命の重さ
騎乗したレンは王都の中心部を駆け抜け、貧民街に一番近い地区を突き進んでいた。風を切りつつ街を見てみると、どうやらここまでには火の手が回っていないらしい。その事に安堵を覚えたが、レンは不安と恐怖を抱えたままイノベータを走らせる。
「何で……。何で!」
双子なのに。王女なのに。どうしてリンがいつも酷い目に遭わなくちゃいけない。怖い思いをしなくちゃいけないんだ。
人通りのない道を抜けてしばらくすると、顔に当たる風に熱が混じるようになった。煙の臭いがして、馬蹄に紛れていた音が徐々に大きくなる。バルコニーで微かに聞こえた音は、今や火災による破壊音としてレンの耳に届いていた。
イノベータの頭越しに見える赤い光景。燃える貧民街を蒼の瞳に映して、レンは手綱を握る手に力を込めた。
「リーン! どこだー!?」
こう叫ぶのは何回目か。レンは大声を上げて走り、炎に包まれた貧民街を進む。馬に乗ったままでは動きにくいだろうと判断して、街の手前でイノベータから降りていた。
密集した建物には至る所に火が付き、既に燃え落ちた所もある。炎が踊り狂い、爆ぜた音があちこちから響く。
「熱い……」
髪が額に張り付いて鬱陶しい。顔を拭く先から汗が出る。全身はびっしょりで気持ち悪い。熱によって体力を奪われ、動き通しの体が疲れを訴え始めた。
足を休ませる為に走る速度は緩めたが、急ぎ足で前に進む事は止めない。その間にもリンの名前を呼び、他にも誰かいないかを捜しているが、貧民街に入ってから人っ子一人見かけない。
異変に早く気付いて避難が出来たのか、それとも逃げ遅れて火に巻かれてしまったのか。前者であってくれとレンは願い、熱風と煙を吸い込んで咳き込んだ。
「はっ、はあ……」
腕を口と鼻に当てて深く息を吸う。浅い呼吸を繰り返して苦しかった胸が少しだけ楽になり、また走ろうと足を踏み出す。
突如、太い枝がへし折れたような音が耳に突き刺さった。思わず足を止めると、道沿いにあった家屋が轟音と共に崩れ落ち、進もうとしていた道を塞がれた。元は何かの店だったのか、破れた庇から大量の火の粉と煙が舞い上がる。
咄嗟に顔を庇っていた両腕を下ろして、レンは恨めしげに正面を見定めた。
「またか」
呟きは荒れ狂う炎にかき消される。火や煙、倒壊した建物によって道を遮られ、何度も進行方向を変えざるを得なかった。貧民街を進むに従って頻度が増え、時間が経つに連れて間隔が短くなっている。
まさか、リンはもう……。
低くない可能性を考えて、それを否定する。だが、悪い方の考えが頭から離れない。火に焼かれてしまったのではないか、瓦礫に潰されてしまったのではないか。嫌な想像が後から後から浮かんでくる。
無事な道へ飛び込んで、絶望的な想像を振り払うように疾走する。背中から轟いた崩壊音に振り向くと、今しがた通った場所に黒い炭と赤い炎の障害物が生まれていた。
「くそう……」
戻る道を断たれたからには先へ行くしかない。顔を正面に戻して足を動かす。どこに続いているのかも分からないままに走り、レンは喉も裂けんばかりに吠える。
「リーン! どこにいるんだ!」
ひたすらに駆ける。とにかく前へ進む。すると急に視界が開けて、家屋が無い場所に出た。足を徒歩に切り替えて周囲を軽く確認してみると、壊れかけの粗末な柵や、使っているのかいないのか分からない木材が見えた。
広場か、それとも空き地か。どちらでもやる事は変わらない。レンは慎重に歩き、注意深く辺りを見渡す。
右へ左へと映る赤い景色。立ち上る灰色の煙。地面に転がる人の影。
「ん!?」
