私の名前はネイ=フタピエ。『悪ノ娘』リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュに仕えるメイド……というのは仮の姿。
その正体はリリアンヌに悪魔を取り憑かせ、悪政による内部崩壊を引き起こすために送り込まれた工作員であり、知られざるマーロン国第十三王女である。
無事王女付きのメイドとして王宮の中枢に潜り込み順調に計画を実行していたが、今私の胃はキリキリと痛み心臓は早鐘を打っている。
その理由はリリアンヌがイライラした表情をさっきからずっとしているからだ。彼女のイライラが高まればとりあえずストレス解消の為に誰かが首を刎ねられる事など日常茶飯時だがその矛先が私に向けられてもおかしくない。私は彼女のお気に入りのメイドというポジションにうまく収まる事が出来たが、僅かでも気に入らない事を私がしたのならその瞬間に私への興味は失われリリアンヌは容赦なく首を刎ねるよう命じるだろう。悪魔が憑依している以上彼女がいついかなる行動をしてもおかしくないのだ。(その悪魔を憑依させたのは私自身だが)
もちろん自分が仕向けた事で自分が死ぬことになるなんて結末は「クソッたれ」以外の何物でもない為それを全力で回避すべく全神経を集中させているのだが……リリアンヌが何に対してイラついているのかわからない。
だが迂闊に言葉をかければそれが私の命運を決めかねない。ここはもうしばらく様子を見てみるべきだろう。
そうしてリリアンヌがイライラとしたオーラを放ち私含むその場にいる人間全員の心をしばらくの間削り続け、やっと口を開いた。
「ネイ、お主に頼みがある」
まさかの名指しか。一際強い緊張が心臓に走るがいつもと変わりなく答える。
「どうなされましたか?」
「わらわは今何もかにも飽き飽きしてしまった。何もわらわの気を紛らわしてくれそうにない。そこでお主に何かわらわの気を紛らわすような物を用意してほしいのじゃが、お主は何かわらわの気を紛らわしてくれるようなものを知っているか」
……こりゃまた相当な無茶振りが来た。
リリアンヌがこうして難易度の高い命令を出すのは珍しい事ではない。巨大なお菓子の城を作れという命令が来た事もあった。(ちなみにその時は真面目に過労死するかと思ったし、厨房が阿鼻叫喚の地獄絵図だった。)
だがこういった抽象的な命令はかなり厄介だった。何がリリアンヌの望みに答えてくれるかわかりようがないからだ。いつもならアレンやシャルテットと相談してリリアンヌの望みを叶えられたのだが今アレンは用事でエルフェゴートに行っているし、シャルテットは壊してしまった噴水の修理中だ。つまり私一人で無理難題をこなさなければいけないが、やるしかない。
「私はリリアンヌ様の気を紛らわせるような物はおやつしか思い付きません」
リリアンヌの気を紛らわせるようなものを真っ先に挙げるとするならおやつだし、今この状況で私にできそうなものはそれしかない。
「だがわらわはいつも食べている物に食べ飽きてしまった。それともネイ、お主はいつもアレンがわらわに作ってくれるより美味しく新しい物を作ってくれるのか?」
「はい、必ずやリリアンヌ様のご期待に応えてみせます」
無理難題を自分でより難しくしたのはわかっているが、こうでもしないかぎり王女付きのメイドとしてもスパイとしても務まらない。
私の返答に満足したのかリリアンヌの目元が緩む。
「よし。期待しておるぞネイよ」
「はい、出来次第直ちに持ってきます」
完璧な礼をして音の間を出る。
正直何か案があるわけではない。だがこのまま考えていても答えはきっといつまでも出ないから、食料庫に向かう。
食料庫を見ていると卵や牛乳、小麦粉にクリームといったお菓子作りに必要な材料は一通り揃っていた。材料は揃っているが、問題はそれらをどうするかだ。
このまま考え続ければリリアンヌがしびれを切らし、私は処刑される。だが処刑を回避する為にもその案が出てこない。
いつも食べているブリオッシュやケーキは食べ飽きてる。なら普段出さないような物を出せばいいがリリアンヌが普段食べる事のない物なんてそれこそあのおやつの城くらいしかない……。
そこまで考えたところである考えが頭をよぎった。
