第十一章 リグレットメッセージ パート1
リン女王の処刑が終わると、群衆は興奮の中で大喝采の声を上げ始めた。悪ノ娘は滅びた。悪ノ娘に対する鬱憤を発散させた民衆達は、次々とカイト王とメイコを称える声を上げ始めたのである。その声に応える様に立ち上がったカイト王は右手を大きく掲げた。その仕草に、群衆達が更に大きな歓声を上げる。
そろそろ、潮時ね。
群衆達の様子を冷静に観察していたルカはその様に考えた。悲しみに暮れるのは今ではない。今は、リンを連れてすぐに城下町を離れなければ。これだけ群衆が興奮しているなら、多少不審な行動をとったとしても誰も気がつかないはずだ。レンの想いを叶えるには、今すぐ行動を起こす必要がある。ルカはそう判断して、隣で立ち尽くすリンの姿を見た。リンは、気丈に唇を噛みしめて涙を堪えていた。今泣けば、群衆達に気取られる。それを理解していることを理解して却って悲痛に表情を歪めたルカだったが、私がここで取り乱す訳にはいかない。そう考えて一つ胆力に力を込めたルカは、リンに向かって力強くこう言った。
「行くわ、リン。」
その言葉に、一つ頷いたリンの右手を掴み、ルカは群衆を押し分けるように南正門へと向かって行った。途中、ルカは大通から一本路地へと入る。馬を一頭、宿場に預けていたのである。その馬を宿場の主人から受け取ったルカは、リンを馬の背中へと押し上げ、そして自らも騎乗を済ませると手綱を握り締めた。ルカの前に自らの身体を落ちつけたリンの背中がルカの胸に触れる。こんな日に一体どこに行くのだろう、と不審そうな表情をした宿場の主人を無視してルカは手綱を緩め、再び南大通へと戻ると南正門へと向かって馬を歩かせた。正門は解放されている。この時間なら普段から開門されているが、常駐しているはずの衛兵の姿も見えない。おそらく、全員がリン女王の処刑を見物しにいったのだろう。今なら突破出来る、と判断したルカは思いっきり馬の横腹を蹴った。途端に、馬が走りだす。石畳に覆われた街を蹴る音を耳に響かせながら、ルカはそのままの勢いで南正門を突破した。正門脇にある詰所から最低限の人員として残されたらしい兵士が二名ほど飛び出してきたが、それを無視してルカは駆けた。
ひたすらに、逃げる。
そしてルカはオデッサ街道の途中で、進路を西へと向けた。特に理由があった訳ではない。だが、東に行っても青の国が迫るだけだ。ならば、西へと逃げる。そう判断したのである。道なき道を駆け続け、その城下町の姿が地平線の彼方に消えて行く程度に距離を取った時、ルカは馬の手綱を引き絞った。下手に駆けさせて、馬を潰す訳には行かない。二人の命を預かるものがこの馬しか存在しない以上、これからはこの馬に任せる形で歩いてゆくしかないわ。ルカがそう考えた時、リンがすすり泣き始めたことに気がついた。今まで堪えていたものを、ようやく絞り出す様に、背中を震わせながら。そのリンを、ルカは背中から抱きしめた。優しく、まるで母親の様に。
「よく、耐えたわね。」
そう言った自身の声も震えていることに気が付く。視界が無意識に霞んでいったことを自覚したルカは、暫くの間リンの背中を抱きしめ続けていた。リンが落ち着く気配は全くなかったけれど、落ち着くまではずっとこうしていよう、と考えながら、自身の涙をルカは右手で拭った。
その時間はどの程度続いたのだろうか。おそらく一時間か、その程度の時間が経過した頃に、リンはもう一度涙を拭うと、正面を見つめたままで、呟くようにこう言った。
「ありがとう、レン。」
そして、僅かにルカに向かって振り返るとこう告げる。
「ごめんね、ルカ。」
「大丈夫?」
自身の瞳も拭いながら、ルカはリンに向かってそう訊ねた。真っ赤にした瞳のままでリンは頷くと、今まで泣いていたことが嘘のように力強く頷き、そしてこう言った。
「もう、大丈夫よ。だって、この生命はレンがあたしにくれたものだもの。だから、しっかりと生きて行かないといけないよね。」
その瞳には、今まで宿っていたような憎悪の色も、不信感に満ちた色も見えない。ただ、リンが幼かったころと同じ様に素直な、真っ直ぐな瞳だった。あるいは、レンが死んだことで呪いが解けたのか。ルカはそう考えたが、そのことには触れずに、この様に言葉を返した。
「分かったわ、リン。それで、一つお願いがあるの。」
「お願い?」
ルカの言葉に不思議そうな表情をしたリンに向かって、ルカは当初から逃亡の際に考察していた作戦を伝えることにした。これから先は何が起こるか分からない。青の国もメイコ達も、おそらくリン女王がまさか生きているとは考えてはいないだろうが、だからと言って油断する訳には行かない。そう考えながら、ルカが口を開いた。
「これから先は偽名を使って。」
「偽名?何と名乗ればいいの?」
抵抗するかと考えていたルカだったが、リンは素直にそう言ってルカの次の言葉を待った。その態度に安堵したルカは、リンに向かって偽名を告げる。
「あなたは今後マリーと名乗って。これから先、安寧が訪れるまではずっと。」
マリー、とリンは小さく、確認するように呟いた。初めて耳にする名前だが、妙にしっくりと耳に残る名前だな、と考えながら、リンはルカに向かってこう答える。
「分かったわ、ルカ。」
そのリンの態度に一つ安堵の溜息を漏らしたルカは、再び馬の手綱を握り直すと、リンに向かってこう言った。
「じゃあマリー、この後私達は西へと向かうわ。海岸沿い、人の出入りが激しい港町ならば身を隠すのに都合がいいと思うの。長旅になるけれど、覚悟していてね。」