通り過ぎた視界に違和感を覚えて、レンは瞬時に視線を戻した。空き地の端の方で、誰かが倒れているように見える。駆け足で徐々に近寄ってみると、確かに倒れている人であるのが分かった。障害物で隠れていた頭が見え、同時に長い金髪がレンの目に入る。
「リン!?」
心臓が跳ね上がり、鼓動が激しくなるのを自覚する。一歩一歩を踏みしめて地面を蹴り、倒れている人へ確実に迫った。無事にその人の傍に到着して、レンは脇に屈み込んで声をかける。
「大丈夫か!?」
肩を叩いても反応は無く、レンは不安と焦りを覚えて歯を鳴らす。
落ち着け、落ち着け。こんな時は慌てたら一番駄目だってメイコ先生から習ったじゃないか。誰かを助けるのなら、守るのなら、怖くても冷静さを無くすなって。
レンは自分の両頬を掌で叩く。よし、と息を吐き、うつ伏せで倒れていた相手を仰向けにした。
露わになった顔を見て、レンは目を見開いて息を止めた。あれだけうるさかった音が聞こえなくなり、世界から切り離された気分になる。
リンじゃ、ない。
目の前で気を失っているのは確かに金髪の少女だ。だけど、炎に照らされている顔はどう見てもリンではない。いくら違う環境で数年間過ごしたからと言っても、双子で、同じ歳で大人びているのとは明らかに異なる顔つきだ。雰囲気も違う。
倒れているので分かりにくかったが、良く見てみれば手足も長く、立ったら絶対に自分より背が高い。この人は、何歳か年上の『お姉さん』だ。
「そんな……」
あと一歩で届く所で、後ろから蹴落とされた気分だった。やっと会えたと思ったのに。また一緒にいられると思ったのに。
二人から十歩程離れた位置。そこに焼けて脆くなった家の壁が崩れ、硬い物が大量に落ちる音を立てた。
「うわっ!?」
激しい音によって現実に引き戻され、我に返ったレンは驚きの声を上げた。反射的に音がした方、さほど遠くない場所に出来た瓦礫の山へ顔を向ける。
早くここから逃げないとまずい。何より、リンを見つけられていない。危険を覚悟で来たのは、僅かな可能性に賭けて姉を捜す為だ。
でも。とレンは仰向けになっている人に顔を戻す。
この人はどうするんだ? 捜している人とは違うからって、目の前で倒れている人を見捨てるのか? リンじゃないから、放っておくのか?
瞼をきつく閉じ、歯を食いしばって自問する。
リンを捜したい。見捨てて早く逃げろ。この人を助けたい。リンを助けないのか?
「くっ……」
葛藤の末に答えを出したレンは、倒れている少女を背中が手前になるようにして横向きにした。背中の中程まである長い金髪が地面に垂れる。
「ごめん……っ」
謝罪は誰に向けたものか。レンは腰に下げていた短剣を抜き、右手で相手の髪を一つにまとめて、首筋の位置に刃を当てた。
金色の糸が地面に落ちる。レンは短剣を鞘に納め、髪が短くなった少女を背負う。
「……っと! 危な」
重みに引きずられてよろめき、そのまま横に転びそうになった。意識の無い人は重くなると聞いた事はあるが、予想していたより大変だ。
置いていけばいい。甘い誘いがよぎったが、レンはしっかりと相手を支えて大地を踏みしめる。
重いのは当たり前だ。人一人、つまりは人の命を背負っているんだから。
このくらいでへこたれてたまるか。絶対に助けてみせる。
背中にかかる負担をひしひしと感じて、レンは決意を胸に走り出した。
どの道をどの方向に移動しているのか。そんな意識は頭から飛んでいたにも関わらず、レンは安全な道はどこかを一瞬で判断して前へ進む。極限状態の環境と、背負った人を守ると言う強い意志が、危機回避の勘を飛躍的に高めていた。
「よっ……と」
立ち止まって少女を背負い直し、また足を動かす。体はとっくに疲れているはずなのだが、疲労を感じない。
あれ……? ここ、どこだ?
