4.女神像とルカ
今日も岬日和だった。「島の名物は、景色!」。その謳い文句の通りに、リントとレンカは、ルカを岬に連れてきた。
ひとしきり女神自慢、伝説への考察を披露したあと、リントは女神の足元におさまり、レンカはいつものように海へと向かっていった。レンカはルカにも海に入らないかと誘ったが、ルカは首を振った。ルカはリントとともに岬の女神像の足元に残ってレンカを見送った。
「うん。いいねぇ。風も穏やかで、波も静かで、光も十分だ。じつにやりがいがある」
リントはいつものように女神像の足元へ海を向いて座り込み、懐から取り出した石粘土の女神像を削り始める。
ルカが、リントの横にちょこんと座っている。遠くにエンジンの音が聞こえた。
「あ、今日は飛行機が飛ぶ日だな」
近頃は、緊急の荷物や国や町などの政府の郵便物の配達に、飛行機が使われるようになった。パイロットとナビゲーターが乗り込んで操る、トンボみたいな形をした可愛らしい機械だとリントは認識している。
それでもまだまだ空を飛ぶ乗り物は珍しい。
「ルカ。ラッキーだな。郵便飛行機が飛ぶぞ」
飛行機のエンジン音が背後からだんだんと近づく。船では一日以上かかる、大陸へ向かう飛行機の航路は、この岬をまっすぐに飛び抜けるのだ。
「ほらきた!」
女神がもし、生身の人間だったなら、その柔らかい髪が海に向かってはためいたであろう。風が自然の風とは逆方向に、エンジン音とともに駆け抜ける。
「いやっほう!」
リントは煽られる髪を耳ごと押さえて楽しそうだ。対してルカは耳もふさがず、じっと飛行機の飛び抜ける様を目で追った。
「……この女神像はな、飛行機乗りの連中にとっても有名らしい」
リントは小さく遠ざかっていく飛行機に向かって手を振った。
「島から行く連中には、いってらっしゃいと背をおしてくれるように見え、大陸から来る連中には、いらっしゃい、またはおかえりなさいと手を広げているように見えるらしい」
リントの解説を、ルカがうなずいて聞いていた。一生懸命なところはいかにも子供らしくてかわいいのにな、とリントは思った。
「絶対年上には見えねーって……」
* *
「え、ルカちゃん十六歳―?!」
昨夜、夕食時にヒゲさんからルカの歳を聞かされたリントとレンカは驚いた。
「十歳くらいかと思った!」
「オレも!」
ふたりの驚きを見て、ヒゲさんは苦笑し、ルカは相変わらずの無表情だ。
「彼女の父親は大陸の政治関係の偉い人でな。仕事の関係で今は島を転々としている。母親は早くに亡くして、いないんだ。本来なら大陸の学校で寮にでも入っているところなのだが、本人がこのとおり、集団になじまない性格でね。
父親もほとほと困り果てて、最後に俺に預けてきたというわけだ」
「もっと早くヒゲさんとこに来ればよかったのに」
レンカの言葉に、ルカは首を振った。
「すべての島を見ておきたかった。ヴァズのところが最良とは限らないから。知りあいがいる島なら、急ぐ必要はない。他の島をすべて見た後にしようと思った」
相変わらず白い頬のままさらりと言ってのけるルカに、ヒゲさんは肩をすくめた。
「で、お気に召しましたか? お嬢様?」
おどけて言ったヒゲさんにちらりと視線を向け、ルカはレンカを見、そしてリントを見た。
「私が気に入ろうと気に入らなかろうと、私は父の仕事についていくので、二週間で出て行く。……いきなり『さよなら』では困るけれども、私の気持ちは、あまり意味がないと思う。二週間で出来る関係など、たかが知れている」
「だっから、なんでお前はそういう事いうんだよ!」
いきりたったリントを、レンカとヒゲさんが二人がかりで抑えたのであった。
* *
岬の風がルカの髪をなで、ふわふわとはためかせる。リントはいつものようにちらちらと女神像を見上げては粘土を削り、そしてごくたまにルカを振り返る。
ルカは黙って海を見ていた。
岬のがけ下では、レンカが今日も海面と海底を往復している。白い素足がひらひらと水の底に消えては、金色の頭がぷかりと上がり、拾得物を大切に桶の中へと運んでいる。
「なあルカ」
リントは思い出した風を装って声をかけた。
「さっきからずっとレンカを見ているけど、面白いか?」
「わからない」
思わず「そうだよなあ!」と同意しそうになり、リントはあわてて気を持ち直す。
「レンカの行動の意味がわからない、とか、レンカがどうして夢中で石片を拾っているのか解らない、っていう意味じゃあないよな」
こくり、とルカが頷く。
