもしれない。
ひょっとしたら、何者にも成れず、人生を、青春を無駄遣いするのかもしれない。
でも。
「かまわない」
父の唇がぎゅっと引き結ばれた。強い視線でわたしを貫こうとしているようだった。
母は両手で顔を隠し、伏せた。
少し間があって、何とも言えない空気が流れた。
母は顔を上げた。両手は祈るように指を組み合わせていた。
母の刺すような視線が痛かった。
母は何かを決めたようだった。ずっと言えなかった何かを口に出すような、決意がこもった視線だった。
その口がゆっくりと開いた。一瞬止まったように見えたのは気のせいかもしれない。
「ヨワが云うことを聞けないのなら」
母の視線が父に移った。
「仕方ないわね」
父は母を見ずに頷いた。
「あなたは今日から」
母の視線が戻って、わたしの頬を叩いた。ような気がした。
「うちの子じゃありません」
初めて、いえ、久しぶりに聞いた。「うちの子じゃありません」って、幼稚園以来じゃないだろうか。
「中学卒業までは家に置いてあげる。でも、掃除、洗濯、炊事、あなたのための家事は一切、しません。すべて、自分ひとりでしなさい。4月までには、家を出て、好きなところに行きなさい」
そう言って、母は台所に向かった。その顔は一切の表情を無くした仮面のように、冷たく強ばっていた。
〔怒ってる。滅茶苦茶、怒ってる〕
私は硬い木の棒に縛りつけられたように動けなかった。
今まで母に怒られたことが無いわけではない。
でも、今のは、これまで見たことがなかった、最強の母の怒りの現れだった。
そして、わたしの生活は一変した。
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