UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」

 その18「いつもとはかけ離れた朝」

 翌日、朝六時、いつもより一時間早く、母に起こされた。
「お、はよう」
 どうしたの、こんなに早く、と言いかけて、母の冷めたような目に、わたしの目が覚めた。
「一度しか言わないから、よく聞きなさい」
 はい、の返事は心の中に閉じ込めて、わたしは姿勢を正して母の言葉に耳を傾けた。
「あなたは今日から、自分の家事のすべてを自分一人でやりなさい。食事の準備も、洗濯も、掃除も、自分で計画してやりなさい。家にあるものは自由に使ってもいいけど、あなたにチャンネル権はありません。どうしても見たい番組があったら、録画してあげるから、自分のパソコンで見なさい」
 言い終えた母は静かに部屋を出た。
〔本気なのかな?〕
 ダイニングに行ってみると、食事が三人分用意してあった。いや、三人分しかなかった。本気だ。
 テーブルの上には湯気が昇るお味噌汁とご飯があった。
 わたしは台所に行って、炊飯器を開けて中を見た。
 炊きたてのご飯のいい匂いがした。
「ストップ!」
 母の手が視界を遮った。びっくりした。
 恐る恐る母の顔に視線を移した。母は意地悪な顔をしていた。
 母は指さして、もう一台の炊飯器を示した。
「今日からあなたはこっち」
 中を開けてみると、空っぽだった。
「今からご飯を炊いて、朝食を作って、弁当のある日は弁当を作るのよ。わかった?」
 抗議したかった。でも、UTAU学園を反対されている以上、できない、と思った。
「わかりました…」
 お米を洗って炊くぐらいならできる。おかずは、どうしよう。シンプルに、卵かけご飯にしようか、納豆をかけて食べようか。お味噌汁はどうしよう。
「悩んでる時間があるの?」
 ああ、そうだ、早くご飯、炊かなきゃ。
 米を洗うのはやったことがあるけど、味噌汁は作ったことがないなあ。
 とりあえず、ご飯を炊こう。
 米を洗って炊飯器のセットを終えて、時計を見た。
〔六時十五分か。顔を洗おう〕
「お味噌汁は? 作らないの?」
「時間、ないかも」
 ヨワは洗面所に向かった。
 顔を洗って、髪をブローして、時間割りや学校に持っていくものを確認した。
 制服に着替えて、ようやくご飯が炊けた。
 時計は六時四十五分を指していた。
〔ご飯を炊くのに三十分もかかるのか〕
 結局、朝ごはんは、卵かけご飯と納豆でした。

         〇

「あら、浮かない顔してる。珍しいわね」
 朝、教室で会ったネルちゃんの最初のひと言がそれだった。
 ネルちゃんには言わないと。
「昨日、UTAU学園のこと、パパとママに話したの」
 そうしたら、猛烈に反対されて、親子の縁を切る、みたいなことも言われたことを伝えた。
 ネルちゃんは真剣に聞いてくれた。
「ヨワには同情するけど、お母さんの言うことも一理あるよ」
 ネルちゃんの言葉が重い。
「お母さんに言うなら、もっと早くすべきだった」
 その通りだけど、我が家は芸能界関係の話はタブーっぽいんだよね。
「でも、ヨワがその気になってくれて、素直に嬉しい。一人じゃ心細かった」
「じゃあ、また、練習、付き合ってね」
 『練習』という単語を耳にしたクラスメイトが、聞き間違えたかと囁き合っているのが聞こえたけど、今は、無視することにする。
 実技試験まではもう一ヶ月も残っていなかった。
 わたしの知らないところで、事態は動いていた。