「レンカは、島の女神の伝説をもっと詳しく知りたいのだと言った。レンカにとって、女神の伝説を調べることは面白くて大切なことだと、昨日本を見せてくれながら言っていた。それは、分かる。でも」
ルカがすっと潮風を吸った。
「私は、私がレンカをどう思うのか、それが解らない」
ずる、とリントの背が女神像の台座を滑った。
「いやあの、そんな真面目に答えられても困る……」
「リントのことも、同じ。私は、私がリントをどう思うのか、解らない」
「って別に、無理しなくていいからな! 昨日会ったばかりで、好きも嫌いもないだろうし」
「でも」
リントが衝動的にルカを海に突き落とさなかったのは、奇跡的なタイミングで働いた自制心の賜物だ。
「あー! でも、の続きはなんだよ!」
正直、このやりとりを知らないまま海に潜っているレンカは幸せ者だと思った。同時にやっかいな話題を気まぐれに持ち出したことを、リントは激しく後悔した。
どすん、と改めて胡坐を組み直し、女神像の足元に座りなおす。そして改めて呼吸を仕切り直し、ルカの言葉を待った。
「でも、私は誰に対しても同じ。好きも嫌いも無い。……解らない」
リントはぼりぼりと頭を掻いた。うーんと唸って、シャツをまくりあげついでに腹も掻いた。自分の肩もひとしきり叩き、最後に助けを求めるように女神像を見上げた。
彼女は、いつものように、海の向こうにやわらかな微笑みを向けていた。
「あー、もう!」
リントは、手にしていた粘土の女神像とやすりをどすんと草地に置く。そして、両手でルカの両肩を掴んだ。
「オレだって、わっかんねーよ! お前のこと!」
きょとんとリントを見つめるルカの前で、思い切り肩を掴んだままリントはうなだれる。
「どうだ! これで、おあいこだな!」
精一杯歩み寄ったリントだったが、ルカの表情は白いままだった。リントは、笑うしかなかった。
* *
「じゃあ、ルカの好きなものってなんだ? ……人じゃなくてもいいや。海は好きか?」
ルカはじっと海を見て答えた。
「海は海。ただの、海。好きも嫌いもない」
はぁっとリントはため息をつく。粘土の女神像の作成は、しばらく中断だ。
「ただの海って言ってもさ、わあ綺麗、とか、嵐で怖くて嫌い、とか、無いの?」
ルカがこくりとうなずく。
「きれいは綺麗。こわいは恐い。でも、それだけ。好き嫌いじゃない」
ルカの白い顔からは、昨夜レンカが叩いたあざが消えると同時に感情まで消えてしまったようだ。これがルカの普段の顔だと思うと、リントは少々気が遠くなる。
「大理石の塊から女神像を彫り出した人って、こんな気分だったのだろうか」
大理石は、優しい色合いの石である。しかし、ものすごく固く、彫るのは難儀だ。
柔らかな色の髪にしなやかな腕という、優しい風貌の持ち主ながら、心は石のように固く中を容易に見せはしないルカに、似ているな、とリントは思った。
「じゃあ、この女神像はどうだ? オレなんか、一日眺めても見飽きないくらいなんだけどな。綺麗で、気高くて、それでいて優しく海の彼方を見つめていてさ」
語るリントにつられるように、ルカが上を向いて女神の鼻の穴をじっと見つめる。真白い石の背景に、深く蒼い空と雲が流れていく。
「綺麗。優しい顔。それは解る。私も、一日眺めていられると思う。でも……」
ルカはリントに向き直った。
「好き嫌い、じゃ、ない」
「そうかー……」
リントはついに諦めて、ルカから手を放し、草の上に再び座り込んだ。しかし、粘土を削る作業には戻らず、そのまま海を眺めている。
「なぁ、ルカ」
ルカも、リントに並んで海を眺めている。
「生きているの、楽しい?」
と、風が変わった。夕方に向かって陽が傾き始める合図だ。びょうびょうと唸りを上げ始めた風に向かって、ルカが口を開く。
「生きているんじゃない。生かされているの。だから、楽しい、楽しくない、という話じゃない」
ルカが、くりっとリントを見た。
「生命を受けたら、つべこべ言わずに生きるのが義務。そうでしょう?」
その時、傾いた陽が斜めからさっと紅い光を射しこんだ。
ぱっと大理石の女神が、命を吹き込まれて輝く。リントのもっとも好きな時間帯のはずであったが、この時リントは、女神像ではなく、ルカにその目を奪われた。
光が射した瞬間、大理石のようなルカの表情に、一瞬だけ感情が戻ったのを発見してしまったのだ。
昨夜、リントを蹴ったとき。ぎらぎらに怒ったレンカがルカを張り飛ばしたとき。そして今、夕日の色があざやかな赤に変わった瞬間。
ルカの持つ雰囲気が、鮮やかに色づく。
「……感情、やっぱり、あるんだ」
そう、ふとした瞬間にルカはその表情をのぞかせる。リントの背筋がぞくりと震えた。
