広大な大陸を支配する国家、ベルゼニア帝国。数百年前、この世界にやって来た悪魔を滅ぼし、世界を救った勇者を祖先に持つ国である。
 その一部、アスモディン地方ヴェノマニア領は、勇者と共に戦った者の子孫が治めている地であった。

 儀式用のゆったりとした装束を纏った青年が、床に描かれた複雑な魔法陣の淵に立っていた。
青年の背は高く、男性としては髪が長い。美しい紫の髪と目を持つ。
「これで良いはずだ……」
 地下室特有の冷たい空気と、長年使用していなかった少々の湿り気を含んだ匂いの中、手にした本と魔法陣を見比べて呟く。
 青年の名はヴェノマニア。領と同じ名を持つ彼は公爵家の生まれであり、ヴェノマニア家現当主である。
 彼が一人住む屋敷の地下で行っているのは、召喚の儀式。
 力を得る為に悪魔と契約をする。魔力を持った人間のみならず、一般の人間にも暗黙の内に禁じられている忌むべき行為。
 無論、ヴェノマニアもその事は知っている。禁断だと承知の上で、彼は悪魔をここに召喚しようとしていた。
 人知を超えた力は疎まれる反面、理屈抜きで人を魅了するものでもある。ヴェノマニアもそんな力に惹かれた一人であった。
 ヴェノマニアは魔法陣の中心に目を向ける。その先には、刀身や柄など箇所によって色の濃さは違うが、自身の髪と同じ色の剣が突き立っていた。
 魔力が込められた剣と魔法陣。準備は全て完了した。後は呪文を唱えるだけで、魔界に住む悪魔を呼び出す事が出来る。
 背徳感が全く無い訳でもない。しかし、その微かな道徳心と善性を鍛えて育てるより、邪悪でも良いから力が欲しかった。
 深呼吸をして心を落ち着かせ、本を持っていない方の手を魔法陣にかざして呪文を唱えはじめる。
「剣に宿りし魔力と我が声により、異界との道を繋ぐ……」
 声に呼応するように剣の刀身が仄かに光り出す。それを視界の端で捉えつつ、ヴェノマニアは呪文を続ける。
「門を開き、我が元に来たれ……」
 魔法陣が輝いて薄暗い地下室を白く照らす。魔法陣の円の大きさは、成人男性が寝転んだよりもやや大きい程度である。
一際光が強くなり、他に何も見えなくなる中で声を張り上げる。
「呼び声に応えよ……。魔に属する者よ!」
 光が消える瞬間地下室を揺るがす程の爆発音が響き渡り、ヴェノマニアは思わず本を放り落として両耳を押さえた。轟音と同時に発生した魔力の煙により視界は閉ざされ、何が起きたのかを確認する事が出来ない。
 体に伝わる振動が治まったのを確認して耳を押さえていた両手を下ろす。爆発音の余韻は消えたが、白い煙は未だに濃く、悪魔の召喚が成功したのか失敗したのかも分からない。
「……いってぇ……」
 不満を露わにした声は自分のものでは無く、魔法陣の中から聞こえて来た。状況を理解、整理出来ないまま混乱する中、地下室を包んでいた煙が徐々に薄れて行く。
 床に描かれた魔法陣と剣は全く変わらない。しかし、明らかに先程とは違うものがヴェノマニアの目に映った。
「辛気臭ぇ所だな。これだから人間って奴は……」
 ぶつくさと文句を付ける『それ』が、人の形をしているのが煙越しに見える。黒い影と、反比例するように明るい黄色の二色。
 視界を遮る物が何も無くなり、ヴェノマニアは『それ』が一体何なのかを確認する。片膝を立てて座っている『それ』は上も下も黒い服に身を包み、薄暗い地下室でも目立つ金髪を持っていた。
 儀式が失敗して、どこかの子どもを呼び出してしまったのか?
 どう見ても十代半ばの少年である『それ』の姿を認識し、ヴェノマニアはそう考える。しかし『それ』の背中からはみ出している何かを見つけ、同時に息を詰まらせた。
 左右対称に背中から生えていたのは、蝙蝠を彷彿とさせる赤みがかった黒い羽。煙を振り払うようにはたはたと動く様は、『それ』が人間では無い事を証明していた。
「まさ、か……成功したのか?」
 正直にいえば、悪魔が実在するなどまるきり信じてはいなかった。この国に伝わる伝説も、所詮は良くある伝承やお伽話だと考えていた。勇者だの悪魔だの、そんな物は人間同士の争いを比喩した歴史だと捉えていた。
『それ』……、悪魔は伏せていた顔を上げ、紅い目をヴェノマニアに向ける。
「おい、そこの小僧」
「ひぃ!?」
 悪魔が人と同じ言葉を扱い、しかも話しかけて来た。極大の恐怖と不安、言い知れぬ混乱により腰が抜けたヴェノマニアは、悪魔から少しでも離れようと座ったままの状態で後退りをする。
 容姿は自分より遥か年下の子どもにここまで怯えるのは滑稽だが、相手は魔界から来た悪魔。怖いのは当たり前だと必死に言い聞かせる。
 音も無く立ち上がり、悪魔はヴェノマニアの正面まで移動して問いかける。
「ここは何処だ。教えろ」
 ある意味悪魔に相応しい不遜で高慢な態度と、闇に属する故の妖しい高貴さ。弱く醜い自分には決して得る事が叶わない、だけど羨ましくて仕方が無いもの。
