恐怖に震えるあたしの前で、前奏が進んでいく。
となりのトロンボーン、前のホルン、もしかしたら、うしろでスネアドラムを叩いている蓮も。仲間があたしの異変に気付いたが、しかし、曲は止められない。やがてその気配はステージ全体を巡り、不安がバンドいっぱいに満ちる。
あと数小節で、トランペットのメロディがやってくる。少ない人数、少ないパート。三年生以外の子たちは、この曲を練習していない。
誰も渡せる人がいない。誰のフォローも入らない。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……!」
私の意識が不安に飲まれて消滅した。真白になったまま楽器を抱え、あたしは気がつくと立ち上がっていた。
あたしの、トランペットのメロディに入る。あと三小節、二小節、一小節……!
……風は唄ってる、優しい声で
花の咲き乱れてる、丘の上を―……
立ち上がり、口を開き、あたしは歌っていた。
……なんてことを。
あたしは一体、なんてことを……!
この詩のことを、バンドのメンバーは誰も知らない。メロディの把握のために、あたしが勝手に自分のパートに書き込み、歌詞をつけて歌っていたのだ。
吹く時、心の中でこの詩を唄えば、メロディが上手く流れる気がして。
苦手な高音へ飛ぶ箇所も、詩の力を借りて楽々と飛翔できる気がして。
意識は、吹奏楽部の皆への裏切りと緊張に震えたが、体はしっかりと歌う息を支えた。喉は大きく開き、声は楽器に負けることなく響いた。
体に刻まれたこの反応が、あたしの三年間だったのだと思い知らされた。
「どうしよう。こんなめちゃくちゃをして。……どうしよう……!」
メロディが終わり、歌が終わる。間奏に入り、ふたたびリピートがやってくる。
体はまだ歌えるが、心はすでにぼろぼろだった。今すぐこの場に座り込んで、謝って、すべてをやめてしまいたい……
と、がたりと、うしろで譜面台を動かす音がした。
蓮だった。スネアドラムの前に掲げていた自分の譜面台を動かし、蓮があたしの楽譜を、後ろからじっと覗き込んでいた。
そして、なんと、彼が。リズムを刻むその手を休めないまま、歌の二番を継いだ。
……風は唄ってる 激しい声で……
波が暴れている 海の上を
風は通りすぎてく 唄いながら
水平線の果ての 陸を目指して―……
歌いながらも、彼の手は、ゆるぎないリズムを刻んでいる。そのリズムに乗るように、音楽が淡々と進んでいく。
小さな中学校の体育館に、小さなバンドの精一杯の音と、歌声が響く。
集まったお客さんが、暗幕から漏れるやわらかな光の中で、じっとこちらを見ている。
すべてが、夢の中にいるようだった。
……私の声、僕の声、この風に乗せて……
歌声と一緒に伝えて欲しい―……
あたしは、何を伝えたかったのだろう。
後ろでリズムを刻みながら歌う蓮は、何を伝えたいのだろう。
今、ただ音だけが響き、あたしと彼の幼い歌声が体育館に響き渡る。
あたしは、何のために三年間ラッパを吹いて、部活をやって、そしてここに立っているのだろう……!
『あなたへと届け……!』
唄が楽器たちと響き合い、指揮棒がスッとエンドマークを切った。ここで初めて、あたしは指揮者の部長の顔を見た気がした。
なんと彼は、笑っていた。……笑っていたのだ。
「ブラボー!」
客席から誰かが叫んだ。一瞬遅れて、わっと拍手が起こった。
あたしの周りから、足踏みの音が轟いた。それはバンドメンバーによる演奏者への拍手だった。
「……何?!」
「何じゃねぇよ!」
蓮の声が背後からドスっとあたしを突いた。
「まったく……おどかしやがって! こんな、直球な歌詞なんかよく書いたもんだな!
