俺たちがつくづく子供だと思ったのは、幾つか理由はあるけれど、決定的だったのは金の面だ。
手術には金がかかる。十音の場合、喉だけでなく転移したガンの分まで治療しなければならない。
皮肉にも、彼女が使っていた薬物のおかげで進行は遅いものの、これからの長い闘病生活を送る資金は莫大になる。
結局、以前から準備していた十音の両親が治療費を出すことになった。それは俺がどれだけ必死にバイトをしても稼ぎきれないほどの額だ。俺は自分の無力さを知った。
「君がいなかったら、手遅れになっていたかもしれない」
十音の父親がたった一言、俺にかけてくれた言葉。それはお世辞かもしれないけれど、無力感に打ちひしがれる俺にわずかな光をくれた。
もっとしっかりした大人にならないと。他の誰を頼るでもなく、自分の力だけで十音を守りぬけるだけの強さがほしい。
そして、これから一番大切な歌を失う十音の、未来を照らし続けるだけの輝きと温もりを。彼女が二度と絶望に苛まれないように。
手術室へ向かう十音は無言のまま。帰ってきたときには声を発することができないのに。
すると彼女が振り返り、俺を見つめる。本当は最後の会話を期待していた。ドラマのような印象的な言葉を。
そういえば、十音の方から「好き」や「愛してる」と言われたことがない。最後まで彼女の口から聞けないままなのだろうか。
「初……」
かすれた声で十音が呼んだ。
「信じてるから」
不安そうな瞳。安心させるように微笑んだ。
これから存在意義を失う。唯一の楽しみがなくなる。それを受け入れてくれたのは、俺を信じたから。
その信頼を裏切らない自信と覚悟がある。俺は十音をとびっきり幸せにしてみせる。
そして十音は手術室へと消えた。彼女から歌が消えた。
術後も他の部位の治療を続けるため、十音は入院を続けていた。俺は毎日のように見舞いに来て彼女と過ごした。
会話は主に筆談だ。たまにジェスチャーも混じる。やはり声の出せない彼女はつらそうだった。
気を紛らわすために、絵やゲームなど病室でもできることを試してみたけれど、どれもイマイチだった。
やっぱり、俺たちには音楽しかない。
十音の声を蘇らせるために、俺はあらゆる方法を模索した。医学や機械工学の専門書を漁り、iPS細胞による声帯の再生や、人工声帯の開発ができないか考えた。しかし、自分の頭で追いつかないことはもとより、専門家でさえもまだ研究中の題材だ。実用化までには相当な時間がかかるだろう。
そうしている間にも日に日に十音は衰弱していく。健康になりつつある体は、ガンの進行を早める。あちこちに転移し始めたため、治療が追いつかなくなっていた。
二人でいられる時間はあと少し。
お互い、それはわかっていた。だからこそ、最後にどうしても十音に歌わせてやりたい。
試行錯誤の末にひとつの方法を思いつく。それは過去に録音した十音の歌のデータを細分化し、そのバラバラになった音データを自分の思い通りに再構築できる。そんなソフトの開発だ。
寝食を忘れ、塾も辞め、全ての力をそこへ傾けた。初めて見る難解なプログラム言語。不親切な解説書を片手に格闘した。
いつしか季節は秋になり、枯れ葉が舞うようになっていた。
なんとか完成したソフトは素人目に見ても稚拙で、大昔のアニメに出てくるロボットのような歌しか作れなかった。
それでも十音はノートパソコンにかじりつき、夢中で歌を作った。そのときの彼女は本当に楽しそうで、無理をした甲斐があったと思う。
彼女の喜ぶ顔が見たくて、何度も改良を重ねた。十音も操作に慣れてきて、歌と呼んでもいい程度までの作品を作れるまでになった。
昔と違い、今の十音が作る詞は優しさと温もりに満ちている子守唄のようなラブソング。
だけど、それが余計に切なかった。
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