 歓喜なのか恐怖の為か、ヴェノマニアの体は激しく震えている。それを完全に無視して悪魔は淡々と尋ねる。
「答えろ。ここは何処だ」
 再び声をかけられた事により、一瞬だけ忘れていた恐怖が湧き上がる。本能的に逃げ出そうとして後ろに下がり、とうとう背中が壁に付いた。
 もう逃げ場が無い。気付いた時には悪魔が目の前に立ち塞がり、ヴェノマニアを見下していた。
「話を聞いているのか? いい加減……」
「ベ……、ベルゼニア帝国、アスモディン地方だ! ここはアスモディン地方の片田舎、ヴェノマニア領! 僕はこの地を治める公爵ヴェノマニア!」
 痺れを切らして苛ついた悪魔の言葉を遮り、ヴェノマニアは悲鳴を上げながら答える。
「ベルゼニアにヴェノマニアだと?」
 心当たりがあるかのように悪魔は呟き、眉を寄せて疑問を口にする。
「何でヴェノマニア家の人間が片田舎の領主なんかに納まっているんだ……?」
 ヴェノマニアにその言葉は届かず、地下室には喚き声が反響して響く。
「どうか僕の願いを……いやその前に食べないで下さい! 僕は食べても旨くは無い!」
 悪魔は人間を喰らう。そんな知識を思い出し、ヴェノマニアは錯乱して訳のわからない命乞いをし始める。契約の為に悪魔を召喚したのは良いが、その前に死んでしまっては元も子も無い。
「何を勘違いしているのか知らんが、悪魔は人間を喰わねぇ。そんな物は人間の妄想に過ぎん」
 尊大な態度に全く変化は無いが、悪魔の口調は幾分穏やかになっている。敵意も戦意も無いのは明白であったが、恐怖に駆られたヴェノマニアにはそれを感じ取る余裕は無く、ただ騒ぐばかりである。
「生贄が必要ならば時間を頂きたい! 要望には答える!」
 自らの意志で悪魔を召喚しておきながら、いざ目の前に現れたら神経を逆なでする言動を繰り返す相手に、平静だった悪魔の顔に青筋が立った。
「ガタガタうるせぇんだよ!」
 空気を裂く音を立てて右足を振り上げ、正面に座る人間の頭頂部目掛けて勢いよく踵を振り下ろした。
 突然頭に走った衝撃と激痛により、ヴェノマニアは頭を抱えて蹲る。痛みで呻き声しか出せないその様子を、悪魔は腕を組んだ状態で見下す。
「俺様を呼んだのはお前だろうが! テメェで人を呼びつけておきながらビビってんじゃねぇ!」
 至極真っ当な意見を大声でぶつけられ、ヴェノマニアはようやく我に返る。踵落としを受けた頭をさすりながら顔を上げ、悪魔と目を合わせて立ち上がる。
 彼の言う事には一理ある。申し訳ないと一言謝罪し、半信半疑と言った表情で確認する。
「君は本当に悪魔なのか?」
 怪物のような姿を想像していた身としては、ある意味拍子抜けしていたとも言える。悪魔と言えば神にも逆らう邪悪な存在だったはずで、人間など見境なしに殺すただの化物だと捉えて身構えていたのだが、いざ召喚をして目にしてみれば、羽が生えている事以外は人間の子どもと大した差は無い。
 ……いきなり暴力に訴えた所は非常に悪魔らしいが。
 口の中だけで言ったつもりの最後の文句は外に出ていたようで、「聞こえているぞ」と棘のある言葉と視線がヴェノマニアに突き刺さる。
「らしいも何も、俺様は純粋純血の悪魔だ。どれほどの力を持っているのかを見たいのなら、今すぐこの国を地図から消してやろうか?」
 笑みを浮かべて滅びの宣告をし、悪魔は返事も待たずに右手を胸の高さまで上げて掌を天井に向ける。瞬間、目に見えない何かがうねりを打って集束していく。
 類まれな魔術の才能があり、かつ豊富な知識と経験を持った人間でも受け止めきれず、扱おうとすれば瞬時に暴走や暴発を引き起こす程の莫大な魔力を、金髪の少年悪魔は軽々と、それこそお遊びで扱っていた。
「止めてくれ! 僕が望むのはそんな事では無い!」
 ヴェノマニアが叫んだ直後、悪魔は右手を閉じる。右手を中心に集まっていた力が唐突に消滅し、開かれた手の平には魔力の残滓すらない。
「冗談だ。世界を滅ぼす事を考えて悪魔を呼び出す奴と言うのは、無駄に仲間を引き連れて身なりを飾り、自分達のする事は全て正義だと勘違いしている愚か者だ。お前も愚かなのには変わりは無いが、そんな連中よりかは賢いからな」
「……そうですか」
 ヴェノマニアは投げやり気味に返事をする。褒めているのか遠回しに非難しているのか不明な台詞を言われても、対応に困るだけである。
 目の前の少年が悪魔である事はもう疑う余地が無い。冗談で国を滅ぼすと宣言し、それを実際に行えるだけの力を持っていた。これでまだ疑っていたら、おそらく屋敷もろとも存在を消されるだろう。
「さて……。俺様を召喚したと言う事は、力が欲しいのだろう?」
 悪魔の言葉が耳に届いた瞬間、ヴェノマニアは自分の心に黒いものが湧き、広がって行くのを認識する。幼い頃に植え付けられ、時が経つにつれて根を深くし、現在に至るまで離れる事などなかった負の感情。

