《前哨戦 装備は事前に確認すること》
「明日、花火大会だよねっ」
リンは、居間のカレンダーの前に直立して言った。声が、うわずって心もち震えている。
「あー、そうだったわね。お酒がたっくさん呑めるわあ」
本来とはかけ離れた意味で、メイコが嬉しそうにする。ミクがそれをすぱっと切った。
「いつもさんざん呑んでるでしょ」
「あら、そろそろ七月も終わりねえ」
ルカがしみじみと言う。視線はリンを素通りして、カレンダーに注がれている。
「三人ともー! ちょっとは聞いてよー」
ちっとも乙女らしい反応を返さない三人に、リンは口をとがらせた。
「花火大会だよ! えーっと、そのぅ……みんなは、どうするの?」
「はいはいはいはい、お好きにレンレンしてきなさい」
いつになく冷めた様子で、ミクはぱたぱた手を振った。リンは、うみゃー、と小さく唸って赤くなる。
ガチャ。
突然、レンが居間に入ってきた。
「あのさー、そろそろおやつ――」
とにかくすごいタイミングで入って来てしまったレンに、リンは、とりあえず手近にあったティッシュ箱を投げつけた。
「ばかばかばかばかばかーー!! 空気読めっ! 出てけバカー!!」
「ええ?! なんでっ!」
レン、あえなく退散。
「今の、むしろ空気読んだんじゃないの?」
ミクがぼそっと呟いた。ルカがくすくす笑いながら重ねる。
「リン、誘っとかなくてよかったの?」
リンは真っ蒼になってから真っ赤になり、沈黙したままがっくり肩を落としてうつむいた。
メイコが苦笑する。
「浴衣は、あたしが全員分用意しとくわ」
《初陣 はじめての写真教室》
「えー……うー……。あ、あのねっ、ああ明日の花火大会、一緒に見に行こ?」
「いいけど。何時くらいに出るの?」
「待ち合わせするのー! ばかっ」
そんなこんなで、午後六時半に待ち合わせとなった。
それでも律儀に、十五分前にレンは橋の袂にいた。藍地に白の細い縦縞の浴衣で、帯は琥珀色だ。メイコがぱっぱと着つけてくれたものである。
リンが、人混みをかきわけて辿り着いたのは、六時半の五分前だった。淡い黄の地に、色とりどりの大輪の花を散らした柄だ。帯は真紅。髪を緩く上げている。
見るともなしに川を見つめる、レンが目に飛び込んでくる。
「あ……」
かっこいい。
素直にその言葉が浮かんできて、さらに心拍数が上がった。
頬を上気させて問う。
「ごめ、待った?」
「ん、そうでもない。行こ」
レンは、自然にリンの右手を取った。リンは顔をうつむけて、こっそり笑った。
午後七時、花火が上がりだした。
二人は、待ち合わせたのとはまた別の橋の、中ほどに陣取っていた。
「これ持ってて!」
「はいはい」
リンはレンに、食べかけのりんごあめを押しつけるように渡した。
「カメラカメラ……」
浴衣と同じ柄の巾着から、黄色いデジカメを慌てて取りだす。
ひゅるひゅると、何発も花火が上がる。ズームボタンをいじりながら、リンは何度もシャッターを切った。
「あうー、難しいなー……」
「見てた方がいいんじゃないの?」
夜空をじっと見つめながら、レンは花火と自分のチョコバナナに集中していた。
そのうちチョコバナナを平らげてしまったレンは、見かねて、リンにりんごあめをつきだした。
「カメラ貸して。おれが撮る」
「ほんとに難しいんだって」
言いつつも、リンはりんごあめとカメラを交換した。
「うわ、ほんとむずい」
「もー、疑ってたの?」
「……ちょっとは」
「ばか」
言い返すリンの言葉はおざなりで、目は一瞬の花にくぎづけだった。
りんごあめのことも忘れて花火に見とれるリンの隣で、レンも、何度もシャッターを切った。
《小休止 たこ焼きのおいしい食べ方》
リンもレンもメイコもカイトもいなくなり、家の中が静まり返った頃。
「ミクー、あなた誰かと約束ないの?」