ふとそう考えて、レンは足を止めて辺りを見渡す。まだ貧民街を出ていないのは確かだと思うが、近くにさっきまでの火の気や煙は感じられない。無意識の内にかなりの距離を稼いでいたらしく、火事の音が遠くに聞こえた。
「おーい! そこにいる人ー! こっちだー!」
自分達に手を振って迫る二つの人影を見つけて、レンはそこに向かって進んで行く。お互いの顔が分かる距離になった時、驚いた表情を見せ合う事になった。
「殿下!?」「レン王子!?」
「トニオ。アル」
王宮を歩いている時に会った髭面の兵士と、詰所に行った時に会った巨漢の兵士の名を呼び、レンは二人を見上げる。
「何故、ここに……?」
困惑を隠せない口調でレンに尋ねたのは、髭面の兵士トニオ。巨漢の兵士アルも、判断に困った表情でレンを見下ろしている。
どうしてそんな事を聞くのかと不満に思いつつ、レンは口を開く。
「何故って……」
質問に答えようとした時、何をしようとしていたのかを思い出す。
「そうだ……。二人共、この人を頼めるか!?」
言いながら背負った少女を示す。トニオとアルに任せて、今すぐにリンを捜しに戻りたかった。
体が大きいアルがレンの背後に回り、少女を軽々と抱き上げる。礼を言い、レンは二人に任せてこの場を去ろうとした。
「殿下。お待ち下さい」
レンは動きを止めてトニオに向き直る。邪魔をしないでくれと言う態度を隠そうともしない。
「……何だよ」
用があるなら早くしてくれと苛立つレンに対し、トニオは冷静に尋ねる。
「どこに行くおつもりですか?」
「まだあそこに人がいるかもしれないだろ。だから戻って捜しに行く」
レンはトニオを睨みつけ、分かったら止めるなと突き放すように言う。直後、少女を抱えたままのアルが口を挟んだ。
「レン王子。それは無茶。……いや、無謀と言うものです」
「何なんだよ! 二人揃って!」
一介の兵士が王子に進言した事ではなく、自分の行動を邪魔された事に腹を立てたレンは、年齢も体格も遥かに上の二人に食ってかかる。
「何で止めるんだよ! 俺があそこに行って何か悪い事があるのか!? 無いだろ! どうして邪魔するんだ!?」
頭に血が上って掴みかかる勢いのレンに、トニオはあくまで落ち着いたまま返した。
「……殿下。失礼ながら申し上げます。貴方は火災現場からここまで一人の人間を背負い、おそらく休む事なく歩き続けて来た。もうほとんど体力が残っていないはずです。今戻った所で、殿下が助けたこの少女と同じ事になるだけでしょう」
「そんなの……っ! やってみないと分からないだろ!」
腕を振って威勢良く言い返しはしたが、本当はレンも分かっていた。
トニオが言っている事は正しい。自分が出来るのはここまでだと。
見つからないリンを捜しに行く事。倒れていた少女を助ける事。どちらかを選べばどちらかを見捨てる事になるのは、あの時覚悟していたはずだ。
だけど甘かった。いざこうして片方を選んで行動したくせに、選ばなかった方に執着を残してしまっている。両方取る事は出来ないのを知っているのに、助ける力も無いくせに、見苦しく諦めきれずにいる。
爪が食い込む強さで拳を固め、レンは項垂れて呟く。
「どうして俺はいつも何も出来ないんだ……」
肝心な時に無力で役に立たない。肩を震わせて吐いた言葉に、意外な答えが返ってきた。
「何も出来ないって事はありませんよ」
「え?」
武骨な、しかし優しい声をかけられて、レンは声の主を見上げる。
「レン王子がここの異変に気が付かなかったら、俺達は救助に向かえなかった。あの時教えてくれなかったら、そもそも知りもしなかった。もしかしたら朝になって、ようやくここの火災の事を知ったかもしれない」
アルは一度言葉を区切り、腕に抱えた少女に視線を送る。
「この子を助ける事だって出来なかった。違いますか?」
「それは……」
どう返せば良いのか分からず、レンは視線を彷徨わせて言い淀む。
火事を知らせたのも、倒れていた人を見つけたのも、リンを助けたくてやった行動だ。
まだ気を失ったままの少女を助けたのだって、言わばただのついで。成り行き上そうなっただけだ。別に最初から助けようとしていた訳じゃない。
気まずい表情で黙ってしまったレンに、トニオが微笑んで話しかける。
「殿下。どんな形であれ、貴方が一人の命を救った事に変わりはありません。とりあえずそう考えてみませんか?」
「……分かったよ」
まだ全部は納得出来ないし、受け入れる事も無理だ。それでも、今はこうしないと進めない。
素直に言う事を聞く気持ちと、未だに反発する気持ち。正反対の思いを持ったまま、レンは静かに頷いた。
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