「ったく、うるさいヤツ」
リンはバナナを手にしたまま、台所へは戻らず、あるドアの前に立った。
「ねぇ、レン。レンもそう思うでしょ?」
ここにはいないハズのレンに問い掛けた。
「やっと静かになったね。レン」
ドアに向かって話し続ける。
「二人きりの世界って、こんな感じなのかな」
返事はない。
リンはドア正面の壁に背中をつけ、一息ついて、ドアの向こう側に問いかけた。
「ねぇレン。まだお腹、痛いの?」
ガタッ。
ドアの向こう側から物音が聞こえた。
「大丈夫?もぅ一時間くらい入ってるけど」
「・・・ぁ・・・あ」
しゃがれた声が返ってきた。
「あ、生きてた」
ドアの向こう側で、白い壁に囲まれて、白い顔をしたレンが、白い陶器の椅子に座っていた。
すなわち便座である。すなわちトイレである。
余りの痛さと、虚脱感で腹に力が入らず、大量の水分を失ったおかげでのどが渇き、まともに声が出せない。
「ごはん食べた直後にトイレに入りっぱなしなんてさぁ、なんか、あたしが作ったご飯が悪かったみたいじゃない」
(いや、実はソレが原因なんだけど)
「でも昨日の夜のアイスが今ごろ響いてくるなんて、おもしろいカラダしてるよね。レンってば」
(双子なんですけど。一応アナタと)
まだ声が出せていた時に、リンを悲しませたくなくてウソをついた。
昨夜、カイト専用のアイスをリンと一緒に盗み食いしたのは事実だから怪しんでいない。
しかし、朝ごはんは強烈だった。
いつもはメイコ姉かミク姉が食事を作ってくれるのに、今日は二人とも朝から姿を見かけなかった。
それでレンが朝ごはんを作ろうと台所に行くと、リンが腕まくりで支度をしていたのだ。
「あ、いいよ、リン。オレがご飯作るよ。座っててよ」
リンは譲らなかった。
「いいの。たまにはあたしが作ってあげる。すっごいおいしいのを」
正確には『たまには』ではなく、『初めて』だった。
レンは見た目は悪いものの、食べられるものを作れる。
だから双子のリンからも、食べられるモノが出てくると信じていたのだ。
リンの腕を甘く見ていた。
一口目、ん?
二口目、な、なんか痛い?
三口目、ちょっ、これヤヴァくね?
そして・・・。
白い部屋で回想に浸っていたレンを、次の一言が現実へと呼び戻した。
「今、お昼ご飯作ってるからね。朝よりすっごいの」
動悸と腹痛が一気に激しくなる。
「すごいんだよぉ。滅多に口に出来ない食材がクリプト通販で手に入ったんだからぁ」
(い、いらん。ってかミク姉は?ミク姉はドコッ?!)
「あ、ミク姉はホントに泊りがけで古代ネギ展覧会に行ってるから。明日の夜に帰ってくるって」
(あ、明日の夜ぅぅぅぅっ!じゃ、メイコ姉っ!)
「メーちゃんはカイトお兄ちゃんと買い物?デート?でいつ帰ってくるか分かんないし」
(メイコ姉もいないのかっ!あ、あと、隣のハク姉はっ!)
「そう言えば隣のハク姉からさっきメールが来てぇ、今、札幌に着いたらしいよ」
(な、なんで札幌?!)
「おもしろいよねぇハク姉って。昨日鹿児島に行くって出て行ったのにさ」
状況は絶望的であった。
「朝より自信あるんだ。今度の」
更に追い討ちをかけるようにリンが言い放った。
(や、ヤヴァイ。今度こそ・・・『終わる』かも)
「では、材料を発表してみたいと思いまぁす」
リンは明らかに楽しそうだった。
「ミンナ大好きバナナちゃんとぉ、ミカンちゃん。それにパイナップルちゃんも」
(お、何だ、普通にフルーツ盛りかぁ。助かった)
「サンマに、メンマに、かつお節っ!」
(ネコのえさ?)
しかし、まだ食べれる。
「それだけだと味が薄めだからぁ」
(え?薄め?え?)
「ロードローラーのオイルも入れちゃった。てへっ」
(いや、てへっ、じゃないしっ!!普通に死ぬだろっ!!それはっ!)
レンの胃がキリリと痛んだ。
「冷たいのだけじゃ、お腹が良くならないからぁ」
(だから、オイルを抜けばいいんだってばっ!!)
「コーヒーと、ホットレモンと、梅昆布茶を入れてみましたっ」
(なんでその組み合わせに・・・)
「それから早くお腹が治るようにぃ、救急箱からも」
(きゅ、救急箱?)
「強力ワカ○トってのと、コーラッ○って言うのとぉ、誰もが愛する正露●を入れちゃった」
(その組み合わせ、ある意味、神っ!)
「そして、ジャジャ-ンっ!!クリプト通販から、コレッ!!」
(もぅ・・・よして・・・)
「オットセイエキスゥゥ!」
(何だそれ?)
「な、なんかね。よく分からないんだけどぉ。男性の・・・一部が猛烈に・・・元・・・気・・・に」
(それって・・・)
「や、やだっ!これっ!うそっ!こんなにぃっ!ありえないって!・・・こ・・・こんなに・・・」
(何か喜んでる・・・みたいだな)
「もぉ入れちゃったし・・・。でも・・・・・・初め・・・てが・・・レン・・・なら」
(何言ってるんだ?リンは)
「あの・・・」
急に不安そうな声に変った。
「食べて・・・くれる・・・よね?」
本当は朝ごはんが失敗しているのを気付いているのかもしれない。
レンは震える足で立ち上がり、白いドアを開けた。
リンのマユゲが八の字になっている。両目には光るものが浮かんでいた。
握り締められたバナナは既に原型を留めていない。
大切な・・・誰よりも大切な・・・もぅ一人の・・・・・・自分。
レンは静かに目を閉じて、覚悟を決めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ」
「良かったぁぁぁぁぁっ。食べてもらえなかったらどぉしようって、良かったぁぁぁぁぁっ。・・・ひっ・・・えぐっ」
涙をにじませて笑うリンの頭をなでながら、白い顔をしたレンは『終わり』をはっきりと意識した。
そして・・・一週間後。
レンは白い天井、白い壁、白いベッド、白い布団の中で意識を取り戻した。
「・・・知らない、天井だ・・・」
時として優しさと愚鈍さは己の命を危うくする。
それは、見舞いに来たカイトにポツリと漏らした言葉であったと言う。
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