神子の護衛。それが、俺に与えられた新たな使命だった。

 少女が消えた洞穴の前に立ち、俺は彼女との出会いを思い返していた。変わらない雨足が、肩の痛みと身体の熱を和らげる。何が待つかも分からぬ闇に目を眇め、長年を共にした相棒を握り締め、俺はインクで塗りつぶしたような穴の中に身を投じた。

 正直に言えば、俺は降った命を快く思っていなかった。我が剣は弱き民のために。そう誓って生きてきたからだ。成り上がりの俺を爪弾きにするには、名誉ある閑職はまさにうってつけだったのだろう。徒に血を流すことは本意ではないが、前線が遠ざかるということは、守る者から遠ざかることと同義だった。

 振り返りもしない少女に付き従い、石壁に囲まれた道を進む。懐かしい立ち位置。俺は心地よい緊張感に包まれていた。

 神子と対面したとき、俺は彼女のことを人形かなにかではないかと思ったものだ。人として備えてある筈のものが、ごっそりと抜け落ちている気がした。神秘性を体現する、と言われる者とは得てしてこういうものか。さしたる感慨もなく、俺は栄えある任命式を終えた。

 かつん、かつんと具足が地面を叩く。対して、裸足の少女は足音もない。歩幅は俺よりも遥かに小さいであろうに、配慮もなく歩く俺との距離は一向に詰まらなかった。

 転機が訪れたのは、歌姫が地方へ巡教に赴いた帰りの道中。

“近し君の為よりも、憎む者の為祈れ”

 神子様のありがたい歌を聞き流した俺が、憎むものの為に祈るなど、無理な相談だった。祈りたいのは別のことだったからだ。

 無表情で馬車に座る彼女。その隣に馬上で並んだ俺は、近衛とは名ばかりの少年兵の長だった。見目が麗しいだけで、経験も知識も足りない。野党に襲われても撃退できるかどうか。そんな不安だらけの張子の虎だった。せめて優秀な副官を、と進言した俺の言葉は、一顧だにされなかった。

 なんの。神子たる彼女を襲うものには、天罰が下るに違いない。いけしゃあしゃあとのたまう、憎たらしいその口髭を毟り取ってやろうか、と、何度思ったことか。

 杞憂で終わればよいが、何かあったときに、俺は対処できるのか?

 胸にわだかまる疑心は、案の定、悲劇となって姿を現した。彼女の乗る馬車が、五十を越える男衆の襲撃を受けたのだ。
 心配の種が芽を出したこと以上に衝撃を受けたのは、襲ってきた者たちが野党などでなく、守るべしと己が定めた民草であったことだ。

 前線を離れた俺は、何も見えていなかった。いや、聞こえないふりをしていただけだ。耳を塞ぎ、弱き者たちの悲鳴を知ろうともしなかった。己には何も出来ぬと決めつけ、怠惰な日常に甘んじていた。それが罪悪と気付きもせず。

 橋を落とされ、退路を塞がれた山の中で、数の有利は未熟な鍛錬を凌駕して余りあった。ばたばたと倒れていく隊の者たち。とてつもない衝撃に指示を飛ばすのが遅れ、あっという間に敵味方入り乱れる混戦となった。

 本来ならば争わずとも良いはずの者たちが、次々と地に伏していく。忘我する俺の耳に届くのは、神子を殺せという呪詛の声。死にたくないと叫ぶ少年の断末魔。

 なんだこれは。

 馬車に群がる男たちを跳ね除けながら、俺は刃の向け所を見失っていた。

 俺は、守ると決めた者に剣を振るわねばならないのか。それでは、何の為に俺は今まで戦ってきたのだ。

 卑怯者の自分が囁く。

 いっそ、彼女を見捨てて逃げてしまえば。誰も斬らずに済むではないか。

 矮小な己の考えに愕然とした。同時に、惨たらしく引き回される神子の姿が脳裏に浮かぶ。

 俺は、それを許すのか?

 斬らねばならぬ。しかし、斬りたくなどない。だが、守らねばならぬ。

 無心に体を動かす俺の耳に蘇るのは、聞き流した彼女の歌。人を創りし神の詩。

“近し君の為よりも、憎む者の為祈れ”

 近し君の為よりも。憎む者の為に。祈れ。憎む者の、ために。

『お……』

 憎悪に身を染めて向かってくる男たち。もはや味方は誰もいない。

『おおおおおおおおおおああああああっ……!』

 獣の如き雄叫びを上げ、俺は彼らに刃を振り下ろした。哀れな者たちの御魂が神の元へ辿り着くことを祈って。それでも、この両の手が守るのは……。

――なぜ、助けたのです?

 車輪が外れ、引き手のいなくなった馬車から降り、屍の海を目の当たりにした彼女は私に問うた。
 悲痛に顔を歪ませ、二筋の涙を零しながら。

――これほどに罪深い私などを、なぜ?

 報いねばならぬ。この問いに、全霊を持って報いねばならぬ。倒れた者の為にも、と思った。

――罪。罪がなんだというのですか? そんなもの、関係のないことだ。
――どういうことですか。

 俺は言葉を継いだ。

――罪など、須(すべか)らく人が持つものです。
――人は生まれたその瞬間から、疲弊させ、傷付け、殺します。
――赤子すら罪を背負って生まれてくるのです。然れば、守るに罪が深い浅いは関係なきこと。

 自らの身を罪に染め、俺は滑稽にも、神の生まれ変わりと呼ばれる存在を諭したのだ。

 はっと気が付くと、俺は少女の背を見失っていた。前にあるのは、青白く光る苔に蝕まれた石の壁と暗闇だけ。少女の姿は跡形もない。

 やはり、俺の幻想だったのか。この先が行き止まりでない保証はない。袋小路に追いつめられたら、成す術がなくなる。戻ろう。そう決めて、俺は踵を返した。

 しかし、入り口に向いた足は根を張ったように持ち上がらない。

 一瞬、聞こえたような気がしたのだ。微かな音が。聴きなれた歌が。身を翻し、俺は耳を澄ました。途切れ途切れに紡がれるか細い歌声。それが確かに、こちらに響いてくる。

 間違いない。初めはゆっくりと、徐々に速く。俺は前に進む。高らかに鳴り響く鼓動、大きくなる声が、俺の背中を押す。

 そうだ。これは、俺が求めて止まないもの。

 やがて視界が開け、目に飛び込んだのは、守ると誓った愛しき人。

 俺は彼女の名を呼んだ。この俺が、人の身に堕とした神の“名”を。


「――!」

ライセンス

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【小説化】神の名前に堕ちる者 4.哀しみに報いる者

ニコニコ動画に投稿された楽曲「神の名前に堕ちる者」に感動し、小説化したものです。随時更新していきます。お口に合えば幸いです。

原曲様 → https://www.nicovideo.jp/watch/nm10476697

閲覧数:129

投稿日:2019/08/20 20:28:14

文字数:2,526文字

カテゴリ:小説

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