なんでこんな事態になっているんだろう。
 地下に造られた練兵室。表向きは武術とは無縁の貧弱男である、レンが訓練するときのために作ったもので、位置的にも滅多に人は近づかない。その部屋で繰り広げられている木剣のぶつかり合いを見ながら、レンはこう思わずにはいられなかった。
 カイルの知らせから数時間。有能宰相は最悪を想定した上での対策をほぼ終えていた。ヴィンセントとディーに頼んだ事以外にも、三国に向けて屈強な護衛付きの外交官を向かわせた。
 同盟が未だ成っていない以上、まだ表立って黄の国を排除することはできないはずだ。この段階で全ての実情を知ることができた時点で、黄の国に絶対的優位が保証されている。
 歴史的に決定的な亀裂こそないものの、赤の国と緑の国はそこまで友好的な関係を持っているとはいえない。多少の揺さぶりで両者に疑心暗鬼を抱かせる事など、レンにとって容易い事だった。
 簡単だ。ほんの少し敵意を仄めかすだけでいい。
 緑の国には赤の国から、赤の国には緑の国から、それぞれ黄の国への情報提供があり、同盟を組むふりをして食糧欲しさにこちらに尻尾を振っている、と。完全に鵜呑みにするとは思わないが、黄の国がその事実を知っているというだけで、決して少なくない動揺が必ずあるはずだ。
 カイルがこちらについた時点で、ほとんどこの勝負はついている。残る問題は、それだけの利益をもたらした青の王子への対応だ。レンはイル程素直じゃないので、彼が強硬派のリストをこちらのためだけに用意したとは考えない。
 カイルが王になるに苦労しない程度には、彼の政敵を排除するくらいはしないといけないだろう。
 ばあん!
 現実逃避にこれからの事を考えていると、強烈な破裂音と共に青の王子の、決して小柄とも言えない身体が吹っ飛んだ。いや、ふっ飛ばされた。
 もちろん下手人は親友でありこの国最高権力者である、燃えるような赤髪のイルだ。
「大丈夫ですか? 王子殿下」
 イルの馬鹿力によって得物を弾かれ、更に強烈な蹴りを喰らってしまった青髪の青年に駆け寄る。
「陛下、ここまでにされてはいかがですか?」
 非難がましい声で言って睨みつけると、親友はようやく多少我に帰ったようだった。
「あ、悪い悪い。思ってた以上に強いもんだから、つい夢中になっちまった」
 訓練には怪我が付き物だと思っている親友は、大して悪びれもせずに軽く謝罪した。その考え方自体には異議は無いのだが、それを他国から来た王族にまで適用するのは断固反対だ。
「いえ、私如きに本気で手合わせしてくださってありがたく存じます。陛下――いえ、イル」
 蹴られた腹を支えながら、上体を起こそうとするカイルを支える。これではもう訓練続行は無理だろう。カイルには悪いが、流血の事態にならなかったことに安堵した。
「しかし、本当にお強いのですね。私も訓練は怠っていたつもりは無いのですが、これ程に差があるとは、驚かされました」
「そーか? 俺も驚いたぞ。カイルは背は高いけど、見るからに喧嘩なんかしそうにないからな」
「見事なお手並みでございました、王子殿下。陛下に勝てない事は決して恥ではございません」
 青の王子は満身創痍だったが、イルも息が多少乱れて汗もかいていた。血気盛んな国王陛下は、ちょくちょく練兵場に行っては兵士をボコボコにしているが、十数人思う存分ぶっとばしても息一つ乱さない。その彼に単騎で挑んでこの状態にさせることが、どれだけすごいことかレンは知っていた。
 真っ向勝負で向かってこられれば、レンは彼に敵わないだろう。
「宰相殿、貴方は普段剣を扱わないのですか?」
 カイルがレンの腰に吊り下げている細剣を目配せする。
「冗談がきついですよ、王子殿下。これはただの護身用でして、ほとんど抜いた事は無いんです」
 曇り一つない笑みで言ってやると、イルが非常に物言いたげな目で見られた。
「そうなのですか? てっきり陛下から強く誘われ、共に剣をふるっていると思っておりました」
 背後で親友が、「当たり」とでも言わんばかりにくつくつと笑い始める。いちいち勘のいい奴だ。まあ彼がレンの個人的な敵になる事は無いだろうし、知らせておいてもいいかもしれない。
 まだ訓練を始めて三時間しか経っていない。五時間以下の鍛錬を無意味と言い張る親友には、残りの二時間分の相手がどうしても必要になる。ヴィンセントが今軍の再編成で手を放せない今、それはレン以外では役者不足だろう。
「僕ごときでは陛下のお相手は務まりませんし、僕は元来平和主義なのです」
 イルの笑いが止まり、「どの口がそれを言う?」と心の声が聞こえた気がした。カイルですらぎょっとして、そしてこれこそ冗談だと気がついて苦笑いした。
「何か久しぶりだな。来いよ、宰相」
 国王陛下が細剣を投げて寄こし、嘆息しながらもそれを受け取った。
「それではお手柔らかにお願いいたします。陛下」