 表向きは綺麗な顔をしておきながら、裏では人を指差して嘲っていた者共に復讐を。

 ただ殺すだけでは一瞬の苦痛しか与えられない。生きたまま苦しみを与える為に、奴らにとって大切なものを奪い取る。
 人間では無く、悪魔の力を使って。

「僕が欲しい力をお前は与えてくれるか?」
 悪魔は牙を見せて笑う。
「物によっては条件があるがな」
 それはつまり、悪魔の出す条件に納得すれば契約が可能であり、人間を超えた力を得られると言う事。

 目に狂気の光を宿し、ヴェノマニアは願いを口にした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

二人の悪魔 1

 ヴェノマニア公の狂気の動画の最後で 
 提供 鏡音レン 
 と出た時、「じゃあ悪魔ってレン? 歌の出番なかったし」と思ったので、悪魔をやってもらう事にしました。

 ゲームで出る召喚術って、勝手に呼び出される側はたまったものじゃないですよね、きっと。相手が寝てたりご飯食べてる時に召喚しちゃったらどうするんだ。

閲覧数:628

投稿日:2011/08/28 14:05:49

文字数:4,334文字

カテゴリ:小説

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  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    久しぶりに遊びにきました!うわぁヴェノマニア公と悪マレンなコンビだ←!
    ビジュアル的に美味しいです。意外と抜けてると皆さんが評しているがっくんも、そのギャップが良い感じ☆呼び出しておいてびびっているあたりが、かなり美味しい属性ですね♪楽しみに読み進めようと思います!

    2011/10/11 00:31:12

    • matatab1

      matatab1

       ユーザーブクマありがとうございます!