         □

 その日、重音テトは、テレビ局の楽屋で、電話を受けていた。
 スマホに表示された発信者の名前は『お姉さん』だった。
 だれもいない筈の楽屋で、テトは思わず辺りを見回して、電話に出た。
「はい、テトです」
「お久しぶり。覚えてる、わたしのこと?」
 相手の声にテトは聞き覚えがあった。
「もちろんです。お姉さんのことは一生の宝物ですから」
「そう言ってくれると、嬉しいわあ。元気にしてますか?」
「はい。でも、もう、一生、お姉さんの声は聞けないんじゃないかと思ってました」
「やだ。わたし、まだ、死んでないわよ」
「はは。ですよね」
 そう言って笑ったテトの目尻に光るものがあった。
「調子はどう?」
「まあまあ、です」
「テレビ、見たわあ。素敵だった」
「わたしなんか、お姉さんに比べたら、まだまだっすよ」
 一呼吸、間をおいてテトはやや言葉を選ぶように続けた。
「今日は、どういった御用ですか?」
「あなたに教えてほしいことがあるの。…」
 テトは相手の言葉を一言一句聞き逃さないよう耳を傾けた。
「分かりました。調べて、メールします。でも、急に、どうしたんですか?」
「…」
 その後の相手の言葉に、テトは自分の耳を疑った。
「え?! それ、本当ですか?!」
 動揺が抑えられず、テトは相槌しか返せなかった。
「…」
「はい」
「…」
「はい」
「…」
「はい、分かりました」
 相手が押し黙ってしまったので、テトはそのまま待った。
「テトちゃん」
「その呼び方、三十過ぎにはくすぐったいです」
「ごめんね。でも、頑張って。応援してるわ」
「ありがとうございます。お姉さんも、お元気で」
「いつかまた、会いましょう」
「はい。では、失礼します」
 テトはスマホの「通話終了」の下にある「お姉さん」の文字をじっと見つめ、溜め息を吐いた。
〔良かった。お姉さん、無事だったんだ〕
 テトは、そのまま別のところに電話をかけた。
「ああ、デフォ子?」
 テトは目頭と目尻を交互に押さえ、スマホを持ち変えた。
「教えてほしいんだけど、UTAU学園のことで」
 そう言いながら、テトは鏡を覗いて、化粧が落ちていないか確認した。
「いやぁ、なんというか、四月から、ボクらも講師として参加する訳だから、準備をしといた方がいいかなあって」
 テトは相手の言葉に胸を突かれはっとなった。
「なに? ボクがやる気を出してるのはおかしい? い、いやだなあ。ボクはいつでも一生懸命だお」
 テトは額に浮かんだ汗を拭う仕草をした。
「『一生懸命にサボってる?』 デフォ子はユーモアのセンスがあるねえ」
 苦笑いが生まれた。
「知りたいのは、学園のいろんなこと。施設とか、タイムテーブル、かな」
 テトは話相手の提案を受け入れた。
「分かった。後でメール、ちょうだい」
 通話が切れたところで、テトはまた深い溜め息を吐いた。
〔ああいうのを親バカっていうのかなあ。自分の子どもが受かると信じて疑わない、って感じ〕
 テトは自分の名前を呼ばれて顔を上げ、スマホのスクリーンをロックした。
「テトさーん、出番です」
 テレビのアシスタント・ディレクターが、ドアをノックした。
「はーい」
 テトはスマホを鞄にしまうと楽屋を出た。
 ふと、考え直した。
〔違う。もしも、受かったら、そう考えたんだ。受かってから考えたんじゃ遅い、と思って〕
 テトの胸の奥が少し熱くなった。少し楽しそうな未来が見えてきたからだった。
 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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UV-WARS・ヨワ編#018「いつもとはかけ離れた朝」

構想だけは壮大な小説(もどき)の投稿を開始しました。
 シリーズ名を『UV-WARS』と言います。
 これは、「紫苑ヨワ」の物語。

 他に、「初音ミク」「重音テト」「歌幡メイジ」の物語があります。

閲覧数:65

投稿日:2018/03/09 20:42:27

文字数:2,917文字

カテゴリ:小説

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