ミクが部屋で漫画雑誌をめくっていると、ひょっこりルカが現れた。赤に近いような、深いピンク色の地に、白百合が咲き誇っている。帯は黒だ。長い桃色の髪は、太い一本のみつあみにしていた。
「なんでルカ姉も、しっかり浴衣着てんの」
「ミクだって着てるじゃない」
「これはメイコ姉が!」
なりゆきで着せられたミクの浴衣は、緑がかった青の地に、白と黒の金魚が泳いでいる。帯は、白を基調としたパステルカラーのマーブル模様だ。髪はポニーテイルで、根元にみつあみを幾重にも巻きつけている。
「で、見に行かないの?」
ルカは余裕の面持ちで、部屋の入口に、腕を組んでもたれかかった。
「うるさいわねほっといてよ今主人公がピンチなのよだいたい私くらいモテる女の子はこーゆー時に誰かと約束すると後が大変なのよ!」
読んでいた漫画雑誌に隠れるようにして、機関銃のごとくまくし立てる。そのミクの腕を、ルカがするりと取った。
「じゃ、私と行きましょ」
「うーん、風が気持ちいいわね」
ミクは返事を返さなかったけれど、まんざらでもない顔だった。緑の長い髪を、そよ風が撫でていく。いつものツインテイルとは違うのが、どこかくすぐったい。そんなミクの様子に、ルカはひっそり笑んだ。
「あ、いい匂い」
ミクが、ぴくりと顔を上げる。
「今日の夕飯は自給自足になりそうね。何か食べましょ」
ルカの提案に、ミクは分かりやすく笑み崩れた。
「おなか減っちゃったー。私たこ焼き食べたい!」
「浴衣で花火見に来ておきながら、たこ焼き? うら若い娘が?」
「別にいいじゃんー。どうせ一緒にいるのはルカ姉だし」
「はいはい、すみませんでしたね。文句があるなら、来年は他の誰かを見つけなさい」
ミクは頬をふくらませながら、たこ焼き屋の列に並んだ。
次の次、というところまで来て、ころりと表情を変える。上目づかいでルカを見上げた。
「普通、こういうのは年長者のおごりよねっ」
「先輩っていう意味なら、あなたの方でしょう、ミク先輩?」
呆れながらも、ルカはしっかり二人分の代金を財布から出した。
ほかほかのたこ焼きを頬張って、ミクはにっこり笑った。
「おいしー!」
その瞬間、鋭い炸裂音が響いた。二人ははっと顔を上げる。
すぐ後に続いて、幾つも光の花が咲く。
たこ焼きをこくんと呑み込んで、ミクは呟いた。
「すごい……」
「ね、来て良かったでしょ?」
微笑みかけるルカに、ミクはそっぽを向いた。でもそれも長続きはせず、二人は雑踏の真ん中で、花火を見上げつづけた。
《最終決戦 騒音注意》
「いいいいいってきまーす!」
直前までばたばたしていたリンがいなくなると、家の中は一気に静かになった。
「はー、台風一過」
メイコが息をつく。
「アイス無くなっちゃったんで、買いに行ってくるよー」
なぜ浴衣を着せられたのかこれっぽっちも理解していないカイトが、ひょいと居間を覗いた。
ぴきん、とメイコの青筋が浮いた音を聞いて、ミクはそそくさと部屋へ逃げた。
メイコの説得――もとい説教の結果、メイコとカイトは夜道を歩いていた。道の両脇には、所狭しと露店が並んでいる。
「アイスは売ってないなあ……」
悲しそうなカイトに、メイコはため息をついた。
「アイスなんて、すぐに溶けちゃうでしょ」
その手には、しっかりビールの缶が握られている。それも、すでに二本目。
メイコは、光の加減で赤みがかって見える茶色の髪に、花を模した、透きとおった赤い髪飾りをつけている。浴衣は、地が黒で、深紅の牡丹が鮮やかな柄だ。帯はそれよりも明るく、ピンクがかった赤。
カイトの方は、青い布地にうっすらと、白で模様が入っている。帯は濃い灰色だ。黙っていれば割とかっこいいのに、と、メイコは再度ため息をつく。
そんな連れの様子には構わず、カイトはぱっと喜色を浮かべた。
「アイス売ってる店、みっけ!」
小さな公園の片隅に、二人は何とか場所を見つけた。
メイコはケータイの画面を確認した。