食料庫を見直してみると確かに材料は揃ってる。これが正しい選択なのかはわからないが実行するしか道はない。
準備を整えると、魔道実験で得た超人的な身体能力を駆使し常人には不可能な速さ(義母曰くジェットストリーム)で調理を開始し、何とかリリアンヌのおやつを完成させる。
完成したおやつを見ると我ながら満足の行く出来栄えだった。
もしかしたら私には主人の食事の期待に応えられる適正があるのかもしれない。
「お待たせしました。本日のおやつです」
私がおやつを運ぶと、リリアンヌの目が真っ先に皿に向いた。
「待っておったぞ、ネイよ。それでわらわにどんなおやつを用意したのじゃ?」
「こちらでございます」
私が蓋をあけるとリリアンヌはほうと小さく呟いた。
蓋の中にあったのは小さなお菓子の城だった。リリアンヌの誕生祝いで用意されたあのおやつの城から着想を得て作り上げた渾身の一作である。
「良い見た目のおやつじゃな。では味はどうかな……?」
フォークを容赦なく天井部分に突き刺し、崩して口に運ぶ。
「やはりいつもと同じような味付け……うむ?」
リリアンヌの表情が訝しげになる。それを見て先ほどまで薄れつつあった緊張が一気に膨れ上がった。
同じような味付けでは飽きるだろうと考え、普段使ってないような果物も使ったのだがその中には酸味の強いものも含まれている。それをリリアンヌの舌がどのように受け取ってしまうかで私の命運は決まってしまう。
冷や汗が溢れ出て鼓動が痛いくらいに速まり体が小刻みに震え始める。
永遠にも感じられた僅かな沈黙の後、リリアンヌは再び口を開いた。
「ふむ。突然酸っぱい味がしたので驚いたのじゃが中々に良い味じゃな、気に入った」
「ありがとうございます!」
その言葉を聞いた瞬間、全身の力がどっと抜けた。リリアンヌは満足気にケーキを食べ続けている。これで私が処刑されるような事はないだろう。
しかしそんな私の安堵は次の瞬間に消滅した。
「うむ、とても美味しかったぞ。満足じゃ。……じゃがこれでは足りぬ。もっと他にわらわの気を紛らわしてくれるようなものはないかのう」
今度の今度こそ絶望のどん底に叩き込まれた。
必死で考えついてあれこれ工夫して出来る限り最速で作り上げたあのお菓子の城もその場しのぎにしかならないのなら一体何をすればいい!
何故だ、何故リリアンヌはこんな我侭なんだ!誰だ悪魔なんか憑依させたのは!私だ!
どうにもなりそうにないリリアンヌの理不尽に喚きたくなるのを必死でこらえるがだからと言ってもう何も思い浮かぶようなものは何もない。
どうすればいい。
しかし神は私を見捨てなかった。
「ただいま帰りました、リリアンヌ様」
音の間に入ってきたアレンの姿が私には救世主のように思えた。
「おお、アレンか。よし、早速お主にも命令じゃ」
同じ命令をアレンに下し、彼はそれに頷いた。
「了解しましたリリアンヌ様。それでは少しの間お待ちください」
アレンはさっきの私と同じように音の間を出、私もそれに続く。
「また無茶な命令が来たね……」
憂鬱そうにアレンが呟く。
「私出来る限り頑張ったんだけど、それでもリリアンヌ様満足してくれなかったしどうしたらいいんだろう。アレン何か思いつかない?」
アレンなら私とは別の意味でリリアンヌに気に入られているし何かいい案が思い浮かぶはずだ。
「リリアンヌ様とだったら鬼ごっこの相手をした事があるけどそれで満足するかな……」
「今のリリアンヌ様なら鬼ごっこでも満足しないでしょうね……。そういえばシャルテットは?彼女とも相談したいんだけど」
私がそう聞くとアレンは苦笑を浮かべた。
「シャルテットなら噴水の修理中に余計に噴水を壊してマリアム様に叱られているよ」
「……彼女らしいわね」
話が脱線してしまったが、問題はリリアンヌだ。
「リリアンヌ様の気分を紛らわしてくれるもの……何かないかしらね」
思考が堂々巡りになってしまったその時思い出した。
アレンがリリアンヌとの鬼ごっこの際に負けた罰として彼女にされた事を。
「ねぇ、アレン。お願い、もうこれしかリリアンヌ様の気を紛らわしてくれそうにないの」
私の提案を聞いたアレンはとても困惑していたが助かる道はこれしかなさそうだと彼も理解したのだろう、渋々頷いてくれた。
