それからの僕は災難続きだった。まず帰ると、すでに仕事を終え戻っていた父さんにこっぴどく叱られた。ものすごい剣幕で、普段手を上げない父さんが問答無用で殴り飛ばしてきたことに呆然とするほかなかった。おそらく何かあったのではと気が気じゃなかったのだろう。未だに外着のままでいる父さんは、憤っているというよりも安堵の方が強いように見えた。
「……ごめんね、父さん」
それしか僕に言えることはなかった。姉の話をするわけにもいかないし、ましてや母さんと比較する形で、父さんに引き取られて良かったと改めて感じているなんて口に出来るはずもない。
「……どこに行ってたんだ。無断外泊をするような奴に育てた覚えはないぞ」
しかし当然、詰問される事柄だった。誤魔化すしか選択肢はないものの、今の父さんに僕のはったりが通じるとは思えない。
「えっと――……」
とりあえず室内に上がり、そこでぐらっと世界が揺れた。急速に視界を灰色のフィルターが覆い、平衡感覚どころか自分の存在さえあやふやになる。
「あ、れ……?」
そこから先は覚えていない。気が付いたら僕は自分の部屋で、しっかり部屋着に替えられた状態で寝かされていた。額には温くなった熱冷まシートの感覚がある。そしてタイミング良く入ってきた父さんが、乱暴にシートを張り替えながら状況を説明してくれた。
「有給取ってきた。師走の忙しい時だが、事情が事情だからな。まったく、お前は……。外泊してきたと思ったら、帰った途端にぶっ倒れるんだからな」
返す言葉などあるわけもない。それ以前に何かしようという気力さえわかず、為すがままにされていると、やがて普段の語勢に復帰した声が耳に届いた。
「何か食べるか?味は保障しないが」
「……看病、してくれるの?」
恐る恐る言葉を押し出すと、じろりと睨みが返された。咄嗟に肩を竦めて布団を目の下まで引き上げる。怒られることに慣れていない僕には、少しの予兆でも今は身構えてしまう。しかし深い溜息の後に吐き出されたのは、ぶっきらぼうながらもじんとくる一言だった。
「息子が寝込んでる時ですら省みない親に見えるか?」
誰か、そんな言葉をかけてくれる人が姉の側にもいたならば。そう思わずにはいられない。そうしたら姉は、自らを深い絶望の井戸へなんて追い込むことはなかったのに。あの悲観的で刹那的な姿勢は、晒され続ける攻撃から自身を守る壁のように見えた。光を拒否し、頑なに歪んでしまった姉の心。だけどきっと父さんなら掬い出してあげられる――……それなのに。
「一つだけ訊く。犯罪などは、してないだろうな?」
強迫でもされているような語調に、僕は迷うことなく頷いた。どんなに迫られても、僕は本当のことを話すわけにはいかない。そんなことをしたら、姉は己を支える唯一のよすがも失ってしまう。母さんの側にいるという悲壮なまでの決意。それが崩れてしまったら、姉がどうなってしまうのか見当もつかない……。
僕の反応に再度吐息を漏らし、父さんは自分に言い聞かせるようにして告げた。
「それならいい。らしくない事やるから、罰が当たったんだろ。とにかく大人しく寝てるんだ。今、何か作ってくる」
そうして部屋を出て行く背中を、顔を向けることさえ苦痛なまま横目で追ってから、僕は改めて己のしでかした事に思いを馳せた。罰に関しては僕も同意だった。流されて姉の望むまま振舞ってしまったことに対して、今では後悔が渦巻いている。昨日の姉は明らかに普段とは違っていた。そんな姉に付き合う行為が、良い方に転ぶとはどうしても思えない。
それでも、もう過ぎてしまったことなのだ。とにかくもう一度姉に会いたい。会って、この疼く胸の奥にあるものを、理解できないながらも伝えたい。その一心で、僕は大してわかない食欲にも負けずにしっかり休養を取った。
しかし、そんな逸る気持ちがいけなかったのだろうか。結局僕は満足に動けないまま年越しを迎え、節々の痛みがありつつもどうにか活動できるまでに回復したのは、三が日を過ぎてからだった。その間に僕と姉の誕生日があったのだが、無論共に祝うことなど夢物語に散ってしまった。
「昔から長引く方だったとはいえ、今回は長かったな。折角の正月も台無しだ」
父さんにも呆れられるくらい、僕の病状は遅々として快方に向かわなかった。冬休みが終わるまで限定の外出禁止令が発令されていたが、それが効力を発揮するまでもなく日々は過ぎていく。その間に気にかかったのは勿論姉のことだった。姉は大丈夫だったろうか。姉の場合、看病してくれる人など期待できない。ただ一人、あの狭くて薄暗い部屋で横になっているしか――。
「おいおい。病み上がりなんだから、あんまりはしゃぐなよ」
そうして悶々としつつも迎えた始業式の朝。早めに仕事を切り上げてきて見送ってくれた父さんへの挨拶もそこそこに、僕は小走りで姉との待ち合わせ場所へと駆け出していた。
いつも姉は、家の方向を知られたくないからか僕より早く待っている。それを考えても随分早く家を飛び出してしまったが、急く気持ちは抑えようがない。姉の元気な姿を確かめるまでは、どうにも落ち着かなかったのだ。体力がなくなったためにすぐ上がってしまう息と音を組み敷く勢いで、僕は溶けた雪のせいで黒く濡れる道路を走り続けた。
そして、おそらく新記録樹立のタイムで待ち合わせ場所に到着すると、すぐさま周囲を見回した。大抵姉はこの辺りで立っている。三叉路のすぐ手前にある電信柱。その住宅地側から見て影になる位置が姉のお気に入りスポットのようだった。
姉が顔をひょっこり覗かせるのが先か、僕が覗き込むのが先か。そんなことを何度も繰り返す内に、いつしか僕たちはそれを競うようになっていた。姉の得意げな笑顔が欲しくて、わざと足音を立て存在を知らせたり。逆に姉の悔しげな顔が見たくて、殊更慎重に気配を殺して忍び寄ったり。僕にとって姉はいつでも先にいて、僕を待っていてくれる幸せの象徴だった。
しかし今回はまだ来ておらず、そのささやかな楽しみはあっけなく突き崩されてしまった。そもそも学生自体ほとんど見かけない時間帯なのだから、当然ともいえるのかもしれない。それでも嫌な想像ばかり膨らませる頭を必死に振りながら、僕はひたすらに姉を待ち続けた。
(続く)
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