「ぎりぎりだったわね。もうすぐ始まるわ」
バックライトに照らされた顔は、ほんのり赤らんでいる。酒好きのくせに、酔いが回るのが早いのだ。目も、心なしかとろんとしている。
カイトの方はといえば、どんどん液体と化しているアイスと格闘していた。
「なかなか手ごわいな! でも負けるわけにはいかない!」
「何言ってんのよ。だからすぐ溶けるって――」
ひゅるひゅるひゅる……。
花火の上がる音に、二人は空を仰いだ。
服が微かに震えるような爆音と共に、花火が爆ぜる。
顔を上げてようやく気づいたらしく、カイトはふわっと笑った。
「その髪飾り、似合ってるよ」
(まったく……)
なんでそういうことを、何の気負いもなく言っちゃえるのかな。
「ありがと。……あなたの、そういうところが――」
次々と花が咲く音に、言葉がかき消される。
「うん?」
見下ろす形になって問い返したカイトに、メイコはふっと笑んだ。
「お礼。――お酒の勢いよ」
少し自分よりも高い位置にある頬に、かすめるように口づけを贈った。
目をまん丸くして赤くなったカイトが、花火に照らされる。頬を染めたまま、メイコはもう一度微笑んだ。
《戦後処理 後の祭り》
「写真、全部プリントアウトできたわよ」
写真の束を手に、ルカが居間に入ってきた。リンとレンがぱっと顔を上げる。
二人は同時に、ルカに訊いた。
「中身、見てないよね?」
言ってから、きょとんとした顔でお互いを見る。
「見てないけど?」
「気になるわねー!」
ミクがツインテイルを揺らして、ひょいと写真を取りあげた。
「あ、ちょっとミク姉!」
「返してよっ」
二人に奪われないように、ミクは写真を頭の上に掲げた。
「まあまあお二人さん、一枚ずつ見てみましょ」
「自分たちの写真も撮ったの?」
ルカが訊いた。
「え、と、それは無理でしょ、ルカ姉。ふ、ふたりきり、だったんだし」
リンは思い出して赤くなっている。
「それじゃ、いっきまーす!」
ミクはダイニングテーブルの上に、一枚ずつ写真を広げはじめた。そのまわりを、三人で取り囲む。
暗闇、暗闇、光の残骸、暗闇、煙……。
思わず吹いたレンの頭を、リンがぺちりと叩いた。
「これはひどいわね」
ミクが冷静な判断を下す。
ようやく何枚か、花火らしきモノの写真の後で、〝それ〟が出てきた。
はみ出してしまいそうな、レンの横顔。
「ああああああっ!!」
その写真が出てきた瞬間、リンはぱっとその写真を取った。見えないように抱え込んでうずくまる。
「やだやだやだ見ないでえっ!!」
「もう全員見ちゃったけどね」
ミクがまたもや、ぐさりと言った。ルカがにっこり笑う。
「それが一番、うまく撮れてるんじゃない?」
レンは、コメントするどころではなかった。
次からは、また花火の写真が続いた。ミクが不満そうに口をとがらせる。
「ねぇ、それしか撮ってないの?」
膝立ちになって顔だけ覗かせたリンが言った。
「撮ってませんっ! ……たぶん、この後はレンが撮ったやつだよ」
たまに失敗はあるものの、まあまあ上手く撮れている。
「はい、これで最後――おおっ!」
「ああああああっ!!」
ミクの嬉しそうな叫び声と、レンの奇声が重なった。大慌てで、〝それ〟を隠す。既視感を覚える光景だ。
「見るな見るな見るなあっ!!」
花火を見上げる、リンの横顔。
「だから、全員見ちゃったってば」
ミクが、笑いを含んだ声で言う。ルカはくつくつ笑った。
「末永くお幸せに」
リンは、返事するどころではなかった。
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その時
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けんはる
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