こっぱずかしくて死ぬかと思ったぞ!」
「蓮ちゃん……」
振り向くと、奴がいた。当然のように、蓮ちゃんがいた。
いつものようにスティックで自分の肩を叩いて、憎たらしく笑っていた。
ボロ、と涙があふれた。
「……先輩!」
「よかったです、先輩!」
トランペットの後輩たちが、あたしを見上げていた。目もとが皆、潤んでいる。
ふと見回すと、前の席の皆もふりかえり、あたしと連ちゃんを見ていた。誰も、怒ってなどいなかった。
三年の皆も、一、二年の皆も、吹奏楽を聴きに集まったお客さんたちも、みな、手を叩いている。
「なんで……どうして……どうして……?!」
本番中なのに、お客さんの見守る中なのに、涙が止まらず泣きながら訴えるあたしに、蓮が言った。
「……伝わったんじゃねぇの?『何か』がさ。……知らねぇけど」
ぶっきらぼうに言ってのけた蓮は、ぐるっと視線を前に飛ばした。
「ホラ。あんたの手に入れたかったものかどうかは知らねぇけど、これか凜の『成果』なんじゃね?」
拍手は未だ続いていた。それはやがて束になりはじめ、ついにはアンコールの手拍子に変わっていく。だんだん強くなる。だんだんと、大きくなる。客席からの、クレッシェンド、グランディオ―ソ……!
と、周りのメンバーが立ち上がって楽器を構えた。部長が自分の楽器のもとへ駆け戻る。
顧問に指揮棒を再び渡して、かれはユーフォニアムを構える。
アンコールに応えた曲は、中盤で吹いたジャズナンバーだ。
予定には無かったのに、練習もしていなかったのに、全員立ち上がり、体をゆらし、楽器を振った。フルートが横に旋回し、トロンボーンがスイングし、ホルンが吠え、クラリネットとサックスがターンを決めている。
ひとりひとり、思い思いに遊びながら、ひとつの曲を進めていく。
トランペットの出番が来た。周りの一、二年生に合わせて、あたしも楽器を構えた。
……これでいい。これで最後。
もう、壊れてもいい。
そう思った瞬間に、力が抜けた。
笑顔でハイテンションな皆とともに、あたしは思い切り、あたしの担当する音を解き放った。
……生まれて初めて当てたHigh‐Bが、満員の体育館を鮮やかに突き抜けた。
Fine
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ご意見・ご感想
sunny_m
ご意見・ご感想
こんにちは!読ませていただきました~!
wanitaさんの書く文章はいつも真っ直ぐ、な感じがします。真っ直ぐ前からの風を受けとめて進むような。その真っ直ぐさが眩しくもあり、なんだかこそばゆくもあり…w
そうだった、私にもそんな時期があった(あったのかな?w)とか過去を思い出してにまにましてます。
肩の力がなかなか抜けない凛ちゃんが可愛かったです。それになんだか器用な蓮くんも。
二人とも、高校に入っても腐れ縁で部活を頑張って欲しいな、と願ってしまいます(笑)
原曲様も聴いたことなかったのですが、これを期に聴かせていただきます!
それでは!
2011/12/11 14:40:25
wanita
>sunny_mさま
いつもありがとうございます(^-^)/
なんとも青春盛りなリンちゃんににまにましていただけて、嬉しいです。
14歳の、とんがってまっすぐで、自分しか見えていない痛い感じが出ればいいなと思いました☆当時似たような青春を送っていた自分としては、今だからこそ、やっと書けた話です。
レン君の楽器は、トランペットとハモるトロンボーンにしようか迷いましたが、結局「バンドの人数が少ない」「打楽器なら歌いながら叩ける」「リンちゃんの楽譜を覗きこめる」点でパーカスになりました。「リンが入るなら俺も」という理由で部活を選び、音楽に縁がなくても取り付きやすい楽器ということもあります。
それでしっかりと居場所を作ってしまった彼は、かなり世渡り力がありますね♪
リンに「超適当な理由」と言われても平気なのは、彼の行動の基本に「好きな奴と人生を送る」という人中心の見方があるためだったり☆
なので腐れ縁は、レンがリンちゃんを好きであるかぎり続くと思います。高校でも楽しく部活を繰り広げることでしょう♪
あの性格なら意外と高校なら部長に収まるかなと思ったりしてます。「レンのくせに生意気」などと言われながら☆
ではでは!想像のふくらむメッセージをありがとうございました(^-^)
2011/12/12 00:44:48
ハルマキ@春巻P
ご意見・ご感想
いやぁ~素晴らしい!
まさか、こんなことになるとは…。
いっそのこと僕もトロンボーン持って混ざって吹きたいですww
2011/12/10 22:05:33
wanita
>春巻Pさま
読んでくれてありがとうございました!
よかった?!気に入っていただけるか、正直かなりドキドキでした。
私も、「風の唄」を聞きながら書いているうちに、またラッパやりたくなりました☆
2011/12/10 23:31:51