落とされた幕
夜が明けて太陽が姿を現し、空に朝日が昇る。新しい一日を迎えた王都はざわめきが生まれているものの、街は活気付いていなかった。店売りの威勢の良い声は響かず、家の前に出ている者は不安や緊迫を浮かべて王宮の方角を眺める。
戦いは今日で終わる。王都の住人は願望が多分に混ざった確信を胸に、この先起こる事態を見守るしか出来なかった。
翌日の正午に総攻撃を開始する。
革命軍は黄の国正規軍に通告を出したのは昨日、王宮を包囲して間もなくの事だ。既に大勢は決し、兵達はその日の内に王宮を落とせると意気込んでいた。しかし革命軍の統率者メイコは制圧戦を一日延ばす事を決定し、万全を期して戦いに臨んで欲しいと告げたのだった。
気勢をそがれた革命軍だが、悪ノ王子打倒を目前に士気は高い。昂った感情が日を跨いで冷静な緊張感に変化し、凛とした雰囲気が全軍を包んでいる。
布陣は完了。後は号令を出すのみ。期限の時刻が迫るのを刻一刻と待ちながら、メイコは本陣で一人佇んでいた。
勝敗は目に見えて明らかだ。この二週間、投降する王宮兵は日を追うごとに増え、通告後に降伏した者も少なくない。今朝も数人の兵が革命軍の捕虜となった。数では革命軍が圧倒的に有利になっている。
だが、容易に勝てるとは思っていない。王宮に残る兵は最後まで逃げない覚悟を決めた者達。彼らは決死で革命軍との戦いに挑むはずだ。負け戦だと理解していても、彼らの主君を守る為に。
「羨ましいな」
メイコには羨望に映る。レン王子を守る為に迷わず戦える人達が。悪と呼ばれて忌み嫌われても、レン王子を守り抜こうとする人達がいるのが嬉しくて、同じ場所に立てない己が恨めしい。
青の国に無意味な戦争を仕掛け、意に反する家臣を粛清し、反乱軍を見せしめに処刑した。レン王子の振る舞いは当然許される事では無く、打ち倒さなければならない悪なのは分かっている。
黄の国の民を救う為。理屈は通っても疑念が付き纏う。忠義を捧げた主君に剣を向け、国を滅ぼす覚悟はとうに決まっているが、メイコはどうしても王子を憎み切れない。
やはり何かがおかしい。王子の行動にちぐはぐさを感じるのだ。ミク王女と初めて会った時に抱いた疑念は膨らみ続け、革命が進むに連れてレン王子の口から真意を聞きたいと言う思いが強くなった。
革命軍の統率者が持ってはいけない感情だろう。仲間を騙しているようなものだ。だからこそ引き返す訳にはいかない。王宮を討つ責任を果たさなければ、これまで流された血が全くの無駄になる。反乱が正しくても間違っていても、この戦争は終わらせる。それが革命軍を率いる者としての義務だ。
たとえ謀反人と謗られようとも。
メイコが思考を終えた時、こちらに向かって走る兵が目に入った。期限の時間まで一時間は余裕がある。ぎりぎりになって革命軍に降る王宮兵がいてもおかしくは無い。その伝令だと楽観していたが、迫る兵に狼狽の色を見て取ったメイコは判断を覆す。
「メイコさん!」
急を要するらしく、予想通り慌てた様子の兵は乱れた息のまま声を上げる。どうした、とメイコが短く返した直後、兵から耳を疑う言葉が放たれた。
「報告します! 緑兵団が進軍を開始しました!」
反乱軍が刻限を待たずに接近。その知らせは程なくして王宮へ届き、残った数少ない者達を騒然とさせた。奇襲をかけたり虚偽の情報を流したりするのは戦の常套手段ではあるが、まさか自ら定めた期限を反故にするとは。
昨日に通告を受けた直後、レンは王都市民へ外出禁止を公布していた。『悪ノ王子』が国民を戦闘に巻き込まない為の措置を講じたのに対し、革命軍は王子のみならず国民も裏切る騙し打ちで応えた。
近衛兵隊を始めとした残存兵は庭園に集まり、敵を迎え撃つ準備を整えている。外に戦力が集中している為、屋内に兵士はほとんど残っていない。
「まだ逃げて無かったの?」
空の箱同然になった王宮。その使用人室で驚きの声が上がった。
「今の内に早く逃げなよ。レン様も責めたりなんかしない」
リリィは平静に逃亡を勧める。真摯に身を案じてくれている彼女へ、リンは首を振って答えた。
「私は残るよ。戦う力は無いけど、最後まで王子の傍にいる」
話に応じる気は微塵も見られない。後輩の王子への献身を痛感し、それでもリリィは言葉を重ねた。
忠義が厚ければ尚の事。革命軍はレン王子に近しい者を敵とみなす。庭園が突破されたら身の安全は保証出来ない。捕まったら散々弄ばれた挙句に殺される可能性だってある。
「今ならなんとか間に合う。リンベルは裏から逃げて。レン様にはあたしが言っておくからさ」
再三の説得。リンは自分より高い位置にあるリリィの目を見つめ、寸分の迷いなく拒否を口にした。
「逃げないよ、私は。リリィや近衛兵隊みたいに戦えないけど、最後まで王子を守りたい」
頑固な態度を崩さない後輩を目の当たりにし、リリィは額に手を当てて盛大な溜息を吐く。そして、呆れとも感嘆とも取れる科白を漏らした。
「テコでも動かないね、こりゃ……」
とうとう匙を投げたらしい彼女を見て、リンは思わず笑みを浮かべてしまう。ここまで追い詰められた状況なら、流石に自発的に逃げると踏んでいたのだろう。現に料理長は朝食の片付けを済ませた後に王宮を去り、未だに留まっている使用人は王子の侍女二人だけだ。
