人間のリンと死神のレンが出会ってから数日。家の者が部屋に来ない時間を見計らい、レンはリンの元を訪れていた。
コツコツと軽い物を叩くような音が部屋でした後、何処からともかく現れたレンを見つけて、リンは笑顔で駆け寄って歓迎する。
「レン、待ってたよ!」
最初こそレンは壁をすり抜けて部屋に入って来たが、吃驚するからその入りかたは止めて欲しいとリンに頼まれて以来、来た事を知らせる合図を送った後、瞬間移動のような技を使ってリンの部屋へ入っている訳である。
尤も、レンは自分の足で歩く方が好きな上、技を使って移動できる距離も長い訳では無いのであまり使った事はなかったが。
「こんにちは。……起きていて大丈夫ですか?」
他に誰もいない事を確認してから実体化し、レンはやや心配そうに尋ねる。リンの命が終わる日が近い事は避けようのない事実だが、それに至る過程までが分かる訳ではない。何が原因で命を終わるのかは、実際に見てみないと分からないのだ。
「今日は少し体調が良いの」
成程、とレンは思う。確かにリンの顔色はいつもと比べると良い気がする。青白い顔にはうっすらと血の気があるし、ベッドから離れて駆け寄って来られたのも今日が初めてだ。
リンはベッドに戻って腰掛け、レンは部屋にあった椅子をベッドの脇に置いて座る。二人が合う時にはこうする事が自然と習慣になっていた。
死神であるレンは、何時間立ち続けていても疲れや足の痛みがある事は無い。だが、自分はベッドに座ったり寝ていたりしているのに、『友達』を立ちっぱなしにするのはおかしいとリンに力説されたのである。
「ねえレン。初めて会った時、死神は生き物を殺せないって言ってたよね?」
「言いましたね。……何か気になる事でも?」
リンから話題を振られ、レンは頷いて続きを促す。初めの頃はただ頷くか一言返して終わりだったが、リンと共に時間を過ごしている内にいつの間にか出来るようになっていた。
「それって、どうしてなのかしらね」
首を傾げて疑問を浮かべるリンに、レンはやや呆れて溜息をついてから言う。
「鎌が殺すからだと説明したはずですが……」
話を聞いて納得したのでは無かったのか、それとも話を聞いていなかったのかとレンが問うと、リンは手を振り「違うの」と前置きをしてから話す。
「そうじゃなくて、どうしてわざわざ死神と鎌で役割が分かれているのかしら? だって、死神が命の期限を見られるのなら、鎌の仕事も一緒にすれば良いじゃない」
リンの素朴な疑問に、レンは息を呑む。そんな事考えた事も無かった。否、考える必要が無かった。死神として過ごして来て、それが当たり前だったから。生き物が生まれて、生きて、死んで、また生まれると言うのを繰り返すのが自然なように、レンにとっては疑問を感じる事が無い程当たり前な事だった。
リンと出会ってから、『初めて』が溢れている。人間に声をかけられた事も、こうして会話をしている事も、自分について考える事も。
「もしかしたら、偉い神様が考えたのかもしれませんね」
聞かれたから返す義務でも何でも無く、ただ何となくレンは言う。その答えに対しリンは一言。
「そうかもね」
笑顔で答えた。
今まで友達をつくる機会も無く、いつも部屋で一人きりだったリンにとって、レンは初めて家族以外で会話が出来る相手だった。死神の立場から見た本来ならば人間が知る事すら出来ず、想像するしかない話はどれも面白く、興味深かった。
例えば、命は一回だけ使える砂時計のようなものだと言われた時は変に納得出来てしまった。生まれたと同時にひっくり返し、砂の量や落ちる速さはそれぞれ違うが、必ず全ての砂が落ちる時が来る。その時が来るまで、命は終わらないのだと。
民に慕われた王であっても若くして命を終える時はあるし、薄汚い外道が長生きする事も良くある事であるらしい。
生き物が生まれて、生きて、死んで、また生まれると言う、人間が輪廻や生まれ変わりと呼んでいるものを、死神は『生命の輪』と呼んでいるとか。
時折現れる悪霊や悪魔を退治するのも死神の仕事であると聞き、リンはふと口を開く。
「悪霊がいるって事は、守護霊もいるの?」
「いますよ」
リンの質問に答えてから、レンは守護霊と悪霊の違いを話す。
守護霊や幽霊は今生きている人を見守りたいと願い、その気持ちが満足すれば、生命の輪の中に戻る存在である。
悪霊は生きている者に害を及ぼす存在であり、時には現世にいる者を『こちら側』に引き込もうとする。
「どちらも現世に留まりたいと言う事、生命の輪から外れているのには変わりません」
レンの言葉を聞き、リンは表情を少し曇らせて不安げに尋ねる。
「じゃあ、もしかして守護霊も退治しちゃうの?」
摂理に反していると言うのならば、死してなお大切な人を守りたいと願う人も悪霊と同じなのかと聞くと、レンは僅かな笑顔で首を横に振る。
「ご心配無く。死神は守護霊や幽霊には手を出しません」
むしろ、迷っている魂を残して来た大切な人の傍まで案内したりして、心置きなく生命の輪に戻れるように協力する立場である。悪霊と退治するとは言っても基本は話し合いで、害を与える事を喜ぶ者や話の通じない相手でも無い限り、実力行使に訴える事は無い。
「そっかぁ……、良かった」
リンは胸に手を当て心底安心した様子で息を吐く。少々間を置いてから半信半疑でレンに質問する。