「それで次は何じゃ?」
「それを今から見せたいと思います。アレン、入ってきて」
扉の外にいるアレンに声をかける。
少しの間アレンはリリアンヌの前に姿を現わす事を躊躇していたが、観念したのか音の間に入ってきた。
アレンのその姿は先ほどとは違いメイド服だった。
かつてアレンはリリアンヌに鬼ごっこで負けた罰として髪にリボンを付けさせられた事がある。そこから着想を得たのだが……改めて見ても女装が似合いすぎている。
違和感がなさすぎて神の所業か悪魔の悪戯かと思ってしまうほどだ。
透き通った肌を紅潮させて恥じらうその姿が余計に少女さを感じさせる。
「ふははははははははははは!何じゃアレンその格好は!はははははは!よく似合っておるぞ!」
リリアンヌはしばらく爆笑し続け、瞳に涙すら浮かばせた。
「これほど愉快なものは初めて見たぞ。よし、アレン。今日は1日そのメイド服姿で仕事をするのじゃ」
「……はい、畏まりました……」
アレンがリリアンヌとは別の理由で涙目で私を見てきたが、私は悪くない。こうでもしない限り生きる道はない。
こうしてアレンを犠牲にする事で私は生き延びる事が出来た。
1日の間アレンはメイド服姿である事をシャルテットを始めとする多くの人間に見られその度に説明に苦心する事になったがそれはまた別の話である。
コメント1
関連動画0
ブクマつながり
もっと見る私の目の前には一人の男が座っている。見かけは質素だが生地も仕立ても一級品な服に青い髪。画材道具の入った鞄を持っていれば旅行客に見えるとでも思ったのだろうけど、護身用の長剣にはばっちりマーロン王家の紋章が入っている。……というか、忍ぶ気が全くないんじゃないかこの人。
「好きなものを頼んでくれて構わな...青ノ妹
粉末緑茶
「アレン、お主はキスをしたことがあるか?」
3時のおやつの時間に流れていた穏やかな雰囲気は、リリアンヌの一言で霧散した。
「ど、どうしてそのようなことをお聞きになられるのですか?」
そう聞くと、リリアンヌは少しふくれた。
「わらわの質問が先じゃ!」
「申し訳ありません…私はない、ですね…」
リリアン...王女と召使と思春期
ナユ
◇◇◇
これは夢だ。
早々に彼がそう確信した理由は他でもない。宮殿の廊下に、本来ならばいるはずもないものがいたからだ。
加えて、窓ガラスも割れているというのに他の侍従達が騒ぎ立てている様子は無い。
目の前の事柄全てがあまりにも不自然だ。夢なのだろう。今、彼の前にいるこの「熊」は。
地を這うような低い...イレギュラーはアカシックレコードの夢を見るか?
たるみや
遠くから私を呼ぶ声が近付いてくる。
すごい勢いで。
一瞬誰か分からなかったが、「カイル兄様~!!」とドレスの重さを感じさせないくらいの速さでやってきたのはリリアンヌだった。よくあのドレスで走っていて転ばないものだなと感心しつつ、王女がそんなことをしてはいけないよと窘める。その言葉を受けしゅんと...夢の中でなら
雪夢
「カイル兄様が遊びに来るぞ!」
まさに喜色満面といった笑みを浮かべるリリアンヌ。
「よかったですね、リリアンヌ様」
アレンは穏やかな表情でそれに応える。純粋な祝福と、これでしばらくは上機嫌でいてくれるだろう、というほんの少しの安堵も込めて。
「遊びに、ではなくお仕事なのでは……」
「何か言ったか...Lucifenia's taiRoL!?
織奈
「リリアンヌ様?どこへ行かれたのですか?」
僕は先程突然リリアンヌに呼び出された。そのためリリアンヌの部屋へ向かったが、そこには彼女はいなかった。
待っていれば来るだろうと思っていたが、数十分経ってもリリアンヌが部屋に来る気配はなかったため、今僕は城中を捜し回っている。
全ての階を回ったつもりだが、...回想、そして後悔
macaron
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想
hiryou3
ご意見・ご感想
とっても面白かったです!ありがとうございます!
そしてシャルテットはとうとう噴水を壊したんですね…w
2023/02/23 21:29:45