「分かった。代わりと言ったら何だけど、リンベルに教えて欲しい事があるんだ」
手を下ろしたリリィが問いかける。黒と蒼で彩られた特徴的な目を見据え、リンは無言で肯定する。
「何でそこまでレン様にこだわるの? ずっと気になってた」
疑問が芽生えた当初は王子への憧れ、そして共に時間を過ごした事で恋心を抱いたからではないかと訝った。近衛兵隊が面白半分で話題にしていた事もあり、リリィもそう考えて微笑ましく思っていた。
「リンベルがレン様に持ってる感情って、恋とは違う気がするんだよね。何となく」
確信は込められていないが、リリィの推測は真実を突いている。見透かされたリンは諦めたように、しかし吹っ切れた表情を見せた。
いつもこちらが訊いてばかりだった。黄と緑の関係の変化についても、自分が来る前のレンがどのように過ごしていたのかも、リリィが背負っていた過去も。そうでなくても最後だから話そう。今日に至るまでの三年間、弟を傍で支えてくれていた彼女に。
「その通りだよ。私は王子を……レンを特別大切に思ってる」
リリィは怪訝そうに眉を寄せる。不審が宿った眼差しを微笑で受け止め、リンは穏やかな口調で語り出した。
存在を抹消された黄の国王女。レン王子の姉の足跡を。
「双子の姉弟……。道理でレン様も気にかけてた訳だ」
リリィの反応にさほど動揺は見られない。真実を打ち明けたリンが意外そうな顔をする。
「あまり驚かないんだね」
「むしろ納得がいった。顔はそっくりだし、似たような性格してるし」
酷似した容姿は当然自覚していたが、性格面もそんなにレンと似ているだろうか。思わず首を傾げるも、自分達姉弟と常に接していたリリィが断言しているのだ。おそらく気質も大した違いは無いと結論付ける。
屋外から騒音が微かに聞こえた。王宮兵と革命軍が激突するのは近い。切羽詰まった状況にも関わらず、リンはついでにと質問をぶつけた。
「ちなみにいつ頃から変だと思ってた?」
「リン、が青の国から帰って来た後……くらいかな? 恋愛感情じゃなさそうって気付いたのは」
慣れない本名で後輩を呼び、リリィは記憶を辿って返答する。
その頃は双子が本当の意味で再会した時期と重なる。互いを想うが故に秘密を共有せず、結果として二人はすれ違っていた。王子が邪魔者を全て排除した事で呪縛から解放され、立場の違いこそあるが、姉弟はようやく本来の関係に戻る事が出来た。それが雰囲気に出ていたのかもしれない。
青の国。自身の発言で余計な怒りを湧き立たせてしまい、リリィは憎々しげに吐き捨てる。
「あの豚宰相、正真正銘の屑だわ」
死者に鞭打つ暴言だったが、リンも同様の意見である。レンやリリィ達に惨い仕打ちをした老害をさっさと頭から追い払い、リンは愚問を承知の上で訊ねた。
「リリィはどうするの?」
いつでも逃げられたにも関わらず王宮に残った理由。王子の傍にいる危険性を認識し、それを説得材料に後輩を説き伏せようとしていたリリィに感じられたのは、大切なものを守る為に殉ずる覚悟。以前レンが緑の国でリンに見せた、誰かの為に己が持つ力を振るう意思。
「革命軍と戦うよ」
激怒を一瞬で静まらせたリリィが即答する。
「レン様とリンが少しでも長く話せるように、敵を足止めして時間を稼いでみせる」
王子に逃げるよう促して欲しい。皆無に等しい望みをリンに託す。
「結局は他人のあたしじゃ駄目なんだ。言葉は届いても助けられない。リンじゃなきゃ無理なんだよ。レン様を救えるのは」
自分ではどうにもならない。悔しさに歯噛みしてリリィは言う。大役を任された使命感と責任感を胸に秘め、リンは力強く頷いた。
「大丈夫。心配しないで。……これで最後だから、我が儘を聞いてくれないかな?」
手を合わせて頼む。犠牲になるつもりで戦い、レンを守ろうとしてくれているのは分かる。だけど、リリィには生き延びて弟を支えて欲しかった。
もう自分は傍にいられないから。レンを頼めるのは目の前の先輩だけだから。
「良いよ。我が儘は聞き慣れてる」
リンは礼を告げると、王宮の外に続く隠し通路の事を話した。王子と一緒にそこから逃げると伝え、出口の位置をリリィに教える。要は迎えに来て欲しいというお願いだ。
「成程。じゃあ頃合を見て逃げさせてもらうから、絶対に間に合わせてね」
押し寄せる兵を食い止めた上に戦闘を離脱する。無茶で困難な作戦を、リリィは何事でもなさそうに言ってのけた。彼女の実力と普段と変わらない態度を信じ、リンは親友へ最後の言葉を贈る。
「ありがとう。リリィ、死なないで。レンの為にも生き抜いて」
逃亡の筋書きには嘘を混ぜていた。隠し通路を通るのは一人だけ。双子の姉弟は幼い頃と同じように王宮を抜け出さない。
リリィは息を飲む。再び礼を言ったリンの笑顔が、後輩の面倒を見てくれと頼んだレン王子と重なったからだ。やっぱり双子だと心底思う。
「それじゃ、行って来るね」
笑って軽く手を振り、リリィは部屋を飛び出す。腰近くまで伸びた金髪を翻らせる背中を見送って、リンは言葉を発さずに懇願した。
レンの事を、お願い。
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