窓の向こうから聞こえてくる雨音にふと気が付いた。顔を上げると、またこの鬱陶しい雨が降り出していた。
ため息をついて雨漏りの箇所に手元の空瓶を置きながら、横目で時計を見た。帰ってからもう2時間も経っていた。
余計な昔の想い出に耽過ぎてしまった。 テレビをつけると、観ようとしていた特番はいつの間にか中盤ぐらいまで進んでいた。

今年のマジミラグランプリ受賞者との1対1インタビュー。 机の前に座っている人の笑い声はなんとなく聞き覚えがある。
顔はフレームの外に隠されていたが、右手首に付けられた見慣れた革制のブレスレットに視線が移ると、すぐさま彼の顔とハンドルネームが頭に浮んだ。
「ありゃあ、モズくんじゃけえ」

確か"10moz."と書いて「トモズ」と読む名前だったが、俺は普段から彼のことをモズくんと呼んでいた。
デビューの時期がほぼ同じで部屋もこの辺だったから、そこそこ仲良くやっていたな。 そうか。今年のグランプリはモズくんか。 いいな、焼肉食べに行くんだろな。 おめでとって一言くらいは送っとこうか。いや、今更俺なんかが馴れ馴れしい口を利いても困らせるだけだろう。

俺がスランプに陥ったことに真っ先に気づき、こまめに飯まで奢りながら励ましにきてくれてた、優しくて情深い人だった。東京で大学に通いながらも、バイトで稼いだお金で生活費だけでなく親父さんの治療費まで送っていたのだから、自分の事で精一杯でそんな余裕とかなかったはずなのに。

実家からの仕送りか何かでもらったらしいヤブカンゾウまで一袋渡しながら「これ不安にかなり効くってさ。最近よく眠れてないみたいだし、たまにはこれでも沸かして飲んでみ。あとしんどかったらいつでも連絡しなよ、愚痴ぐらいなら聞いてやるから」とか言ってくれてたっけ。

その親切が重たくて、かえって距離を置いてしまったのは俺の方だった。彼が卒業して実家に帰ったという話は風の噂で聞いたが、それからはどうしているのかはさっぱりだった。

故郷に帰って就職してからもちょくちょく曲を書いていたそうだ。親父さんの病状はかなり悪い所まで進んでいたが、この曲を作っていた時に奇跡的だと言えるほどまでに好転し、その気持ちを込めて完成した楽曲が運良くも夢の舞台に上がることになったのだと。
画面には映っていないが、三日月のように目を細めて、例のお人好しっぽい満面の笑みを披露している姿が目に浮かぶ。

「好きなものを地道に作り続けていただけなのに、こんなに光栄な賞を頂けるなんて本当に夢みたいです。本当に、本当にありがとうございます。これからもうちのミクさんと一緒にもっといい楽曲を作り続けていきたいと思います」
だってさ。ずるいな。

到底これ以上は見てられなかった。
もしも、俺が彼のことを知らなかったのなら、何かのコネか裏工作で選ばれたのだろうと思いこめれたのならどれほど良かっただろう。どれほどこのどす黒い邪な感情が正当化されただろう。

しかし、俺は知りすぎていた。彼がどれだけの苦労人で、どれだけの頑張り屋で、どれだけの善人かを。もしも、あの場に立っているのが俺だったら、彼がどれだけ素直に祝ってくれただろうかを。
そして、インタビューの間絶え間なくBGMとして流れ続けていた、グランプリ楽曲がどれだけ純粋で美しく輝いているのかを。
俺はこの日の夜、どんな日曜日よりも大きな絶望を味わっていた。

結局テレビは消してしまった。すると黒い画面は醜い一人の青年を映し出す。
やせ細った手足とは裏腹に突き出た太鼓腹。すっかり切りそびれて其処ら中に転がる輪ゴムでくちゃくちゃに結んだ無粋な髪。最近めっきり酷くなった手ブレのせいか顎中に出来た切り傷。
酷く惨めな姿だ。

が、しかし。何よりも俺を惨めにさせたのはその男の目だった。恨みで満ち溢れたような、俺を睨むクマの酷い両目。ついさっきまではあんなにも善良で誠実な青年に向けていた筈のこの目。
その目があまりにも悍ましくて、俺は両腕の中に顔を埋めてはただただ嘆いた。

こんなこと、とっくに止めるべきだった。始めるべきではなかった。 そうしたら、少なくとも今よりはマシだったに違いない。 帰るところがあって、頼れる人がいる暖かい人生になったに違いない。 しかし、それに今更気づいても遅い。 もう時間は過ぎてしまったのだ。
みだりに積み上げた斜塔は挙句の果て崩れ落ち、その残骸に埋もれた俺は己の猛毒に犯されてしまった。もう側には誰もいない。もう何処へも行けない。

