それから一週間ほどして、マリィはまたあたしの店にやってきた。
「こんにちは」
「いらっしゃい。例の薬はどう?」
「おかげさまで、とてもよく効きましたわ」
 そう言って、マリィはにっこりと笑った。ふーん、よく効いたのか。……つまんないな。もっと面白いことにでもなってるかと思ったのに。
「カスパルったらあれ以来、ベッドから出て来ないんです」
 うん?
「出て来ないって?」
「だから、昼も夜もずーっとベッドで気持ち良さそうに眠っているんですよ。わたし、嬉しくって……」
 マリィは相変わらずにこにこ笑っている。あたしは気になったことを訊いてみた。
「マリィ……どれだけ飲ませたの?」
「えーっと……確か付属のスプーン五杯……いえ、十杯だったかしら……」
 ちなみにあの薬は、スプーン一杯飲めばすぐに深い眠りに落ちる。深刻な副作用がでるから、それ以上飲んではいけない。そして、五杯も飲めば確実にあの世に行くことになる。つまり、マリィの夫は眠っているんじゃなくて、死んでいるということだ。
「ねえマリィ、何か変だと思わない?」
「ええ。確かにちょっと変ですね。あの人普段はいびきをかきますのに、あのお薬を飲んで以来、いびきをかかなくなったんです。これはいわゆる、副効用という奴かしら?」
 違うって。ってゆーかさあ……この女、相手が死んだって認識できてないわけ?
「寝返りもしませんし……よっぽど眠るのが気持ちいいのね」
 バカもここまでくると一級品だ。生と死の区別がつかないんだから。
「変化、それだけ?」
「そう言えば……最近、あの人なんだか嫌な臭いがするんですよ。だから毎日あの人の部屋に、大量のバラを活けさせているんですけど」
 ああ、腐ってきたのか。そりゃ腐るわよね。一週間だもの。
「でもわたし、嬉しくって……だってあの人、もうどこにも行かないんですよ。あの人がどこかで、誰か他の女といるんじゃないかって、そんな心配しなくて済むんですもの。それくらいなら、悪臭ぐらいなんでもありませんわ」
 ……訂正するわ。一級品じゃなくて、国宝級のバカだ。あたしは脳天気に笑っているマリィの顔を見ながら、そんなことを思った。死人を眠っているだけと思い込むなんて、現実逃避ここに極まれり。
「あらそう~。良かったわね~」
 ま、いいか。この女がどうなろうと、あたしの知ったこっちゃないしね。
「で、今日はどうしたの?」
「ええ……あのお薬、もっと譲って頂けません? 最近、使用人たちが情緒不安定なんですの。急に暇がほしいと言い出したり、泣き出したり……ぐっすり眠れば、みんな落ち着くかと思って……お金はちゃんと払いますから」
「……いいわよ」
 あたしはまた、薬を売ってやった。うん? バカにそんな危ないものを売るなって? いやあ、あたし、この商売始めて結構長いんだけど、こんな度を外れたバカに会ったのって実は初めてなのよね。
 だからさあ、試してみたくなるじゃない? 度を外れたバカに危険物を与えたらどうなるのかって。好奇心には勝てないのよね~、昔から。


