薬というものは、効果があってこそ薬。
 それを何時の世も薬師(くすし)は求められるので御座います。


 処は中国、時は前漢の時代といいますから、紀元前の事で御座います。
 長安(現在の西安付近)を都とする漢王朝・後宮に集められた美女、三千人。
 たった一人の皇帝の為に、各地から集められた女性達は、生涯、後宮から出る事は出来ませんでした。

 『このまま静かに、年老いて、死んでいくのね……』
 元は戦国の七勇・斉(せい)という国(現在の山東省中部辺り・秦に滅ぼされた)から後宮へ連れて来られた美女・王昭君(おうしょうくん)は、そう思いながらも、たった一人の皇帝の寵愛を巡って、女の醜い争いに巻き込まれるくらいなら、今のままの方が幸せだわ――と思っておりました。
 食事に困る事もありませんし、お金の心配をする事もありません。
 ただ……。
 一生、後宮という名の贅沢な檻から出る事が出来ないのか。
 そう思うと、切なくなってしまうので御座います。

 王昭君は琵琶で、故郷の曲を奏でておりました。
 「何と悲しい音色で御座いましょう」
 食事を届けにきた大監(宦官)がそう呟きました。
 「わたくしの様な、一度も顧みられない女に仕えて、貴方もお気の毒ね」
 「何を仰有います」
 「……、あまり食べたくありませんの」
 王昭君の言葉に大監は少し考えました。
 「差し出がましい様ですが、知り合いの薬師をお呼び致しましょうか?」
 「薬師……?」
 「はい、この薬師、どんな薬でも調合致します故、お心の憂いを取り除く事も出来ましょう」
 「そうね……、一度、お願いしても構いませんこと?」
 「わかりました」
 そう言って房(部屋)を出て行った大監を見送りながら、王昭君はまた、琵琶を奏でました。

 次の日、早速大監は薬師を連れて、王昭君の房を訪ねました。
 「こちらが薬師に御座います」
 恭しく礼を取って、深々と頭を下げていた薬師に。
 「面(おもて)をお上げになって。
 わたくしの様なものに気遣いは無用です。」
 薬師は顔を上げると、とても驚きました。
 「この様なお美しい方がお目に止まらぬとは!」
 「わたくしよりも美しい方など、この後宮にはお幾人(いくたり)もいらっしゃる事でしょう。
 わたくしは陛下に愛されたいなど、思ってはおりませんの。
 ただ、静かに過ごしていたいのです。
 そなたはどの様な薬も調合すると聞いておりますが」
 「はい、わたしめは薬師に御座います故、どの様な薬でも、お望みのままに調合させて頂きます」
 「では……」
 王昭君は思っていた事を口に致しました。
 「わたくし、此処を……、後宮を出たいと思いますの。
 生きて、此処を出たい……。
 その為の薬を調合する事は出来ますかしら?」
 薬師は微笑むと。
 「お任せ下さいませ。
 王昭君様のお望み、叶える薬を直ぐに調合致します」
 「まあ……。
 お願い致しますわ」
 「御意」

 それから二日後、薬が届き、王昭君はその薬を飲んだので御座います。
 数刻後、にわかに房の周りが騒がしくなりました。
 そして、房に数人の大監が入ってきました。
 「王昭君か」
 「はい」
 「匈奴(きょうど・現在のモンゴル辺り)の単于(ぜんう・王の事)へ嫁ぐ為、旅立つ事となった。
 明日、陛下が引見なさる故、準備を致せ」
 「はい」
 王昭君は、万里の長城の北側の見知らぬ異国の異民族・匈奴へと嫁がなければならない事よりも、この後宮から生きて出る事が出来る、と嬉しくて仕方がありませんでした。
 普段よりも丁寧に湯あみをさせられ、今迄着た事もない服を与えられ、贅沢な香を焚きしめ、漢から匈奴へ遣わす女として恥じない様、磨き上げられました。

 そして翌日。
 元々美しかった王昭君は磨きに磨かれ、出立の挨拶の為、初めて時の皇帝・元帝の前へと出たのです。
 その余りの美しさに、元帝は思わず息を飲みました。
 「この人選は間違いである!
 王昭君はこのまま後宮にとどめよ」
 その言葉に、王昭君は晴れ晴れとした気持ちで言いました。
 「どうか、わたくしを匈奴へとお遣わし下さいませ。
 綸言(りんげん)汗の如し、と申します。
 天子が前言を翻されてはなりませぬ。」

 王昭君は琵琶を持って匈奴へと旅立ちました。

 『生きて此処を出たい』

 薬師の調合した薬は、王昭君の願いを叶えたので御座います。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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薬効アンソロ01_王昭君

http://piapro.jp/t/Plr-
曲豆様の50ワードシリーズのアンソロです。

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投稿日:2012/06/08 14:02:04

文字数:1,843文字

カテゴリ:小説

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