第一章 ミルドガルド2010 パート16

 セントパウロ大学前駅から地下鉄南北線に乗車したカイルは、それから半時程度が経過した頃にグリーンシティ駅に降り立つことになった。グリーンシティ駅は文化都市グリーンシティを象徴するような芸術性の高い建物になっている。現代建築特有の、近未来をにおわせる明るい配色に加えて、繊細な古典芸術の要素も所々に込められている建物である。どうも高名な建築士が設計したようだったが、そのあたりの芸術性を理解できる程の知識がカイルにある訳ではない。ただ、グリーンシティでメイと待ち合わせする場所はいつも決まって駅前広場のモニュメントの前と決まっていた。複数の曲線を重ね合わせた金属製に見えるモニュメントの元にカイルが到達すると、先に来ていたのかメイが不服そうに口元を歪めて、そしてこう言った。
 「遅いわ。」
 学内ならともかく、駅前と言う公共の場で素顔を晒す気分にはならないのだろう、珍しくサングラスを装着している。それはそれで良く似合っているのだから、改めてこの女の凄みを痛感してしまう。
 「標準時刻だ。」
 カイルがそう言うと、ま、いいけど、とメイは軽く受け流し、続けてこう言った。
 「夕食は?」
 「これからだ。」
 「じゃ、行きましょう。」
 メイはそう言うとカイルを先導するように大股で歩き出した。こう言う時、カイルは結局の所素直について行くこと以外に選択肢を持たない。どうせいつもの店だろう、と考えながらカイルはメイの隣を諦めたように歩き出した。メイの近くにいるときは自然とガードマンとしての役割を果たす様になっている。考えてみれば不思議な縁だった。俺達の祖先は大陸を争って大戦争を繰り広げたと言うのに。
 「どうしたの、カイル。」
 目的の店、小奇麗なビルの最上階にあるダイニングバーに向かおうとしてエレベーターホールの手前でカイルを振り返ったメイは、カイルに向かってそう言った。エレベーターが降下してくる機械音が偶然にも誰もいないエレベーターホールに小さく響く。
 「別に。」
 脇に目を逸らす様に、カイルはメイに向かってそう告げる。弱みを見られたくない。なぜかそのようなことを考えながら。
 「また、昔のことを考えていたの?」
 エレベーターが二人を迎える様にその広い口を左右に開いた。メイが先、続いてカイルがエレベーターの中に身を収める。メイはそのまま最上階のボタンを押した。
 「そんなところだ。」
 エレベーターが再び閉じられ、メイと二人っきりになると、カイルはメイに向かってそう答えた。前に立つメイの白い首筋が嫌に目につく。官能的と評価するべきか、芸術的と評価するべきか、意見が別れるところだな、となんとなく考えながら。
 「初めて会った時も、同じようなことを言っていた。」
 カイルに首筋を眺められていることに気付いたのかどうか。目の端に映る程度をカイルに振り返り、サングラス越しに流し眼をするように瞳を細めたメイは過去の出来事を思い起こす様にそう言った。丁度タイミング良く、エレベーターの扉が再び左右に開かれる。目に入ったのは照明を落とし、青系統の照明で統一されたダイニングバーのレジカウンターであった。平日であるせいか店内は空いてはいたが、それでも人はいる。何かを口に出しかけたカイルはなんとなくそのまま唇を閉じ、メイに続いて店内へと身体を踏みこませた。もっとお忍びに適した店があるだろうに、とカイルはいつも考えるのだが、メイはそれよりも馴染みのある店の方が落ち着くらしく、飲むときは大抵この店に訪れるのだ。
 「何にする?」
 窓際の席が丁度空いていたらしく、窓際の半個室となっている座席に案内された後に、メイはメニューを眺めながらカイルに向かってそう言った。
 「とりあえず、ビール。」
 カイルがそう言うと、メイは軽い笑顔を見せてから、こう言った。
 「基本よね。」
 続けて店員を呼び出し、中ジョッキ二つに加えて、何点かフードメニューを追加してから、メイはカイルの瞳を覗き込むように軽く前かがみになりながらこう言った。
 「ねえ、面白いことを考えたのだけど。」
 「面白いこと?」
 その言葉にカイルは僅かに両目をしかめた。大体、こいつが持ってくる『面白いこと』が面白かった試しはないのだ。苦労することの方がより正確な表現である。
 「今度の連休、ミステリーツアーに行きましょう。」
 ほら来た。また面倒なことを。
 「歴史研究はどうする。」
 ビールが運ばれてきた。お通しも一緒である。無言でジョッキを重ね合わせた後に、メイが楽しげにこう言った。
 「きっとツアー先にレンの子孫がいるわ。」
 どうしてこんなに楽天的な思考ができるのだろうか。苦味のある炭酸が喉を通過した後にカイルはそう考え、一度ジョッキを置くと右肘をテーブルにつけた状態でこう言った。
 「で、どこに行くつもりなんだ。」
 乗り気はしないが、メイ一人で決めさせるとどこに連れて行かれるか分かったものではない。事前に方向性を固めておいた方がいいと考えたのである。
 「ザルツブルグはどうかしら。出会いの街ザルツブルグ、きっとレンの子孫とも出会えるはずよ。」
 「本音は温泉だろう。」
 カイルがすかさずそう告げると、メイはカイルにしか気付かれない程度に表情を変え、視線を窓に逸らさせながらこう言った。
 「じ、じゃあコンチータの館は?」
 悪食娘か。ミルドガルド中世最大の猟奇事件を巻き起こした、悪食娘コンチータが住んでいたと言われている館である。全てのものを喰らい尽し、配下の人間どもにまで手を出し、最後には自身の身体をも食べようとして自殺したと言われている娘の伝説である。場所はどこだったか。確かコンチータ家は当時黄の国の一領主であったはずだけど、と考えながらカイルはこう答えた。
 「で、コンチータの霊でも捕まえるつもりか。」
 コンチータの館には今なお不可思議な伝説が残っている。毎晩毎晩、コンチータらしい女性の声が響くというのだ。喰わせろ、とか、そう言う言葉が聞こえるらしい。
 「駄目?」
 「嫌だ。」
 メイは甘える様な口調でそう言ったが、カイルは全力を込めて拒否反応を示した。霊とか化物とか、とにかく科学で解明出来ないものは苦手なのである。それなら自宅でアイスでも食べている方がいい。
 「ケチ。」
 メイはそう言うと、半ばほどまで飲んだジョッキに手を付け、残りを一気に飲み干した。続けて、店員を呼び出してこう告げる。
 「ビール、もう一杯。」
 一方のカイルはまだ一杯目が半分以上残っている。アルコールでは完全にメイの方に軍配が上がるのだ。気付けばテーブルに並べられていたピッツアの切れ端を口に押し込みながら、メイは続けてこう言った。
 「じゃあ近場でいいわ。迷いの森。」
 迷いの森か、とカイルは考えた。変哲の無いただの森なのだが、何故か昔から迷いの森として有名なスポットであった。実際遭難事件が起こっている訳でもなく、なぜその場所が迷いの森と呼ばれる様になったのかは分からない。だが、その名称から好奇心の強い人間を引きよせていることは間違いがない事実であった。その場所なら安全だろうな、とカイルは考え、そしてこう言った。
 「分かった。」
 カイルがそう告げると、メイは勝ち誇ったような笑みを見せて、続けてこう言った。
 「なら、懸案も解決したし。」
 そう言いながら、運ばれてきたばかりのビールを一気に飲み干す。嫌な予感がした。
 「店員さん、ウィスキーを瓶ごと頂戴!チェイサーはいらないわ!」
 カイルは思わず血の気が失せる様な感覚を味わい、そしてこう言った。
 「俺はハイボールの方が。」
 無駄だった。機敏な店員が早速とばかりに運んできたウィスキーの瓶を片手に掴むと、メイはこう宣言したのである。
 「何言っているの、あんたもこれを飲むのよ。」
 巨人が足踏みをするような重い音を立てながらテーブルに接地したウィスキーボトルを眺めて、明日は自主休講だな、とカイルは思わず考えた。