 とは言うものの、イルがレンに手加減した事は未だかつて無い。六歳のときから拳を叩きこまれ、木剣でぶん殴られ続けること早十四年。
「行くぞ」
 親友の闘気が空間を満たし、レンもそれに応える。
「はい」
 この時だけは冷血鬼の仮面はお休みだ。唯一の親友として認めているからこそ、絶対に負けたくない相手なのだから。
 レンの刺突から始まり、木剣のぶつかり合いと拳の唸り声が王宮地下の一室に響く。
「へ、陛下、宰相殿、もうそろそろ先程おっしゃっていた会議の時間では?」
 カイルが恐る恐るとこう口にしたのは、戦闘が開始されて三時間が経ったときだった。普段は六時間続くものなので、戦っている二人の意識としてはようやく五合目である。
 当然のように双方の動きは止まらない。この十数年間で知り尽くした相手なのだ。一瞬でも隙を見せれば詰むも同然であり、戦闘放棄と同義だ。
 前にも言ったが、だから普段この部屋で訓練する時、ヴィンセントがここに居る必要がある。誰かが強制的に止めなければ、体力尽きるまで止まらないのだ。そうなった場合、残念ながら軍配はイルに上がることが確定するが。
「あのー」
 再びカイルが口を開いたが、返事をする暇が無い。やがて彼は何かを悟ったかのように、地下部屋を辞した。
 そして十数分後、事もあろうにヴィンセントを連れて戻って来た青の王子の人の見る目は、後から考えれば称賛に値する。
 忙しい中、他ならぬレンによって召集された会議に待たされていた国防大臣は、口による警告を一切省き、剣撃の嵐の中に歩を進めた。
 がしっ
「え?」「あ?」
 同時に、間抜けな声が漏れた。どんな動体視力をしているのか、何の躊躇もなく武人は二人の間に入り、双方の木剣を持つ手首を一瞬にして捕まえていた。
「ヴィンセント」「おっさん」
 『父』の出現にこれまた同時に力が抜け、それを見計らったかのように手が解放された。
「この馬鹿息子共が」
 ふと気が緩んだ瞬間、巨漢はカイルには聞こえないように呟いて、レンとイルの頭頂部に拳骨を叩き落した。
 ごおおおおおおん
「が!」「あだ!」
 目の前で火花が散り、溜まらず頭を抱えて膝をついた。
「陛下、宰相殿、この状況で一体何をしているのですか? 総務大臣殿も既に会議室でお待ちだ。すぐにおいで下さい」
 頭の激痛が引き、ようやく我に返って金時計に目を向ける。そこに記された時刻を見て、眼球が一回転しそうだった。
「痛えよ、おっさん」
「あーあ、やっちゃった。ディーさん、怒ってるだろうな」
 額に手を当てるレンに一切構わず、ヴィンセントはカイルに向き直った。
「大変お見苦しい所を、失礼致しました。つきましては宰相が申し上げた通り、王子殿下にもご出席して頂きたく存じます。身支度が済み次第、女中にご案内させましょう」
 カイルの存在すら失念していたとは、久しぶりとはいえあまりにも軽率だった。しかし、青の王子はむしろ嬉しそうに首を横に振った。
「いえ、貴重なものを見させて頂きました。お言葉に甘えて、着替えてからすぐに向かいます」
 ルナの先導の元カイルが退出すると、巨漢はそのまま座り込んでいるレン達に振り返った。保護者の怒りが降り注ぎ、レンは言うに及ばずイルすらびくりと肩を震わせた。
「王宮内で五指に入る多忙さの大臣を二人待たせておいて、君達はのんびり稽古か? 特にレン、これは君が招集したものだろうが」
 全くもって返す言葉が無く、素直に項垂れるしかなかった。
「うん、本当にごめん。つい夢中になっちゃって」
「悪かったよ。予定を狂わせて」
 心からの謝罪が口から出たが、武人の怒りは完全には収まらない。押し殺した声のまま、冷徹に反論が許されない圧力をかけながら命じた。
「君らもさっさと着替えて会議室に来るんだ。ディーの不機嫌さは私程度ではないと思え」
「分かってるよ」「りょーかい」
 小走りになって自室へ向かう途中も、溜息が止まらなかった。賓客を前に、とんでもない失態をしたものだと思う。ヴィンセントの言う通り、国防大臣兼王国軍総司令官と総務大臣の就業時間を無駄に使わせるとは。
 イルに誘われたとはいえ、本来はそんな彼を抑える立場にあるはずのレンだ。
「二年、いや三年は言われ続けるかな。これは」
 言うまでもなく粘着気質でレンを嫌っている総務大臣が、これをネタにどれほどの長期間嫌味を吐き出し続けるかを考えるとうんざりした。
 超特急で着替えて会議室に向かった。入口付近でイルと合流し、気まずそうに目を合わせながら扉を開く。
「ふざけるのもいい加減にしてくださいよ。陛下、宰相殿」
 開いた瞬間に、開口一番苛々と容赦無く罵倒が飛んできた。発言者は言うまでもない。
「本当に申し訳ありませんでした。総務大臣殿」
「ほんとにすまん。つい調子に乗り過ぎた」
