序
それは、いずれの時代のことでありましたでしょうか。
気が遠くなるほどの、遠い昔。
人々がまだ、弓を引き、槍を持ち、刃を振るい、軽々に命を散らしていた頃のこと。
この地は戦場(いくさば)でございました。
幾度も繰り返される、愚かな戦い。
大地は数多の血で穢され、屍肉は野に晒され、弔いの祈りもなく、野辺送りの涙もなく、深く暗い念だけが、刻まれ続けておりました。
拭いがたき穢れを、晴らしがたき恨みを、御しがたき憎しみを、浄化される事無き無念を、行き所無き魂を、拒むことなく受け入れ続けた大地の神は、段々とその力を弱めていったのでございます。
時は流れ、ここに新たな人々が、終の棲家を求め、根を下ろしました。
しかしこの地は、力弱き地。
種を蒔けど実り少なく、野山の恵み乏しく、牛馬を飼えど、病が蔓延り死に至る有様。
人々の若い長(おさ)は、少しでも人々の暮らしを良き物にしようと、皆と共に汗して働き、領地を巡り、夜を徹して書をひもとき、寸暇を惜しんで、この地を豊かにするすべを得ようと身を尽くしました。
それでも状況は一向に良き方には、向かいませんでした。
若い長には、神に仕える盲目の兄がいました。
その身の上故、弟である長を助けることも敵わず、日々、神へ祈りを捧げておりました。
この地が少しでも豊かになりますように。何の役にも立たてない自分を大事にしてくれる、人々の暮らし向きが、少しでも良くなりますように。
親にも見捨てられかけた自分を愛してくれる弟の、ひたすらの努力が実を結びますようにと。
ある日、祈りの中で、兄は夢を見ました。
どこか懐かしい、柔らかで甘い、花の香り。
微かに聞こえる、澄んだ鈴の音。
天上から落ちてくる、男とも女とも分からない高く澄んだ声が、兄に語りかけました。
「ここな大地の神は、力を失いつつある神。人で言えば、力尽き、身を起こすことも敵わぬ有様。やがて永久の眠りに向かおうとしている半ば死人。天に祈りを捧げ、天の神を呼び、その力を大地に分け与えさせよ」と。
「どうすれば?」
兄は問いました。
「神呼ぶ歌を授けよう」
兄の口の中に、何か得体の知れない物が飛び込んできました。
曖昧でとらえ所のない形。水よりも冷たく、それでいて柔らかな感触。
それは瞬く間に口の中で溶け、喉に流れ、兄の全身を巡りました。
「神呼ぶ歌で、地の神を目覚めさせ、天の神を招け。己が持つ祈りの声で、天の力を地に分け与え、地に天の力を受け入れさせよ。二柱の神をその身をもって制せよ」
「ただの人の子である私にそんなことが?」
「無私の祈りを捧げ、祈声を持つ、人の子にしかできぬ事」
それだけを言うと声は消え、兄は夢から目覚めたのです。
授けられた歌で招かれた天の神により、地の神は力を取り戻しました。
この地はどこよりも豊かな大地となりました。
ただ地の神は、天の神からの力を、時折、欲するようになりました。
諍いの後、災いの後。地の神がその力を削がれる度に。
その度、人の子に歌が授けられ、神を呼ぶ儀式が行われるのです。
それは……現代(いま)も続いていました。
1
白い水干を纏った後ろ姿。
伸びた背筋と、癖のない髪に、見覚えがあった。
二つ年上の従兄弟だ。子供の頃からの遊び相手で、一人っ子の自分にとっては兄代わりの人。
『兄さん』
呼びかけようとしたが声が出ない。
何もない真っ白な世界。
その中に立つ純白の水干。
従兄弟の瑠璃の髪が、一際鮮やかに目に映る。
声が出ないならと、男は従兄弟の方に歩いて行った。
不意に従兄弟が空を仰いだ。
引き結ばれた唇が、何か言いたげに薄く開いく。
いや、男には分かった。従兄弟は何かが言いたいのではない。
歌おうとしているのだ。
唇が動き、白い喉がゆっくりと上下するが、声は出ない。
何かを受け取ろうとしているかのよう、掌を上に腕を開く。
真っ直ぐに白い虚空を見つめる、花色の瞳。
『……兄さん……まさか……』
従兄弟が目を細めた。
歌う口元が、穏やかに微笑んでいる。
男にも見えた。
虚空から不意に生まれ出た、白く輝く羽根。
ゆっくりと、従兄弟の方へ落ちていく。
『兄さん!』
従兄弟の体に触れようとするが、今度は声だけでなく、体が動かない。
羽根が無音で歌う従兄弟の唇に触れた。
喉の動きが止まった。
従兄弟が目を閉じる。
羽根は吸い込まれるように、口の中に消えていった。
唇を閉じ、両手をのど元に当て、静かに俯く。
次の瞬間、男はまぶしさに目をつぶり、顔を腕で覆った。
従兄弟が強い光に包まれた。いや、従兄弟の身のうちから、白い光があふれ出した。
『兄さん!』
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