20.懲罰

「やはり、隠し通すことは出来なかったか」
 ヴァシリスは呻いた。彼自身もレンカも、リントを十日間、うまく隠しおおせたと思っていたのだ。しかし、軍が博物館の近所やレンカの勤める病院、そして、リントとレンカの自宅付近の者たちの証言を集めるだけで、あっと言う間にレンカとヴァシリスは追い詰められた。

「水を汲みにくる頻度が高いな」
「夕方に洗濯するようになった」
「そういえば、二人分にしては食料の買い出す頻度が少し高い気がするね」

 決定的な証拠は得られないが、何かが違うと、島の者は誰もが思っていたらしい。人は、自分達のことをよく観察していたのだなとレンカもヴァシリスも思い知った。

「ヴァシリスの愛想が、近頃あまりよくない。年下の恋人が出来たもので、気恥ずかしく思っているのかと思ったが、な。……どうも、秘め事を隠す類の、甘い雰囲気じゃないんだよ」
「レンカが、博物館に通うようになったのも、リントの飛行機の落ちた次の日だったな」

 逃亡者をかくまった疑いで、軍が聴取を決行するには十分な証言だった。
 博物館に乗り込んできた兵士に同行を求められ、ヴァシリスとレンカは市庁舎の部隊長の元へ連れて行かれた。正面にはデスクに構えた部隊長と補佐がおり、背後の部屋の入り口は武器を手にした兵士が護っている。それでも、リントが捕まらなければレンカもヴァシリスも知らぬ存ぜぬで通すつもりでいた。しかし、そんなかれらの願いも空しく、リントは見つかっていたのだ。
「リント・カトプトロスを発見しました!」
 外から駆け込んできた伝令の声に、部隊長の前に立つヴァシリスの拳が、一瞬強く握り締められた。

「うちの庭に落ちてきたんだよ! 西側の塀からドターッとねぇ!」

 そのような証言があったとも聞かされた。レンカがかたく瞳を閉じる。
 そして、最後の報告が、ふたりを衝撃となって襲った。

「リント・カトプトロスは、ルカ・コルトバと共に女神の岬まで逃走した末、」

 次の言葉が、ふたりの意識を白く焼き尽くした。
 
「ルカ・コルトバによって射殺されたもよう!」

 ……どんな手を使っても、この世に居場所を作ってやる。
……リントの心と体を、守ってあげる。

 そう誓ったふたりの心は、その一言で砕け散った。
「ルカがリントをつれていき、そして、殺した」
 幼い二人を良く知るヴァシリス、四年の後に出会ったルカとリントを知るレンカの心は、その言葉に砕かれ、抵抗力も霧散した。

「なお、ルカ・コルトバ上等兵にも、さきほど事情を訊いたところだ。
召集に応じるよう説得したが、抵抗したので撃ったということだ」

 すでにどんな言葉も、ふたりの心には届かなかった。ヴァシリスもレンカも、訊かれるままに答え、促されるままに真実を話した。
 リントがとなりの島で舟を借りたことも、レンカが逃亡した彼をかくまうために博物館に泊まったことも、リントが資料の整理を手伝っていたことも、

……ヴァシリスとのキスが、人の目をひきつけるためだったということも。

 すべての秘密が、駐留部隊の部隊長と、補佐官、兵士、やがて、石造りの市庁舎の外で見守っていた人々の前にも明かされた。

 すべての秘密が白日のもとにさらされた後、部隊長は静かに決断を下した。
「有事下において、召集を拒むこと、そして拒んだものを助けることは罪である」

 ヴァシリスは、リントを匿ったことは全て自分の判断だと主張した。
「レンカ・カトプトロスは、私の判断で巻き込みました。リントに対する肉親の情を、私が利用したのです」
 ヴァシリスは、せめて全ての罪を自分に負わせてくれるよう申し出たが、レンカは、自分の行動を全て自分の意思だと言い張った。
 レンカ・カトプトロスは、十八歳。責任能力のある大人と判断され、ヴァシリスの抵抗は無駄に終わった。

 夕闇に沈んだ部屋のなかに、ランプが灯され、揺れる明りの中にいつもの島の夜の空気が降りてくる。
 部隊長の宣告が、薄い闇の中に重く続いた。
「悪しき前例が成されることは、これからの島と大陸の同盟を揺るがしかねない重大な行為である。ヴァシリス・アンドロスおよびレンカ・カトプトロス」

