「待って待って待てってば!千疋屋なんて、あたいもなかなかお目にかかれねぇ、いやお口にかかれねぇ高級品だよ?しかも桜のって、花見に向けて作ったって新作じゃねぇのよ?」
「だからよ。意地悪言った埋め合わせ。今度一緒に行きましょ。銀座なんて出向くのはいつ振りかしら。埃っぽい学生服で二輪車転がしてばかりだったから本当に楽しみだわ。ねぇ芽衣子さん、いつにしましょうか?可愛らしい桜色の洋菓子なんて今まで見たことないわ。今まで花見のお供は桜餅だったけど、これならきっとお花見の席でも注目の的だわ。ハイカラなお洋服でお洒落して、千疋屋の桜の洋菓子持って、可愛い靴を召して上野の公園で紅茶をいただくのよ。芽衣子さんもその時くらいは御酒をお嗜みになってもよろしいのではないかしら。もしくは洋酒のほうがいいのかしら。でも勿論、飲みすぎは駄目よ。あたしは嗜まないから全く存じ上げないのだけれど、えぇ、学徒ですもの。花も恥らう乙女である前に、筆も恥らう学徒ですもの。学に志ざし立派な社会を支える一員となりて、より良い日本のために生きるの。富国強兵と一昔前の日本は謳ったけれど、そんな荒っぽい生き方をしてはいけないわ、だから鬼畜米英と声高に叫んだ挙句敵わない闘争を続けることになったんじゃないかしら。かといって欧米至上主義に傾倒してしまっては結果として敗戦を引きずっているだけ。戦争が終わった今、政治家たちは頭を垂れて教えを請うだけ、盆を広げてただ待つだけの給仕かからくり;絡繰人形みたいなものよ。自分の足で立ち、自分の目で見定め、自分の心で生きる。その強さを今の日本は取り戻さなくちゃいけないのよ。今の日本にはそれがない。いや、溢れている。満ち満ちてあふれ出さんばかりなのに、国がそれを理解してくれない。お国を牛耳るお偉方が敗戦を引きずってずるずると諸国の言いなりになってしまっているのよ。今の日本に必要なのは相手を尊敬し理解する心と共存する心、そして対等に向き合おうとする心、つまりは向上心よ。そうして高めあう心と心。人と人!言葉もちゃんと勉強して、相手方に通じるようになったらあ;亜め;米り;利か;加にも行ってみたいわ。あぁ素晴らしい世界!あぁ素晴らしい日本!私この日本に生まれて、私は本当に幸せ!」
「あっのー、美紅さん?美紅さんってば?おーい…」
「…あ、あぁ?はい?」
「おかえり」
「ただいま、戻りま、した。え?どうして?」
「や、まぁ、いいわ。この子にはこういう場所も必要なんだろう」
「こういう場所?」
「やいや、こっちの話さ。それより、これからお出かけじゃないのかい?その蹴ったで」
「蹴った?」
「あぁ、自転車とでも言うんだっけだね。ついうっかり馴染みの使う言葉が出ちまったかよ。それより」
「はぁ」
「今は時間は?あたい懐中なんぞ持たねぇから分からねぇけど、美紅さん学友さんと待ち合わせなんだろう?」
「まぁ芽衣子さん。懐中だなんて今時古風ですわね。今は手首に巻く型が主流ですのよ。あ、あぁ?八時をとっくに過ぎてる!?」
「待ち合わせは?」
「電波塔に八時半!」
「あらー、こりゃ遅刻だろうね」
「芽衣子さんが悉にからかうものだから!」
「わっちは何ぞ知りゃんせん。御嬢様がありやこりやとお好きにこぼしんす、わっちはただただ耳を寄すばかりにありんす」
「うぅ、芽衣子さんの意地悪ー!」

 軍服を真似た桜色の洋服をはためかせて、美紅は下宿を後にした。彼女の下宿からでは、電波塔までは二輪車を急ぎ足でやっと三十分。支度を整えた時点で間に合うかの瀬戸際にあったはずの時間を、隣人とのお喋りに費やしてしまっていた。

「いよう、美紅さん!朝から懸命にどちらへ?」
「あら、桜色の学徒さんだわ!おーい!」
「んなに急いじまって、先導者様が怪我すんじゃねーぞ!」
「学徒のおねーさんじゃ!」
「ホントじゃ、おねーさんじゃ!おーい」
「朝からせわしおすなぁ、きばりやぁ」
「樺美紅が日比谷通りを二輪車にて南下しているとの情報ですが」
「やめとけ、桜軍服に単体で手ぇ出したら学徒の群れにつぶ;圧殺されんぞ」
「母上、あの鮮やかな方はどなたですか?とても美しゅう御座います」
「これ、あまりに近づくと若者の乱痴気騒ぎに巻き込まれますよ」
「でもとてもお美しい方ですよ、あの御姉様みたいになりたいなぁ」
「これ!警官に呼び止められますよ!」

 二輪車で街を駆ければ、鈍くも鮮やかにも光を反射する服の装飾が都を一閃してゆく。あるものは彼女に温かな声援を送り、あるものは仰々しく路を譲り、また憎々しく視線を返していた。しかしてその誰もが、飛び交う声援にひとつ残らず朗らかで母性ある笑顔を振りまく彼女の姿に、見送る背中の『壱』という一文字に、明るい未来を想像してしまうという。それはまさに満開の桜と麗らかな日差し、都の春一番であった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【四項目】二次創作小説『近代歌姫浪漫譚 千本桜 ~学徒が華ぞ咲きにける~』【胡蜂秋】

黒うさP『千本桜』の自己解釈・二次創作小説です。

閲覧数:88

投稿日:2012/07/22 00:00:43

文字数:2,007文字

カテゴリ:小説

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