29.粛清
諸侯の中でも強い力を持つシャグナが捕らえられた。そして、殺された。
ホルストは、王城まであと一日半という道のりの途中で、リンの遣わした兵士達に捕らえられた。
「何をするか! 私はこの国の重要な地区を治める諸侯のひとりであるぞ!」
「リン女王殿下のご命令にございます」
なに。メイコは耳を疑った。
「リン様が、女王殿下?」
兵士がうなずいた。
「王殿下と王妃殿下が御崩御あそばされました。よって昨夜、リン王女殿下が、この国の王として即位なされました」
「なんですって!」
「シャグナ殿はなぜ殺された!」
兵士が、無表情にうなずいた。
「……シャグナ殿が、八年間、息のかかった医者を遣わし、王と王妃殿下に毒を盛っていたことが発覚したのです。その罪により、女王殿下自らが、彼を処刑なされました」
「な、」
みずからとは、どういうことだ。
ホルストもメイコも、声が出ない。ガクだけが、静かに声を絞り出した。
「王と王妃が死に、その死に関与したシャグナ殿を、リン殿が手にかけた。そういうことであるな?」
無表情であった兵士の目が、一瞬の恐怖にゆれた。
「……見事な、迷いの無い太刀筋でございました」
ガクの喉がごくりとつばを飲み下した。
「リン殿は、行きの船の上、そして帰りの船の上でも熱心に剣を振っていた。それが、こんなことになろうとは……」
「あの子……!」
メイコが崩れ落ちそうになりながら呻く。ホルストは、じっと目を閉じた。
「失礼します、ホルスト様。貴方を確保せよとの女王殿下のご命令です。ホルスト殿の配下のガク殿にも確保命令が出ています」
ホルストの体に、静かに縄がかけられた。ホルストはじっと動かず、抵抗もしなかった。
「理由をお聞きしてもよろしいか」
ガクが兵士に尋ねると兵士は首を振った。
「女王陛下自らご説明なさるということです」
メイコは、拘束されたふたりの後を、ただただついて行くことしか出来なかった。黒塗りの馬車が、王城までの道を走る。乾いた荒野と畑地が連なる大地に埃を舞い上げて灼熱の昼間も冷たい夜も、馬車は長旅に疲れた乗る人々を休ませることなく走り続けた。
* *
ホルストが捕らえられて玉座の前に引き出されたのは、リンが女王として即位した三日後のことである。王都に入った後、監視つきの屋敷で二日待たされ、ようやく登城が許された。諸侯が集められた玉座の間にリンがあたりを睥睨するように座り、傍らにレンが控える。そして、その眼前にホルストは兵士達によって荒々しく引き出された。罪人のような扱いに諸侯たちの間からは戸惑いのざわめきが起こるが、当のホルストは堂々としたものである。
その後ろに、同じく拘束されたガクが引き出される。状況を案じたメイコも共について来ていた。
「まず、私が捕らえられた理由をお尋ねしてもよろしいか。女王殿下」
「いいわ。答えましょう。まずは越権行為ね、ホルスト。貴方の罪状は、王に許可なく領民の井戸に税を課したこと」
ホルストは静かにうなずく。なるほど、お飾りの王女と侮っていたが、その判断と行動力はたいしたものだと内心驚く。神妙な態度をとるふりをして周囲を観察すると、八年間使われていなかった玉座の間が短期間のうちに見事復旧している。召使たちもうまく掌握しているようだなとホルストは唸る。そして、会議室を使うよりも王の権利を誇示するこの部屋を使えるようにしたことで、若い女王が名実ともに君臨するために便利に使おうとしているのだろうと感心する。
縄で拘束されたまま、それでも堂々とした態度は崩さずにホルストは頭を下げた。
「たしかに、過ぎた行為でありました。しかし、それはこの国にとって必要なこと。……女王陛下にもご理解いただきとうございます」
その伏せられた瞳には恭順の意はなく、自分こそがこの国の政治を動かしてきたのだという自負がある。リンは目を細めた。
「そう」
リンの唇に笑みがうかんだ。
「感謝するわ。ホルスト。あなたがいなければ、王と王妃が病に冒されている間、この国は成り立たなかったでしょうね」
ホルストはじっと黙っている。
「シャグナ卿が王に毒を盛り続けた八年間、わたくしが幼かった間、よくこの国を治めてくださいました。礼を言います」
「もったいないお言葉」
玉座を立ち、リンが緋毛氈の階段を降りてくる。ホルストは必要最小限の返答を返す。リンの出方を伺っているのだ。シャグナがリンによって殺されたという事実を、ホルストはじっとかみ締めている。今彼がひざまずく緋のじゅうたんに、うすく何かの痕が見えた。
おそらく、ここでシャグナは果てたのだな。
