Extra.
王宮の広間で、典雅な紅の衣をまとった女性が、二人の幼子をあやしている。
四、五才ほどの男の子と女の子だ。二人とも、上質な布地の織物を着ていた。二人は、この国の王子と姫なのだ。
「――これで、お話はしまいじゃ。めでたしめでたし、というわけじゃな」
長い話を語り終え、女性がそう言う。だが、幼子たちは不満そうに「えーっ!」と声を上げた。
「ぜんぜんめでたしじゃない!」
「そうだよ! めでたしじゃない!」
「おやおや、そうかのぅ」
女性は少し面白そうに目を細め、しかしわざと困ったような顔をしてみせる。
「だって、お姫さまはひとりぼっちになっちゃってるもの」
「お姫さまをおいてって一人で旅に出てっちゃうなんてひどい!」
「……二人とも、焔姫と吟遊詩人の話がずいぶん気に入ったようじゃな」
女性の言葉に、二人は複雑そうな顔をした。
「でも、お姫さまはかわいそう」
「心配せんでも、焔姫と吟遊詩人はちゃんと幸せになったのじゃよ」
「……ホントに?」
「吟遊詩人は、お姫さまの所に帰ってきたの?」
「帰ってきたとも。二人は今でも、幸せに暮らしておる」
女性の言葉に二人は顔を見合わせ、ようやく納得したように「そっかぁー」「よかったぁ」などと声を上げた。
「でもやっぱさー、たたかってお姫さまを守る! ってゆーのがカッコイイな! 吟遊詩人はたたかえないから、ちょっとかっこ悪い」
少年の率直すぎるもの言いに、女性は目を丸くする。
「そんな事を言っておると、痛い目を見るかもしれぬぞ」
「かーさま、何?」
女性のつぶやきに、少年がきょとんとする。
「……いや、何でもない」
「ふーん……?」
少年は女性の言葉に首をかしげると、退屈になったのか、おもちゃの剣を振り回す。
「僕、皆を守れるくらいに強くなるんだ!」
少年の落ち着きのない姿に、少女はうんざりしているみたいだった。
「……カイ、昨日は転んでおばあちゃまとおじいちゃまの前で大泣きしてたじゃない」
「ぐ……何だよ! 僕が強くなっても、メイなんか助けてあげないからな!」
強がる少年にも、少女は動じない。
「いいもん。カイなんかよりかーさまととーさまの方が強いもん」
「言ったな、この――」
「――カイ」
少女に業を煮やして、おもちゃの剣を振り上げたところで、女性の……母の低い声が広間に響いた。
その声音は、広間にいた近衛兵たちまでもがびくりと肩を震わせ、姿勢を正すほどだった。
声音だけで近衛兵たちを恐れさせるのだ。少年にいたっては、たったそれだけで泣き出しそうになっていた。それを必死にこらえ、おもちゃの剣を落とさずにしっかり握っているだけ、その幼さのわりには意志が強いかもしれない。
「カイ」
「……う……ひっく……」
「カイ」
答えられない少年に、母親は声のトーンをやわらげて彼の顔をのぞき込む。
「余がなぜ怒ったのか、分かるな?」
「……」
少年は涙をこらえるのに精一杯で答えられなかったが、それでも首を縦に振る。
「剣を向ける相手を、間違えてはならぬ。なれがその剣でメイを叩くなら、余は余の剣でもってなれを斬らねばならぬ」
少年は、母の言葉を想像して青い顔をした。
「なれが剣を振るう相手は、敵と訓練相手だけじゃ。肝に銘じよ。……よいな?」
「う……は、はい……」
気丈に返事をする少年に、母はにっこりとほほ笑む。
「分かればよい。……よしよし、怖い思いをしてしまったのう」
母が少年へと両手を伸ばす。すると、少年はおもちゃの剣を取り落とし、たまりかねたように駆けよって抱きつくと、大声を上げて泣き出した。
「よしよし。もう怒らぬよ。安心せい」
母は少年を抱きかかえると、背中をさする。
「……カイはいっつも泣いてばっかり」
母に甘えている少年がうらやましいのか、少女はつまらなさそうにそう言うと、立ち上がった母の足にしがみつく。
「……これ、メイもカイをからかうでないぞ」
少年を右腕だけで支えると、母が空いた手で少女を小突く。少女はちょっとだけ涙目で、母の視線から逃げるように顔を伏せる。だが、母の足元からは離れようとしなかった。抱っこされている少年がうらやましくて、けれど抱っこをせがむのが恥ずかしいのだろう。
母は苦笑してしゃがみこむと、右手で少女も抱えて立ち上がる。
「……まったく、二人ともあっという間に大きくなるのう。もう少ししたら、二人一緒には抱えられなくなるな」
少女は不機嫌そうな顔を保とうとしているが、どことなく嬉しそうだ。
「さて……」
母は二人を抱きかかえたまま歩き出す。
と、そこで広間の上へと続く階段から、二人の男女が降りてくる。身なりのいい服は、王宮でも高位のものである事をうかがわせた。その肌に刻まれた深いしわは、二人が六十を超えている事を示している。
降りてきた二人に、近衛兵たちがたずさえた武器を構え直し、敬礼をする。
「母上。それに……父上も」
二人を抱えたまま声をかけると、少年たちの祖父母は顔をほころばせる。
「おやおや。この子らはいつまでたっても母親から離れられぬようじゃ」
「おばあちゃま!」
「おじいちゃまー」
祖父母がそれぞれ手をのばし、幼い姫と王子の頭をなでる。二人はついさっきまでの様子が嘘だったかのように、歓声を上げた。
「父親が遠征に出ているから、さびしいのだろうな」
「……わらわの頃とは、何もかもが変わったの」
