それは、とある所に。
お世辞にも都会とはいえぬ、自然豊かな――当然、人も決して多くはない町。ひょっとしたら以前は大きい神社だったんじゃないかと思わせるような場所に、それはある。
木々に囲まれ、喧騒とはかけ離れ、佇むその建物。
門戸にはだいぶ古めかしくなった木彫りの看板、診療所の文字。
いや、よくみると『診療所』ではない。神を治療する場所――『神療所』である。
これは、そんな不思議な『神療所』にまつわる人々の、おはなし。
朝とはまた違う穏やかな日差しが当たる、夕方にはまだ早い時間。
神療所の縁側では、森之宮先生が惚け惚けとしていた。
「……」
今日も神療所は静かだ。客商売がこんなに静かでは、支障があるんじゃないかと思うくらいに。
やがて耐えかねたように、先生がはふぅと小さく吐息をもらす。
「……暇ですね」
ごろん、と縁側に寝っ転がると、見事に晴れた空が見える。こんな日は町に出てみようか、と思ったがそれも一瞬のこと。案外にものぐさな先生である。
何かすることはないかと頭の中で考えてみる。
新聞ももう端から端まで目を通してしまったし、話し相手の管狐もどこやら遊びに出かけている。いっそ刺繍でもしてみようかと思うけれど、気が乗らない。
「とりあえず、お茶にしてから考えましょう」
そういえば御菓子は何かあったかしら。と一人ごちて、起き上がる先生……単に小腹が空いただけかもしれない。
「……湿気てる」
普段はあまり使わない背の高い戸棚の中から、台を使ってようやく見つけたのは、しなしなになった煎餅だった。
と、他にも鰹節が見つかったりして、ああそろそろ削っておかなきゃいけませんね。なんてやる事を見つけてしまう。
なんにせよ、お茶にしてからだ、と一人納得の先生。
囲炉裏で弱々と燃えていた炭を一つ拝借、七輪に新しい炭と一緒に放り込んで火を起こす。まったく火のない状態からよりかは大分早く火が上がる。
ただ焼くだけなのもあれだ、と薄口の醤油を上からもう一度塗った煎餅を、七輪にかける。
ああ、煎餅のあとは朝に炊いたご飯を握って焼いてもいいかもしれない。と動いているうちに、先ほどまでの気だるい感じも無くなってきた。
煎餅のはぜる音と、醤油のいい香り漂ってきた。
「これはこれでなかなか」
すっかりご満悦な先生が出来上がりを楽しみに煎餅をひっくり返している。
と、そんな所へ賑やかな足音がしてきた。
「ちわー、先生いるー?」
と言いながら、ぐわららっと勢いよく戸を開けたのは一人の女性。
すらりと背が高くて、ショートカット。服装もこの日はジーンズに厚手のジャンパー。そんなわけで男に見えるかと思いきや、出るとこはしっかりと大盛りなのでそんな間違いは起きない。
ダンボール箱で両手がふさがってるため、足で戸を開けたりしているところなんかは、蓮っ葉というか凛々しいというか。
「ああ、メイコさん。丁度いいところに」
にっこりと先生が微笑み、メイコと呼ばれた女性に聞いた。
「あなたも焼きますか?」
「……へっ?」
突然の問いかけに、間の抜けた表情になるメイコ。まあ、無理もない。
「これは……ネギですね」
「ネギだねー」
そんなわけで、焼き立ての煎餅でお茶をしながら、メイコが届けてくれた箱を開けると。そこには背が低くて太いネギがぎっしりと詰まっていた。
「親戚からもらったんだけどさー。ウチにまだまだたっくさんあんの! ってことでお裾分け」
「普段とはちょっと違うネギですね」
「そうそう、火を通すと甘くて美味しいんだよ」
それはそれは、とありがたそうにネギを眺める先生……を見て、メイコの煎餅を咥える口が一瞬、にやっと歪んだ。
「そろそろ寒くなるから鍋とかいいんじゃないかなー?」
「ああ、もうそんな季節ですね」
「あー、囲炉裏に当たって鍋かー、いいなー」
メイコの含みを持った言葉に、先生が苦笑しながら答えた。
「わかりました、鍋のときはご招待します」
と言うのを聞いてガッツポーズ。
「いやったね! いやー、最近お母さんがさ、ウチでお酒あまり飲ませてくれなくって」
ちなみにメイコのところの家業は酒屋だ。販売ではなくて配達の仕事ばっかりなのは、昼から酒を飲まないようにとの家族の配慮か。
メイコは先生の頬を両手でつまんでむにむにとやりながら、いまにも踊りだしそうな気配すらある。そんなに嬉しいか。
「酒だ酒だー。鍋と酒だぁー」
「あにょ……めふぃこふぁん(あの……メイコさん)」
「んー? どーしたのかな?」
「わふぁひ、ほれるぇもとひうへなんれすけろ……(私、これでも年上なんですけど……)」
「うんうん、そーだね」
と言いながらも先生の頬をいじる手は止まる気配が無い。ちっとも言葉が耳に入ってない。
結局それから先生が解放されたのは、たっぷり10分も弄られてからの事だった。
日本全国酒飲み音頭なんぞを口ずさむメイコを見送るために外に出る先生。
だんだんと小さくなりながら、メイコが手を振っている。
「先生ー! 約束だからねーっ」
手を振るかわりに、引きつった頬をさする。
ふと気がつくと、いつの間にやらもうオレンジの空。
せっかくだから、今日の夕飯にはネギを使おう。
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