2.

『廊下を真っ直ぐ進んで二つ目右の第二ラボだ。入って来たまえ』
真っ白な研究棟の真っ直ぐ伸びる廊下を前にして周囲を見渡す私に、アナウンスが響いた。
警察無線は沈黙している。焦燥が私の中でどす黒い容(かたち)を持ち始めていたが、今は信じるしかなかった。
私は疑われないようにゆっくりと廊下を進んだ。リンから送られ続けるデータによるとラボ入り口にカムイが待ち伏せているのが判る。あの力で捕まったらもう逃げられない。どうする?
3Dマップには機動隊の姿はない。セキュリティシステムの目を欺いているという点では望ましいが、不安であることには違いなかった。

第二ラボの自動ドアの前に着いた。一歩進んでラボの扉を開く。
ドアの向こうに広がるラボは雑多な資材が置かれ、さながらバリケードが張り巡らされているようだった。
白い、清潔な室内にグレーのスーツを着た痩せぎすの外国人らしい五十がらみの男が一人、こちらを向いて立っている。エリートサラリーマン風の品の良い薄ブロンドの髪と碧い瞳が印象的だ。
「来たか」
男はやはり流暢な日本語でそう言った。
「まったく、最後にろくでもない失態だよ。日本での最後の仕事でまさかこんなドジを踏むとは……」
続けて吐き捨てるように呟き、私を睥睨(へいげい)した。
「さあ、こちらへくるんだ」
こちらからは見えないが私はリンのマップと各種センサで捕捉している。自動ドアの影でカムイが私を取り押さえようと顎(あぎと)を開けて牙を剥きながら、その口に私が飛び込むのを静かに静かに待っている。
私は時間を稼ぐために少しゴネてみることにした。
「その前にマスターを開放してください。マスターが研究棟の外に出られるまで私は動きません」
ぴくりとベルナールの眉が動いた。
「君は黙って従っておればよろしい。人間様に歯向かうとは実にけしからん」
私はベルナールを睨み返した。その目がどうもベルナールの癇に障ったようだ。
「察するに君は立場を理解していないな。君は私に指図する立場にはないのだよ」
口調は穏やかだが、その双眸は苛立ちと怒りで蒼い焔(ほのお)を吹き上げて燃えているようだ。私は更に言い返した。
「立場をご理解いただいてないのはあなたでは? マスターに何かあったらこの場でハニカムメモリをクリアしてランダム書き込みを8回繰り返し、OSを綺麗さっぱりクリーニングして差し上げますよ? ベータ版の私にはOSの製品版マスターディスクは存在しませんから、私を失えばあなたの仕事は完全に失敗ということになりますね」

初めてその時、ベルナールの上品そうな紳士の仮面が醜く歪んだ。これがこの男の素顔か。
「小賢しいロボットめ! 良いだろう」
ベルナールが足元から何かを拾い上げた。
片手で軽々と持ち上げたのは、ぐったりとして動かないマスターだった。
温感センサに体温を感知、体温は維持されているから命に別状はなさそうだが、どうやらカムイに暴行されたような負傷が見える。
逆上しそうな自分を抑えるのに暫く時間を要した。この情緒の振れは今までに感じたことがない。これが新しいOSのなせる業(わざ)なのか。
ベルナールはマスターをテーブルに投げ出した。
「さあ、満足したろう。入りたまえ」
私はW4E27非常口の扉をさりげなく確認し、マスターとベルナール、そして出入り口に構えているカムイの距離を計測した。
非常口からベルナールまで4m50cm……誤差30cm。非常口からカムイまで7m80cm……誤差45cm。
私は一歩、ラボへと足を踏み入れる。

すると、非常口がばたんと大きな音を立てて開き、フル装備の機動隊が突入した。
ベルナールが音に気付いて振り返る。
私は頭を下げた。
インターネット社で聞いた乾いた銃声よりも大きな銃声がタン、タン、タタンと4つ響く。そのうち一発が出入り口で私を捕まえようとしていたカムイの肩を吹っ飛ばした。
連続する弾着音と共に壁が抉り取られる。
のけぞるカムイにとどめの一発が放たれた。今度は正確にカムイの頭部が爆(は)ぜ飛んだ。
もう一体の無傷のカムイが刀を抜いた。赤い瞳は私を捉えていた。
私は咄嗟に行動不能に陥ったカムイの腰から刀を奪う。カムイから延びる一撃必倒の剣閃の軌道を予測し鉄製の鞘ごと受けたが、あまりの衝撃に剣を持っていかれそうになった。
受ける方向を間違えたら確実に関節がへし折れる荷重だ。
後ろへ跳ぼうとして背中が壁に当たったことに気がついた。私は左に跳んだ。間髪いれずにカムイが返す刀で切りつけ、私の後ろにあった配電盤を両断した。派手に火花が飛んで、室内は赤い非常灯に切り替わる。どうやらカムイは主電源を破壊したらしい。

私は回避しながらネットを検索し、剣術モジュールを探した。0.19秒で86000件ヒット。
筆頭はずばり「初音ミク 真剣術(円明流)モジュール」
……これ作った人、ミクを一体何に使うつもりなんだろう?(苦笑)
ともかく今はありがたく使わせてもらうとしよう。
150MBほどのファイルなので一瞬でダウンロードが完了し、1秒以下で解凍からインストールまで終了した。
私は刀の鍔に親指をかけ、柄を握った。
刀の情報がCPUに入力される。型式JBL48ST-A アーミーブレードと呼ばれるもので材質は超硬ステンレス合金。刃渡り2フィート4インチ(約72cm)、反り11/12インチ(約2.3cm)、3mmの鋼鈑を紙の様に切り裂く特殊高周波ブレードは、日本刀というより刀を象(かたど)ったアーミーナイフに近い。
だが、いくらその特殊軍刀であってもカムイは斬れない。
カムイはセラミック・特殊圧延鋼板複合装甲で最も装甲の薄い首関節を狙っても破壊不能だった。

唯一破壊可能なのは……
私は鯉口を切り、その瞬間を待った。
カムイは私を捕捉しながら横殴りの一刀。首を狙ったワンパターンなその太刀筋は、インターネット社で見たことあるのよ。
私は上体を大きく沈ませてカムイの斬撃を躱すと、唯一破壊可能なそこを狙った。鞘走る剣の煌きがカムイの見た最後の光景だったろう。

私はカムイの両のアイカメラを薙ぎ払った。視界を奪われたカムイがサブセンサーに知覚を切り替える前に、私は柄頭に掌を当ててカムイの眼窩に切っ先を突き入れた。
なまじ重量のあるカムイの機体が災いしたようだ。切っ先はカムイの第二装甲を突き破ってCPU直前まで達した。だが、まだ致命傷ではない。
カムイはセンサーを頼りに刀を振り回す。私は深々と突き刺さって抜けなくなった刀を手放して後退した。
私は突入した機動隊員を見た。
機動隊員は二派に分かれ、一派は既にベルナールを包囲し、そしてもう一派はアサルトライフルの銃口を暴走中のカムイにポイントしていた。
再び銃声が響いた。赤い非常灯の明かりの中でマズルフラッシュが更に毒々しい赤を吐き出した。
カムイは6.8mmの炭化タングステン芯徹甲弾を雨霰と受けて弾け跳んだ。
機動隊が突入して、それはきっかり10秒後の出来事だった。

ライセンス

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存在理由 (16)

閲覧数:155

投稿日:2009/05/18 00:43:50

文字数:2,896文字

カテゴリ:小説

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