「感情が、宿る、瞬間……」
思わずつぶやいてみて、さらにリントはひとり震える。
『生きるのが義務。そうでしょう?』
そう言ってのけたルカの表情に、一瞬だけれども命が宿った。
「来た……!」
この感覚を、リントは知っている。……ただの石や木材や粘土から、何が出来るか見えた時の感覚だ。何を作るか、イメージが出来た時の感覚だ。
思わず腰を浮かせたリントがルカの肩に触れる。
ふりむいたルカの目が見開かれる。先ほどまで白かったその頬が、夕日に照らされて真っ赤に染まる。ルカの瞳が、リントの姿を吸い込むように真っ直ぐに映す……
「あーッ! もう! わっかんねー!!」
リントはルカの肩をつかんだまま、反対の手で自分の頭をわしわしと掻いた。
「あと二週間でッ! 絶対に! お前のこと彫りだしてやる! その石みたいな表情、本気の意味で彫りだしてやるかんなッ!」
「リントー! 何叫んでいるの! あたし帰るよー?!」
レンカの声に、リントは飛びのいた。
「やっべ! レンカ! 今日もちゃんと生きてた!」
いつも、夢中になったレンカが事故を起こさずに岸に戻ってくるのを見届けていたのだが、すっかり忘れていた。リントはあわてて、女神像の裏に回り込む。帰路への支度を終えたレンカが、いつものように水中眼鏡を頭の上に押し上げ、ナップザックを下げてにこっと笑った。
「生きてた、って何よ。リントこそ、ルカちゃんと、上手くやってた?」
リントがあいまいにうなずくと、レンカはにっこと「やーっと妹離れしたか」と言って笑った。
その様子を、ルカが、夕焼けの赤い光の中でじっと見つめていた。
……つづく!
滄海のPygmalion 4.女神像とルカ
遺跡発掘リント&レンカ 第4話!
冷たく白い石像?!リントがルカに惚れちゃった?!
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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ご意見・ご感想
sunny_m
ご意見・ご感想
こんばんはsunny_mです!
新たなシリーズ開始、おめでとうございます☆
島の海は旅先でしか知らないのですが、昔に船で一日かけて行った島の事を思い出しました。
行き帰りの事を考えなければ、すっごいのんびり出来て幸せだったなぁ……
ルカさんは感情ない、というよりも強い一本槍のような頑なさを感じました。
頑なさ…っていうと何か違う感じがするのですが^_^;
うーん、、、上手く言えませんね。
とりあえずリントくん、かなり手ごわいと思うよ。と言いたいです。
ルカが「島っこ」「大陸っこ」という言葉を使ってしまいたくなるような、そういう閉塞感とか解放感とか、覚えがあって、あ゛~となったりもして。
だけど確かにリントくんもレンカちゃんも、そういう気質だけど、全部を一緒にしちゃいけないよ。と言いたいです。
「届かないけど、言いたい!」病にかかってしまっています(笑)
それでは!続きを楽しみにしています☆
2011/05/08 22:57:09
wanita
>sunny_mさま
ようこそ新シリーズへお越しくださいました!
初夏はウタPさまの曲が猛烈に聞きたくなる……
というわけで、超解釈Pygmalion開始です。
ギリシャの青い海と白い大地、そして乾いた硬葉樹林を存分に描いていきたいと思います。
島の海の旅、いいですね☆船で一日かけて行くとなると……日本なら波照間あたりですか^^? ごんごんと響くエンジン音と波を越えていく感覚と、視界に広がる青い海が文章で表現できたら良いなと思います。今度は悪ノみたいにどんどん人の死ぬ話ではないので、リントとレンカの心の旅を、気軽に楽しんでいただけたら幸いです。
今回のルカは初めて書くタイプかも知れません。「人を絶対信じない」という意味で、一本筋の通った子です。
「島っ子」「大陸っ子」の感覚は、私も、日本内での移動で感じたことがあります。ざっくりと言えばお互いに「ヨソもん」だと思っているというのでしょうか。
どっちも互いにとってよい言葉ではないので、「島っ子」と言われたレンカちゃんは「そんなことないよ」と否定して歩み寄ろうとし、リントくんは「違うなら違うで良い」と割り切り、そして「大陸っ子」ルカちゃんは全力で心を閉ざしました☆
感情的には、私も全員の感覚に覚えがあるので、書いていて気持ちの整理をしているようです。
では!お気に召しますれば、今後もよろしくおつきあいください♪
2011/05/14 18:27:58