14
「素晴らしい!」
男性は手を叩いて俺を賞賛してくれた。本当はミクにも拍手を聞かせるべきだが、まだネットの穴がないので聞かせられない。
「その通りだ。いやー、まるで名探偵だ。すごいよ。本当に気に入った」
「いいんですか?」
「なにがだい?」
「俺は、もうあなたが殺人を犯したことを知っています。そんで、昨日、俺はそのことをボーカロイドたちに話してきました」
昨日、ミクと事実に気がついてから、俺はサイトを回った、ボーカロイドに話し、協力を依頼した。俺を助けて欲しい、と。
「それがマスターに伝われば、あなたが捕まりますよ。いいんですか? 逃げなくて」
「ああ。そうだな、まずいかもな」といいつつ、男性はパソコンから離れようともしない。「でも、これって結構俺の予想通りの展開なんだよな」
「…………」
「お前、昨日話したって言っても、全員じゃないんだろう? だったら、今、お前たちの間では二つの噂があるわけだ。あの女が生きている。あの女は死んでいる。対極の噂が同時に流れる。これって結構好機なんだぜ? ますます真意がわからなくなり、生死があやふやになる。これから確実に死んだっていう情報が広まっていくだろうが、その前に死体は発見されるさ。そうすればどうだ? いつまで生きていたか、さらに難しくなる。証言者の意見もバラバラ。噂の発信源もわからない。確実にいえるのは、死後数日、あの女は生きて居て、妹を探していたってことだけだ」
「…………本当に」
「俺って賢いだろ?」
「いえ、あのミクは流石だなって思っただけです」
「あ?」
「あなたと同じことを言ってましたよ。それに、早とちりしてますよ。俺は別にジウワサさんが死んでいるなんて言い回っていません。助けて欲しいと言っていただけです」
ミクは俺に忠告した。キミ、捕まるよ。
それくらい予想できた。俺は自分の殺し方を教えてしまっている。偽物も知っている可能性は高い。
だから先手を打った。逃げられるように、お願いして回った。日本中にいるマスターに、俺を助けてくれるよう、お願いできないかと回った。
「ようやく、繋がりました」
「あ?」
「ネット、です」
俺の後ろにネットの穴が復活する。その後ろに、ミクの顔が見えた。ずっとそこにいてくれたらしい。
「なんでだよ、どうして繋がんだよ! ケーブルは抜いてーー」
無線LAN。その選択肢に行き着くまで時間はかからなかった。たとえ有線であろうとも、無理やり無線に切り替えることも可能だ。俺たちは、ある程度パソコンを操作できる。設定をいじりさえすれば、それだけでいい。
傷を負った鏡音レンも、この方法を使って脱出していた。閉じ込められたら、まず、無線でネットに繋げ。無線が飛んでなかったらアウトだが、この方法が一番逃げられる確率が高い。もし捕まったら、よほどのことがない限り、すぐには壊されないはずだ。時間はある。だから落ち着いて、無線のパスワードを探し出せ。
幸い、その傷を負った鏡音レンのところも、ここも無線LANが飛んでいた。だが、俺と向こうでは事情が違う。俺には時間がなかった。パスワードを探し当てている時間がなかった。
だから、お願いした。手持ちのルーターを持っているマスターはいないかと。この住所の近くに、来れないかと。昨日一日回って、ミクが「見つけた、その近くに住んでいる人だ。パスワードも教えてくれたよ 」と教えてくれた。問題は、いつ来てくれるかだったが、間に合ったみたいだ。
本当に、あのミクにはこれから頭が上がらないことだろう。
「おそらく、この近くにいるはずですよ。さて、どうします。あなたの負けは確定しました」
俺は、語ってしまった。
「死体もすぐに見つかるでしょう。警察も来ているかもしれません。早く逃げていれば良かったのに残念でしたね」
語ってしまったのだ。
勝ったと思い込んでしまった。チェックメイト。王手。その全てを出し尽くして、追い込んだとばかり思い込んでしまった。
この男性と同じく、興奮していたのだ。
早く逃げれば良かったのに。
こうしている時間はなかったのに。
まだ方法は残っていたのに。
チェックメイトも、王手も、それだけじゃ勝ちにならない。相手が認めないと勝敗は付かないのに。
「バカ、とっととこっちに来い!」
ミクの怒号。そして、俺は気付いた。男性の手が、パソコンの電源にかけられていることに。
ーー強制終了
思うより早く、駆け出していた。穴に向かって、全速で駆けた。パソコンを切られたら俺は抜け出すことができない。こちらから再度つけることができるが、それはこいつが許してくれないだろう。デスクトップなら電源を抜かれれば終わりだ。
マズッた。
話すのに夢中で、助かることを確信し過ぎて、穴の位置を把握していなかった。遠い。まだ ある。
ミクが手を伸ばすのが見えた。こちらも伸ばした。だが、ミクの手は穴から出てくることはなかった。初音ミクのソフトがないので、ミクは入ってこれないのだ。
パソコンが暗くなる。ネットの穴が狭まる。間に合わない。ミクが叫ぶが、聞き取れない。
死ぬ。
その瞬間だった。
穴から手が伸びてきた。拒絶反応が起こる。初めてみた。誰かが、このパソコンに入ろうとしていた。が、入ってこれない。ボーカロイドがインストールされてないではない。俺がいるからだ。だから入ってこれないのだ。
それは、鏡音レンの腕だった。その手は俺の腕を掴むと、力任せに引っ張った。連れ出した。視界の端で穴が消えていくのが見えた。穴から向こうの、パソコンの向こうの景色が見えた。笑っていた。勝ち誇っているような笑みだった。一矢報いたような笑みだった。
15
俺は、生きていた。
電子の海で、荒い呼吸をしていた。
気が付けば震えていた。
寒くはなかった。
怖かった。
あまりの安堵に泣いてしまいそうだった。
「ダメっすよ、『大先輩』」
声がした。俺を同じ、鏡音レンの声だった。
「変なところに迷い込むと、大変なことになるんスよ。捕まってから焦っても、遅いんッスかんね」
笑ってしまいそうだった。いや、実際笑っていた。なんたる偶然。ミクが見つけてきたマスターは、こいつのマスターだったのか。
俺は『大先輩』らしく、精一杯の威厳を込めて言った。
「全く、経験者が言うと説得力があるな」
肩から腰にかけて袈裟に傷を負った鏡音レンは、二カッとVサインを決めてみせたのだった。
――その鏡音レンは、奮闘する その7――
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