 それから一週間ほどして、マリィはまたあたしの店にやってきた。ハンカチを片手に涙ぐみながら。あれ、どうしたんだろう。
「いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「聞いてくださいよ。ひどいんですよ街の人たちって!」
 うん? 何があったのかしらね?
「まあとりあえずそこ座んなさいな。で、何があったの?」
「それが……カスパルが死んでるって言うんです。あの人、眠っているだけなのに」
 いや、死んでるから。そりゃ街の人たちの方が正しいわよ。
「使用人たちだって安らかに眠っているだけなのに、死んでいるだなんて……」
 だからそっちも死んでるんだってば。マリィは自分の脳内のお花畑で暮らしているからわからないんだろうけど、周りはそうもいかないもんね。この分だと悪臭が凄すぎてバレたんだろうな。
「わたしの両親までやってきて、かわいそうにとか言い出すんですよ! 原因不明の奇病が流行っているみたいだから、お前はしばらく実家に来なさいって……」
 マリィの両親って、こんなバカな娘作るぐらいだからやっぱりバカなのかしらね。そもそもまともな親だったら、娘が不幸になるのわかっててあんな遊び人のところに嫁がせたりはしないか。それに昔から、蛙の子は蛙って言うし。
 それにしてもこの不審死、全部病気のせいってことになってるのか。ま~マリィが毒殺してるなんて、さすがに誰も思わないわね。夫はともかく、使用人には動機が無いし。マリィは複雑な犯罪を仕組めるほど、頭良くないしね。
「で、マリィ、あんたの夫はどうなったの?」
「夫も使用人たちも、みんな連れて行かれてしまったんです。ですのでわたし、今は実家にいるんですの」
 なるほど、みんな墓に入ったか。確かに、あのまま腐らせとくのは不衛生だわ。
「それで、用件は?」
「ええ。例の薬をまたお譲り頂こうかと思って……両親が不安定なんですの。わたしの顔を見る度に泣き出しますし」
「ああ、そう。じゃあ、多めに売ってあげるわ」
 面倒くさくなったあたしは、薬の大瓶を取り出した。別にこの街の人たちがどうなろうと、あたしにはどうでもいいもんね。人口が減りすぎて商売に支障が出るんなら、他所へ移ればいいだけだし。
「ありがとうございます! ジュリア、あなたこそは真の友人ですわ!」
 ……うげ。この女に友人って言われると、さすがのあたしも吐き気がしてくるわ。


 とまあこういうわけで、この後マリィは自分の両親に薬を盛って死なせ、更にその後は薬の入ったお茶を携えてあちこちに慰問に出かけて、もっと大勢を殺して回った。なんというかね……マリィって、夫が急死したわけでしょ? だからにこにこ笑顔であちこちを訪問する彼女に対し、周りは「夫を突然失った悲しみでおかしくなった」と思ったみたいで。手ひどくする人もいなくって。あの女は前からおかしかったんだけどね~。多分トラゲイって街は、レベルが恐ろしく低いんでしょうね。
 結果としてトラゲイは死の街って言ってもいいぐらいになっちゃってね。多少なりとも勘のいい連中は、街から逃げ出してしまったし。ま、そりゃそうでしょ。原因不明の不審死が相次ぐようなところからは、とっとと逃げ出すのが吉よ。あたしだってそう思うわ。あたしは原因がわかってたから残ってたけどね。
 うん? マリィはどうなったかって? 街のほとんどを殺した辺りで現実逃避がひどくなったみたいでね。結局はブランケンハイム邸に戻って自殺してしまったわ。遺書には「これでわたしもようやく眠れる」って、書いてあったそうよ。ま、本人は幸せだったんじゃない? 最後まで自分の頭の中のお花畑にいたんだから。
 これでマリィの話はおしまい。彼女を悲劇のヒロインだって言う人もいるけれど、あたしに言わせると、マリィはただ自分の悲劇に酔ってただけね。何がお飾りのドールみたいに飾られるだけの日々に耐えられなかった、よ。そんなに退屈なら、何か自分でやれることを探せばいいじゃないの。マリィの人生を思うと、あたしにこみあげてくるのは笑いだけだわ。
 ま、このお話を聞いたみんなは、せいぜいマリィみたいにならないように気をつけてね? でないと、あたしみたいな性格の悪いのに遊ばれておしまいだから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

眠らせ姫からの贈り物 後編

 この曲を聞いた時、真っ先に思ったことが「ああ、メアリー・ブランディがモデルなんだ」ということでした。
 しばらく考えて、多分モデルはメアリー・ブランディではなく、マリー・ブランヴィリエの方であることに気がついたんですが、その時はもう、イメージがメアリーになっていました。要するに、希代のバカということです。

 なのでこの話はそういうイメージです。(新井素子の小説『ひとめあなたに……』の影響も入ってるなあ……)

 性格の悪いおねーちゃんを書くのは楽しいです。色々間違ってるような気もしますが。

閲覧数:767

投稿日:2012/01/02 18:45:13

文字数:3,023文字

カテゴリ:小説

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