路地裏にある青いポリバケツにライターで火を放ち、燃え盛る様子を二人で眺めていた。
 夜の闇を煌々と照らす炎は、十音の罪を完全に浄化してはくれないけど、これが俺たちなりの禊だった。
 ドラッグ、酒、偽札、タバコ、違法DVD、精力剤、サバイバルナイフ……ごちゃ混ぜになって燃えるせいで、肺が腐るような異臭が辺りに立ち込める。
 この場から立ち去ろうとすると十音は立ち止まり、下着の中に忍ばせていた護身用のナイフとピルケースを炎の中へ投げ入れた。
 遠くにサイレンの音を聞きながら、俺たちは夜の街へ姿をくらました。

 路上ライブで金銭的に余裕ができたため、夜はネットカフェで寝泊まりするよう十音に勧めた。安全である保証はないけれど、以前に比べればずいぶん快適だろう。近いうちに家へ呼べればいいと考えている。母さんたちは怒るだろうけど。
 音楽も続けている。ネットカフェで曲を作り、カラオケボックスで練習する。そして駅前のロータリーでのライブ。立派なスタジオがなくても、俺たちには十分だった。
 最近の十音が作る歌詞は、昭和の少女マンガのような甘ったるさと、彼女の早熟な恋愛観がミックスされた過激なもので、色々な意味でドキドキした。
「初はもうわかるでしょ。童貞じゃないんだし」
 からかうような視線。俺は何も言えず、天を仰いだ。
 他にも、誰もが抱える悩みや厭世感を年頃の少女の目線でリアルに表現した歌詞、そして説得力のある歌声は、以前にも増して人々の心を掴んでいった。
 いつしか十音と共同生活するためだけに同じネカフェに寝泊まりする者まで現れた。地元ではちょっとした有名人になりつつあった。
 全てがうまくいっていた。幸せすぎて、逆にいつか壊れてしまうのではないかと恐怖さえ覚えた。でも今は、ただ十音と一緒にいられる幸福をかみしめていたかった。
 俺の与える温もりが、十音の愛情として返ってくる。俺たちはまるで太陽と月のようだった。

 ライブが終わると、いつも十音はキスを求めてくる。
 それは疲労からくる欲求なのだろうか。とはいえ、キス以上に発展しないこともある。親から餌をねだる小鳥のように、背の高い俺の唇を求めるだけ。
 それは普通のキスとは違って、病的にすら思えた。
 いつまでも俺の唾液を吸い続ける十音を身体ごと引き離す。
「その……苦しくないの?」
 傷つけたくはない。でも、尋ねないわけにはいかなかった。
「むしろ、こうしないと苦しい」
「どういうふうに?」
「喉がカサカサするの。水だと痛いから」
 調子に乗って喉を酷使しすぎたのだろうか。確かに最近はライブの時間も長くなった。
「十音、この世にはのど飴という英知の結晶が存在してだな……」
「初は私とキスするのイヤなの?」
「つまり、のど飴なんか買わずに俺とキスしてればいいという話だ」
 にまーっと笑う十音。主導権を握っているのは明らかに彼女の方だ。でも、そんな関係も悪くないと思っていた。
 再び唇を吸い寄せ合い、次のステップへ移ろうとすると、路地裏に人の影。バカップルを偶然見てしまった通行人であるなら、こちらへ歩いてくることはないだろう。
 一見するとどこにでもいそうな中年男性、しかしどこか尋常でない雰囲気がある。白々しい笑顔を浮かべて、彼は小さく会釈をした。
 不機嫌そうに衣服を直す十音が今にも噛み付きそうだったから、俺が先に声をかける。
「何の用です?」
「失礼、私はこういう者でして」
 差し出された名刺からはまず『探偵事務所』の文字が目に飛び込んできた。思考が停止している間に彼が続ける。
「小森十音さん、ご家族があなたを捜していらっしゃいますよ」
 十音は俺の後ろに隠れて、ぎゅっと服を掴んだ。
「力ずくでも連れ帰れ、と言われていましてね。路地の向こう側のスタッフと挟み撃ちすることも辞さないつもりですよ」
 いつの間にか包囲されていたようだ。他に逃げ道はない裏路地。
「とはいえ、こちらはケンカのプロではないので、手荒な真似はしたくないのも事実です。どうでしょう、ここは穏便に済ませませんか」
 それは提案ではなく脅迫。
 十音は家に帰りたくないと言う。でも彼女が“普通”になるためにはホームレスから抜け出さなければならないのも事実。逃げずに家族と向き合わせる方が正しいのだろうか。
 俺がどうするべきか迷っていると、十音が一歩踏み出し、男を見据える。
「わかった」
「十音……」
「でも、今日はダメ。近いうちに戻るって伝えて」
「具体的には?」
「三日以内。それ以上かかったら力ずくでもいい」
 男はその場で携帯電話を取り出し、通話を始める。相手は十音の親だろう。声を聞かせろとでも言われたのか、男が携帯を十音に差し出す。彼女はそれをひったくり、
「最後に一度だけ顔を見せてやる。絶交を宣言するためにな!」
 そう吐き捨て、携帯を叩きつける。
 地面に転がる携帯を拾った男は最初と変わらぬ笑顔を崩さぬまま、
「報酬の確約は取れましたので、これで失礼しますよ」
 淡泊にそう言い残し、あっさりと引き下がった。
 再び路地が静寂に包まれる。いまだ呼吸を荒くする十音に、俺は声をかけることができなかった。彼女がここまで感情を剥き出しにすることは珍しかったから。
 一体、家族と何があったんだろう。俺は十音のことを、本質的なところで理解できていないのかもしれない。そんな不安が芽生えた夜だった。

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Ruined Princess #06

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投稿日:2010/05/05 21:19:38

文字数:2,243文字

カテゴリ:小説

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