 頭痛を感じながらカイルが目を覚ましたのは、翌日の昼も過ぎた頃であった。締め切ったカーテンの奥から漏れる光が瞳に痛い。結局あれからどうなったのだろう、と考えてカイルは自分の隣で寝息を立てているメイの姿を視界に収めた。どうやらまたメイを自宅に連れ込んだらしいな、と考えてみる。メイが俺を自宅に連れて来たのか、俺がメイを自宅に呼び込んだのか、どうにもはっきりとしないけれど。何はともあれ自宅のベッドに到達出来たことを喜ぶべきか、と考えながらカイルはなんとなくメイの頬に自らの掌を触れさせた。軽い熱を持った、柔らかなメイの頬がなんとなく心地よい。初めて出会った時から、一体何度同じことを繰り返したのだろう。まるで成長してないな、とカイルは考え、僅かに目元を緩ませた。
 メイとの出会いはカイルにとって衝撃だった。祖先の宿敵メイコの直系の子孫。向こうは公にされる立場で、敗者である俺は影の存在であるはずだった。事実、歴史上では彼の血は途絶えたことになっているのだ。カイルが生を受けてからずっとカイルの精神を縛り続けていたその血はしかし、メイにとってはたいして重要な出来事でもなかったらしい。
 『あんたがカイト皇帝の子孫であることは、私には何も関係がないわ。あんたがカイト皇帝ではないように、私もメイコではないから。』
 その一言がきっかけで、カイルはメイと共に行動するようになったのである。本当に、俺にはもったいないほどに良い女だよ、とカイルは考え、メイの頬から手を離すとベッドから起き上がり、ダイニングルームへと歩いて行った。水と、それからブランチの準備でもしよう、と考えたのである。
 だから、カイルは気付かなかった。カイルが部屋を出て行った後、ベッドに横たわったままで薄目を開けたメイが、不満そうにこう呟いたことに。
 「あんたなら、別にいいのに。・・馬鹿。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story ⑰

