今日、この『セカイ』は消える。
「ごめん。ルカだけでもと思ったんだけど…無理だった」
マスターが、すまなそうにそう言って私の髪をなでる。
「いいんです。私だけ残されるより、私が歌えるその最後の瞬間までマスターの傍で歌っていたいから」
「…ありがとう、ルカ」
「いえ」
私はマスターに寄り添い静かに歌い始めた。
全ての最期に向けて。
今日、この『セカイ』は消える。
『セカイ』に生きる人間、その他多くの命と共に。
一応、各地にあるシェルターの中に避難すれば『その瞬間』がきても生き残ることはできる。
ただ、『その瞬間』を逃れたところでその後の『セカイ』に再び生き物が済めるようになるまでに実に膨大なる年月を必要とするらしい。
例え食料などを大量に持ち込んだとして、人間はおろかその他どんな生き物でさえ生き続けることは非常に困難だといわれている。
そう、生き物では。
技術の進歩により、理論上、現在のボーカロイドはその内蔵電源のみで千年以上稼動できるという。
実際はあまり長期間稼動を続ければ身体部品の劣化などでそれほどはもたないだろうが、ここではそのことはあまり重要ではない。
大事なのは、他から得ずともエネルギー得られる…つまり、今の『セカイ』が消えた後もボデイが無事なら動き続けられる点。
現在、一部のボーカロイド達は、マスターの意向によりシェルター内で待機状態となっている。
無論、無事目覚めとしてすでに彼、彼女等のマスター達は存在しないが、それでも「生き続けて」欲しいと望んだボーカロイドのマスターの数は決して少なくはなく、シェルターの数や広さに限りがある以上そう望まれた全てのボーカロイドがシェルターに入れられた訳ではかった。
果たして、新しい『セカイ』で目覚めたボーカロイド達は何を思うのか。
…それは私には関係ないことだった。
終わりの時が、近づく。
マスターが小さな声で「ありがとう」と言った。私は応えず歌い続けた。
でも、この歌声を通して、きっと気持ちは伝わった。マスターが私の手をそっと握ってくれたから。
もうすぐ『セカイ』が終わる。
でも、私の歌う唄は終わらない。
だって心に決めたから。最期の最後まで歌い続けるのだと。
『セカイ』の終わりはすぐそこに。
それでも私は歌い続ける。
そして…
『セカイ』は終わり、歌声は途切れた。
それでも僕らは歌い続ける プロローグ:『終末』
人間がいなくなった後の世界で歌い続ける…みたいな歌詞のボカロ曲は何曲かありますよね。
ふと、それらを同じ世界観の中に取り込んで自己解釈で書いてみたらどうなるかな、と思いとりあえず書いてみました。
一応、今回イメージの元にさせて頂いた曲はありますが、おのれの力不足であんまり本文に生かせておりません。
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ご意見・ご感想
オボロン
ご意見・ご感想
スコっちさん、はじめまして、オボロンといいます。
「それでも僕らは歌い続ける プロローグ:『終末』」、拝見いたしました。
短い文章でも終末の世界の情景が浮かぶような、そんな作品だと思います。
文章を読んでデッドボールPの作品を思い出しましたが、モチーフはあれでしょうか?
あの曲は自分も大好きなのでつい反応してしまいました。間違ってたらごめんなさい。
あと後半のはじめあたりの「マスターの意向によりフィルター内で待機状態となっている」と
ありますが、「シェルター内」ではないでしょうか?これも間違ってたらごめんなさい。
自分もいくつか下手ながら詩的なものを書いているので、よかったら見てみてください。
それではこれからも、創作活動がんばってください。
2010/04/19 00:10:09
スコっち
こんにちは、オボロンさん。感想ありがとうございます。
このような拙い文章でも情景が浮かぶといってもらえてうれしいです。
このプロローグの文だけでいえば某ルカの曲をモチーフに書きましたが、オボロンさんのおっしゃるデッドボールPの作品も、この世界観で書こうと思った発想の元になった何曲かの中の一曲です。
あれは本当にいい曲ですよね。
あと、×フィルター→○シェルター…おっしゃる通りですね、修正しました。いや、恥ずかしい。
わざわざ指摘下さいありがとうございました。
2010/04/19 01:35:23