久方振りの故郷
三年ぶり……。いや、正確には六年ぶりになるのかな。
降りる人達の邪魔にならない位置に佇み、リンは久しぶりの故郷を眺める。王宮を追放されてからの三年間は王都の外れにある貧民街で過ごしていたし、キヨテルに拾われてからの三年間は港町近辺から出る事は無かった。
王都の大通りに馬車が到着したのは、昼をとっくに回った頃だった。馬車便は相変わらず快適とは言えなかったが、その不便さも二回目なので気持ちの準備は出来ていた。心配したほど酔わなかったのは、船と比べればずっとマシだったからかもしれない。
「聞いたか? また税金の値上げだってよ」
「やだねぇ……。どうせお貴族様が無駄遣いしただけだろ」
不意に耳へ入って来た会話にリンは耳を澄ます。喧騒に紛れているが、どうやら近くにいそうだ。
「舞踏会だの晩餐会だの開く余裕があるくせにな」
「それを減らさないで何が税率の引き上げだよ、馬鹿馬鹿しい」
さり気なく辺りを探して愚痴の出所を探すと、道の脇に立つ二人の男性を見つけた。多分あの人達だろうと見当をつけ、通行人に混じってゆっくり近寄る。
「まあ、元締めが世間知らずの王子じゃ仕方ないよな」
「国民へ目を向けずに遊び呆けてんだろ。良い御身分だ」
男性二人はせせら笑って歩き出す。レンへの悪口に思わず怒りを覚えたが、リンは鞄を握り締めて内心の怒りを抑え込む。
レンの何を知っている。腐った貴族と一緒にするな。
すれ違ってから一拍置いて振り返り、男性達へ敵意の眼差しを送った。
「……何も知らない癖に」
同じ言葉が重なり、リンは驚いて首を左右に振る。異口同音になった相手を探していると、数歩離れた所で似たような仕草をしている女性を見つけた。相手もこちらに気が付いたのか、微笑んで軽く手を振る。
その女性はリンより頭一つ分は背が高く、王宮のメイド服を着ていた。
「あの」
レンの事を何か聞けるかもしれない。明日から王宮で働く身として挨拶をしておこうとしたが、女性は既にリンとは別方向に向かっていた。腰の近くまで伸びた金髪を揺らし、人の流れに紛れ込む。
「早……」
走って追いかけようかとも考えたが、王宮にいれば顔を会わせるだろう。それに今は宿と昼食を取る方が先だ。出来れば今日中に行っておきたい所もある。
少々重い鞄を持ち、リンは王宮へ続く大通りを進んで行った。
飲食店も兼ねた宿で遅めの昼食を済ませた後、リンはすぐさま王都の外れへと出掛けた。宿に荷物を預けている為、朝に比べると大部身軽な状態である。
「変わってないな、あんまり」
リンは歩きながら街並みの感想を呟く。良くも悪くも頻繁に通っていたこの地域は、三年前とあまり代わり映えが無い。お陰で迷わずに先に進める。目的地に近づくにつれて嫌な記憶を刺激されるが、気になっていた場所でもあるのだ。
何か、人、少なくない……?
ふと湧いた違和感に立ち止まり、リンは道を歩く人へ意識を向ける。
住んでいる人達はおそらく三年前から減っていないが、貧民街から来ているような人達を見かけない。問題が改善されたのなら歓迎だが、それならこの地区にも何らかの変化があるはずだ。
強制退去を受けてよそへ移されたのだろうか。リンは止めていた足を動かしながら一番高い可能性を考える。自分が貧民街にいた時も、国から立ち退きの命令が出されると言う噂はあった。それは毎回噂で終わっていたが、知らない内に実行されたのかもしれない。
かつて生活していた場所に着いた時、そんな生易しい考えは粉々に打ち砕かれた。
「何、これ……」
愕然としたリンはそれだけを口にする。乱雑だが街としての体裁はあった所は、乾いた風が吹くだけの廃墟となっていた。
別の所に来てしまったのかと思うほどに変わり果てた貧民街を前に、リンはただ立ちつくす事しか出来なかった。あらゆる家屋は跡形も無く崩れ落ち、かろうじて残った柱も黒い炭と化している。狭い道は瓦礫の山で塞がれ、石畳にはあちこち焦げた跡がある。人がいる気配は、無い。
耳がおかしくなりそうな静けさの中、リンは火災に遭った街を見渡す。そして、無言で目を閉じた。
一人で黙祷を捧げた後、リンは慎重に街を進んで行く。見知った家や店が無くなり、道もほとんど変わってしまっているが、三年間暮らした時間は無駄ではなかったらしく、大体どの辺りにいるかの見当は付けられた。
人がいなくなって随分経つのか、ひび割れた道や瓦礫の隙間からは雑草が伸びている。空き地はリンの背丈よりも高い草で埋め尽くされ、壊れかけの柵に蔦が絡みついていた。
リンは空き地を通るのを避け、雑草が生い茂っているのを横目に進んで行く。空き地を通り過ぎようとした時、黄色い小さな物が一瞬目に入った。
「ん?」
立ち止まって足下を見下ろす。それは無秩序に草が生えて緑ばかりの中にぽつりと、だが確かに地面から茎を伸ばして花を咲かせていた。
「蒲公英だ」
リンは中腰になり、細かい花びらが皿状に集まった黄色い花を見つめる。隣には球状に集まった白い綿毛が生えており、ギザギザした葉はまるで動物の牙のようだった。
立ち上がって周りを観察してみると、崩れた家屋や道の裂け目からも蒲公英の花と綿毛が姿を現している。崩れた家屋や道の裂け目からも芽を出せる花に、リンは羨むように呟く。
