紅茶色クロスロード
陽素多智夫
快晴だ。
雲一つなく、どこまでも青色が広がっている空。
空の真ん中、一番高い位置に存在する太陽の光と熱が、遮るものなく、延々と降り注いでいる。それはここ、イギリスはロンドンの近くに位置する、とある小さな街においても同じ事であった。
小さくとも、沢山の人々が集まり、そして離れて行く。騒ぎが絶える事なく、常に賑わいを忘れない街。
そんな街の一角。同じような造型のアパートや住宅が並んでいるこの地区は、溢れた人の波のせいで、まるで建物と建物の間に道があるかのような、そんな狭さになっていた。
視線を上にやれば、住人が干している色とりどりの洗濯物が、春の風を孕んで旗のようにひらめいている。
そんな街の大通り。人混みの中を縫うように、一人の男と、一人の少女が疾走している。
先を走る男は、薄汚れた、穴だらけのローブに身を包んでおり、脇には女物の赤いバッグを抱えている。背丈は高く、周りの人より頭一つ分抜き出ているが、身のこなしは体格を感じさせない軽いもので、人混みの中を、息を切らす事無く駆けている。
対する少女。
「ちょ……こ、こらっ! ……待てっ! 泥棒っ!」
「お、ミクちゃん。今日も元気そうね」
「おば……お姉さんも元気そうで!」
「おいミクちゃんっ! 後でウチに寄って行きな。おまけするからっ」
「やった! ありがとおやっさんっ」
「探偵のお姉ちゃんっ! 頑張ってっ!」
「うんっ! ありがとうっ」
膝裏まであるツインテールを揺らし、道行く人々に「ミク」と呼ばれる彼女。
少しかかとの高いブーツ、膝上まである長いソックス、ショートのパンツ、ブレザーに大きめの蝶ネクタイ、そしてハンチング帽にはサングラスを乗せている。
ミクが右肩にかけているショルダーバッグには、物が沢山入っているようで、少女が一歩踏み出すごとに紙袋や金属がぶつかる音がし、その重さのせいか、器用に走りつつも、ミクの息は少し上がっている。
「待てって、言ってるでしょーがっ!」
ミクは男を追いながら、そう声を上げる。しかし、男は聞こえなかったのか、無視しているのか、とにかく気に留める様子も無く、走り続けている。
前を走る男は、所謂スリである。先ほど、ミクが街をパトロールと称しカフェとお菓子屋巡りをしていた最中、犯行現場に出くわした。という事である。
「はぁ……はぁ……」
先ほどより呼吸が荒くなってきた頃、ミクの頭頂部分からノイズ混じりの声が発せられた。
『ちょっとミッティ、大丈夫なの?』
ミクよりやや幼めな声が発せられると同時に、ミクの頭上に乗せてあるサングラスのフレームが青く、淡く光る。
「だ、大丈夫よリッちゃん」
『いや、そうは聞こえないんだけど……』
冷静に突っ込みを入れられた。
『だいたい、荷物が重すぎるからでしょ?』
言われて、つい自分の腰辺りまで視線を落としてしまうミク。
「こ、これはっ! 必需品だもんっ」
『ほほう。大量のお菓子が?』
「ちょっとっ! 勝手にカバンの中身見ないでよっ! っていうかいつ見たのっ!?」
慌ててカバンの口を抑えるが、
……いや、そもそも見えるわけないじゃん……。
さらに、サングラスからの、
『あ、やっぱり入ってるんだ』
という声に、完全敗北したことを自覚したのであった。
「くっ……」
軽く歯を食いしばりながら視線を前に戻すと、丁度スリが角を曲がるところだった。
慌てて、追いかけるために進路を変えると、
「おぉっと」
慣性の法則に従い、重たい鞄が大きく振れ、体が持っていかれそうになった。
慌てて体勢を戻し、スリを追いかけ大通りの外れ、裏路地方面へと走っていく。