ルカはそう言うと、馬の手綱を緩めた。再びゆったりと歩き出した馬の背に揺さぶられながら、リンは一体港町とはどのような場所なのだろうか、と考える。その時ふと、ポケットの中に仕舞い込んでいる布切れのことを思い出したリンは、その布切れを取り出して、愛おしいもの様にそれを眺めた。明らかに女性用であるこのリボンをレンがいつ手に入れたかは分からない。でも、レンはお守りだと言っていた。なら、いつも身につけておくべきだろうと考えたのである。だけど、リボンを巻くほどに髪は長くないし、と考えたリンは、ふと思い当って右腕の袖を捲りあげると、まじまじと自身の右手を見つめた。レンにはあって、リンには無かったもの。即ち、右手の痣。なら、このリボンはレンの形見として、右手に巻きつけておこう。リンはそう考えて、右腕の手首から上の位置にリボンを丁寧に巻きつけることにした。そうすると、不思議な安心感がリンの心を包んでゆく。包帯を巻く要領でリボンを巻きつけたリンは、再び長袖を元の位置へと戻すことにした。リボンはすっかり長袖に隠れてしまったけれど、でもリボンに包まれているという安心感は身体にしっかりと残っている。これで、いつもレンと一緒。そう考えたリンは、もう一度視線を前方に映して、レンに向かってもう一度こう呟いた。
レン、私達はいつも一緒だよね。
リン女王の処刑の後、カイト王は矢継ぎ早に黄の国の統治に向けての施策を展開していった。まず行ったことは黄の国の農村経済を回復させるための手段である。豊富な国庫を背景としたカイト王の施策は大胆かつ即効性の高いものであった。即ち、崩壊した農村を回復させるために、新たに就農を行うものに対しての支援金を支払うと同時に、農村の開拓のためにミルドガルド大陸統一により発生した余剰兵力をその労働力として当てたのである。その為に、流民達の大部分が帰農してゆくことになった。もちろん、その流民たちの道中の護衛として、青の国の兵士と、黄の国の残存兵士がそれに加わることになったのである。彼らは農村へと着任後、屯田兵として開拓に参加することになっていた。次に行った施策は、黄の国王宮にある豪奢な調度品の売却であった。売れるものは全て売って金にする。その資金を黄の国の民衆達の支援金に宛てたのである。それだけにとどまらない。次にカイト王はミルドガルド大陸に存在する全ての関所の撤廃を公表した。国境という概念が無くなった以上、この施策は当然と言えたが、この施策に最も狂喜したのは商人達である。これで、余計な金を支払わずに関所を通過できる。より有利な条件で自らの商品展開を行うことが出来ると考えたのである。
その様な日々を過ごしているカイト王に、アクが声をかけて来たのはリン女王の処刑から一週間ほどが経過した、十二月も頭に入った頃であった。平年通りの初雪が静かに降り積もる一日のことである。
「カイト。」
元々リン女王が使用していた部屋に拠点を構えたカイト王に向かって、アクはそう言った。相変わらず、アクに対してはフリーパスの権限をカイトは与えていた。ノックをせずに入室してきたアクに向かって、カイトは優しく微笑むとこう言った。
「どうした、アク。」
「いつ、即位する?」
即位。即ち、カイトの皇帝宣言。条件は全て整っている。後は自身の宣言を残すだけだが、と考えながら、カイトはアクに向かってこう答えた。
「ひと月もあれば黄の国の状況は落ち着くだろう。その後、青の国の王宮へ戻り次第皇帝宣言を発表する。」
その言葉に頷いたアクは、続けてこう言った。
「ガクポの処遇は?」
ガクポとロックバード伯爵は今の所黄の国の牢獄塔に収監している。そのアクの言葉に、カイトは少しだけからかうような笑顔を見せると、アクに向かってこう言った。
「ガクポが気になるか?」
その言葉に、一つ頷いたアクはこう答えた。
「ガクポはお父さんの親友。」
成程、恋愛感情ではなかったか、と判断したカイトは、なぜ安堵したのだろうか、と考えながらアクに向かってこう言った。
「安心しろ。殺しはしない。俺の皇帝即位と同時に恩赦として開放するつもりだ。今のあの二人には何の力もないだろうから。」
カイトがそう告げると、アクは安心したように頷き、そしてふわりとカイト王の私室から退出して行った。その背中を、愛おしい者を見つめる様に見送ったカイト王は、気を取り直す様に姿勢を正すと、再び山積みとなっている内政業務に取り掛かり始めた。
ハルジオン64 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「第六十四弾です!」
満「リンの偽名について。」
みのり「『マリー』って名前がまた・・。」
満「そう。以前も記載したが、『悪ノ娘』はフランス革命がモチーフではないかとレイジは考えている。だからマリーアントワネットからネタを引っ張っている。」
みのり「でも、そもそも偽名を名乗らせようとした理由は?」
満「単純だ。仮にも一国の女王だぞ?名前を知らない人間がいないはずがない。今後出会うことになるハクが一発で気が付いたら意味がないだろ。」
みのり「成程。というかこのネタ、一カ月以上前に思いついていたんだよね・・。」
満「これまで書きたくてうずうずしてたが、ようやく書けた。こんな積もり積もったネタが大量にあるから期待していてくれ。」
みのり「自分でハードル上げたね♪では次回にご期待下さい。次回分も駆けているのですぐに投稿します!」
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だから、彼らは天才と言われていた。
そして、天才の彼らとの勝負で賭けるモノ。
それはお金ではない。
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だから、負けたらもうおしまい。
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