「何も無い所から音が聞こえる現象があるって本で読んだ事があるけど、あれは幽霊とかが引き起こしたものなの?」
俗に言うラップ現象の事である。家の建築材の乾燥が十分でない間に建てた結果、後に建築材の材木が乾燥した際に出る音である事が原因だと判明しているが、そうではない事もあるのではないかと尋ねると、レンはそうですねと頷く。
「そんな悪戯をする霊はたまにいます。その程度の小さな事は目をつぶりますよ」
霊が大切な人に自分がここにいると伝えたかったり、本当にただの悪戯だったりする事もあるが、生きている者に直接害を与えなければ基本的に放っておく。無用な騒ぎを起こすのは、死神にとっても霊にとっても避けたい事である。
「事なかれ主義なのか、器が大きいのか分からない」
神様は皆こんなものなのだろうかとリンは呟く。もしそうだとすれば人間と大して変わらない。レンが死神の中でも変わっているのかもしれないが、こうして普通に接する事が出来るし、人間でも悪魔顔負けの凄惨な事が出来る者がいれば、本当の天使かと思わせるような慈悲深い者もいる。
人間であろうと神であろうと、結局は本人の意識の問題なのだろうとリンは結論付ける。神様と一口に言っても、命を創造する神がいれば、商売や恋を司る神もいるのだから。
「あ、そうだ。明日は少し早めに来てくれるかな?」
連絡するべき事を思い出したリンは急に話題を変えた。意味が分からない様子で首を傾げるレンに訳を話す。
「明日ね、外に出られるの。だからレンと一緒に市場に行ってみたいと思って」
声が弾んでいるのが自分でも良く分かる。伯爵の娘と言う身分が足枷となり外出がほとんど出来ず、せっかく外出が出来ても必ず誰かが傍に付き、自由に外で遊ぶ事も出来なかった。ただでさえ外に出る機会が少ないと言うのに、病気のせいでさらに制限をかけられた。少し前までは庭に出る事は出来たが、ここ最近は家の外に出ていない方が多い。
当然の事ながら、外出をしたいと申し出た時の両親の驚きは尋常では無かった。
外は危険だ、発作が起きたらどうする。リンが一人で出かける事など考えられない。安全な家の中にいろ。
両親が本当に心配をしているのか、それともただ外に出したくないのかはリンには分からなかったが、そのまま黙って引き下がる程大人しく無い。そもそも、駄目だと言われるのは分かりきっていた事だ。両親が素直に許可を出す事なんて最初から頭に入れていない。
だが、リンは両親が娘の自分を溺愛している事は理解していた。それが果たして娘としてなのか、伯爵の跡取りだからなのかはこの際置いておく。大切なのは、それを最大限に利用して外出の許可を得る事だ。
リンがその為にまずした事は、半分は本気、半分は演技のしおらしい態度で両親に先日の暴言を詫びた事である。あそこまで派手に反抗されたのは両親にとって相当の衝撃だったらしく、しばらく落ち込んでいた事を使用人から聞いていた。
今まで両親が構ってくれなったとはいえ、さすがにあれは少々言いすぎたかなと言う気持ちがあったのは事実である。
リンの態度を見た両親は明らかに動揺しながらも謝罪を受け入れた。いくつか会話を交わして穏やかな空気になったのを見計らい、リンは伏し目でもう一度切り出したのだ。
「出掛けるのはどうしても駄目なの? お父様、お母様」
頼みを聞いてもらえないのかと悲しそうに言ったのは相当効果があったようで、その言葉を言ったと同時に両親は口をつぐませ、目を彷徨わせた。
明らかに反応が違う反応を見たリンはこれなら行けると確信し、もう一押しとばかりにわざと小声で吐露した。
「残り少ない命なら、自由に過ごす時間欲しかったな……」
直後に両親がリンに目を向けて何か言いたそうな顔をしたが、リンはがっかりした様子を隠す事も無く俯いた。
「我が儘を言ってごめんなさい」
それでもやっぱり行きたかったと暗に示すリンに、門限付きではあるが外出の許可が下りるのは間もなくの事だった。
「市場ってどんな感じなのかなぁ……」
遠くから見た事や話には聞いた事はあっても、実際に行った事は無いとリンは話す。明るい笑顔を見たレンは、自分が知っている限りの情報を教える。
「沢山の店が並んでいて、多くの人が行き交う賑やかな場所ですよ」
実際には、人間から姿が見えない状態で市場を見たり歩いたりした事があるだけで、買い物などはした事が無い。人間が日々生活に必要なものを買い求める場所だと言う知識があるだけである。
早く明日になって欲しい。リンと共に市場を歩きたい。
今までそんな風に考える事すら無かったのに、レンは自然とそう思った。何故か心が弾んでいるのに気が付き、ふと一つの可能性を考える。
もしかしたら、これが楽しい、嬉しいと言う感情なのだろうか?
「楽しみだね、レン」
目を輝かせて声をかけて来るリンに、レンは自分の気持ちに確信が持てないまま、それでも笑顔で返した。
「そうですね、楽しみです」
黒の死神と人間の少女のお話 3
かなりの強かお嬢様。
次回でやっとリンレンがデートします(笑)
投稿の度、説明文に何書けば良いのかなと地味~に悩む。
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