「こんな状況でも咲くんだなぁ……」
苛酷な環境にも負けずに生きる強い花。リンは蒲公英にそんな評価を送り、もう一度歩き出した。
貧民街だった地区を更に進むと、ここで過ごして来た時に毎日目にした風景に変わる。街の外れまでには火の手が回らなかったのか、この辺りは三年前と大した変化はない。そしてそれは、ぽつりと建っている小屋も同じなようだ。
ここだけ無事なのが良いのか悪いのか分からない。内心でぼやき、リンは独りで暮らしていた家の前で足を止めた。
相変わらずの廃屋ぶりにやるせなさと懐かしさを感じつつドアをノックする。
中から物音はしない。念の為にもう一度ノックして呼びかけた。
「誰かいますか?」
反応は無い。誰もいないと判断をしてドアを開くと、油の切れた蝶番が不快な音を立てた。金属が擦れ合う音に眉を寄せ、リンは小屋の中に足を踏み入れる。
キヨテルに助けられたあの日以来、ここには一度も帰って来なかった。忽然と空になった小屋に他の誰かが住んだ形跡は無く、欠けた食器や壊れかけの家具が最後に出て行った時のまま残っていた。
奇妙な哀愁を覚えて、リンはぽつりと漏らす。
「……変なの」
ここにいた時は嫌で仕方が無かったのに、何で変わっていない事に安心するんだろう。今この時まで誰もここに来なかった事に、どうして嬉しさと寂しさを感じるんだろう。あの生活には戻りたくないのに、懐かしいと思えるのが不思議でたまらない。
時間が止まっているかのような小屋を再び見つめて、リンは自分に誓う。
私はもう、ここには帰らない。
空っぽの小屋で微笑む。ここで笑うのは初めてかもしれない。
「さよなら」
小声で、しかしはっきりと別れを告げて、リンは廃屋を後にした。
「あ、おかえりなさい」
宿に戻ったリンへ笑顔で声をかけたのは、山吹色の髪を頭の左側で纏めた少女。この宿の主人の娘であり店員でもある彼女とは歳が近いのもあり、リンは親しみやすさを感じていた。
どうも、とリンは会釈を返す。夕食にはまだ早い時間の為か客は少なく、店内は閑散としていた。今なら余裕があって大丈夫だろうと考えて店員に話しかける。
「あの、ちょっと聞きたい事があるんですが」
「良いですよ。立ち話も何なんで座りましょうか」
時間を貰って良いかとリンが問いかけると、店員は近くの席を指差す。テーブルを挟んで向かい合わせに席に着く。
「私、三年前まで王都に住んでいたんですが……」
リンはそう口を切って店員に尋ねる。
しばらく見なかった間に良い変化があったかと思って貧民街に行ったが、そこは跡形もなくなっていた。大きな火事があったらしいのは分かるが、いつ、どうして起こったのかが分からない。知っている事があれば教えて欲しい、と。
あまり人には言いたくないし変な気を使われそうなので、貧民街にいた事は隠しておいた。
「ああ、あそこですか……」
店員は顔を曇らせる。酷い話ですよと前置きをして、リンを見つめて語り出した。
「火事あったのは二、三年前くらい前です。真夜中にどこかで火の不始末があって、それが建物に燃え移ってしまったらしいです。あまりしっかりした作りではない上、狭い所に家屋が密集していたのが災いして、火はあっという間に広がってしまったそうです」
王宮が事態に気が付いた時には既に遅く、もう手が付けられない程の大火災になっていたらしいと店員は話す。
凄惨な話に息を呑み、リンは激しい動悸を感じて口を開く。
「そんな……。なら、生存者は……?」
時間は真夜中。しかも逃げ場が無い状況。答えは出ているようなものだった。
店員は目を伏せて首を左右に振る。最悪の事態が起きたと無言で教えてから息を吐いた。
「……住んでいた人数に対して、生存者は数えられる程度しかいなかったらしいです」
ほとんどの住人が犠牲になった痛ましい事故だったと締めくくる。想像していたよりもはるかに重い話を聞き、リンは店員に頭を下げて礼を言った。
軽い夕食を終えて部屋に戻り、リンはベッドに腰掛ける。あの話を聞いてずっと頭から離れないのは、貧民街が焼け野原となった原因についてだった。
本当に火の不始末だったのかな……。
原因としては何もおかしな所は無い。だけど、ふと湧いた疑問が心に引っかかっている。一度疑い始めるときりが無く、悪い方へ考えが行ってしまう。
例えば、一家心中を考えて火を使ったとか、節度を知らない集団が火遊びをしていたとか、誰かがわざと火を点けたとか。
誰かが貴族の財布に手を出して、それを口実に一掃されたとか……。
頭を振って思考を追い払う。明日から王宮で働くのだ。ただでさえ嫌いな貴族連中へ更に不満を募らせても仕方がない。それに放火かどうかも分からないのに、当てずっぽうの推測で反感を持っていても疲れる。
明日になれば王宮に行ける。六年ぶりにレンに会えるのだ。今は弟と再会できる事を楽しみにして、体を休めて備えておけば良い。
せめて明るい事を考えようと、成長したレンの姿を想像してみようとする。しかし、火災への疑念は払拭されないまま夜が更けていった。
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