 イルも謝るが、彼の視線は終始レンに向いたままだ。多少の理不尽さを感じるが、さっきも言った通り一点集中型の国王陛下を止めるのは冷静な宰相の役目なので、不平を言えるわけもない。
「言い訳もできません。もしよろしければ今日、業務の何割か負担させてください」
 良く考えれば、急な仕事を頼んだ上にここ一カ月以上助手として働いていたアズリは、今日に限ってベッドの上で空腹に――……毒に苦しんでいる。ディーは文字通り目が回る程忙しいのだろう。
「サリーを会議後に寄越してください。それから、アズリはいつ復帰できますか?」
 疲労濃厚な総務大臣を見ていると、彼の体調が心配になってきた。
「明後日には問題なく業務に戻れます。明日のアズリの分の仕事も、僕にさせてください」
 彼にとって、レンに仕事をしてもらうのは非常に気に喰わない事だと分かっていた。しかしそんな意地を張ることもできないくらい切迫しているらしく、どこかほっとしたように頷いた。
「頼みます」
 栄養剤でも調合して、イルを通して渡してもらおうかな?
 そんな事を考えている内に、青の王子が身支度を整えて会議室に入って来た。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、先程は大変失礼いたしました。それでは、始めます」
 話し合う事は主に、侍女マリルと護衛官ダヴィード、そして人質にされていたと言う家族に対する処遇だ。実際は他にも色々あるのだが、カイルを交えてする必要があるものはこれだけだ。
 人質は解放されて青の王子により安全に匿われているものの、彼ら当人が帰国してしまえば強硬派を悪戯に刺激することになる。そして捨て身になって攻勢に入られれば厄介で、少なくともカイルが王に即位するまでは黄の国において欲しいと懇願した。
 革命後最大と言えるであろう黄の国の危機を、事前に知らせてくれた次期国王の頼みである。断るわけにはいかない上、そう難しい事でもない。しかし、黄の国国内に滞在を許可する事自体は簡単だが、扱いには非常に悩まされる。
 ダヴィードは分からないが、マリルが一流の諜報員であることに疑いの余地は無い。そしてその侍女のレベルを考えれば、護衛官も相当な手腕の持ち主であることは容易に想像できる。
 無いとは思う。しかしもしカイルに黄の国への叛意があるとすると、彼らを王宮内で自由に徘徊させるには抵抗がある。かといって青の次期国王が友人と呼ぶ彼らを、まさか牢屋に拘束したまま滞在させるわけにもいかない。
 王宮の外に暮らさせると言う選択肢も無いわけではないが、レンは彼らを目の届く所に置きたかった。理由は単純明快で、有事の際に青の国に対する牽制として使うためにだ。
 とまあ色々考え遠回しに指摘もしたのだが、結局イルの一存で彼ら二人王宮内に留め置くことが決定した。
 手合わせをしたと言う事で薄々感づいていたが、どうやらイルは青の王子の事を信用していて、そしてそれ以上に友人として扱っているように見えた。
 基本的に全ての人間を疑うのがレンの役割だが、親友が信じた人物は敵とは思わないようにしている。若き王の人を見る目は確かだし、何より彼の持つ光は本来の敵をも味方に変える魔力があるのだ。
「では、今日の所はここでお開きにいたしましょう。まだ決めるべき事はございますが、それは王子の御滞在一週間の間、随時ご相談していくということで」
 これからの青の国での王子への政治的援助は、事前にレンと他の大臣が話し合う必要がある。急ぎで会議を設けたのは、王子の従者への待遇は早く決める必要があったからだ。
「レン、カイルと食事しようと思ってるんだけど、お前も来ないか?」
 会議後に自室に戻ろうとすると、イルに楽しそうに誘われた。たったの数時間で随分と仲よくなったものだ。親友らしいと言えばそうだが。
「ん、仕事してアズリの様子見て、寝てるようなら行こうかな。期待はしないで」
 そう言い置いて、足早に自室に向かい始めた。いつ覚醒するかは分からないが、半日以上摂食していないあの飢えに飢えた少女が、どういう行動に出るか見張っておく必要がある。
「襲うなよ」
 にやりと笑ってこう言った親友には、今朝邪魔されたことも含めて少々嫌がらせ、もといささやかな抗議が必要だろう。
「アズリ……?」
 イルの背後に居た青の王子が、不安気にそう呟いた事には気がつかなかった。

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悪ノ召使 番外編(14-2

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投稿日:2011/04/04 06:54:10

文字数:5,844文字

カテゴリ:小説

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