その事実の重みが、ホルストの額を汗でじっとりと湿らせる。
「ただし」
ホルストの前で、リンの靴がぴたりと止まった。
「黄の国は法に支配される国。そして絶対王政。王こそが法であり、王が国の意思を決定し、その決断は王の良心によって行われる」
ホルストが視線を上げる。そこに、リンの澄んだ青い瞳がぶつかった。
「……ホルスト。あなた、知っていたわね。王と王妃が、本当は病ではないことを」
するりと地を這うように響いたリンの声に、背すじを凍らせたのはホルストだけではないだろう。
「同罪よ。ホルスト」
リンがすらりと剣を抜き放った。
「お待ちください、女王陛下」
ホルストの声音が密度を増した。
「たしかに、私はシャグナの行動を知る機会がありました。ただし、私には、シャグナを止める手立てはありません。彼と私は、同じ立場の諸侯。互いに干渉することは出来ません」
ホルストは、ゆがんだ言い回しを使った。この言い回しは、知っているとも、知らないとも認めない言い方だ。そして、言葉回しでごまかしているが、嘘は言っていない。虚偽報告にはならないのだ。ホルストはこの後にどうリンの言葉が続くかによって、自分の立場を有利に調整するつもりだった。
ところが、リンは動じなかった。
「話をそらすつもり? ホルスト。わたくしは、あなたが、シャグナの行動に対して何の行動も起こさなかったことをいっているの。言って御覧なさい、諸侯と王の関係は?」
ホルストの唇がゆっくりと動く。
「互いに協力し、黄の国を治めます」
「そう。よく理解しているようね。でも、あなたはそれをしなかった」
リンの切っ先がホルストのあごの目前にあった。
「王の命をないがしろにし、ついには廃したその罪、」
「おやめください! リン殿!」
「リン様!」
焼ききるような叫び声はガクとメイコから上がった。ホルストはぐっと唇をかみ締めリンの正面を臨んだ。
「死罪よ、ホルスト」
「本気か!」
太く強いホルストの声が、玉座の間を揺るがした。
「本気で、私をお切りなさるおつもりか! ……シャグナが犯した過ちを埋めるべく、私はこの八年、この身を黄の国に捧げたつもりだ! 私が何もしなかった、ですと? これは王を実質助けたことにほかならぬ!」
ホルストが叫んだ。玉座には黄の国の印がある。それは金色に輝く小麦の印だ。ホルストの治めるバニヤ地方は、今年の春の長雨にも負けず、小麦の実りを黄の国にもたらした。
「税を上げ、水源を確実なものとし、全国の地域への水の供給道も整備した! 予想される他国の脅威も、私が兵力を増強したからこそ対処可能だ。
……全国から集まる水の税だけではない。私のバニヤが大きく資金を出している。他の諸侯の領地よりも私の土地バニヤが豊かだからこそ、こうして黄の国へ還元してきたのだ!」
諸侯たちは息をするのも忘れたように静まった。ホルストの土地は豊かだ。彼の先祖、そして彼自身が大きく豊かにしてきたのだ。
他の領地を持つものたちは、その豊かさと穏やかさを時に妬むことはあれど、それでもホルストに何度も助けられたものも居る。王が実質不在となっていた八年間、発言権も大きくなったホルストだが、それもその貢献があってからこそのことなのだ。
つまり、ホルストは、信頼されていた。
諸侯たち、そして居合わせた使用人たちが、次のリンの挙動を見守った。
「ホルスト。語るに落ちたわね。
『シャグナの犯した過ちを埋めるべく八年』……全員、しっかり聞いたわよ。
あなたは、民の王として働いたと思うわ。でも、王のしもべとしては……王と妃を見殺しにした罪を、許すわけにはいかないわ」
その言葉にかぶせるようにホルストは主張した。
「たしかに、水の税は弱いものを苦しめる。しかし、その弱いものたちこそ、私の作った道と水源の恩恵を受けているではないか!
王と王妃にしたってそうだ、助けるにしろ、一度薬に侵されたものは回復が難しい! 彼らがいわば政治的に死んでいる間、それぞれ勝手なことを言う諸侯らをまとめたのは私ぞ!
……その私を、王となった貴女様が斬ると申すか! 私が死すれば、この力、黄の国は失うぞ!」
ホルストの、命を懸けた渾身の主張だった。
リンの数倍をこの国で生きた、強い目線が、重く力強くリンをねめつける。リンのまっすぐな瞳がそれを受け止めた。
やがて、すっと、女王の細い手が上がり、銀色の刃がまっすぐにホルストの腹に吸い込まれた。
……続く!
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