 ヴァシリスとレンカ。並んだ二人の手が、甲の部分でそっとふれあい、そして離れた。

「これより三日の懲罰を課す。これ以後、この島やほかの島において、逃亡者を匿う者が出ないためにも、厳しく処断する」

 部隊長の言葉が終わると同時に、ふたりの口に布が噛まされ、きつく縛められた。手を後ろに回され、乱暴に引き立てられた。市庁舎の前の、石畳の広場へと。
 広場の中央に、兵士の手によって真新しい杭が立てられた。
 一本の杭を両側から背で挟みこむように、ヴァシリスとレンカが立ったままの状態で括りつけられる。

 この状態で、三日。
 夏の島の太陽は、全てを焼き尽くす太陽だ。
『太陽の供物』と呼ばれるその刑罰は、実質、死刑と変わりなかった。

         *         *

 冷たい石造りの市庁舎の一室に、ルカは閉じ込められていた。
 高い位置にある小さな窓に鉄格子が嵌っている。
 地上より少し低い位置にあるその部屋は、本来の機能としては罪人をしばらく拘置する場所であった。夜になるとひんやりと冷たい石の壁が、昼間の太陽に焼かれた頬を冷ましていく。
 加わるはずのない行動に加わり、なおかつ勝手なことをしたという罪で拘置されるときも、乱暴なことはされなかった。「コルトバ大将の娘である」ことが、功を奏しているのだ。

「本当は」

 ルカは口にはしないが、リントを召集から逃がした今、ルカは、自身の生まれた目的を達成したとすら感じていた。


「リント」

 ひっかかれた頬が、まだ熱かった。銃を撃った手に、未だ力が入らない。

「リント。」

 部屋の隅に身を寄せ、ルカの唇が歌を紡ぐ。すべての女神の唄を、静かに紡ぐ。
 もう会うことのない人に向けた歌とルカの熱を、冷たい石の壁が静かに吸い込んでいく。

         *         *

 月が高く満ちる頃、女神の入り江に、ひっそりと隠された一艘の舟に、人影が一つ倒れこんでいた。
 びっしょりとぬれた真っ直ぐな金髪、やや痩せた手足は、リント・カトプトロスその人であった。
「オレは……ルカに助けられた」

 ルカは、リントを、満潮の海に向かって、岬から突き落とした。下へと落ちていくリントに対し、ルカは正面の水平線に向かって弾丸を発射した。
「ルカ。ヴァシリスさん。レンカ。皆、無事かな」
 皆、公衆の面前で堂々とリントを護った。その皆が、無事であるはずが無い。
「オレは……」
 空はつながっていると語り、争いの場所にしたくないと主張した。
 戦争へと流れていく、大きな人のうねりの中の、たった一人の幼い理想。そうと知って、リントはそれを押し通す道を選んだ。
 そのリントを、レンカもヴァシリスも、そして、大陸軍の軍人であるルカでさえ、守ってくれた。
「それなのに、オレは、無力だ」
 自分が討たないことで守られる理想。撃つ事で、護られる島の人。
 リントは、そっと、自身の体を抱きしめた。今のリントに残されたものは、ただ生きている、自分の体のみだった。
 崖から突き落とされる瞬間、ルカの見せた壮絶な微笑みを思い出した。ルカの後ろで、かつて敬愛した女神像が、腕を広げて微笑んでいた。

「ルカ……」

 かつて女神と姿を重ねたルカに、かつての石像のような表情は無かった。
 一度だけ抱きしめた温かい身体には、固く白い軍服の布地の下に帯びた、確かな人の情熱があった。

「もし、ルカを守るために、オレが誰かを殺し、どこか他の街を焼いてきました、などといったら」
「それでもルカは、オレを愛してくれるか」
 ルカは、大勢を助けるために身内を切り捨てると言ったリントを、肯定してくれた。
「……そういうリントは、やっぱり愛しい」

 頭の中に、愛しい人の声が繰り返し響き、その姿が繰り返し浮かぶ。
 ルカの瞳は、最後までまっすぐにリントを見ていた。

「……無様だな、オレは」

 身体を起こし、膝を抱え、リントは舟の端にうずくまる。
 波に揺られて船べりが岩にあたり、ごん、ごんとリントの身体に響く。
 理想のために身内を切り捨てたのに、理想を実現する手立てもなければ、ルカたちを救う手立ても無かった。ただ、夢を持って生きながらえただけだ。

「くそ……!」

 ひとりきりの夜の時間は、容赦なく過ぎていく。
 そして、やがて空が白み始めた。
 このとき、レンカとヴァシリスが受けている刑罰のことを、リントは、知らない。



つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

滄海のPygmalion 20.懲罰

……愛しい人よ、貴方の目に映る僕は無様だろう。

発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp

空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion  http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^

閲覧数:203

投稿日:2011/07/10 16:25:09

文字数:3,606文字

カテゴリ:小説

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