「女子のさあ、その切り替えの仕組みってどうなってんの?」
「はあ?」
振り返ると、松原がシャーペンを回しながらこちらを見ていた。
男子の間で流行っているらしい色々なところを中途半端に立てた髪型が、夕陽を受けて何かの作品みたいだった。
―メランコリック―
「いや、ごめん、何となく」
「切り替えって何?」
相手は謝っているのに、間髪入れずに聞いてしまったものだから、私が怒っているみたいな空気になってしまった。
松原の顔の右半分に「ヤベエ」と書いてある。左半分には、それより大きな字で「めんどっ」と書いてあった。
松原はシャーペンを操る手を止めて、仕方なく言い訳を始めた。
「その、さあ……さっき的場さんたち来た時、満面の笑みだったのに、俺と二人になると急に仏頂面だからさあー」
「……そりゃ……友達には愛想よくするでしょ」
「あ、なるほど、俺は友達じゃねえんだ」
「揚げ足取んないでよ。そういう意味じゃない」
「じゃーどーゆー意味?」
「……もっと狭い意味のトモダチよ」
「ふーん」
納得したんだかしてないんだか分かりかねる返事で、松原はその話題を終わらせた。
何だか息苦しくなって、目の前の紙類をかき集めて私は椅子から立ち上がった。
「え、なに」
「やっぱ、現物見ないと判断できない。ハンズ行こうよ」
「えー?今からあ?」
「は?何か予定あんの」
「ねーけどぉ」
「じゃ、行こ」
スクールバッグを取り上げると、バッグの外側に付けた赤白ボーダーのパスケースが机にぶつかった。
松原は椅子に座ったままちょっと斜に構えて、それが揺れるのを見ている。
「ねえ、やる気ないの?」
「……あるよ」
はあ、とわざとらしく溜め息を吐いて、松原もリュックを手に立ち上がる。
白い上履きの後ろを踏んだ佇まいは、やる気があるようには見えない。
何でこんな奴と、と私も溜め息を吐きたくなった。
「テスト終わってすぐ文化祭とか、ウチの学校アホだと思うんだけど」
「そーかもね」
「テスト期間から準備しなきゃ間に合わねっつの」
「うん」
「高辻さん、何かヤバイのある?」
「……数学」
「あー、うんうん。俺も」
バスに揺られながら、どうでもいいことを話した。と言うより、一方的に話しかけられた。
教室を出る際の、あの惰性は何だったのかと思ってしまう。
「松原くん、馴れ馴れしいよね」
「へっ」
まずいことを言った、と思ったので、
「ごめんそういう意味じゃない」
慌ててさっきと同じことを言ってみたけれど、
「……そういう意味でしか、なくない?」
吊革を持った松原はガックリと項垂れた。
「ごめん……男子とあんま話したことない」
「それって正当な理由?」
「……多分」
松原の指が、降車ボタンを押した。目的のバス停はもうすぐだ。
「俺も女子とあんま話さねーけど」
「だよね」
「馴れ馴れしく見えるんなら、仲良くしようとしてるんだと思うよ」
ぶすっとむくれたような顔で、窓の外を見ながら松原は言った。
丸や三角の標識が景色と一緒に流れていく。
「あ、そうだったんだ」
同じく窓の方を眺めながら言うと、その反応がまた松原を傷付けてしまったらしく、彼は「女子って図太え……」と吐き捨てた。
男子が繊細すぎるんだと思うけど。
「見て、水鉄砲。3個入りで100円」
「それなんか意味あんの」
「……ないけど。どーでもいーモンでも、お得だったらテンション上がらない?」
「あたしテンションって言葉嫌い」
「何で?」
「テンションの本当の意味知ってる?」
「緊張」
「分かってて何で間違った使い方すんの?」
「ええ?本当の意味知らねーで使ってるやついるんだろうなあ、って優越感に浸れるから」
「……」
「あ、何、その目ぇ」
ホビー・クラフト系の売り場で、私たちが探しているのは安いTシャツだった。
文化祭の時に、クラス全員で着る用の。
毎年、クラス毎にオリジナルのTシャツを着るのが我が校の文化祭での決まりだ。
「高い?」
「いや……こんなもんじゃないの?」
「じゃ、これでいっか。36枚もあるかな……」
「在庫出してもらう?」
「待って、サイズ書いた紙どこいった?」
「あたし持ってる」
「俺頼んでくるから」
「あ、うん、ありがと」
1日着られればいいだけなので、Tシャツ自体にかける費用は極力抑えることにした。用意された服飾代の半分以上を、各自がアレンジに使えるようにするために。