大通りと違い道幅は狭くなっていくにもかかわらず、建物自体の高さはあまり変わらないため、二、三本奥に入るだけで随分と暗くなる。おまけに、大通りと違い物やゴミを外に出しっぱなしにする人も多くなるため、
「……見通し悪い上に、足場がこれだと……最悪ねっ」
ミクは目を凝らしながら足下に転がっている瓶や木箱を避けつつ、その度に鞄に体を揺らされながらも追いかける。
『……はぁ』
そんなことをやっていると、サングラスから軽いため息が聞こえた。
「……なによ」
返ってくる答えは分かっているが、一応訊く。
『……鞄、軽くしなさいよ』
一語一句違わず、想像した通りの返答だったのが悔しいので、少し考えてからこう返した。
「……た、食べ歩きは、行儀悪いでしょ」
『食べ物前提で話進めないでよ。それ以外のものも入ってるんでしょ? というか、そもそも走ってるじゃない』
「揚げ足取らないでよ。転んだらどうするの」
『あ、それちょっと面白い』
「茶化さないで」
と言った瞬間、前を走るスリが、置いてあった空の酒樽を後ろ足で倒してきた。
「うわっ!」
斜めになり不安定に左右に揺れる樽を、すれすれのところで避ける。
「ちょっ……っとぉ! 本当に転びそうになったじゃないのっ!」
スリに対してキレ気味に叫ぶミク。しかし、スリは声に一切反応する事無く、さっきまでと同じペースで走り続けている。
……なに、あれ。
ミクは、思わず首を傾げた。
……普通、コケそうになったこっちを見てほくそ笑んだり、安心して一気に距離を広めようとダッシュしたりするはずなのに。まるで、最初から私の事なんか意識してないみたい。もしかしたら、樽を蹴ったのも、私に対して足止めを期待してじゃなくて、単に自分にとって邪魔だったから……?
色々と思案するも、理由を決定づけるには、本人に聞いた方が早いと思ったミクは、
……とにかく、今はこいつを捕まえるっ!
さらに走るペースを上げた。
「ねぇ、リッちゃん。このまま走っていったらどこに行くのかな」
気持ちを切り替えたところで、まずは状況の確認と整理をする。
『んー……さっきまでと違って、今んとこほぼ真っ直ぐ走ってるから……んー何とも言えないわねぇ。その先って言っても、ほとんど住宅と飲食店が数件、ってところだし……。あ、一応城門はあるから、このまま真っすぐ行ったら、そこかなぁ』
……そこかなぁ、ってね……。
「城門って、何キロ先の話をしてるのよっ。マラソン選手じゃないんだからっ」
『とはいってもねぇ。急にやる気になられてもねぇ』
「ぐ……」
やる気になるまでに、少し時間がかかる自分を恨むミク。
「まぁ別に、走ること自体は嫌いじゃないけど、さっ!」
……それに、この裏路地特有の何とも言えない淡い匂いは、正直好きな方だし。
以前、「嗅覚で湿度を感じる」、と言ったところ、リンは軽く鼻で笑った。しかし、ミクは昔から少し鼻が敏感なところがあり、散歩で様々なところに行っては、
……匂いを嗅い……深呼吸して、湿度だけじゃなくて、色んな物を感じ取ろうとしてたなぁ。
うまく表現は出来ないのだが、その場の空気に包まれる、という気がして、凄く居心地がいいのだ。特に、草原や森、本に囲まれているところがお気に入りで、他にも、街の色んな店や食べ物屋が並んでいる場所や水辺、これらが、最近ミクがパトロールと称し回っているルートである。
そして、ミクが再び落ちている瓶を飛び越えた瞬間、
『……あ、でも』
サングラスから声が聞こえた。
「でも?」
何か有益な情報かと、耳を傾けるミクに対し、親友がこう告げた。
『その先、もうちょっと行ったら大通りとぶつかるけど、そこ、市長のパトロールコースね』
「その情報今いらないでしょーっ!」
と、一人叫び声を上げたその瞬間、
「ぐおっ!」
「――えっ?」
