注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
メイコの視点で、本編では第七十二話【滅びにいたる門は大きく】より、一ヶ月ぐらい前の時間軸となっています。
なお、この話はメイコとハクが中心となるため、そこまでの本編を読了し、外伝二十四【母の立場】までの二人の登場する外伝を読んでから、読むことを推奨します。
【荒療治】
「旅行というのも、よさそうよね」
レンが向こうに行ってしまった、次の年の五月。マイコ先生は、突然そんなことを言い出した。
「旅行ですか?」
「そーよ、旅行。ちょうど大阪の方で、なかなか楽しそうなファッションショーがあるのね。それ、見に行こうかと思って」
マイコ先生はこういう仕事をしているぐらいだから、とにかく服が好きだ。もちろん私も大好きだけどね。映画とかを見ていると、必ず出演者の衣装をチェックしてしまう。センスのいい服だと嬉しいし、逆にぱっとしないと残念。
「ついでに少し、その辺で遊んでもいいし」
「楽しそうですね」
「だから行きましょうよ」
って、あれ、ちょっと待って。もしかして、私も誘われてるの?
「私もですか?」
「一人で旅行するより二人の方が楽しいでしょ。三人だともっと楽しいわよね。というわけで、ハクちゃんも行きましょ」
「えっ!?」
着替えをしていたハクちゃん――お仕事中なのだ――がびっくりした声をあげている。そりゃ驚くわよね。突然ご指名だもの。
「え、えーと、その……」
「二、三日家を開けたって、誰にもバレやしないわよ」
「そ、それはそうですけど……」
もごもごと言うハクちゃん。確かに、いきなり旅行に行きましょうって言われてもねえ……。
「旅費はあたしが出すから」
「そ、そんな! 悪いですよ!」
「気にしない気にしな~い」
結局、私たちは押し切られてしまった。マイコ先生って、なんていうか、ちょっと気まぐれなところがあるのよね。なので、その気まぐれについていけず、辞めてしまったスタッフもいるらしい。私は「面白いな」って思っちゃうんだけど。
「いいんでしょうか……」
ハクちゃんが、小声でぶつぶつ言っている。私はハクちゃんの頭を小脇に抱え込むと、「折角だし、甘えちゃいましょ。その分は仕事で返せばいいのよ」と言っておいた。きっと先生は息抜きがしたいんだろう。ここのところちょっと大変だったし。旅行に行ってたっぷり楽しんでもらえば、先生は機嫌がよくなって、いいデザインを描きまくってくれるはずだ。
とまあ、そういうわけで、女三人で大阪の旅、が決定してしまった。たまには羽目を外すのもいいわよね。何を着て行こうかな。私は旅行の楽しみを、あれこれと想像していた。
「あのね、めーちゃん」
旅行に行く前日のこと。マイコ先生は突然、とんでもないことを言い出した。
「今回の旅なんだけど、ハクちゃんのためなの」
「はい?」
私は驚いて、マイコ先生の顔をまじまじと見つめてしまった。マイコ先生は、真面目な表情で先を続ける。
「あたしね、あの子には荒療治が必要だと思うのよ」
「荒療治ですか?」
ハクちゃんは、多分、以前よりはいい方へと向かっているんだとは、思う。この前、また暴発したけど。何が原因だったのかはわからないけど、いきなりまた愚痴吐きモードになっちゃったのよね。このスイッチが入ってしまった時のハクちゃんは、ものすごく厄介だ。ここで働いている人は他にもいるんだけど、「あの時のハクちゃんの傍にはよりたくない。エネルギーを全部吸い取られそうになるから」と言われているぐらいだし。
そこまでされながら、ハクちゃんの面倒を見るのは何故かって? うーん、多分、放っておけないのよね。レンとリンちゃんのこともあるけど、それだけじゃない。一度掴んだ手を自分から離すのは、私の主義じゃないの。マイコ先生までつきあってくれるとは思わなかったけど。
「そ、荒療治」
「一体、何する気です?」
千尋の谷に突き落としたりは……幾らなんでもしないか。でも、荒療治っていうとそういうイメージよね。
「実はね……」
マイコ先生のプランを聞いた私は、呆気に取られた。まさか、こんなことを考えていただなんて。
「先生、正気ですか?」
「ええ」
「そんな滅茶苦茶な……もしかしたら、最悪の結果になるかもしれませんよ?」
幾らなんでもそれは困る。後輩の葬式に出席なんてしたくない。かといって、塀の中に行かれてしまうのを見るのもごめんだ。
「うん、だからね。その後は、めーちゃんとあたしでついてればなんとかなると思う。二人がかりなら、引き止められるでしょ」
マイコ先生は若い頃剣道をやっていて、今でもかなり強い。アトリエにもしっかり竹刀が置いてある。「変なのが出たら、これで成敗する」というのが、先生の持論なのだ。
「……それにしても先生、よくわかりましたね」
「めーちゃん。人間はね、間に六人挟むと、どんな人にでも行き着けるって、昔から言うのよ」