祖父の言葉に、祖母は感慨深そうにつぶやく。幼子たちは、祖父母のそんな様子に気づかずに声を上げ続けていた。
「……そうじゃ、ちょうどよかった。母上と父上に本当の所を教えてもらうよい機会じゃ」
「……? はて、何がちょうどよいのじゃ?」
祖母の問いかけに、母はにっこりと笑う。
「母上、父上。今、二人は幸せじゃろうか?」
祖父母は母親の唐突な問いかけにきょとんとして、それから顔を見合わせる。
そうしてどちらからともなく笑うと、二人ともはっきりとうなずいた。
「もちろん。これ以上ないくらいにな」
「……素晴らしい夫に巡り会った。我が子らは立派に成長した。孫はすくすくと成長しておる。これ以上の幸せを探すのは、ちと骨が折れる」
祖父母の答えに満足そうにうなずくと、母は抱えたままの幼子たちの顔をのぞき込む。
「ほれ。二人はちゃんと幸せになっておるであろう?」
そんな言葉に、しかし、幼子たちはきょとんとして首をかしげる。
「かーさま、何言ってるの?」
「おばあちゃまとおじいちゃまが幸せなの、僕たち前から知ってるよ。ねー」
少年に、少女も「ねー」と返す。
そんな様子に、母親は思わず天を仰いだ。祖父母はといえば、孫が可愛くて仕方ないのか、にこにこと見つめている。
「そうか……。二人とも、まったく気づいておらんかったのじゃな」
母はがく然としてそう言うと、二人を抱えなおして祖父母を見えるようにする。
「カイ、メイ。よいか?」
「?」
「??」
母が何を言おうとしているのか分からず、二人は困惑する。
「カイとメイの目の前におる二人が、先ほどの“焔姫”と“吟遊詩人”じゃ」
幼子たちは、両目を丸くして祖父母をまじまじと見つめた。
「……え?」
「……んん?」
二人が母の言葉を理解するのには、ずいぶんかかった。
「え、えぇぇぇええっ!」
「うっそぉぉぉおおっ!」
一様に驚愕する幼子たちに、母は苦笑する。
「本当じゃよ。のう、母上」
「そうじゃな。この――」
母にうなずいてみせながら、祖母は祖父のほほを指先でなでる。
「お前たちのおじいちゃまの帰りがあと一ヶ月遅かったら、わらわは軍を使って遠征に出る所じゃった。無論、この吟遊詩人を引きずってでも連れて帰ってくるためにの」
祖父は痛い所を突かれたと、引きつった笑みを浮かべる。
「……いい加減許してくれよ。もう何年前の話だと……」
「それこそ、わらわは言ったではないか。この事は死ぬまで言い続けるから覚悟せよ、とな。忘れたとは言わせぬ」
「まさか、本当に言われ続けるとはね……」
ほがらかに笑う祖母とは対照的に、祖父の顔は弱っているように見える。だが、その瞳は優しげだ。
気負いのない、仲睦まじい様子の祖父母に、幼子たちは興味津々だった。
「じゃあ、おじいちゃまは昔、いろんな所を旅してたの?」
「……そうだね。いろんな所に行ったよ」
「歌と楽器だけで?」
「ああ。……他に、何も取り柄がなくてね。でも……この国が一番居心地がいい。それは変わらないな。君たちのおばあちゃまもいるしね」
そう言って祖父はウインクしてみせる。そんな祖父に、幼子たちはまた歓声を上げた。
「……あ」
「?」
「……?」
と、急に少年が声を上げる。まるで、とんでもない事をしてしまった、という様子で、
「かーさまかーさま」
「……? 何じゃ、カイ?」
「あの、その……」
「……?」
うろたえて、いまいち説明出来ない少年に、母だけでなく、少女と祖父母も不思議そうに少年を見つめる。
少年は不安そうに祖父をみつめながら、ようやく母の耳もとでささやく。
「あの……さっきの、ないしょにしてて」
「さっきの? ……ああ、その事か。くくくっ」
少年の“さっきの”というのが、母が語り終えたあとに“吟遊詩人は戦えないから、ちょっとかっこ悪い”と言っていた事だと分かり、笑みがこぼれる。
「……二人だけで、いったい何を話し合っておるのじゃ?」
「それは――」
「だめ! ないしょ! ないしょだから!」
祖母の質問に必死に手をぶんぶんと振る少年に、少女の方があきれていた。
「おばあちゃま、カイはね――」
「メイ! ダメだってば!」
「だぁーってー……」
「メイ。ないしょにしてあげようではないか」
「かーさま。……なんで?」
不思議そうに見上げる少女に、母はほほ笑む。
「……カイ。余とメイがないしょにする代わりに、約束じゃ」
「……なあに?」
少年はもう泣き出しそうだった。
「この国で一番強くなれ。余やメイを守れるくらいにな」
母のその言葉に、少年は涙を浮かべて、けれど決死の覚悟のもと「うんっ!」と強くうなずく。
「わかった! ぜったいにつよくなる!」
そんな母子の会話に、祖父母は実に面白そうにほほ笑む。
「……この国は安泰じゃの。のう、カイト?」
「そうだな、メイコ。この子たちの成長が楽しみだよ」
王宮の広間は、和やかな雰囲気に包まれていた。
彼らはまだ知らない。
幼子たちが立派に成長した頃、この都市国家が祖父母の時を超える苦難に直面する事を。
二人は大きな喪失とともに、国の命運を左右する重大な選択を迫られる事ととなる。
しかし、そんな運命など知る由もなく、幼子たちは屈託なく笑う。
精悍に、そして可憐になった彼らが、苦痛に顔をゆがめ、苦悩の末に絶望に満ちた戦いへとおもむくのは――。
……まだ少し、先の話である。
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