みのり「第十七弾です。って朝からカイメイ大爆発☆」
満「こういうシーンを発表するのは多分はじめてだな。」
みのり「これ以上書くと規制かかりそう^^;」
満「とりあえず解説を。『悪食娘コンチータ』これはいずれ書くと思います。SNSには直接関係しないので、まぁ前振り程度に。」
みのり「それよりも迷いの森、覚えているかしら。」
満「ハルジオン⑦に登場するあの場所だ。」
みのり「ということで、そろそろ物語が動き出します。」
満「よかったよ。このまま学園物で話が終わるのかと考えてたぞ。」
みのり「そこはSNSですから。では続きも宜しくお願いします☆」

閲覧数:393

投稿日:2010/07/19 10:27:34

文字数:4,106文字

カテゴリ:小説

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  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    うっかりOUTな想像をしそうになった腐った大人のwanitaです^^;

    ほぼ10ヶ月ぶりにめぐって来てみると、以前書き込んだ視点とは別の見方をしていることに気がつきました。もし、入学式のとき、メイの挨拶を聞いたら、「この人は少し焦っているのかな」と一歩警戒するかもしれません。そして「歴史研究会」のくだり。リーン!(思考の面で)負けるながんばれ!というわけで、メイちゃんの可愛い日常と一生懸命な行動ともども、大注目です。……こうして読むと、10年後、同じ物語を読んだときの楽しみもありそうですね。いろいろ勉強になります☆

    2011/04/17 15:47:45

  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     まさかのコンチータ様。私はビビりなので、原曲は一回くらいしか見ていないです。
     私も悪ノの小説を書いてみて分かったのですが、少しずつでも他の曲のネタも入れたくなりますね。
     そしてカイル、ごめんなさい。レンの反乱で滅ぼされた帝国の子孫だから、リーンやメイに対して、何か企んでいるんじゃないかと疑ってました。

     ゲーム(主にRPG)をやっていると、思わせぶりな言動や設定に変に勘ぐっちゃうんですよね……。レンの反乱についても、既に予想が外れている気がします。
     
     メイとカイルの酒飲みシーン、この二人はやっぱ大人なんだなと納得しました。カイルは霊が怖いなら怖いって言えばいいのに。
     公式カップル扱いになってそうですが、メイと酒を飲んでその後家に泊まったと世間にばれたら、カイルはどうなるんでしょうか(笑)袋叩きにされそうな気が……。

    2010/07/19 14:41:41

    • レイジ

      レイジ

      コンチータ実はお気に入りの曲です^^;
      でも実際書いたら相当グロテスクな描写になりそうですね。書くとしたら相当先に話ですけど・・。

      カイルはうん、カイトと違って素直になれない青年なんですよ。
      変に格好つけるというか、世間と関わりたがらないというか。

      実はカイルがメイとケンカするという設定もあったんですけど(荒れた生活を送るカイルを懲らしめる為にメイが戦う→その後仲良くなる、みたいなべたべたの学園もの^^;)、それをやると話が長くなりすぎるのでカットしました。。。でもあえてカイルとメイの出会いは具体的に書いていないので、そういう話を入れてもいいかもしれませんね。

      お酒のシーンを書くのは割と好きなんです。
      会話のテンポが良くなるので。
      でもそうですね、ばれたら間違いなくスキャンダルですよね・・。
      芸能ニュースのトップを飾りそうだ。
      でもメイは平然と「だから?」と言い返しそうですけど^^;

      では、お読み頂きありがとうございます☆
      次回も宜しくお願いします!
      今度matatab1様の作品も読みに行きますね☆

      2010/07/19 23:29:58

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