そこで目を付けたのが、手作りTシャツなどと銘打って売られている無地の商品だ。販売者側はそれを飾る手法の方を大々的に広告しているので、Tシャツにはあまり高値が付けられない。
気付いたのは松原だった。私がユニクロのカタログを見て顔をしかめていた時だ。
レジで店員に要求を説明している姿は、真面目そのもの。やる気があるというのは本当だったのか。
しかし、何か腑に落ちないところもある。
「出してくれるって。その辺見ながら待っとこ」
「うん……ねえ、松原くんは何で服飾係に立候補したの?」
そうだ。彼は"立候補"したのだ。押し付けられたわけではなく、自分から。
「ああ、俺、将来アパレル関係就きたいから」
「へー……意外。デザイナーみたいな?」
「なれたらの話だけど」
「専門学校行くの?」
「うーん……まだ分かんね。高辻さんは?」
「大学?」
「ううん、何で服飾係になったの?」
そういえば、私も"立候補"したんだった。
ただ動機が自慢できない。特に、明確な理由のある松原には。
「……本当は、係とかやる気なかったんだけど」
「へえ?」
「でも、真紀に、やろうねって言われてたから……仕事多そうな係が埋まるまで待ってから、手挙げたの」
「打算的……」
「まあね」
「真紀って、柿町さん?」
「うん」
「はっ」
松原は陳列棚の間をすり抜けながら、振り返って笑った。
「女子ってめんどくせえな」
その時こそ、私は起こるべきだったのかもしれないのだが。
松原のちゃんとした笑顔を初めて見て、少し驚いてしまった。
「男子にはないの?そういうの」
「あるっちゃあるけど、ま、女子の方がケンチョ?つうかさ」
男子だの女子だの、この前現国で読んだ教材に言わせれば、私たちのやり取りは全くそのままジェンダーの問題のような気もする。
でもそんなこと言ったって、私からすれば男子なんて未知の生き物だし、松原から見る私もそうに違いない。話も、しないし。
『仲良くしようとしてるんだと思うよ』
あ、何だろうこれ、気持ち悪いくらいこそばゆい。
「ほんとはさー」
「うん?」
立ち止まった松原の手には、棚のロールから伸びた細いリボンが握られていた。
私たちはいつの間にかラッピングコーナーまで来ていたのだ。
水色と薄緑の中間のような色の、可愛いリボン。
「俺がデザインしたのを、みんなに着てほしかったんだよね」
彼が恥ずかしそうにぽつりと言って、そういうことか、とようやく合点がいった。
買い出しに出るのを渋った理由も、やる気があったりなかったり、曖昧だった態度も、そういうことだったのかと。
「何で言わないの?」
「言、わねえよ恥ずかしい……」
「デザインすればいいじゃん」
「え?」
「まだ地のTシャツしか決まってないんだし、あれに足す形で、やれば?松原くん」
松原が、今まで見た中で一番真面目な顔をした。
「あ、の……俺がデザインしたって、みんなに言う?」
「言うよ。当然でしょ」
「言うのかぁー……」
「嫌なの?」
「だから、恥ずかしいじゃん、ていう……俺そーゆーキャラじゃないし」
「キャラって何?キャラクターの本当の意味知ってる?」
「……性格……」
「性格って周りが決めるもんじゃないでしょ」
「……うん、まあ」
「やるよね」
「………やる」
丁度その時、2番の番号札を呼び出すアナウンスが流れた。
私たちだ。
「実はもう、何枚か描いてんだ、その……デザイン画」
「そうなの?」
「うん、だから、明日ガッコ持ってくし……」
「見る見る!」
「なに急にテン……緊張上がってんの?」
「ふっ、変、それ」
帰りのバスは、外の景色があまり頭に入ってこなかった。
そのくらい、松原と話すのが楽しかったんだと思う。
「高辻さん」
学校の前で別れる時、呼び止められた。
「あの時、手ぇ挙げてくれてありがと」
「あー、うん、動機が不純な上に、実は松原くんの方がやる気あったみたいだけど」
「いや、それでもさ、高辻さんで良かったって、思ってるし」
「うん……あたし、できることあったら手伝うからね」
「お願いします。じゃ、また明日」
「うん、また明日」
その日、夢に松原が出てきた。
夢の中の松原は昼間の松原より饒舌で、惹かれるデザインをたくさん紙に描いて見せてくれたあと、
「良かった、俺にもその顔で笑ってくれるんだ?」
と言って自分も笑っていた。
その笑顔が、夢が終わってからも忘れられなかったなんて。
絶対に、あるはずがない。
xxx
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