       バナナス再びですが、今回は力関係が非常に一方的です。
       本文ではなんだが自信満々に儀式を行っていますが、実はヴェノ公は半信半疑で悪魔召喚をやっていて、本当に悪魔が呼べるとは思っていませんでした。レンを目にするまでは、実在する存在としてとらえてはいなかったので。
       例えるのなら、なんとなく買った宝くじで五千円や一万円が当たっちゃったと言う感じです。当たる訳がない(実際に悪魔がいる訳がない)のが前提。

       ヴェノ公がドジっ子やヘタレ扱いに……。そんなつもりは全く無かったのですが、もうそれでいいかなと思ってます。

      2011/10/11 19:08:33

  • 目白皐月

    目白皐月

    ご意見・ご感想

    こんにちは、すいません、もう一度失礼します。

    誤字の件に関しては、意味はわかっていたので平気ですよ。お気遣い、ありがとうございます。

    うーん、で、まあ、確かに悪魔ですし、外見は14歳でも実年齢はもっといってるかもしれませんが、中身の成熟度合いはどうなのかな~という懸念がどうしてもしてくるのです。それこそ、さっき言及したぬいぐるみと遊んでいるところを呼び出された悪魔には弟がいるのですが、これが、力のある悪魔の一族なのでそこそこ強いのですが、中身は全くの子供で、お菓子に釣られて人間にボコられたりしていたんですよね。
    それと、ヴェノマニア公の願いって、早い話が「絶世の美男子になって綺麗なおねーちゃん侍らせてヤリまくりたい」ということですよね。世界ごと消し飛ばせるような実力者を呼び出しておいて、言われた願いがそれだったら……レン、キレませんかね? 「俺を呼び出しておいて願いはそれかよーっ!」って。なんというか、その辺りが気になってしまって。

    2011/08/30 00:13:11

    • matatab1

      matatab1

       中身の成熟とかは『悪魔だから何でもアリ、人間の常識は通用しない』と言う、ある意味ぞんざいな設定と考えで書いているので、あまり深く考えずスルーでお願いします。(コレばっかりだな……)
       ヴェノマニアの願いやレンの行動は……、まあ次回以降と言う事で。適当な事ばかり言ってすみません。
       
       お菓子で釣られた所を攻撃って……、人間の方が酷いですね。どっちが悪魔だ(笑)

      2011/08/30 18:20:36

  • matatab1

    matatab1

    コメントのお返し

     すみません、お返しのメッセージに脱字がありました。

     下から二行目の文は
     誤 少しは考えた方がですよね。

     正 少しは考えた方が良いですよね。
     です。

    2011/08/29 21:15:40

  • 目白皐月

    目白皐月

    ご意見・ご感想

    初めまして、目白皐月といいます。

    魔法陣を描いて悪魔を呼び出すのってかなり面倒な作業だと思うのですが、そこまでやっておきながら、呼び出した後のことを全く考えていなかった辺り、ヴェノマニア公がドジっ子に見えて、ちょっと可愛いかもしれないと思ってしまいました。……変な感想ですいません。

    ところで、この後、ヴェノマニア公は自分の願いを告げるんでしょうが、どう考えても十八禁な内容の願いを、外見14歳の子に喋っちゃっていいんでしょうか。レンの反応がすごく気になるんですが。

    そう言えば召還術の話ですが、私が以前読んだ漫画(ファンタジー系ギャグ)では、パンツ一枚でぬいぐるみと遊んでいるところを召還されてしまい、しかもその格好を写真に撮られて脅迫され、召還者の部下としてこき使われる羽目になるキャラがいました。……そういうことにならなくて、良かったですね。

    2011/08/28 23:39:43

    • matatab1

      matatab1

       はじめまして、読んでいただきありがとうございます。
       
       確かにかなり面倒ですが、召喚術ってゲームの戦闘とかでは結構簡単に使ってますけど、本来ならもっと手順を踏んでやるものであって、あまりホイホイ使うのもありがたみが薄いと考えているのであんな風にしました。
       ……と、それっぽい理由もあるんですが、実際は
      「召喚といえば魔法陣だ!」 
       と言う発想で簡単に決めてます。

       実際に悪魔が目の前に現れたら、普通の人はこんな反応をするんじゃないか? と思って書いたので、ヴェノマニアが目的を忘れていた訳ではないんです。
       レンは外見14歳ですが、悪魔だと分かった以上、ヴェノマニアはほとんど気にしていません。

       使う側は便利で良いでしょうが、好き勝手に呼び出される側の事も少しは考えた方がですよね、召喚術って。

       万が一レンがそんなことされたら、大陸や世界もろとも召喚者を消し飛ばします。  

      2011/08/29 10:25:40

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