「こんなこと」? こんなことって何だ。 残っていたかもしれないリスナーを見捨てて転生したこと?スランプだからと酒に逃げ続けたこと?両親の反対を押し切って東京まで来たこと?運も才能もないくせに音楽に目覚めてしまったこと?
何度も何度も繰り返し省みても、やはり俺には分からなかった。この人生が一体どこから間違っていたのか。
しかし、一つだけは確かだった。
これら全てを続けていく理由なんざ、実は最初から存在しなかったということ。

そう、これで本当に最後だ。
この可笑しくも悲しくもない悲喜劇は、この辺で幕を引けば良いのだ。


キーボードとマウスの上で手が一切の迷いもなく踊り出した。久しぶりに感じる感覚だ。編曲が終われば、オーディオファイルを最後に動画と混ぜ込んだ。

ファイルが仕上がる間、Chromeを開き、前のアカウントでのログインを試みる。やはり最初に作ったものだからか、パスワードも一度で当てることができた。まだニコニコとTwitterの自動ログインも残っている。

ニコニコとYouTubeの両方に予約投稿を済ませ、Twitterにも投稿通知の予約をかけた。
もうこんな事ともおさらばだな。
時計を見ると、いつの間にか時計は0時を少し過ぎていた。

上京する時に持ってきた大きなスーツケースに、部屋の片隅に積もってあった俺の音楽を詰め込んだ。
電子キーボードを始めとし、作曲ノート、スピーカー、ノートPC、売れ残りのアルバム、そして······。

「はあわれともおさらばじゃけえ」
初音ミクV4Xのパッケージ。 此処まで落ちぶれた俺の音楽の最後のパートナー。

パッケージの中で微笑む少女と額を合わせながら、そっと「今まで世話んなってぇな」と呟いた後、未練なくスーツケースの一番上の方に押し込んだ。チャックをかけ、開かないようにとベルトをしっかりとつけた。錠前でもう一度ちゃんとロックをかけ、その鍵は窓の外に放り投げた。
その鍵は雨に流され、家の前の溝に吸い込まれていった。

窓を閉めて、灯を消し、冷蔵庫を開けて残っていた最後の缶を取り出した。
ストロングゼロ・ダブルレモン。 強烈な虚無、人一倍のポンコツ。まさに今の俺にぴったりな名前だ。
冷蔵庫のコンセントを抜いて、片手には冷たい缶を、もう片手には重たいスーツケースを持ち部屋を出た。 目的地はここから歩いて20分ほどにある高架橋。

土砂降りの雨に降られながら一口ずつ啜っていた檸檬味の炭酸が底をついた時には、もうすっかり海の上だった。 幸い天気のせいか、時間のせいか、周りには誰も居なかった。 周りを2、3回ほど見回し、邪魔するような人が居ないのを再度確認してから、スーツケースを持ち上げ青黒くうねる夜の海に投げ込んだ。

自分の音楽が波に飲まれ消え去るのを見届けた後、今度はそっとつま先立ちをして柵に足を掛ける。 大雨の中濡れ切った所為か、身体の半分くらいが柵を越えたその瞬間、手すりを掴んでいた手が滑って身体が宙に投げ出された。落ちていく雨粒は次第に遅くなり、塩辛い匂いが鼻を擽る。​

そう、これで良かったんだ。
何も無い唄はもう意味さえ失ってしまったのだから。このまま、生き続ける理由すら無いのだろう。
もう藻掻く術も力すらも全て自分の手であの海の底に沈めてしまったのだから、自分自身まで一緒に消えてしまったところで、何も変わることはない。
ならば、問題はないだろう。

波浪が視界を覆う前最後に感じたのは、
ボロボロになった継ぎ接ぎの心に染み込む潮水だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい
  • オリジナルライセンス

ありもしない悲喜劇を紡いでいた(下)

ルビスコと申します。文章初投稿です。

日本語の添削 : おうりんさん
https://twitter.com/ouringo_ngo
この場をお借りして感謝申し上げます。

●本作はボカロPのIDONO KAWAZU様(piapro.jp/kawazu_idono)の楽曲「落伍の涎は鴆毒」等からモチーフをとって書いた二次創作です。原作者様とは一切関係ありません。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37116807
https://youtu.be/d6Xku31L2Og
●この小説はフィクションです。実際する人物や作品などとは一切関係ありません。
●憂鬱・自殺関係の表現がありますのでご注意ください。

(上)は次から
https://piapro.jp/t/Cg6h

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投稿日:2023/01/29 23:23:45

文字数:3,373文字

カテゴリ:小説

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