そういうものなんだろうか。あ、でも、考えてみたら、そんな変な話でもないのかな。マイコ先生の仕事を考えると。
そんなわけで、私たちは大阪へと旅行に出かけた。マイコ先生が言っていたファッションショーは確かに興味深い内容で、私とマイコ先生とハクちゃんは、衣装を眺めながらたっぷり歓談した。
ショーが終わった後、マイコ先生は「一杯やりましょ」と言い出して、さっさとタクシーを止めた。全く疑わずに、ついていくハクちゃん。まあ、こうやって飲みに誘われるの、珍しいことじゃないしね。マイコ先生が行く先を告げて、タクシーは走り出した。
タクシーが私たちを降ろしたのは、とあるスナックの前だった。ハクちゃんが、首を傾げている。
「あれ、普通のお店なんですか?」
マイコ先生が行くお店は、いわゆるニューハーフさんのショーパブみたいなお店が多い。マイコ先生は華やかなものが好きなのだ。ショーが楽しめて、お酒がとおつまみが美味しければ言うことなし。当然大阪にもその手のお店は多いから、ハクちゃんはそういうところに行くと思っていたようだ。
「たまにはこういうところもいいでしょ。さ、入るわよ」
マイコ先生はお店に入って行った。私とハクちゃんも後に続く。
こじんまりとしたスナックだった。内装は……うーん、まあまあ、かな。照明がちょっと薄暗いような気がする。開いたばかりなのか、中にはあまりお客さんがいない。初老のおじさんが一人、カウンターでグラスを傾けていた。
「いらっしゃい。……あら、初めてのお客さんね」
カウンターの中にいた、このお店のママとおぼしき女性が声をかける。年齢の頃は五十歳ぐらい。年を取ってはいるけど、整った顔立ちをしている。化粧がやたらケバいのがネックだけど。
その人を見たハクちゃんは、びっくりして立ち尽くした。
「東京から来たのよ。観光にね」
「そうですか。カウンターにします? それともボックス席?」
仕事柄なのか、トランスのマイコ先生を見てもママは動じなかった。カウンターのおじさんが、「ん?」と言いたげにこっちを見る。
「こりゃ綺麗なお姉ちゃんたちだねえ……」
おじさんの視線が、立ったままのハクちゃんに止まる。それから、カウンターのママへと向かい、そしてまた、ハクちゃんに戻る。
「驚いた。あんた、ママと良く似てるね」
ママが訝しげな表情で、顔をあげてハクちゃんを見た。そのまま、まじまじと顔を見つめている。
「……あら、確かに。お客さん、東京からですよね」
営業スマイルを浮かべて、ママはそう言った。その瞬間、ハクちゃんがはじかれたようにカウンターに駆け寄る。
「ママ、ママよね!?」
「ええ、ママよ。この店の。どこかで会いました?」
「そうじゃなくて……あたし! ママの娘よ! 大きくなったからわからないの!?」
ママさんもカウンターのおじさんも、唖然とした表情で固まってしまった。ま、そりゃ、固まりもするか。生き別れの親子の突然の再会。そんなドラマのワンシーンみたいなできごとが、目の前で繰り広げられているんだもの。
「ねえ、ママでしょ?」
「えーっと……」
「大沢ショウコさんよね? 以前モデルをしていた」
脇から、マイコ先生が口を挟む。大沢ショウコというのは、ハクちゃんのお母さんの名前だ。
「そうですけど……本名を出されるのは、ちょっと……」
ハクちゃんのお母さんは、源氏名で商売しているらしい。マイコ先生は一つ頷くと、ハクちゃんの両肩をつかんで、前に押し出した。
「なら、こちらのお嬢さんはあなたの娘さんよ。巡音ハクちゃん。年は二十二」
ガラスが割れる派手な音が、店内に響いた。カウンターの中のママ――ハクちゃんの実母――が、グラスを落としてしまったのだ。悪い夢でも見ているような表情をしている。
私はハクちゃんの方の様子を伺った。ハクちゃんは、一心不乱に自分の実母を見つめている。あまり悲惨なことになりませんように……そう、心の中で祈ることにする。手に負えない事態はごめんだ。
「ママ、あたし、会いたかった!」
「ああ、えーと……本当にハクなの?」
ハクちゃんを上から下まで眺めて、そんなことを言うショウコさん。離婚したのはハクちゃんが五歳のときだっていうから……十七年ぶりか。
「ママ、こんな大きな子供いたんだ。独身だって言ってなかったっけ」
脇から、さっきのおじさんが口を挟んだ。ショウコさんが、嫌そうな表情になる。
「独身よ……バツイチだから」
バツイチなんだ。二とか三とかにはなっていなかったらしい。お父さんの方とは違って。
おじさんはというと、グラスの中身を空けて、立ち上がった。
「感動の再会を邪魔しちゃ悪いから、今日はもう退散するよ」
気を利かせてくれたようだ。ショウコさんは迷惑そうにしてるけど。明らかに、ハクちゃんとは向き合いたくないみたい。私は内心でため息をついた。この温度のズレ、一体どうなることやら。
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