28.翼の矜持
ぐ、とリントの喉が詰まった。溢れた吐き気と熱をこらえきれずに、リントは思い切り思いをぶちまけた。
「悪いけど、オレには無理だ! 誰かを守るために他のどこかを犠牲にするとか! 手を汚さずに綺麗ごとばかり言うなとか!
……いいじゃないかよ! きれいごと言ったって!」
リントの絶叫が、広い遺跡の中に反響した。
「きれいごとの何が悪い! 綺麗なものは綺麗なんだよ!
島は守りたい、だけど敵の町に爆弾を落としにいくのは嫌だ! でもどうしたら守れるのかはさっぱり解らないし、結局戦争はこれからもずっと続くし、考える時間なんか少ないだろうさ!
……でも、オレひとりくらいは、良いだろう? 綺麗事を謳って、素直に綺麗なものを目差す事のどこが悪い!
みんなこそ、素直になったらどうなんだよ! オレはなッ、仕方ないって顔をして爆弾落としにいくよりは、死ぬまで考え抜いて何も出来ずに死んだほうが、よっぽど気持ち良いや!」
そう叫んだ瞬間、リントの目から涙があふれ出た。
波打つ視界と記憶の向こうで、レンカが、ヴァシリスが、そしてルカが笑っていた。
まぶたの向こうの笑顔に囲まれながら、リントは声を上げて泣いた。
十八にもなった青年の、すべての絆を振り切って逃げ切るつもりだった彼の、心の堤が決壊した声が遺跡の中を満たしていく。
だれも、なにも言わなかった。ぐずぐずと座り込んだリントが、うつむいたままぼそりと言った。
「手紙、書く」
ぐず、と洟を啜り上げる音の後に、リントの声が低く響いた。
「……オレは、郵便飛行機のパイロットだ。だから、爆弾は落とさない。かわりに、手紙を撒きにいく」
と、ドレスズの町長と呼ばれた男が歩み寄り、リントの目の前に立った。
「手紙に、何を書く気だ」
リントが、真っ赤に充血した目を上げた。
「オレの島に。今、爆撃を受けて、『奥の国』の兵隊が入り込んでいるオレの島に。
奥の国のみなさん、帰ってください、ドレスズは、実はあなたがたの味方じゃありません、って」
町長の顔は険しいままだ。
「奥の国は遠い。だからこそ、海の上で孤立するのは、きっと怖いだろうと思うから。
周りに味方がいないと知ったら、奥の国の兵隊は、きっとすぐに降伏してくれるかも、」
ぐっと町長の目が鋭くなり、リントの言葉が押されるように消えいきそうになる。
「かも、しれない……」
しばらくの静寂が過ぎた。飛行機の側で作業をしていた者も、どこか別の場所にいた人たちも、騒ぎを聞きつけて集まってきた。
百五十人はいるだろうか、すべての人々が、リントの言葉に耳を済ませていた。すべての人が、リントの泣く声と、その悲しみの中で絞り出された、拙い提案を聞いた。
リントが、ふたたび唇をかみ締める。今度は悔しさに引きちぎるような息が漏れた。
島を爆撃され、親しい人の命を危険にさらし、こんなにたくさんの経験をしたのに、己の提案はなんと幼く、小さいのだろう。
そんな、悔しさに満ちた呻きだった。
「……いいだろう」
静かな、岩に染み入るような、町長の声が響いた。
「どうせ、お前の飛行機は、あれしかない。丸腰の、真っ黄色の郵便飛行機だ」
町長が、ふっと後ろを指差した。それは、リントの乗っていた黄色の郵便飛行機だった。
「損傷は、翼の構造と胴の傷だけだ。事故ではなく最初から逃げるつもりだったせいか、エンジンに傷はついていない。藪に衝撃を吸収させて、うまくひっくり返したもんだな。
……いい腕だ」
え、と思わず見上げたリントの頭を、町長の分厚い土に汚れた手のひらがべしっと襲った。
「いてっ! 何するんだ!」
「男がメソメソするんじゃない! 士気が下がる!」
「ご、ごめんなさい……」
「やってみろ」
町長が、ぐいとリントの肩をつかんで起こした。
「私……いや、俺たちも、外に出る機会を狙っていた。
お前は泣き虫だが、弱虫じゃない。そうだな、小僧?」
ぐ、と奥歯をかみ締めたリントの頬が紅潮する。弱虫じゃない、という言葉を強く肯定するように、力強くうなずく。
「オレの飛行機に、武装は必要ありません。オレの腕前が、オレの唯一で最大の武器です」
と、郵便飛行機仲間が、わっとリントを取り囲んだ。
「その素直さがリントだよな!」
「ほんと。生意気すぎて惚れ直すわ!」
「その分俺たちは遠慮なく武器を積ませてもらうからな。『奥の国』の飛行機との空中戦に、武器なしじゃさすがに泣きそうだからな!」
その意味するところを、リントは敏感に感じ取った。この人たちは、自分と一緒に飛ぶ気なのだ。郵便飛行機のパイロットなのに、自分と共に、戦場となっている場所へ向かう気なのだ。
「いいのか……」
「いいのもなにも!配達人は多いほど手早く渡せるってもんだ」
す、と郵便仲間が手を差し出す。リントが手を差し出すと、次々に三人分の手のひらが重なって、がっちりと結ばれた。
「……悪かったな。お前の島を、爆撃させてしまって」
町長の声が、リントの背中に、そっと響いた。
「タイミングを、測ってたんでしょう。奥の国が、完全に信用するところを。
……なら、いいんです。きっと、オレの島の皆は、簡単にはくたばりませんから」
事態が動いた空気に、ぶうんと換気扇の音が戻ってきた。
「ようし! では、皆! いよいよ……やるぞ!」
応、と百五十名分の声がこだました。
リントは、自分の黄色の飛行機に歩み寄る。作業服姿の一人がリントの側に駆け寄ってきた。
「どうです! 何か気になることがあったら、なんでもおっしゃってくださいね!」
リントの顔に、笑みが浮かんだ。
「ありがとう……」
見上げた黄色の飛行機は、藪に突っ込んだ時の傷はすっかり消えていた。
「……ごめんな」
リントが、ちいさくつぶやいて微笑んだ。
「もう一度、オレを乗せてくれるか」
その言葉に、リントの飛行機を担当していた者たちが、じっと見守りながら肯いた。
つづく!
滄海のPygmalion 28.翼の矜持
翼の矜持(プライド)。どんなに自己中心的でも、恥をかくことを恐れなければ、その思いは人を動かし、世界が変わる……かも?
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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