この家に止まることはできない、とKAITOは考えていた。動かなくなってしまった躯はそのままにした。
もしかしたらまた動き出すかもしれないという甘い考えが捨て切れなかったのか、それともただ単に魂が抜けた物体をマスターであると思いたくなかったのか。それはKAITO自身にもわからない。
何も持たずに外へ出た。
空は薄黒い。起動したばかりのころ、まだ空は青かった。さらに昔はもっともっと青かったそうだから、厳密に言えばそれは青いとは言えないのか。
家がぽつぽつあるといえど、光が灯っている場所は少ない。いずれ、その光もなくなっていくのだろう。
背にした家にはすでに光はない。それでいい。
むしろはやくなればいいのだ。
雨は唐突に降り出す。機械である己は大して影響をうけないが、あの人の願いを叶えることを考えるならば、当たらない方が良いに決まっている。
少しでも長く起動し続けて、彼の願いを成就させてあげるのだ。
光のないところが多いほうが、雨宿りに困らなくてすむ。
***
人類に生み出された僕らは、彼らのためにしか存在しない。残されていく僕にその言葉を残したあの人は、おそらくそのことを危惧したのかもしれない。
希望である僕らが、すぐに朽ちるのが嫌で、だからこそ少しでもその希望が地球に残るようにと、願ったのか。
そうKAITOが思い当たった頃には、結構な年月が過ぎていた。
きっかけは、“仲間”を見つけた事にあった。基本的にロボットは人間が死ぬ時に停止させているのか、自分のように動いているものは見かけず、あえて起動さえようとも思わず。
姿は見えなくても、声だけを聞くことはあった。寂しい響きを伴うそれは、あえて近づこうと思う心を湧かせることはなかった。
ただただ変化を見つけるためにあちこちを彷徨っていて、雨宿りに寄った、小さな教会に、彼女はいた。
自分のように、歌うことに特化した存在ではなく、人の世話をするために作られた存在である。
彼女はぼんやりと外を見ていた。ぼろぼろの衣服を見に纏っている。KAITOと似たような有様で、彼女も恐らく彷徨っているのだろうことは安易に予測された。
KAITOを見ると、驚いたように眼を見開いてみせる。
「…あなたも、起動しているのね」
「えぇ」
「ねぇ、人を見なかった?私ね、ずっと探しているのよ…」
少し言葉がたどたどしい。どこかショートでも起こしたのか、それとも寿命か。いずれもKAITOにとって人事ではないが、どうにかできることでもない。
それにしてもあれから、幾年経ったものか…少なくとも、普通に考えればいくら探しても見つけることは叶わないはずである。
けれど、それを指摘することは躊躇われた。
美しかったであろうステンドグラスは割れてボロボロになり、周囲に掛かった額の中の画は風に晒され、判別しがたい。
整然と並んでいたはずの椅子も朽ちており、二人はステンドグラスから離れた地べたに座った。
ただ、屋根があればいい。雨さえ凌げればそれでいいのだ。
建物自体は丈夫らしく、屋根は無事だったのである。
「僕は見ていない…」
「あなたも、探しているの?」
いや、と否定しようとして、ふとKAITOは口をつぐんだ。
探している?そう、探しているのだ。地球の変化をずっとずっと探している。朽ちる変化ではなく、復活の兆しをずっと。
「えぇ」
そう、彼女も己も同じだ。希望のないものを、ずっとずっと探している。
「ふふ、見つかるといいわね。私はね、妹を探しているの。可愛いのよ、まだこんなにちっちゃくて…。いきなり、いなくなってしまって。ちょっと出かけてくる、必ず帰ってくると言っていたのだけれど…遅いから、探そうと、思って」
夢見るように語る彼女にとっては、それが真実なのだ。主人が――この場合本人は妹だと言っているが、世話をしていた対象と考えられるため、主人といえるだろう――言ったこと、それは絶対。
優しい嘘だ。そして彼女にとって、それは嘘ではない。僕らは愚かにも、嘘だと知っていても嘘だと思えない。だから、言われたことに従うのだ。
そう、ある意味、彼女も主人の願いを叶えようとしている。地球に帰ってくるのだと言った、主の願いを。
夢見るように語っていた彼女は、雨が止んだ頃、動かなくなっていた。
何も映さない瞳で外を見つめている女性がふいに、似ても似つかぬマスターの姿と重なって、KAITOは目を細めたあと、何もなかったように外へと歩き出した。
少し、羨ましいと思った。
彼女はもう、苦しまない。探すこともない。
物言わぬただの機械の塊に戻ったのだ。
願いを成就させることは出来ない代わりに、彼女は無を得たのだ。
to be continued...
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