くぐもった声と同時に、目の前を走っていたスリが、突然左方向から現れた黄色い何かにはじき飛ばされた。
……今のって……。
「がっ!」
背中から勢いよく建物に激突したスリは、低く、短い悲鳴を上げると同時に、衝撃で懐に入れていた鞄を跳ね飛ばした後、そのままぐったりと倒れ、動かなくなった。
「なっ! ……おっ……お、おわっ!」
それを見ていたミクの、ほぼ伸ばしきっていた手は、掴む対象を失い、空を切る。
突然の事で驚き、バランスを崩したミクは、そのまま前方に向かって一、二回片足で跳ねた後、倒れ込んだ。
「ちょ、ちょぉぉーっ!」
思わず目を閉じた瞬間、何かにミクの顔が思い切りダイブした。
しかし、地面にしてはあまりにも柔らかく、また高さもまだまだあり、姿勢としては中腰程度、くの字の状態でそれにぶつかったのである。
……あれ、痛くない。それに、この香り……。
『……ほら、言ったじゃない』
そして、頭上のサングラスからため息一つ。
「え? 言ったじゃない……って、まさかっ!」
そう、そのまさかだった。
目を開き、ガバッと顔を上げると、そこには見知った男の顔があった。
「……こんにちは、小鳥ちゃん」
「が、がくぽ市長っ!」
慌てて後退るミク。
裏路地で市長と会うとは思わなかったミクは、驚きのあまりがくぽを凝視し、たっぷり十秒程経ってから、
「今日も、ひらひらがなびいてますね」
……もう少しまともな挨拶はなかったのっ!?
そもそも今のは挨拶なのだろうか。と、思った直後に考え始める辺り、精神的に余裕があるようでないのが現状である。
もちろん今まで全力で走っていたこともあるが、それ以上に、裏路地という場所で市長と会うというのが、ミクにとって普通ではないからだ。
「ふふふ……美しいだろう?」
対するがくぽは、かなり余裕があるようで、先程より少し胸を張って胸元の飾りを強調し始めた。
白を基調とし、紫のラインが入ったスーツ。縦に長いジャボと、淡く光る紫色の長いポニーテールが風になびいている。
「ちなみに、このひらひらは、ジャボと言うんだよ。小鳥ちゃん」
と、数秒ごとにポーズを変えながらミクに見せてくる。
……いや、一応それくらいは知ってるんだけど。というか、小鳥ちゃんって……。
ポーズを決めるたびに、小声で「エクセレント」や「パーフェクト」と自画自賛をするがくぽを視界に入れつつ、これからは話題選びは慎重にやろうと決め、ひとまず別の話に持っていこうとする。
「そ、そういえば。がくぽ市長がいるってことは……」
……そうだ、さっき飛んできたのは、確か。
視界右方向で伸びているスリの脇、たった今、スリの手足を縛って拘束した人物が立っていた。
「やっぱり、レン君っ!」
紅茶色クロスロード(前半)
19世紀後半。イギリスのとある街を舞台に、さまざまな人々が、各々の思惑を胸に生活している。そんな中、私立探偵である表の主人公ミクと、昼はバーのシェフをしている裏の主人公カイトが、奪われたものを取り戻すために、周囲の人々を巻き込みながら奮闘する様を描く。
「私の答えは……そうこれだっ!」
こんにちは。陽素多智夫という者です!
この小説は、デジタルハリウッド大学福岡ゼミ卒業制作作品であるボーカロイド楽曲、「紅茶色クロスロード」の原案小説です。
小説は冒頭のみとなっており、続きは曲を聴いていただいて、自由に想像を膨らませてください。
なお、字数制限のため小説を前後半に別けております。
後半→http://piapro.jp/t/horY
楽曲リンク
http://www.nicovideo.jp/mylist/43579923/
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